Sightsong

自縄自縛日記

『英国王のスピーチ』

2011-04-24 01:05:01 | ヨーロッパ

『英国王のスピーチ』(トム・フーパー、2010年)を観る。

エリザベス女王の父、ジョージ6世は吃音症のため、人前で話すことができなかった。ところが、父のジョージ5世が亡くなり、長男のエドワード8世が王位継承後すぐに投げ出したため、スピーチせざるを得ない王位がジョージ6世のもとに転がり込んでくる。困った彼の妻は、医者に相談する。

私も以前は人前で話すのが大の苦手、というのも小学校二年生のときに『アリの研究』という本の読書感想文を皆の前で朗読させられ、声が小さかったことを叱責されたことがトラウマになっていたからなのだが、いまでは海外でも講演でもごくたまのテレビでも、仕事であればまるで緊張しなくなったからわからないものだ(それでも挨拶はいまだ苦手である)。そんなわけで、ジョージ6世の奮闘は身につまされてしまった。う~ん、スピーチしたくなったぞ(何を?)。

この映画の面白いのは、英国の排外主義的な面が描かれていることだ。エドワード8世が王位を譲るきっかけとなったのは、離婚歴のある米国人のガールフレンド・シンプソン夫人だったが、彼女の醜い描き方は熾烈を極める。そして、彼女ジョージ6世を診た医者は豪州出身であり、大司教にはいきなり蔑視される。彼はまた、シェイクスピア好きの俳優志望者でもあったが、オーディションで豪州なまりを指摘され、落とされてしまう。

医者「実際に演じたこともあるんですよ。」
選考者「どこで。シドニーでか?」
医者「パースです。」

シドニーの人は豪州のシドニー以外の地を「ブッシュ」と呼んで見下すのだ、とはよく言われるジョークである。それがメルボルンであってもパースであってもだ。(実際にパースは田舎の都市なのだが。)

ジョン・ファーマン『とびきり愉快なイギリス史』(ちくま文庫、原著1990年)には、シンプソン夫人について次のように書かれている。「ドイツ人よりはまし」ってどういう意味だ?

「内閣にとっては、これは鉛の風船みたいなもの、そこで、女を選ぶか王冠を選ぶかと迫った。どうみても離婚歴のある「アメリカ」女性を王妃にするなど、とんでもない話(ぼくに言わせれば、どこの国の人間でも、ドイツ人よりはましだと思うけど)。ともかく、これはもう三日と続かず、女をあきらめるだろうと思ったらしいんだね。それが大間違い。たった十か月後には、クソ面白くもない王冠なんかそちらでどうぞと、あっさり投げ出してしまった。」
「シンプソン夫人は(シンプソン氏の始末をつけてから)純粋アメリカ人のイギリス公爵夫人になった。しかし、義母にあたる年老いたメアリー女王は、彼女を家に入れようとしなかったし、決して話しかけることもなかった(これが姑ってもんさ)。」

●参照
リドリー・スコット『ロビン・フッド』 いい子のリチャードと悪がきジョン


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