Sightsong

自縄自縛日記

千野秀一+山内桂@Ftarri

2018-03-14 23:09:00 | アヴァンギャルド・ジャズ

水道橋のFtarriにて、千野秀一・山内桂デュオ(2018/3/12)。

Shuichi Chino 千野秀一 (p, zither)
katsura Yamauchi 山内桂 (as, sopranino sax)

千野秀一さんのプレイを観るのはたぶん20年ぶりくらいで、そのときの印象は、ぴりぴりと怒気のようにも感じさせる緊張感が漂っていることだった。怖ろしい人だと覚えていた。この日、失礼ながら穏やかな雰囲気をまとっていた。

とは言え、プレイはやはり飛んでいる。ピアノにおいては、旋律のなぞりに堕すことがまるで無く、分散型そのものだ。ペダルと鍵盤を動かすことを打楽器的に扱う時間もあった。そしてツィターの音量を巧みにペダルで操作しつつも、ウレタンフォームや弦の下に挟んだスティックやビリヤードのボールを使って、常に探索的な音を発した。パフォーマティヴでもあった。

山内桂さんは、ファーストセットではアルトを吹いた。マウスピースを浅く銜え、共鳴するかせぬかのマージン、音が震えるか震えないかのマージンを撫で続けた。はじめてナマで目の当たりにしたが、想像した以上に独特だ。セカンドセットでは、アルト、ソプラニーノ、アルトと持ち替えた。ソプラニーノは、アルトとはまったく世界が異なり、音が出る底のほうから明のほうへと直線距離を走り出てくるように感じた。アルトが水平的ならばソプラニーノは垂直的という感覚だろうか。

途中で山内さんの足元に金具が落ちていて何だろうと思っていたのだが、山内さん自身が気付いた。リガチャーを止めるネジなのだった。終わってから尋ねると、いつも口から遠いほうのネジはゆるくしているからよく落ちるのだ、とのこと。そのことが音に貢献もしているに違いない。また、ソプラニーノのほうが倍音が共演者の楽器と親和的だとの発言もあったのだが、私は、アルトのかそけき音のほうでこそ倍音の立ち上がりが刺すように感じられるのではないかと思った。

●千野秀一
ジャスト・オフ『The House of Wasps』(-2015年)
A-Musik『e ku iroju』(1983年)
『風の歌を聴け』の小説と映画

●山内桂
山内桂+中村としまる『浴湯人』(2012年)
山内桂+マーティン・ヴォウンスン『Spanien』(2010年)


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