小田博志研究室

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浅茅野飛行場調査を終えて

2007-07-28 | 平和

 オホーツク海に面した、日本最大、そして最北の村、猿払村。ここで1週間かけて調査をしてきました。

 総勢10人のグループ調査でした。文化人類学者として僕は単独で調査をすることがほとんどなので、このような試みははじめての体験でした。

 この調査の主な目的は、浅茅野飛行場建設とその犠牲の実態を明らかにことでした。アジア太平洋戦争の末期、昭和17年から19年にかけて、猿払村浅茅野地区で―実際には浜頓別町にまたがる格好で―陸軍の飛行場が建設されました。この建設工事のためにおよそ千人の朝鮮人が動員されたとされます。そしてそのうちの1割にあたる約百人が工事の期間中に死亡し、時期によっては近隣の墓地や工事現場周辺に埋められたと伝えられています。さらにこの犠牲者たちの遺体・遺骨の多くは、戦争が終わってからも放置されたままだと考えられています。その遺体を掘りおこして、故郷のご遺族にお返しするための取り組みがこの地で進行しています。昨年は大規模な発掘のサマーキャンプが開催されました。しかしまだまだ未解明の問題が多く、それを明らかにするために今度の調査が企画されたのでした。

 調査チームは主に「強制連行・強制労働犠牲者を考える北海道フォーラム」のメンバーと、北大の学生とで構成されました。その中には韓国と中国からの留学生もいました。

 先週の土曜日から今日まで、連日、地元のお年寄りの聞き取りや、飛行場跡および旧墓地のフィールドワーク、また役場などでの資料調査を行ないました。調査メンバーのみなさんご苦労さまでした。日を追うごとに、調査により深く関わっていく様子が伺えました。「来てよかった」という言葉が聞けて、誘った僕もうれしく思いました。

 惜しみなく協力してくださった猿払村の実行委員会のみなさんには頭を下げるしかありません。回覧板の作成、聞き取り調査のアレンジ、資料の提供、そして報告会の開催と、いろいろな局面でご尽力くださいました。いつも時間が押し気味な私たちのペースに嫌な顔ひとつせず付き合ってくださる皆さんの寛大さに深く感謝いたします。

 宿泊でお世話になった笠井旅館さんは私たちのわがままに一々対応してくださっただけでなく、たいへん豪華な食事を毎日提供してくださいました。今日の別れ際に、そのことでお礼を申し上げると、ご主人は「それが私たちができる支援だから」とおっしゃってくださり、胸が熱くなりました。

 なにより不躾な私たちの訪問に応じてくださって、思い出しにくい昔のお話しを根気強くしてくださった猿払と浜頓別のお年寄りの方々には何度でもお礼の言葉を申し上げたい気持ちです。

 調査の結果はこれからメンバー間でこれからまとめていきます。後日何らかの形でご報告いたします。

 こんな課題があるなということをメモしておきます。

 浅茅野飛行場跡はまれにみるほど貴重な戦争遺跡であり平和教育の資源です。しかし現状では放置され、風化されるにまかされています。これを相応しい形で整備し保存できないでしょうか。

 浅茅野飛行場は猿払村と浜頓別町にまたがって建設されました。ですから、その戦争遺跡としての整備にも両自治体の協働が必要です。自治体の垣根を超えた、行政と、そしてなにより住民の方々の協力がなされるようになったらすばらしいことです。そのための超自治体的なNPOができないでしょうか。住民の方々が、自らの問題として、浅茅野飛行場とその犠牲の調査と記録、および戦跡保存の実践を行なうようになることを、私は願ってやみません。

 (7月27日記)


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