神保町の月花舎・ハリ書房(2024/6/30)。
Armen Nalbandian (p)
Jing Yi Teo (live essay)
MIYA (modular flute, 能管)
Yoshihiko Hogyoku 寳玉義彦 (poetry reading)
Guest: Hirokazu Yamaguchi 山口廣和 (g)
アルメン・ナルバンディアンとティオー・ジンイーによる「You Are The Clock」はピアノと即興でのエッセイとのデュオ。書かれたテキストを手元に持ちながら、あくまでそれは発話のきっかけのようだ。かつて地震のときに止まり10年後に動き出した時計のこと、演奏や即興の内なるプロセスのこと、さまざまなことばが流れ出て、ピアノもまたその流れとともにある。ナラティブな感覚もある。
そのままMIYAさんのモジュラー・フルートと寳玉さんのポエトリー・リーディングに移行する。書かれた詩を読むからといって、やはりその場・その時間の発話は予め固められたものではありえない。ここでは流れの相互作用というよりもふたりの多様な力によるサウンドの創出。重く衝撃を受けてしまうようなことばは意味でありながらサウンドでもあって、それがおもしろい。MIYAさんは寳玉さんの声さえも取り込んで別の世界線を描いてみせる。途中でギターの山口廣和さんがシットインし、まるで別の風景が広がったのも発見だった。
演奏後に自分がモデレーターとして入り、トークの時間。
英語と日本語との声調のちがいで表現は変わるのかという僕の問いに対して、アルメンさんの答えは「否」。MIYAさんは、たとえば英語と日本語をしゃべる齊藤さんは同じようにしかみえないが、自身はそうでないかもしれない、と(このあたり、最近別のところで話題にしていたこともあって興味深い)。
書かれたことばを読むことと即興とのちがいに関して、アルメンさんは、たとえば外の車の音やテーブルのグラスの音といった外的要因もあるし、もとより演奏や発話は「reproduce」することなのだと言い、ジンさんは「演奏することや話すことなどのヒエラルキーをいちど同じ地面に落としてみる」と言う。
会場から出た「演奏にあたっては時間の流れがあるのか」といった問いに対し、アルメンさんはやはり「否」、さまざまな時間のありようを説いた。そしてジンさんはミルフォード・グレイヴスを引用し、体内の時間の流れがあるから外部の時間のありようを認識できるのだといった指摘をした。
今回偶然にも両者が地震のことを発話したのだけれど、寳玉さんは、存在自体を揺るがすような事件であり表現が影響されるのは必然だといったことを口にした。だから、生命が脅かされた事件からさほどの時間が経っていないいま、これは偶然ではないのかもしれない。
そして最後に山口さんが「色についてどう思うか」との問い。アーティストならではかな。
Fuji X-E2, XF35mmF1.4, Leica Elmarit 90mmF2.8 (M)
●アルメン・ナルバンディアン
アルメン・ナルバンディアン+川口貴大+中村としまる@公園通りクラシックス(2024年)
●Miya
「月花舎 Miyaを語る」@神保町月花舎・ハリ書房(2024年)
MIYA+中村としまる@千駄木Bar Isshee(2024年)
そらの下、わらの家@公園通りクラシックス(2024年)
MIYA+田中悠美子@千駄木Bar Isshee(2024年)
松本泰子+庄﨑隆志+齋藤徹@横濱エアジン(『Sluggish Waltz - スロッギーのワルツ』DVD発売記念ライヴ)(2019年)
●寳玉義彦
「月花舎 Miyaを語る」@神保町月花舎・ハリ書房(2024年)
そらの下、わらの家@公園通りクラシックス(2024年)
松本泰子+庄﨑隆志+齋藤徹@横濱エアジン(『Sluggish Waltz - スロッギーのワルツ』DVD発売記念ライヴ)(2019年)