もう何度も観ているジョン・カサヴェテス『グロリア』(1980年)を、また観てしまう。強面で、情にもろくて、大柄なオバサン、ジーナ・ローランズに痺れるのだ。そういう人は多いのではないか。リメイク版も作られたが、シャロン・ストーンなどジーナの敵ではないに違いないから、観るつもりはない。
どこかでリバイバルを観たときのパンフレット
ただ、カサヴェテスの作品としては、『オープニング・ナイト』(1978年)、『ラヴ・ストリームス』(1984年)という大傑作に挟まれて、評価は微妙である。インディペンデント映画の雄ながら、MGMというメジャー資本での製作ということも評価に影響しているのだろう。私にとっても最も愛するカサヴェテス映画は『ラヴ・ストリームス』である。
レイ・カーニイ『The Films of John Cassavetes / Pragmatism, Modernism, and the Movies』(Cambridge University Press、1994年)でも決定的に低評価で、章すら与えられておらず、他の作品との比較ばかりに使われる程度である。しかし、カサヴェテス映画の特徴をなす即興性(実際に即興でなくても、その運動性)を述べる際に、『グロリア』を引用している。曰く、思考とは活動や現実の流転から距離を置いたものだが、カサヴェテスはそれを逆転しているのだ、と。すなわち、動きの中での思考、肉体化した思考(thinking in your feet / body)。人生の圧力や制約からタイムアウトを取っての思考ではなく、人生のパフォーマンスに通じる道としての思考。衝動の追求をやめて軌道修正せざるを得ない状態としての思考。これを、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーのジャムセッションに例えているのは絶妙である。
過剰な演出がなく渇いた感じのリアリズムが
たまりません。
「レオン」に影響を与えているという話しも
ありますが、「レオン」も嫌いではありません
が断然この「グロリア」です。
『グロリア』冒頭で会計士の自宅にギャングが襲ってくるまでの緊迫感に観ているこちらまで手に汗を握ります。
ヒスパニック系の子供が(当然)小さいために、ジーナ・ローランズの大柄さが目立って、そのジーナが覚悟を決めて暴れるというのだから、たまりません。
ラスト部分だけ何回も観てしまいました。