犯罪の「罪」の字は、「つみ」と発音されるが、この「つみ」という言葉は大和言葉である。大和言葉は、万葉の時代頃には使用されていた言葉で、突然その時代に現れることになるわけではないので、それ以前の時代から存在していたことになる古い言葉といえる。
記紀時代に成立する、天津罪、国津罪に使用される罪という語について、古事記伝で本居宣長は、
まず都美(つみ)というふは、都々美の約まりたる言にて、もと都々牟(つつむ)といふ用語なり、都々牟とは、何事にもあれ、わろき事のあるをいふを、体言になして、都々美とも都美ともいふなり、されば都美といふは、もと人の悪行のみにはかぎらず、病ヒもろもろの禍ヒ、又穢(きたな)きこと、醜(みにく)きことなど、其外も、すべ世に人のわろしとして、にくみきらふ事は、みな都美なり。
万葉の歌に、人の身のうへに、諸のわろき事のなきを、つゝみなくとも、つゝむことなくとも、つゝまはずともいへるは、今の世の俗言に、無事にて無難にてという意にて、即チ都美なくといふなり。
と解説し異なる段に重複する部分もあるが、
罪のたぐいは、すべては、都美は、都々美のつづまりたる言にて、古語は都々美那久(つつみなく)、また都々麻波受(つつまはず)などいわゆる都々美とひとつにて諸々の凶事(あしきこと)をいう。
ツツムは、ツツシムとひとつなるをつつしむは、凶事にあらじ、あらせじとする方にいい、つつむは、凶事を露(あらわ)さじと隠す方にいい、つつみなくなどは、凶事なきえをいう。これら末は各ことなるがごとくなれど、本は一つなり。
罪は必ずしも悪行(あしきわざ)のみをいうにあらず、穢また禍など、心とするにはあらで、自然にある事にても、すべて厭(いと)ひ悪(にく)むべき凶事をば、みなツミというなり。
とも解説する。
ここで問題にしたいのは、日本の古代精神史における思考形態を「つみ」という大和言葉から解釈したいと思うからである。
国文学者西郷信綱先生はその著書で、ツミとは古事記伝にいうとおりであると述べ、さらに
ケガレ、ワザワイ、トガ(咎)、アヤマチもひろい意味でツミにふくまれる。
ツミという語は、ツツミ(包、障)と関連があるかも知れない。ツツミは、ツツムの名詞形で、事故とか障害の意である。川の堤は、水の流れをせき止めさえぎるものだが、ツミも禁止を破って神意の働きをさまたげたり、さえぎったりするわざの意と解される。トガがタガフ(違)と同根らしいのも参考になる。
と述べている。
私は、古代における「ツミ」」という音韻である言葉は、「自然の流れを阻害する行為、川の流れならばそれを堰き止める堤防のような、流れを阻害するもの、行為」をいうのではないかと考えている。
即ち森羅万象、人の心も含めて自然の流れに境界線を引くように隔たりをもたせる意識的な判断に基づく行為をいうのではないかと考えるのである。
これは、神道で神意である御魂を「和御魂」「荒御魂」の二魂に分別するも総体的に現実化すると一元的な御魂で捉えていることに現れており、古代人の深層心理内のおいては、罪悪感は自然に対する阻害行為をいうのである。
しかし、精神的な流れも神の具現化により相対的な存在になると二元的な思考形態を生ずることとなり、道教思想の陰陽的な思考、さらに近代の西洋的な二元的な思考な基盤に立つ文化の流入により一元的思考は希薄になってきた。
この中で仏教伝来は、原始仏教に見られる無分別知と神道の一元的な思考は、権力的な対立は別問題として思想的には大きな問題は生じなく、その共存は今日を見れば明らかである。
このような神道における一元的な思考が、今日に生きる智慧として大きな存在となっていないのは何故か。
それはあたりまえ過ぎるからである。倫理的な規制、道徳的な生き方とは、罰当(ばちあ)たりな行為、天罰を受ける行為で、タブーを犯す行為をしないことで、それはあたりまえのことである。
罪は、払わないと罰(ばち)が当たります。これは古代人をはじめ、ある時代までは当然に日常生活の中にありました。道路にタバコ、森林に廃棄物、川を汚すこと。など限がありませんが、これらの行為をすると、法律のような原因と結果の因果律関係ではなく、仏教でいう縁起、因縁に近い関係で罰があったのです。
私どもの地方では、川でおしっこをするとオチンチンが曲がってしまうのです。
このような罰当たりについては、青春出版社「日本人の禁忌」総合研究大学院教授新谷尚紀氏が面白い。
この中で「分別を持つことを許さない天の思惑に背くのは、やはり禁忌(タブー)破りであろう。」とアダムとイブのリンゴを例に氏は述べている。
この点キリスト教圏(西洋)は、アダムとイブがリンゴを食べるという禁忌破りに縁(よ)りいち早く二元的思考になったと考えると面白い。