(北海道新聞夕刊<魚眼図>2010年1月18日掲載)
「“敵”とは、戦争というビジネスの都合で、愛してはならないとされる人間のことだ」
これを書いたハンス・パーシェは軍人から平和主義者へと方向転換した人物だ。1881年に北ドイツに生まれ、23歳で当時ドイツの植民地だった東アフリカ(現タンザニア)に赴いて、現地住民による武装抵抗の鎮圧に参加した。そこで植民地支配と戦争の不当さと残酷さに直面した。冒頭の言葉を収めた「世界戦争への私の共罪」を著したのが1919年。その内容は時代の先を行っていた。
パーシェの座右の銘が「メタノイア」だった。ギリシャ語で「考え方を変えよ」という意味。根本的な意識の転換のことである。彼はそれを平和運動の基本ともした。
パーシェはアフリカ旅行の際、ある現地の少年を雇った。彼にドイツのことを話すとむしろ不思議がって、その感想はパーシェを考えこませた。この少年をモデルに書かれたのが「アフリカ人ルカンガ・ムカラのドイツ奥地への調査旅行」(鳥影社)というユニークな著作だ。アフリカ人ルカンガがドイツを旅して、その「文化」の奇妙さを本国の王様に報告するという体裁。鉄道ならばこのように。「ワスング(ヨーロッパ人)たちは石炭を運ぶために鉄道を作り、鉄道を作るために石炭を運んでいるのです。こんなことを彼らは文化と呼んでいるのです」。辛辣(しんらつ)な文明批評だ。
ほぼ百年前に「ルカンガ」は発表されるや反響を呼び、模倣品が書かれるほどだった。他者の視点から文明や進歩の価値を問い直し、方向転換の手がかりとすること。パーシェのこのメタノイアの精神は今日でも古びていない。
(小田博志・北大准教授=文化人類学)
下:パーシェの肖像写真、向かって左上にギリシア文字の「メタノイア」が見える
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