ハイナー・ゲッベルス『Stifters Dinge』(ECM、2012年)を聴く。
19世紀オーストリアの作家アーダルベルト・シュティフターの世界をモチーフにし(米国のレビューでは、タイトルに括弧書きで「Stifter's Things」と付している)、イメージを増幅させた、劇場でのパフォーマンスである。その、音声のみの記録であるから、こちらも、せめて想像力を膨らませようとしながら聴く。
パフォーマンスには、5台のピアノ、水、風、霧、雨、金属、石、氷、そしてさまざまなテキストが使われている。ピアノは、おそらくは精巧かつ奇妙に組み合わされた、動くインスタレーションとでもいったものだろう。映像を探して観ると、ゲッベルス自身が登場してピアノを弾いたのではなく、メカニカルに計画通り駆動されている(>> リンク)。
それらのアナログな音世界が創られるなかには、パプアニューギニアやコロンビアの先住民たちが発した声も貢献している。
やがて、シュティフターの作品(英訳)の朗読がなされる。「I had never seen such a thing like this before...」といった言葉から始まり、奇妙な音に包まれる男のエピソードを語っている。次に、バッハのチェンバロ曲に続き、クロード・レヴィ=ストロース自身のインタビューにおいて、もはや世界に完全未踏の地などないのだ、といった諦念のような感情の吐露がなされる。
そして、ウィリアム・S・バロウズが低い声で、精神と身体に固有のものなどないのだと、預言者のように告げる。マルコムXは、テレビインタビューで、ヨーロッパ人のみのための世界について怒りを放つ。
これは何だろう。まるで、『アギーレ・神の怒り』や『フィツカラルド』などの映画においてヴェルナー・ヘルツォークが描いた、ヨーロッパ人支配の歴史を想起させるものだ。ヘルツォークだけでなく、時代は違えど、ニコラス・エチェバリーアやホルヘ・サンヒネスといった中南米の映画作家たちも、やがて先進国と呼ばれることになる蛮人たちの侵略を描いている。そのような、血塗られた歴史の絵巻である。
ゲッベルスの演奏を一度だけ観たことがある。かつて六本木にあったロマーニッシェス・カフェにおいて、ゲッベルスは、デイヴィッド・モス、大友良英、巻上公一、ジャンニ・ジェビアというメンバーと一緒に、ピアノを弾いた。これほど愉しく頭が麻痺するようなライヴもそう無かった。ここで、ゲッベルスは、普通のプリペアドだけでなく、ピアノの弦から紐を張って、それにドリルのような小道具を接触させては奇妙な音を発して愉しんでいた。
この盤でのインスタレーションから発せられる様々な異音も、それを思い出しながら聴いた。
パフォーマンスを体感できたならもっと納得できたのかもしれないが、視えないからこそ想像力もあらぬ方向に飛んでいくというものだ。
●参照
○ニコラス・エチェバリーア『カベッサ・デ・バカ』
○ウカマウ集団の映画(1) ホルヘ・サンヒネス『落盤』、『コンドルの血』
○ウカマウ集団の映画(2) ホルヘ・サンヒネス『第一の敵』
○ウカマウ集団の映画(3) ホルヘ・サンヒネス『地下の民』
○ジョン・ゾーン『Interzone』 ウィリアム・バロウズへのトリビュートなんて恥かしい
○コンラッド・ルークス『チャパクァ』(バロウズ出演)
○シャーリー・クラーク『Ornette: Made in America』 オーネット・コールマンの貴重な映像(バロウズ出演)
http://10th.ycam.jp/#program
貴重な情報をありがとうございます。しかも私の郷里の山口で、とは。何とか都合をつけて観たいところです。