なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災130 原発再稼働

2012年06月18日 09時41分33秒 | 東日本大震災

今日の新聞で、福島原発事故直後にアメリカが飛行機を使って測定した放射線量のデータが公表されず、大勢の人が避難した先で被曝してしまった、という記事が載りました。

次々と明らかになる、国の失態。

まことに脆弱な危機管理態勢の中で我々は暮らしているのだと恐ろしくなります。

以下は、一昨日「ほんとうの空」に書いたものです。

本日6月16日、政府は福井県知事と協議しておおい原発の再稼働を正式決定するようです。

福島第一原発の事故から1年3ヶ月、福島県民がどれ程の苦しみを味わってきたか、そしてこれからその苦しみがどれほど続くのか、それをどれ程受け止めているのでしょうか。

南相馬市で、「県外の我々は皆さんのために何ができるでしょうか」と尋ねた時、その方は「原発反対の声を上げて下さい、それが何よりも私たちの願いです」とおっしゃいました。

原発を再稼働するということは、福島の苦しみを見て見ぬふりをすることに変わりありません。

これほどの犠牲を払って、原発はまことに危険な機械であることを思い知らされたはずです。安全な原発など存在しないということを大きな痛手を負って気づかされたはずです。

飯舘村菅野村長が「この事故を『福島の人たちのあの苦しみがあったからこそ日本が世界から尊敬される国になった』という転換点にしてほしい、そうでなければ、今の我々のつらさはあまりにもむなしい」と語っていました。

日本人が、これまでの便利さ追求一辺倒の価値観から、自然と調和しながら生きるライフスタイルに変換していくきっかけにすることで、福島の人々が、自分たちの苦しみが「無駄ではなかった」とせめても思っていただける、ということでしょう。

昨日の朝日新聞オピニオン「耕論」で、原発再稼働に対する発言を取り上げていました。

音楽家坂本龍一さん、真言宗の僧侶中嶌哲演さん、福島県から福井県に避難している川崎葉子さんの3人です。

中嶌さんの言葉から

「安全神話は福島の事故によって崩壊したのではありません。原発が各地の寒村に押しつけられたとき、すでに崩壊していたのです。大都市の近くには造れない危険な施設と分かっていたのですから。原発を受け入れた自治体は麻薬のようなお金で、子孫に対する倫理観までマヒさせられた。その意味で、巨大な原発推進システムに土足で踏み込まれた被害者なんですよ」

政府は原発再稼働の理由を「国民の生活を守る」ためと言っているようです。

福島の人々の生活は守ってくれているのでしょうか。

絶望から自殺まで追い込まれる人々の苦しみを見て見ぬふりすることが、生活を守ることなのでしょうか。

それとも、もう、福島の人々は国民から除外されているのでしょうか。

「国民」とは誰のことなのか、「生活」とは生きる以外のことなのか。

事故によって、生きることさえも困難な状況に追い込んでしまう原発を、せっかく停まっているものを、無理に動かすことが「生活を守ること」だと言える神経が信じられません。

「安全が確認できた」とか。

この度ほど「安全」という言葉の「危険」さを味わったことがないでしょう。

なのに今更「安全」と言われて「安心」すると思う人々の神経が信じられません。

私は日本国民が大好きです。しかし、この国の政治家は狂っているとしか思えません。

国民がかわいそうです。

まじめに働いて、荒れ地を開墾し、わずかな土地から努力一つで食糧を生産し、お上に文句も言わず、正直に税金も払い、地域の人々と力を合わせて生き抜いてきた。政治家は生活をよくしてくれる先生だと信じて選挙にも投票してきた。

そんなまじめな国民を「生活を守る」だの「安全」だのという言葉でだますことは、本当に罪です。許し難い。

次の選挙には、甘い言葉にだまされず正しい判断をしましょう。

それぞれ黙っていないで声を上げましょう。

再稼働まではまだ少し時間がかかるようです。あきらめず最後まで反対していきましょう。

熱くなって長文になってしまいました。


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