去年見逃していたグルジア映画、テンギズ・アブラゼ『懺悔』(1984年)だが、幸運にもDVD発売記念の試写会に行くことができた。ちょっと仕事のしすぎで偏頭痛がひどく、辛かったのではあるけれど。アップリンクには15人くらいしか来ていなかった。
地方都市の市長ヴァルラムが死ぬ。彼は独裁者であり、味方が3人いれば敵は4人とするような脅迫感に駆り立てられた独裁者であり、粛清を繰り返していた。地勢的にはスターリンを、チョビ髭はヒトラーを思わせる彼は、音楽を愛するユーモラスな人間でもあり、また考えすぎる弱者でもあった。(ところで、妄想だけマッチョ志向の為政者がもっともタチが悪いことは、最近の日本の政治を見てもよくわかる。)
ヴァルラムの遺体は、毎日墓から掘り起こされる。それは、他の人のように墓に眠ることを許せないと思った、両親を粛清された娘による確信犯であった。その両親も、ヴァルラムの市長就任演説で窓を閉めたという理由だけで目を付けられていた。夫の逮捕後、ヴァルラムに気に入られた妻は、娘から引き離され、その後死んだということだけが知らされる。
東欧でもアフリカでもアジアでもそのような記憶のある今となっては、典型的な独裁者の姿である。スターリンや誰かとのアナロジイで観るというよりは、別の面でこの映画の価値があるだろう。
ヴァルラムの息子は、父親の罪を認識できず、両親の粛清から生き残った娘の告発に激怒する。その息子は、祖父の罪を初めて知り、父親の態度を詰った挙句に自殺してしまう。過去に向き合うことのできない者たちの背負う十字架である。
頑迷なヴァルラムの息子といえど、法廷では動揺し、幻を見る。真っ暗な洞窟のようなところで、魚を素手でむしゃむしゃ喰う神父に懺悔をする。良いことと悪いこととの区別がつかなくなったのです、と。お前は自分の罪を認めたくないのだ、怖いのだ、と、神父に指摘されて激昂したところで、まだ汗だくで法廷に座っている自分を発見する。唐突に白昼夢が挿入される大胆な手法は、ルイス・ブニュエルのそれである。
邪なもの、醜いものがさらけ出される恐ろしさ。今までグルジア映画といえばセルゲイ・パラジャーノフしか知らなかったが、アブラゼのような存在があったとは驚きだ。