こんにちは
愚な教育学部の学生(甥)は元気でしょうか?
このブログを始めて、一年と半年が、経過しました。最初は就職や資格について、書くつもりだったのですが、それらに関しては様々なサイトが多数存在しているので、あえて就職や資格について、今更、掲載する必要が無いと考え、途中から仏教について書いた。
仏教を取り上げたのは、人が事をするに当たって、それを行なおうとする心の状態を作るには如何すれば良いかが、仏教を紐解く内に分かるかな!と思ったから。
では、今回は五蘊(ごうん)の想・行です。
想とは
事物の相を見て、思い描く心の働きで,言語のを起こす本となるもの。
・妄想---精神が対象の形態にとらわれて行う誤った思惟・判断をする事
・空想---自分に都合の良いように思う想い
・愛想---自分の好む者に執着し親愛する想い
行とは
身・口・意(心の意志的働き)で、つくられたもの。
今回はこの辺でおわり、では法華経の譬喩品の続きをどうぞ!
此の経をけなすと、次のような罪を獲るのです。
もし、人として生まれたとしても、六根がきわめて鈍く、小人の様な者・手足の自由に利かない者・耳が聞こえず、眼の見えない者・背虫のように背が曲がっている者など
この者達は、自分の意志を持ず、また意見を述べる事もないので人を信用しない。口から吐く息は常に臭く、鬼のような姿をしている。それゆえ、貧困で卑しく、また人に使われる為、病気が絶えず、その事に悩み、苦しみ、身はやせ細り、人から頼られる事がなく、人に親しんでつき従がったとしても、人から認められる事が無い。
もし、何か人に役立つものを得られたとしても、突然、得た時の心を忘れて自分の価値を失ってしまう。もし、医学道を学び、人の病を治療したとしても、更に別の病気を引き起こし、悪化させるか、或いは死に至らしめてしまう。
もし、自分が病んでいるなら、人を治療する事が無い。例え、良薬を飲んだとしても、病は突然、重くなる。もし、世の中に反逆して、人を脅してものをかすめ取り、終には窃盗を行なう様になる。
この様な者達の罪は早急に天罰が下される訳ではないが、これら罪人たちは、永く佛、つまり、大地の制する者が説法において、人を良い方向に向かわせるために、人を教え、導く姿を見る事をしない。
この様な罪人は、常に苦境に生まれ、叫び声を上げたくなる様に心が乱れ、永く法を聞く事ができず、ガンジス川の砂の数ほどの限りない時間、生まれては耳が聞こえず、声が出ず、六根が不自由である。
常に、地獄に住んでいるにも関らず、家の庭で遊でいるかのように安心し、また、他の悪の道に落ちたとしても、自分の家に居るかのように安住している。
また、陀(ラクダ)・驢(ろば)・猪(いのしし)・狗(いぬ)の例えはその者の行ないや心の有り様を示すものである。
この経をけなす故に、次のような罪を得る。
もし、人と生る事が得られとしたら、耳が聞こえず、目が見えず、口が聞けずにいる為、貧困にあえぎながら憔悴(しょうすい)して、水腫(すいしゅ)・かんしょう・けいらい・おうそ・などの重い病気に掛かる。
その為、常に体は垢で汚れて不潔である為、異臭の元となる。深く我見に執着して、瞋恚を増して、淫欲が盛んに成り、人も人として見ない。この事はこの経をけなす故に、得る罪である。
・我見(がけん)
五見の一で、自分だけの狭くかたよった意見や見方の事または、〔仏〕 自己の内部に不変の実体、本質が存在するとする、非仏教的な考え。
・瞋恚(しんに)
〔仏〕 三毒・十悪の一。怒り・憎しみ・怨(うら)みなどの憎悪の感情
・淫欲
十悪の一で、性的な欲望。情欲。色欲
・水腫(すいしゅ)
身体の組織液が異常に多量にたまった状態
・乾?(かんしょう)
常に頭痛がして、日常生活のおもしろさなどが感じられない
・けいらい
ライ病で、皮膚に腫れものや吹き出物ができ、かゆみをを増していく皮膚病
・おうそ
悪性の腫れ物、よく背中にできるできもの
今日はこの辺で終り、