末廣昭『タイ 中進国の模索』(岩波新書、2009年)を読む。経済ブームが始まった1988年から、通貨危機、タクシン時代、そして現在までの移り変わりを描いている。私はこの1月、およそ7年ぶりにバンコクを訪れたが(前回は地下鉄開業直前だった)、そんな点だけでは視野にすら入らないタイの姿を示してくれる。
点で見ると、確かにバンコクは近代的な大都会であり、その中にさまざまな発展段階の世界が混在していたり、地方はまるで異なったりという側面はあっても(それは北京や上海でもそうだ)、タイを「中進国」と呼ぶことに抵抗はまるでない。7年前に比べ、物価は決して安くはない。ただ、現在に至るまでには紆余曲折があった。日本と似ているところも、そうでないところもあるように読める。
地方はバンコクとは別かと思ったが、そうとばかりは言えないという指摘がある。たとえば1人あたりビール消費量は日本の6割にまで増加している(シンハーやチャーン)。また、セブンイレブンの店舗数は日本の4割もあり、まもなく世界第三位になろうとしている。これらは地方の購買力を過小評価したら成立しないという。
日本と似ていない点の代表は、「足るを知る経済」という概念である。
「ひとびとは虎になることに狂奔してきた。・・・しかし、虎になることは重要ではない。重要なことは<足るを知る経済>だ。<足るを知る経済>とは、自分たちの足で支える経済のことである。100%を目指す必要はない。今の経済の半分、いや四分の一を<足るを知る経済>に変えるだけでも十分である」(1997年、国王の講和)
開発ではなく道徳と仏教をベースとした社会の幸福を掲げるあり方は、しかし、必ずしも精神の成熟のためではない。国王の道徳を上に置く政治文化があってのことであり、強い首相=タクシンが一定期間の国民の支持を集めたのと裏腹であるようだ。そのタクシン政治は、「足るを知る政治」とは逆の方向性を持つものであった。著者は、そのふたつのベクトルが今後のタイが選択できる道であり、双方は排他的ではないとしている。
もうひとつ日本との差という意味でユニークな観察がある。90年代、地方住民や農民たちにより「自分たちの生活の権利を守る闘い」が盛んになった。この「森からの民主化運動」は、実は、急速な経済進展と密接に関連していた。オカネのための無断耕作、エネルギーのためのダム建設、住宅建設のための乱伐、投機のための土地買い漁り、といったものである。別にタイだけの現象ではない、ならばなぜこのように目立つ運動と化したのか、非常に興味がある。
バブル崩壊、新自由主義、強い政治家への幻想、世界金融危機を経て、まるで服を着替えることができないでいる日本にとって、タイの揺れ動きがどのような意味を持つのか。良書である。
日本語の看板だらけのタニヤ通り(2011年1月)