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六本木の歴史。江戸時代の大名屋敷が、戦後開発されて六本木ヒルズやミッドタウンができた。

2014-05-21 15:05:41 | Weblog
 六本木の歴史を読んだ。六本木は地形が入り組んでいて、江戸時代からのお寺や、小規模な店の多い町だった。武蔵野台地の先端で、高低差のある地形になっている。巨大再開発がおこなわれ、六本木ヒルズや東京ミッドタウン、国立新美術館、赤坂サカス、ツインタワー、ア―クヒルズなど巨大資本による再開発が行われた。幕末までの六本木は大名屋敷が多く、巨大再開発の土地になった。六本木ヒルズが建つ場所は長門毛利家の上屋敷だった。赤穂浪士10人の身柄が預けられ、切腹した場所でもある。明治になると土地は細分化され、第三高等女学校ができた。その後、この土地はニッカウヰスキー工場になり、テレビ朝日になった。アークヒルズも大名屋敷だった。この土地の一部にアメリカ大使館が建てられた。東京ミッドタウンや国立新美術館の土地は毛利家の下屋敷だった。明治維新後は陸軍御領地となり、第一師団の駐屯地になる。戦後は米軍に接収された。1950年代に返還されると防衛庁用地になった。長州藩、日本陸軍、米軍、戦後、大規模開発という歴史を経てきた。国立新美術館も大名屋敷だった。歩兵第三連隊の駐屯地になった。戦後は米軍基地になり、一部は今も使われている。赤坂サカスも大名屋敷だった。明治時代は近衛歩兵連隊の駐屯地になった。戦後は放送局のTBSに払い下げられた。日本の近代の歴史を感じることができる土地だ。


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