言うなれば「真面目、誠実、謙虚」な人と紹介されて、反社会的な悪人とは思わないのが普通です。
儒教の教えに「五倫五常」という言葉があって、 意味は、
人として常に踏み守るべき道徳のこと。
「五倫」は基本的な人間関係を規律する五つの徳目。
父子の親
君臣の義
夫婦の別
長幼の序
朋友の信
「五常」は仁・義・礼・智・信の五つ。
ということのようです(goo辞典から)。
元禄時代ごろの人物で関西に石田梅岩((いしだ・ばいがん)という庶民の哲学者がいました。自分の性格の悪さに気づき欠点矯正に努力し庶民の先生となった方で、以前にもブログで紹介したことがあります。
「倹約」と「誠実に生きる」に学ぶ[2009年11月18日]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/96cb77173d8068a5c4811ce763ba6bc5
「われ生質(うまれつき)理屈者にて、幼年の頃より友にも嫌はれ、ただ意地の悪きことありしが、十四、五歳の頃ふと心付きて、これを悲しく思ふより、三十歳の頃は、大概なほりたりと思へど、なほ言葉の端(はし)にあらはれしが、四十歳のころは、梅の黒焼きのごとくにて、少し酸(すめ)があるように覚えしが、五十歳の頃に至りては、意地悪きことは大概なきやうに思へり」(石田先生事蹟から)
と本人が語るように「欠点矯正に努力」したわけですが、根本は気づきをもつことができた人にあるようです。
梅岩先生は、丹波の国に生まれた人でいわゆる関西人です。大坂に適塾を開いた緒方洪庵(おがた・こうあん)は、幕末の頃の人、TBS「Jin-仁-」では俳優の武田鉄矢さんが役をおやりになりましたが医師で蘭学者で福澤諭吉、大鳥圭介、橋本左内、大村益次郎、長与専斎、佐野常民、高松凌雲など多くの弟子を育て上げました。詳細は語りませんが人を育てる教育者としても相当な人物であったようです。
関西というところ、江戸とは異なる特異な環境があったように見えます。そんな梅岩先生のことについて書かれた本を時々読むのですが、最近古本店で『日本の近代化民衆思想と』(安丸良夫著 青木書店)という本を見つけ、その中に次のように分かりやすく梅岩先生の思想成立過程が書かれていたので紹介したいと思います。
<引用『日本の近代化民衆思想と』(安丸良夫著 青木書店)から>
・・・・民衆的諸思想家は、いずれも人間の「心」や「人性」について、観念的な思索を真剣にかぜねた。たとえば、石田梅岩の心学は、実践道徳としては、正直、倹約、孝行などに要約されようが、しかしそうした実践道徳も「心性」の哲学に基礎づけられてはじめてその独自な意義をあきらかにするような性質のものだった。
「心性」の哲学が、実践道徳にたいしてもつ意義をあきらかにするために、ここではまず梅岩の開悟の体験を分析してみよう。
梅岩は、若年のころから五倫五常の道を人々に教えたいという頗望をもっていた。しかし、自分の思想について十分に確信がえられぬまま、一年あるいは半年といくつかの師家をたずねたが、どうしても心が定まらず不安だった。だが、そうした遍歴のあげく、隠遁の老僧小粟了雲に指摘されたことが、まさに核心をついていた。
すなわち、了雲によれば、梅岩はまだ五倫五常を人間主体にとって外的な規範として受けとっているのだ。身分の「心」こそすべての根源であり、すべての道徳もその「心」の実現でなければならぬのに、梅岩は外的規範を追求するばかりで、自分の「心」を養うことを忘れ、その結果、自分の本心と外的規範のあいだに売離を生じ、そこに不安がうまれたのだ。だから、なによりも人間の本質である「心」を知ることにつとめ、すべての思想や実践がその「心」のうえに基礎づけられるように努めなければならない。
