今朝は「いのち」ということについてアップしようと思います。私たちは身体を持ちいのちがあって生きています。
生かされている一方でそのいのちはあるとき自分の手元にあることに気がつきます。
そして動揺の中で自分のいのちを絶つ人、行きたいのだけれど生きられない人、そんな「いのち」の話です。
昨年の暮にNHKクローズアップ現代で、
ある少女の選択 ~“延命”生と死のはざまで~
という番組が放送され、本年7月22日に
ヒューマンドキュメンタリーある少女の選択~18歳“いのち”のメール~
という番組が放送されました。
NHKクローズアップ現代の番組解説には次のように書かれています。
「腎臓の「人工透析」30万人。口ではなくチューブで胃から栄養をとる「胃ろう(経管栄養)」40万人。そして、人工呼吸器の使用者3万人。「延命治療」の発達で、重い病気や障害があっても、生きられる命が増えている。しかしその一方、「延命治療」は必ずしも患者の「生」を豊かなものにしていないのではないかという疑問や葛藤が、患者や家族・医師たちの間に広がりつつある。田嶋華子さん(享年18)は、8歳で心臓移植。さらに15歳で人工呼吸器を装着し、声も失った。『これ以上の「延命治療」は受けたくない』と家族と葛藤を繰り返した華子さん。自宅療養を選び、「人工透析」を拒否して、9月、肺炎をこじらせて亡くなった。華子さんの闘病を1年にわたって記録。「延命」とは何か。「生きる」こととは何か。問いを繰り返しながら亡くなった華子さんと、その葛藤を見つめた家族・医師たちを通じて、医療の進歩が投げかける問いと向き合いたい。」
NHKクローズアップ現代ある少女の選択
~“延命”生と死のはざまで~
http://cgi4.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail.cgi?content_id=2977
透析治療を受ければさらに何年間は父母のもとで生きられたでしょうが彼女はそうしませんでした。
父の透析治療を受けたらという言葉に、耳を傾けることなく自分の生きる道を選択・・・・今、安易に「耳を傾けなかった」という言葉をつけましたが、これは耳を傾けたからこそ、その選択も彼女の生きるという選択の内だったように思えます。
語りつくせないことを語ろうとするから・・・・。
考えさせられる番組というよりも番組を離れて、これほど「生きる」ということについて考えさせられる番組はありません。
「延命」という言葉にこの番組をおくと少々、視点がずれるように思います。延命とは「ためを思う」医療行為には違いはないのですが、
享受されるべき主人公は誰なのか、
そこにある命の延長は主人公にとってどういうものなのか、
家族のために生きなさい、他人がそのようにとやかく言える次元にない、というのが一番の思考結果のように思います。
生まれ変わりの輪廻転生もあるし、神や天使の住む天国もあるし、極楽浄土もある。
この世にあっては花になり、風になりその存在を伝えることもある。
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死は怖くありませんか? こころがあるからこわくないのです。
命は長さではないと思うのよ。どう生きて行くかが問題だと思う。
大学で心理学を教えてきた野口明子さんとの間で交わされたメールの言葉、野口さんは7歳の子を亡くしています。命について心理学で語ろうという内容ではありません。
「生きる」ということについて多くを教えられ・・・そこには学問も宗教もありません。
野口さんは娘さんが育てていた朝顔から種を取り、32年間絶やさず花を咲かせているそうです。
娘さんお命日頃に必ず咲く朝顔、そこには微笑む朝顔の花がありました。
こころはつながっている。
野口さんと野口さんと7歳で死んだ娘さんとの関係に、華子さんはこの言葉を残しています。
父親の田嶋喜八郎は華子さんに透析を希望します。華子さんと一日も長く一緒にいたいから・・・・。
主治医の前田浩利先生を介して、華子さんは、
これからも私らしく生きたいの・・・・
と答え、前田先生が、
生きたいんだね
でも華ちゃんらしく生きたいんだね?
と尋ねると小さくうなずきました。
番組では、野口さんが最後に華子さんから教えられたことについて次のように語り、華子さんメールでの言葉が紹介されました。
【野口明子】
華子さんあなたを見ていると、こんなにも体と精神が別々に働くことがあるのだなあ~と驚いています。
だってあなたの精神活動は健康な肉体をもっている人よりもはるかに活発に毅然として凛として働いているのですもの。
頑張るとか頑張らない、諦めたとか諦めないを超えたないもの。ただ華子さんらしく生きるということが、ピッタリなのですね。
大きな自然の流れの中に、身をまけせるということなのでしょうね。
【田嶋華子】
野口先生、神様が私にいろいろのな病気を与えたことは、恨んだりしてないよ。
与えてくれたから、たくさんのいい人たちと出逢えたもの。
先生は私に「頑張れ」とは言わなかった。
「フワッと乗りこえましょうね~」、と言ってくれました。
こころがつながっているから、大丈夫なのですよね。
きょうも、あしたも最後まで、フワッと楽しくね。
<以上>
こころのつながり、生きるということ、身体と精神・・・
生と死の間にある深淵なる命の営み。
漂うようにフワッと生きる。
大きく深呼吸する。これは誰にでも当りまえにできる。それが今あることの悦びなのかも知れません。
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今朝のEテレ「こころの時代」は、昨年お5月2日に放送された、
こころの時代・「いのちとの出遇い」・藤田徹文[2010年05月02日 | 仏教]
http://blog.goo.ne.jp/sinanodaimon/e/43957bce622f31b7541e6029bb685a35
でした。今朝は上記の田嶋華子さん18歳の「いのち」のとらえ方と浄土真宗の藤田徹文住職の話される「いのち」に出会うことができました。
私は華子ちゃんが幼稚園の時に華子ちゃんの担任をしていました。
華子ちゃんのことを私もブログで紹介させて頂きました。
華子ちゃんのご両親もとても素敵な方です。私は華子ちゃんのお母さんのような母親になりたいと思っていました。
私も華子ちゃんの美しい感受性、その言葉の数々に感動しました。
こりらのブログを読ませて頂く事ができとても嬉しいです。
ありがとうございました。
番組を見て涙が止まりませんでした。
語ることができない。華子さんのこころを第三者が語ることができない。ありありとした眼前の事実のみがありました。
ご両親の心は察することができます。それだけにまた苦しさを感じます。
世の中には語りつくせないことがありますが、それを感じなければならない。それが人として生きる一つの条件かも知れません。
恐縮です。コメントありがとうございます。
生きることを諦めさせた野口先生と華子さんが出会わなければ、華子さんは延命治療を受け入れ、もっと長く生きていたと思います。
親御さんの意見よりも、野口先生の意見を受け入れさせてしまった野口氏の罪は非常に大きいでしょう。
問題は、野口先生自身が罪の意識が無く、華子さんを死へと追いやったことこそ大問題だと思います。
このドキュメンタリーは、命について深く考えさせられる実話だ、という意見が多いですが、あくまで野口先生の意向に沿った生き方をしてしまった華子さんの、悲劇のドキュメンタリーでしょう。
野口先生は、他人の子に対して深く関わり過ぎてしまいました。越権行為です。
教壇に立っていた経験があるからといって、親の承諾なしに他人の子の人生をも変える権利は全くありませんから!
貴重な意見ありがとうございます。
この話について、あなた様のような視点を持っていませんでした。
そう考えられることもできると思います。この番組を見るときに私自身そのように感ずる心を持ち合わせていませんでした。
私も人の親、やはりどんなことがあっても長生きを・・・と考えています。
貴重なご意見ありがとうございました。
ここで、余計なこと言う必要も無いでしょうにね。