芭蕉の俳諧に係わる土芳著『三冊子』の「あかそうし」に次のように語られている。
松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へと、師の詞のありしも私意をはなれよといふ事也。習へと云は、物に入ってその微の顕て情感る也。句となる所也。たとへ物あらはに云出ても、そのものより自然に出る情にあらざれば、物と我と二つなりてその情誠にいたらず、私意なす作意也。
巧者に病あり。師の詞にも、俳諧は三尺の童にさせよ、初心の句こそたのもしけれなどなど、たびたび云ひ出られしも、皆巧者の病を示されし也。実に入り気を養ふと、ころすあり。気先をころせば、句気にのらず。先師も俳諧は気にのせてすべしと有。
『去来抄』には、
蕉門は景情ともに其有処を吟ず、他流は心中に巧まるゝと見えたり
とあり、ここにまさしく対象のあるがままなる把握の主張が見られるのであるが、しかし「たとへ物あらはに云出ても」という一語を見落とししてはならない。この一語によって我々は、蕉門の徒のいう対象のあるがままなる把握の意味が、表現の問題ではなく、表現以前の態度の問題であることを知り得るのである。
と今まさに私は自分が考察した結果を語ったように書きましたが国文学者で早稲田大学名誉教授暉峻 康隆(てるおか やすたか、1908年2月1日 - 2001年4月2日)先生が書かれた『近世文学評論』(育成書院版)の「リアリズムの伝統」からその主張を引用したものです(p81-p81)。
「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へと」
に、西田幾多郎先生の碑の言葉が重なります。
無事於心無心於事(心に事なく事に心なし)=心に事なく事に心なし
「心にコトなくコトに心なし」=「モノとなって考えモノとなって行う」
これはまた西田啓治先生の次の言葉に重なってきます。
水は水を洗わず、火は火を焼かずといわれるが、洗わぬ限り水は水でなく、焼かぬ火は火ではない。同時にしかし、水が水を洗わないというのは、単に、水が実は水でないということではない。反対に水がリアルな水自身だということ、水の実相は真に事実として現成するのである。維摩が「我が病は形なし、不可見なり」と言うのもその意味である(西谷啓治著作集第十巻『宗教とは何か』<二 宗教における人格性と非人格性>p85から)。
さらに、
エックハルトのいわゆる「離脱」、即ち単に自己と世界とからのみならず更に神のために神から逃れると言うような、「神」からさえもの超出は、いわば絶対的に絶対的な此岸でなければならぬ。彼自身も神の根柢は内に於いて自分自身よりも一層自己に近い、と言っている。そういう点が一層明瞭に現れているのは仏教でいう「空」の立場である。「空」とは、そこに於いて我々が具体的な人間として、即ち人格のみならず身体を含めた一個の人間として、如実に現成している所であると同時に、我々を取り巻くあらゆる事物が如実に現成しているところでもある(上記同書p102から)。
ここに出てくるエックハルトは、マイスター・エックハルトでウィキペディアには、
マイスター・エックハルト(Meister Eckhart, 1260年頃 - 1328年頃)は、中世ドイツ(神聖ローマ帝国)のキリスト教神学者、神秘主義者。
エックハルトは、ドイツのテューリンゲンにて生まれる。タンバハという村で生まれたと推測されている。 パリ大学にてマイスターの称号を受ける。トマス・アクィナス同様、同大学で二度正教授として講義を行った。 ドミニコ会のザクセン地方管区長やボヘミア地方司教総代理等を歴任した。 1326年ケルンで神学者として活動していたエックハルトはその教説のゆえに異端の告発を受け、これに対し「弁明書」を提出。 当時教皇庁があったアヴィニョンで同じく異端告発を受けたウィリアム・オッカムとともに審問を待つ間(もしくはケルンに戻った後)に、エックハルトは没した。 その死後 1329年、エックハルトの命題は異端の宣告を受け、著作の刊行・配布が禁止された。 これによって彼に関する記録はほとんどが失われたため、その生涯は上記の「弁明書」等から再構成されるのみであり、不明な部分が多く残されている。
と解説されていて、西田哲学にとっては避けて通れない人です。西谷先生が言われる「神の根柢は内に於いて自分自身よりも一層自己に近い」というエックハルトの言葉は、
<『神の慰めの書』(相原信作訳・講談社学術文庫)から>