梅岩にとって、これはまったく核心をついた指摘だったので、梅岩は従来の考えに「茫然トシテ疑ヲ生」じ、「夫ヨリ他事心二不入、明暮如何如何卜心ヲ尽シ」、ついに一年半ばかりしてある朝突然に開悟した。そのとき梅岩は、「自身ハ是レハダカ虫、自性ハ是レ天地万物ノ親」と悟った。
このことを彼は、「天ノ原生シ親マデ呑尽シ/自讃ナガラモ広キ心ゾ」と詠んだ。梅岩は、さらに「自性」というものが残っていると了雲に指摘されてもう一度開悟し、それを「呑尽ス心モ今ハ白玉ノ/赤子トナリテホギャノ一音(こえ)」と詠んだ。
二つの開悟はすこし違っているが、要するに梅岩は、自分の心と世界が一体となる不思議な体験をもったのである。だが、大切なことは、この不思議な体験によって、「人ハ孝悌忠信、此外子細ナキコトヲ会得」したということである。
もとより従来も、孝悌忠信が人間の道であることを梅岩は信じていただろうから、苦しい思索過程に比べてこれはあまりに平凡な結論にみえる。だが、自己の心の実現として世界が存在すること、あるいは、自己と世界が一体なものだということが体得されるや、孝悌忠信は外的規範ではなくなり、自己の心に本当に納得できるものとなり、むしろ自己実現、自分の心のやむにやまれぬ必然的な実現ということになる。
こうして実践道徳は、自己の精神の権威と自発性のうえに基礎づけられることになった。梅岩の思想のさまざまな独自性も、こうした見地から理解できる。たとえば、梅岩が独自な三教一致の立場をとったこと、経典の文字にとらわれず「心の磨種(とぎぐさ)」として自由に取捨したこと、師了雲の師伝をことわったこと、世評をかえりみず大胆な教化方法をとったことなどは、すべてこうした自分の精神の権威についての確信からうみだされたものだったと思う。
初期の心学では、こうした開悟の体験を「発明」とよんで重視したが、この「発明」の体験を通して心学の主張する一見卑近な日常道徳が、人々の精神の権威と自発性にもとづくものとなったのである。
こうして樹立された「心性」の哲学は、極度に唯心論的な形態においてではあるが、人間の無限な可能性を主張するものだった。梅岩は、「心性」についての思索をつきつめたあげく、「万事ハ皆心ヨリナス」、「仁者ハ天地万物ヲ以テ一体ノ心トナス。己二非卜云コトナシ。天地万物ヲ己トスレバ至ラザル所ナシ」などとのべた。こうした唯心論的世界観は、民衆的思想に共通していた。
たとえば、河内屋可正も、人間の幸不幸からはじめてすべての事象はみな「己が心より出た」ものだとのべたし、黒住宗忠の「生死も富も貧苦も何もかも/心一つの用ひやうなり」、「天地は広き物かとおもひしに/我一心の中に有りける」などというのも同様な意味であろう。・・・・以下略
<以上上記著p30~p31から>
河内屋可正、黒住宗忠という名が出てきて興味の尽きないこの時代ですが、「このような自分ではいけない、本来の自分に目覚めよう」と気づく人がいる。軽重の差が世の中を生み出しているのかも知れませんが、求めなければ救われない、学ばなければ何ものも成立しない、それだけは確かであるのです。
「心の磨種(とぎぐさ)」ということばが出てきますが、じつに良い言葉の響きを持っています。
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コメントありがとうございます。以前に石田梅岩を研究されているということを聴き、私も惹かれるところがあり資料本を集めています。退職後はしっかり足跡を訪ね研究したいと思っています。今後もよろしくお願いします。
当方でも、石田梅岩の石門心学に於ける、盤珪永琢・不生禅の影響を見ようと思っており、記事にするつもりですが、まだ出来ていません。
それを前にしての、心学の成立史的研究、参考になりました。