ロバート・J・フラハティ『極北のナヌーク』とNHKの『日本人イヌイット 北極圏に生きる』というすぐれたドキュメンタリーを観て俄然イヌイットの生活に興味が出てきて、神戸・大阪と東京との往復時間に、岸上伸啓『イヌイット 「極北の狩猟民」のいま』(中公新書、2005年)を読んだ。フラハティ作品と同様に、カナダのイヌイットについて紹介している。
本書によれば、「エスキモー」という他称が侮蔑的であると見なされ、「イヌイット」という名称が使用されはじめた背景には、1960年代の米国公民権運動を受けて1970年代に先住民運動が盛り上がりをみせたことがあった。それは視線とアイデンティティの問題であったとして、それでは実際のイヌイット文化はというと、太古からのものではないという。かつては鯨食の定住的な生活であったが、12-17世紀に寒冷化が起こり、適応のためホッキョククジラ以外を狩らなければならなくなった。アザラシ猟をし、雪の家に住むというのは、15世紀頃に形成された文化だというのである。そして現在ではまた定住文化となっている。
ただ、寒いといっても、湿度が低いため、体感温度はモントリオールのほうがよっぽど厳しいらしい。確かに一週間ほどモントリオールに滞在したとき、あまりの厳しい寒さに圧倒された記憶がある。夜になれば石畳の道はつるつる滑り、風が吹いて顔がこわばり、目的地に何とか安全に辿り着くだけで精一杯だった。そのモントリオールにも、多くのイヌイットが住むようになっており、少なくない数がホームレスであるという。そうか、イヌイット文化圏は普通は足を踏み入れることがない地域かと思い込んでいたが、そうでもないわけだ。(これを固定観念という。)
本書が興味深いのは、欧米文化と接触を重ねることによって、イヌイット社会が変貌していく様を書いていることである。毛皮の交易、それと引き換えのオカネや銃によって、イヌイット社会は否応なく西側経済に組み込まれていく。そしてキリスト教、伝染病、酒、電気、消費。
著者は、こうなってくると国家との関係性が重要になってくると指摘している。著者の評価は、カナダ・イヌイットは国家とうまく付き合い、利用しながら、政治的な自律性を獲得してきた先住民族だというものであり、イヌイットであると同時にカナダ国民というアイデンティティも持っているとする。この関係性構築のプロセスを大きく左右するのが国家権力であるとするなら、琉球やアイヌの自律性を認めないどころか同化を前提としてきた日本は、実に、前近代的な国家であるというべきだろう。
いろいろと肉の食い方を読んでいると、猛烈に肉食欲が湧いてきて、大阪で所用を済ませたあと、鶴橋に足を延ばしてレバ刺を食べてしまった(関係ないが)。しかし鶴橋駅近くの店の数は半端でなく多く、誰か地元の人に案内してもらいたいところだった。
●参照
○ロバート・J・フラハティ『極北のナヌーク』、『日本人イヌイット 北極圏に生きる』
○寒くて写真を撮らなかったモントリオール