・・・神は実に私自身よりももっと私に近いというべきである。私自身の存在ということも、神が私に近く現存し給うことそのことにかかっている。私自身のみならず、一個の石、ひと切れの木片にとっても神は近く在し給う。ただこれらのものはそれを知らないだけである。・・・(上記書p294から)
の引用で、エックハルトに話を戻すと「離脱」という言葉が気になります。宗教学者、哲学者でもない素人がエックハルトの説教とはいかなるものかと学びの場を求めると、上記の
『神の慰めの書』(相原信作訳・講談社学術文庫)
と、
『エックハルト説教集』(田島照久編訳・岩波文庫)
『宗教改革著作集13カトリック改革』(オイゲン・ルカ訳、橋本裕明訳・教文館)
などがありました。「離脱」という言葉はドイツ語で abegescheidenheit (アベゲスケデンヘイト)で、エックハルトによって新造された名詞なのだそうです。す。ところがこの「abegescheidenheit について」という題の説教を読むと、
『神の慰めの書』
はこの言葉を「離在」と訳しています。従って
abegescheidenheit =離脱、離在
ということになるようですが、「脱」「在」という感じを視覚的から意味的へとその概念の把握に真逆が現われてきます。「脱する」と「ある」では正負のようなイメージを受けます。
その前語に「離れる」が付きますから「離脱」は誰もが知るところの現状からの脱出劇を想起します。一方「離在」はこの言葉自体が矛盾的な概念を一つにしています。
個人的にいろいろと思考してゆくと、思考視点のゆらぎが出てきて非常にリアルに人間らしいのです。西谷先生の此岸(しがん)この「もとへの探究」、「足下(あしもと)の探究」、「人のある場の探究」が見えてきます。
そんなことを頭の片隅において日常生活をしていると、ブログにも書きましたが妙好人浅原才市翁の「仏にとられる」の句が出てくるのです。
さいちや、このたび、しやわせよ、
悪もとられ、自力も取られ、
疑もとられ、みなとられ、
さいちが身上みな取られ、
なむあみだぶつをただ貰うて、
これで、さいちが苦がないよ。
これが浄土にいぬるばかりよ。
これぞ abegescheidenheit(離脱・離在)ではないかと。
鈴木大拙先生は才市翁の句を次のように解説しています。
何もかも阿弥陀に取られてしまえば、自分は赤裸々である。これを自然とも言い、また「何ともない」ともいう。怒ったり、泣いたり、飛んだり、跳ねたりすると、はなはだ自然でないようにも考えられる。即ちわれらの心は、煩悩の巣窟であり、地獄必定のだとすると、なんだかそれは当に然るべからざるもののように感ずる。しかし地獄必定とすれば、それが却って自然なのではないか。踊ったり、はねたりもまた「何となく」というところから出るものではなかろうか。ただ地獄必定の念に縛られていると、堕ちてはならぬ、堕ちては困るということにもなろうが、始めからそう極っていれば、それに安住することによって、却って水火の地獄も「安禅は必ずしも山水を須ゐず」でよいわけである。泣いて、わめいて、喜んで、狂って一生を送ってもまた、そこに安養浄土が展開するのではなかろうか。ただこのようなことが平気で受け取られ、「行住坐臥の南無阿弥陀仏」で暮らして行くには、何やらそこに一つ加わっていくものがなくてはばらぬ。これなしには、「浮世のぼせの馬鹿」になっていることが不可能である。「わしが仕合せ、人知らぬ、人に云うたら、をかしうてなるまい。それがわたしも、をかしいよ。浮世のぼせの馬鹿がをかしいよ」と、自ら笑い、自ら憫れ無用な才市には、いく他に説いて聞かせても、彼らによっては解し得られない何かがあるのではないか。・・・」(『妙好人』法蔵館p103-104から)
この大拙先生の文が心地よい。
「浮世のぼせの馬鹿」
今日のブルグは蕉門の「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ・・・」の話から入りひたすら引用を重ねているわけですが、「何となく」わかると「浮世のぼせの馬鹿」になっていいものが描(か)ける、人生が描けるというわけです。
最後になりますがさらなる引用にて、
仏道をならふといふは、自己をならふなり。
自己をならふといふは自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。
万法に証せらるるといふは、自己の身心、および佗己の身心をして脱落せしむなり。
悟迹の休歇なるあり、休歇なる悟迹を長長出ならしむ。
(正法眼蔵「現成公案」「他己」から)