なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ356 忘れない、忘れたい

2022年03月13日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第356回。3月13日、日曜日。

11回目の3月11日を迎えました。
あの日の午後2時46分、小学2年生のナギは下校途中でした。
高学年はまだ授業中でしたが低学年は既に下校時間を過ぎていたのです。
家を目指していたナギが、大きな地震を受けて、友だちと連れ立って向かった先は家ではなく、指定の高台でした。
「地震が起きたら津波が来るからここに逃げなさい」と学校で教えられていたのです。
あの時、家に向かっていたら、ナギの命はなかったと思います。
父が漁師であるナギの家は跡形もなく流されてしまいました。
小学2年の女の子が、地震が起きて真っ先に頭に浮かぶのはきっとお母さんのことでしょう。
「怖い!お母さん!」と思ったら、家に向かいたくなるだろうに、と思いました。
しかし、ナギと友だちは、冷静に先生の教えを守り指定の場所に向かったのです。
その夜、遅くになってようやく探しに来たお母さんと会うことができました。
それまでの間、寒さと恐怖に震えながら、高台からどんな思いで津波の様子を見ていたのだろうか、家族のことを思いながら「もしお母さんやお父さんが死んでしまったら」と不安で心臓が締め付けられる思いで待っていたのではないか、と想像するだけで胸が痛くなります。
その後11年、ナギとは何度も顔を合わせながら、その時の心境を詳しく聞いたことはありません。
無理に思い出させるのも辛いことかなと思いました。
それにしても、学校の防災教育、避難訓練というのは大事だなと強く感じたことです。

この時期になると「忘れない」という言葉がキーワードのようになりますが、辛い思いをした人には思い出したくない人もいるでしょう。
傷が深ければ深いほど、なるべく考えたくない、忘れていたいと思うのではないかと思うのです。
そういう人がいることを片隅に覚えておかなければなりません。
被災された人が「忘れないで」というのは、自分たちのことをというよりも、「自然を甘く見てはいけない」「いざ災害に遭うと大変なことになる」ということを、自分たちの姿を通して心に刻み「忘れないで欲しい」という気持ちなのではないか。
原発事故も同じ、忘れてはいけないのは、一旦事故を起こしてしまえばとんでもないことになる施設なのだということを、家を追われた人々を通して心に刻んでおかなければならないということでしょう。

プーチンがウクライナに侵攻したのは、ウクライナは弱いと見たからでしょうか。
自分が強い、相手が弱いと思ったとき蹂躙は起こるかもしれません。
しかし、思惑通りに進まなかったのは、それぞれの兵士の士気の違いにあるようです。
ウクライナ兵に銃を向けないロシア兵が同士討ちをしたという報道を読みました。義のない争いほど空しいものはありません。
よその国のことのようですが、わが国にもそのような歴史はありました。
秀吉の朝鮮侵攻は、明(中国)を支配下に置こうという野望計画の中で行われた侵略ですが、それは自分は強いという思い込みによる蛮行だったと言えるでしょう。
時代を超えてプーチンと似ています。
自分が強いと思い込むと、何百年の時を超えて同じ過ちを犯してしまうのだなと思うことです。
その後もこの国は、日清戦争、太平洋戦争と、アジア、東南アジアへと侵攻していきました。
侵略を受けた国の人々は、長年に亘って「忘れない」ことであるはずです。
都合悪いことは忘れて、都合の良いことだけ忘れないということではいけない。
暴力をふるった側は忘れても、ふるわれた側は忘れられないのは当然のこと。

「それが戦争というものだ」「負けたのは国が弱いからだ」と、負けた側が悪いように思いますか?
そう思う人が、軍備拡張が必要だ、核が必要だと言うのです。
その延長線上で、我が国は強いと思ったがプーチンが侵攻命令を出したのでしょう。
軍備を持てば持つほど強いと思い込み、よその国に手を出したくなる、それが残念ながら人間の歴史かもしれません。
しかも、国全体ではなく、時の権力者一人が、国の軍備を自分の強さだと勘違いすることで、自国も他国も不幸に陥れる命令を発してしまうというのが恐ろしいことです。
周りに止める人がいないことで蛮行は引き起こされます。
一党独裁と同じ、政権与党も独裁になれば止めるのが難しくなります。野党を育てていくのが暴走を止める手立てですから、それが民主主義政治を守ることになります。

3月9日の山形新聞に、東京工業大学若松英輔教授の「『弱い人』こそ平和の担い手」と題した特別寄稿が載りました。その一文。
「弱い人」と共にあろうと願うとき、私たちは戦争という選択を支持しない。自らの願いを自らの手で打ち砕くことになるからだ。人としての「弱さ」を自覚できないときこそ、貧しいとさえ言いたくなる「強さ」に正義感を見るようになるのではあるまいか。

もう一つ、中国人作家方方の『武漢日記』の言葉。
ある国の文明度を測る唯一の基準は、弱者に対して国がどういう態度を取るかだ。

忘れたくない言葉です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。