MA社会研究所情報

宇宙、世界、日本の歴史や未来。日常生活、社会情報を、しぐれ猫がお伝えします。

飛鳥時代。仏教伝来、大化の改新、律令国家日本が奈良県明日香村に発生。

2017-06-12 15:13:02 | Weblog
 飛鳥時代とは推古天皇が即位した592年から平城京に都が移る710年までをいう。政治の中心地は現在の奈良県明日香村近辺で、南北約3キロ、東西約700mの盆地に有力者の宮がいくつも建てられた。飛鳥時代に日本はひとつの国となり、国家としての仕組みが整えられていった。天皇という呼び方もこの時代にできたという。大化元年の645年からは大化の改新と呼ばれる政治改革が始まり、中国の唐をモデルにした中央集権国家が形成された。4~5世紀のヤマト政権は朝鮮に進出していたが、6世紀にみなまの日本府を失い、国内でも権力闘争が起きていた。当時の最先端思想として仏教が6世紀半ばに伝来し、宣伝された。仏教の受容をめぐって豪族間の対立が起き、仏教派の蘇我氏が勝利し寺を建立した。聖徳太子は中国を統一した隋に使節を送り、対等の関係を求めたという。

日本の古墳時代。3世紀から7世紀まで、巨大な古墳が築かれ、ヤマト政権が九州から関東まで支配地を広げた。

2017-06-10 12:50:10 | Weblog
 日本の古墳時代は3世紀後半に始まり、7世紀初めに終わったという。大和盆地に王権ができ、各地の有力部族と連合政権を作った。豪族たちは巨大な古墳を築いて権勢を示した。5世紀なかばに河内平野に築かれた最大の古墳は長さ840m、幅486mで、仁徳天皇陵といわれていたが現在では大仙陵古墳と呼んでいる。建設費用は古代工法で796億円、工期は15年8か月かかるという。ヤマト政権の成立過程は謎である。古事記や日本書紀は神話と歴史が混合していて実際のことがわかりにくい。実際の最初の天皇は10代の崇神天皇だろうという。ヤマト王権は拡大していった。中国が戦乱の時代になり、倭国も朝鮮に進出し、高句麗と戦争した。5世紀には中国を統合した宋に倭の5王が貢物を贈り朝貢した。5世紀の後半には九州から関東までヤマト王権の支配地域になったという。

日本の古代史新説。稲作の開始は縄文時代晩期。縄文時代に大集落生活。植物栽培、魚釣り。

2017-06-09 13:37:20 | Weblog
 日本の古代史を見た。新説が出ている。日本での稲作の開始は弥生時代からと教科書で習ったが、縄文時代晩期からだという。稲作の日本への伝来の経路はこれまで朝鮮半島からとされていたが、中国の雲南省から江南経由だとDNA鑑定でわかったという。縄文文化は北海道と南西諸島で継続していた。縄文時代といっても少人数で移動して生きる狩猟採集生活ではなく、4000年前の青森県の三内丸山遺跡のように500人ぐらいが暮らし、物見やぐらや集会所のある大集落があった。栗を栽培していた。エゴマ、ひょうたん、ゴボウや豆も栽培していた。釣り針が出土しているので、魚釣りもしていたようだ。結構いい暮らしをしていたようだ。稲作で貧富の差が生まれ、国と首長が発生した。紀元前3世紀ごろに大陸から青銅器、鉄器が日本に伝来してきた。紀元前1世紀ごろには現在の日本国の領域に100個ぐらいの小国が発生していた。1世紀後半に倭奴国王が中国の後漢に朝貢し、金印を授かった。2世紀後半に倭国大乱という小国同士の争いが起きた。2世紀後半に卑弥呼が邪馬台国の女王になり、中国の魏に朝貢して金印を授かった。邪馬台国のありかについては九州説、近畿説、沖縄説もある。3世紀後半には前方後円墳が出現し古墳時代になった。