思考の部屋

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自由の勝利と愛の神

2005年01月22日 | 宗教
 「自由の勝利は神の意思」ブッシュ米大統領は二期目の演説でこのように述べた。英語の原文は不明だが、ニュース等で報じられているので、内容は正確であろう。
 ここにいう神は、愛の宗教と呼ばれるキリスト教の神である。

 仏教は、慈悲の宗教である。原始仏教の思想Ⅰ中村元選集第15巻春秋社の6章に「慈悲」について書かれているが、P698に
 「慈悲とは一言にしていうならば、愛の純粋化されたものである。人間におけるそれのもっとも顕著な例は、父母が子に対していだく愛情のうちに認められる。すべて原始仏教において、母が己が身命を忘れて子を愛するのと同じ心情を持って、万人を、いな、一切の生きとし生けるものどもを愛せよ、ということを強調している。」
と書かれている。

 仏教では愛は苦の根源であるとされ否定される。原始仏典ダンマバダ209から211に「道に違うことになじみ、道に順ったことにいそしまず、目的を捨てて快いことだけを取る人は、みずからの道に沿って進む者を羨むに至るであろう。愛する人と会うな。愛しない人と会うな。愛する人に会わないのは苦しい。また愛しない人に会うのも苦しい。それ故に愛する人をつくるな。愛する人を失うのはわざわいである。愛する人も憎む人もいない人々には、わずらいの絆が存在しない。」と書かれている。

 自己求道の出家者にとっては、家族も含めた人間関係の断絶は必要不可欠な行為で、家族愛も苦の根源となる。したがって、ダンマバダの記述も到底現代人には受け取りがたい表現となっているが、深く読み入ると愛という言葉の持つ二重性が分かってくる。

 そのひとつは、盲目的な愛である。盲目的な愛は愛する相手の裏切り、関係の悪化から、苦と恨みの念を抱かすことがある。
 二つ目の愛は、このような利己的な愛とは異なり母性的な慈しみ深き愛であり、献身的な奉仕活動などがそれに入る。

 サンスクリット語のマイトリー「慈」は「一切の生きとし生けるものの親友」をいい、カルナ「悲」は、「同情、やさしさ、あわれみ」などをいう。

 愛の反対は無関心であるなどという西洋の女性奉仕活動者の弁がある。献身的な立場での奉仕に対する者のしない者に対することをいうのであるが、何か悲しいものを感ずる。
 米大統領の愛の宗教も西洋的な奉仕活動をする者の愛の宗教も、発想の根底にある精神文化は同じ愛の宗教で育てられていることを痛感する。

 愛の宗教が慈悲の宗教に生まれ変わる時にきているが、「圧政の終焉」を訴える10万人のデモ隊にも慈悲の心は読み取れない。非道は圧政のイメージしかないのである。