Sightsong

自縄自縛日記

ジョン・カサヴェテス『グロリア』

2009-11-15 22:14:09 | 北米

もう何度も観ているジョン・カサヴェテス『グロリア』(1980年)を、また観てしまう。強面で、情にもろくて、大柄なオバサン、ジーナ・ローランズに痺れるのだ。そういう人は多いのではないか。リメイク版も作られたが、シャロン・ストーンなどジーナの敵ではないに違いないから、観るつもりはない。


どこかでリバイバルを観たときのパンフレット

ただ、カサヴェテスの作品としては、『オープニング・ナイト』(1978年)、『ラヴ・ストリームス』(1984年)という大傑作に挟まれて、評価は微妙である。インディペンデント映画の雄ながら、MGMというメジャー資本での製作ということも評価に影響しているのだろう。私にとっても最も愛するカサヴェテス映画は『ラヴ・ストリームス』である。

レイ・カーニイ『The Films of John Cassavetes / Pragmatism, Modernism, and the Movies』(Cambridge University Press、1994年)でも決定的に低評価で、章すら与えられておらず、他の作品との比較ばかりに使われる程度である。しかし、カサヴェテス映画の特徴をなす即興性(実際に即興でなくても、その運動性)を述べる際に、『グロリア』を引用している。曰く、思考とは活動や現実の流転から距離を置いたものだが、カサヴェテスはそれを逆転しているのだ、と。すなわち、動きの中での思考、肉体化した思考(thinking in your feet / body)。人生の圧力や制約からタイムアウトを取っての思考ではなく、人生のパフォーマンスに通じる道としての思考。衝動の追求をやめて軌道修正せざるを得ない状態としての思考。これを、チャーリー・パーカーとディジー・ガレスピーのジャムセッションに例えているのは絶妙である。