現在101歳のマノエル・ド・オリヴェイラ。80歳ころからほぼ毎年1本のペースで作品を作り続けている、文字通りの巨匠である。『コロンブス 永遠の海』(2007年)は、98歳時の作品だ。ようやく岩波ホールで上映中の本作を観ることができた。オリヴェイラとリアルタイムで接することができる、それだけで幸せである。
コロンブスはジェノヴァではなくポルトガルの生まれであったとする学説を唱える研究者がいるという。この研究者が、若いころに米国に渡り、医師となり、ポルトガルに帰る。その人生は、コロンブスの研究に捧げられている。年老いてコロンブスの足跡をたどるのは、オリヴェイラとその妻本人だ。
オリヴェイラ本人の登場だけが見どころではない。オリヴェイラ映画の常連、レオノール・シルヴェイラの眩しそうな顔、ルイス・ミゲル・シンドラの清濁を同時に見せつける顔。彼らが出るだけで、さらに映画が映画となる。
言うまでもなく、大航海時代はロマンであると同時に、グローバリゼーションの始まりであった。新大陸の「発見」が、征服と虐殺を生み、現代に連続的につながっていることは誰もが知っている。しかし、映画はそのこととは関係を持たずに存在する。批判されるべきだということではない。オリヴェイラへのインタビュー(パンフレット所収)にあるように、「運命が選ぶのですから、コロンブスがポルトガル人であっても、中国人であっても、構わないのです。」というわけだ。
歴史家は、500年以上前に生きたたった独りの人物を追い、想像し、妄想する。彼らを小さいと言うことは、人間の小ささを語ると同義である。そして画面には、広大な海が映し出される。圧倒的だ。劇中の人には見えない天使が、笑いながら彼らを見護っている。実にシンプルな映画なのである。
キーワードは、歴史家の妻が口ずさむ詩のなかにある「郷愁」だ。かつてオリヴェイラは、やはりシンプルに、ポルトガルへの郷愁を形にした『世界の始まりへの旅』(1997年)を作った。本作での郷愁は、海の向こうに見えるなにものかへの郷愁か。
「”郷愁”という言葉/この言葉を紡ぎ出した人よ/初めて呟いたその時/涙を流したことでしょう」