最近は 風景を語ることが多くなりました。それだけ心を風景に囚われるということになるのでしょうが、毎年確かに見ている風景で、秋ではなく、飽きがきても不思議ではないでしょうが、そうならないところに人間と自然との不思議な関係性を想います。
あらゆる物事が互いにつり合いそこに生(あ)るということ、生(な)っているということ、それを「相依相待(そうえそうだい)」といい大乗仏教の縁起説はそれを語っています。
自他一如(じたいちにょ)
風景に感動している時は、風景と我の関係が一如、ということに生るのかもしれません。
関係性における一如、一如という言葉は、「一如(いちにょ)とは、絶対的に同一である真実の姿、という意味の仏教用語である。」とサイト事典は解説されていますが、「あぁ・・いいなぁ・・・」、単純に感動を言葉に表せばそれに尽きます。
1・2分、もっと短いかも知れませんが、そこに止まりたい機会が現われます。
季節でしょうか。
昨日の午前8時頃の常念岳(西方)と安曇野平・松本平(東方)の風景です。