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真田軍対徳川軍の戦い。真田の城を徳川軍が攻めたが敗走した。関が原や大阪の戦いでも活躍した。

2009-07-18 01:40:51 | Weblog
テレビで、名将のさい配の番組を見た。
戦国時代に真田軍の城を徳川軍が攻めた。真田軍は2000人で、徳川軍は7000人だった。真田幸村の父、昌幸と町民も城にこもって徳川軍を迎え撃った。幸村は300人の騎兵隊で城の外で徳川軍と戦ったが、すぐに逃げ街角に隠れた。
徳川軍は二の丸に攻め込んだが、真田軍は本丸の裏から二の丸に1200人の兵を移して横から徳川軍を攻めた。本丸からも兵が出撃して徳川軍を挟み撃ちにして、徳川軍はほうほうのていで街に逃げた。街角に待機していた幸村の騎馬隊が街に火を放って徳川軍を火攻めにした。徳川軍は敗走した。
真田城は関が原の戦いに向かう徳川秀忠の軍を押しとどめ、関が原の合戦に間に合わなくした。
真田幸村は大阪夏の陣でも最前線に城を作って徳川軍を押しとどめ、家康の本陣に飛び込み家康を倒そうとした。反骨の親子だった。


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