思考の部屋

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生まれ変わりの科学が人生を変える。か?

2005年03月14日 | 宗教
生まれ変わりの科学が人生を変える。か?

 日本における景教の歴史、すなわちキリスト教の歴史をみると本格的な宣教はザビエルに始まる。
 その後の江戸期における迫害を経て明治維新後今日の姿になった。
 景教の段階で微小な流入があり、古代史も含めた真偽はともかく東北のイエスの伝承があるように古代において何かしらの布教的なものがあったと推察される。

 その流れには、仏教の伝来とある種の共通点があり、なぜあるかは、人々の、また人間の本能的に希求する何かがあるからである。

 その希求するものは、もがき苦しむ現実に直面、遭遇したときに、どのように対処すればよいのであろうかという答えであり、仏陀の苦の滅の求めである。

 時々送られてくるメールの中に「生まれ変わりの科学」の書籍の話があった。
 
 この飯田先生の書籍については、一期的な出会いで購入し、創造で始まるその書籍は、我が心の求めを癒すものであた。
 その後、多くの癒しを求める人々が目覚めの出会いを求めることから先生は、必然的に第2段を出版され今回はCD付であった。

 信じる信じないは、それぞれの人のその時の「我」の段階で決まるが、「生まれ変わり」というと「輪廻転生」ということになる。
 
 私は、最初の出会いの中で全てを認め、スピリチュアルな世界にのめり込んだ。
 外国女優の輪廻転生、インドの前世を記憶する子供たちの話、あらゆるそのての出版物に目を通し、「What Dreams May Come」というロビン・ウイリアムの映画なども含めかなり勉強させていただいた。

 自分に、もがき苦しむ環境がまったくなかった訳けではないが、なぜか生来好きなのである。

 それ以前にユングの世界に学生時代出会い、無意識、意識、元型、普遍的無意識、通過儀礼等々を自分なりに理解を深めていたことも共鳴に一役買っている。

 それも私という個のもつ、誰に教えられたものでもない求めであった。

 それが生という誕生のもつ原因から縁起という通過儀礼の一コマなのである。

 「偶然は偶然ではない」全ては縁起による。

 ユングのその思想は、その後、河合先生が日本のユング学の紹介と基づく啓蒙なされるとその影響を受け、日本国に生まれ日本を知らない私の次の段階の出会いを与えてくれた。

 それまで、渡来人研究の日本の神話研究の中で出会った神々の存在も古代人の精神文化とともに、さらに次の段階の私という「我」の形成に影響を与えてくれた。

 このような一個人の人生での何かしらの出会いは、K. ウィルバーの意識の進化の段階な目覚めの必要条件であると思うようになった。

 今の自分の意識状態、品格状態、人となりの状態を見つめ、身の整えをしなければならない、それが人なのである。

 「"生まれ変わりの科学"が人生を変える。か?」それは、是である。それが必要な段階の人がいるからである。

 原始仏教が、輪廻転生を否定するものであるとしても依り処の私を形成するには必要なものであると思う。

 否定も肯定もしない「無記」とはその意味である。
 
 人の人生は布である。経典における漢訳の「色」は、すばらしい言葉である。
 藍色と一言でいってもその色調等の相異があるように、染まり方はそれぞれに異なる。

 染まる時期も当然、四季が影響するし温度、湿度などの環境とタイミングもある。

 己が出会う今日ただ今の中に、それが通過儀礼でありタイミングとチャンスであると見極められるかは、それまでの己の整え方にある。