Sightsong

自縄自縛日記

カート、イエメン、オリエンタリズム

2007-01-23 00:41:11 | 中東・アフリカ

100円のワゴン本、『シバ 謀略の神殿』(ジャック・ヒギンズ著、早川書房)を、気晴らしに読んだ。私はこのジャック・ヒギンズも知らないし、まったく期待もしていなかったのだが、ひどい話だった。

戦前のナチと古代ミステリー(シバの王国、定説ではイエメン)とを組み合わせた冒険譚であり、主人公はタフでクールなアメリカ人。まあそれは楽しければいいのだが、気になったのは、全体に通底するアラブ人への差別意識、柔らかにいうならオリエンタリズムである。

それからひっかかったこと。イエメン人の殺し屋に対し、 「この男、カートの常習者ね。雇われの殺し屋よ」(略)「それにその、カートって何だ?」ケインは煙草に火をつけた。「薬物の名前だ。この辺の土地に生えてる低木の葉に含まれてる。葉を噛むと、機敏になって、度胸がつく。常用すると、顔つきに特徴が現れるんだ」 とのくだり。

実際のところ、カートは葉そのものだし、「機敏になって度胸がつく」というより、少し気分を高揚させ、眠気覚ましになり、大人同士の付き合いを円滑にするものである。噛んだ葉は、頬をふくらませてその裏側にためこんでおき、エキスのみを水で流し込む。確かに、頬を丸く膨らませる芸当はなかなかできないし、顔つきの特徴と言えなくもない。しかし、ここでの表現は明らかに異なる。

もともとイスラム神秘主義・スーフィーの行者が13世紀ころに眠気覚ましのために使い始め(これはコーヒーの歴史と同じ)、1962年までのイエメン鎖国時代には上流階級の占有物であったらしい(『イエメンものづくし』佐藤寛著、アジア経済研究所)。また、庶民に手の届くようになった現在でも、やっぱり高所得者の方がカートを噛んでいるようだ(ちょっと調べて作成してみた)。


イエメンにおけるカート消費 "Qat Expenditures in Yemen and Djibouti: An Empirical Analysis" (Branko Milanovic, 世界銀行) より作成

カートは、イエメンの庶民から高所得者まで日常的に噛み、社交の潤滑油とするものなのだ。われわれだって気分を高揚させるビールを飲むではないか。(なお、イエメンには酒を全く売っていない。海岸近くは40度くらいになるのに。)それに、主人公のケインは、カートなど問題にならない毒物である煙草を吸いながら解説しているではないか。 この本は歴史考証にも怪しいところがあった(というか考証していないのだろう)。他国の歴史も文化も、粗雑に扱ってはいけない。なんだか欧米のイスラームへの態度が透けて見えるようだ。

ところで、私も、イエメンでカートを試したことがある。生鮮食品であるから、朝早くカートだけの市場(スーク)に赴いて購入し、昼過ぎから人の家ではじめるのだ。

さて、まず、頬の裏側に噛み滓を溜めることができない。つまり噛んだ物が水とともに腹に吸い込まれる。 その結果、ひどい下痢をした。怪我の功名で、トイレを意味するアラビア語「ハンマーム」を覚えた。英語の「バスルーム」がトイレも意味するのと同様、街の中にサウナ風呂「ハンマーム」がある。 サボテンの間で何度も用を足した体験は、たぶん時々思い出して、情けない思いをし、話のネタにするのだろう。


早朝のカート市場 PENTAX MZ-3, FA 28mm/f2.8, Provia 100


カートを噛む商人 PENTAX MZ-3, FA 28mm/f2.8, Provia 100, ストロボ使用