なあむ

やどかり和尚の考えたこと

三ちゃんのサンデーサンサンラジオ172

2018年08月19日 04時24分07秒 | サンサンラジオ
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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!

今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。

8月19日、日曜日です。

このサンサンラジオは、和尚さん方も耳にしてくれていると思うので敢えてお話します。
先日、「墓じまいの金銭トラブル」という報道がありました。
「墓じまい」は、後継者のいない墓を永代供養などの共同墓に改葬して、先祖代々の墓を取り壊すという事例です。
金銭トラブルは、墓地を寺に返す際に寺から請求される金額が高額であることによるトラブルです。
記事では、その金額が数百万円にのぼるケースもあると紹介しながら、、檀家をやめる「離檀」の際の「手切れ金」のような請求は、今後檀家が減っていく寺院の事情を考えれば、金額は別にして分かる気がするとある程度の理解を示していました。
人口が減り、特に田舎においては急速に激減していくことは明らかなことで、当然寺の檀家も減り、墓地を守る人もいなくなるのは明白です。
今ある檀家の数が減っても寺の収入を減らさないために色々方策を考えるのだと思いますが、高額な離檀料や一件あたりのお布施の額を上げてみたりと、現状維持のための方策がむしろ、長期的に将来的な寺院離れにつながらないかと危惧しているところです。
寺院側から檀家への対価としては、死者に対する納得と宗教的な安堵感を与えることでしょうから、金銭の問題はそれを阻害する最も大きな原因になりうると思っています。

岩手の正法寺住職の盛田正孝老師は、以前ある研修会でこんな話をされました。
和尚にとって「読む・書く・話す」がキチンとできればそれほど問題にはならない、と。
「読む」は、お経の読み方で、聞いて心が洗われるような、ありがたいと感じるお経が読めているか。
「書く」は、塔婆や位牌を、拝む対象としてキチンと書いているか。
「話す」は、法話として、納得されるようなお話ができているか。
この三つのどれかではなく、三つがキチンとできているかが和尚としての条件だということでした。
葬儀や法事を勤めるときは、まさにこの三つが試されるときでもあり、最大の布教の場であると言えます。
まずお経。亡くなった方を称え、慰労と感謝の心を込めて読経することで、遺族に安心感を与えることができるでしょう。歌と同じく声を鍛えて心に響かせなければなりません。
そして書く。位牌や塔婆は仏として掌を合わす対象ですから、拝みたくなるような字でなければなりません。キチンと丁寧に書く必要があります。
最後に話す。普段仏教に関心がない人でも、家族が亡くなった時には、和尚の話も聞いてみようと思うもの。その期待に応えて、心に染みる話を分かりやすく話さなければなりません。

住職の使命は檀家を自分の信者にすることです。
その場として、葬儀や法事は最大の機会です。
それなのに、聞きづらいお経を読み、幼稚な字を書き、何の話もしないで場を離れるようでは、せっかくの機会をみすみす無駄にすることになるし、あまつさえ、お布施の金額で信頼を失うようなことでは、実にもったいないことです。
逆宣伝というか、逆布教と言わざるを得ません。

人口減少は和尚一人では何ともしがたいことですが、それに輪をかけるように自ら檀家離れに拍車をかけるようなことでは、長年続いてきた寺院の歴史に傷をつけ、歴代の住職方の努力を踏みにじることになります。
三つのうちで自分が不得意だと思うものがあれば、頑張って身につけるように努力すればいいだけです。
世の中のプロと呼ばれる人々で不断の研鑽と努力を重ねていない人はいないでしょう。
和尚も僧職としてのプロならば、日々努力することは当然の責務です。
数百年の歴史を踏まえて数百年の未来を見据えるならば、今和尚がすべきことは和尚らしく生きること、それ以外にありません。
読む、書く、話すを基本として、更に朝課・坐禅を行じていれば自信にもなるし、お経の鍛錬にもなります。
作務は禅寺のお家芸。いつ行ってもきれいな境内伽藍は雄弁な布教です。
何もできないというならば、せめて頭をきれいに剃り上げることはできるでしょう。
僧職のプロ意識と覚悟をもって生きる姿こそ、未来に続く布教であり檀家減少の方策と考えます。
目先の私的なことで檀家を離れさせるようなことがあってはなりません。


今週はここまで。また来週お立ち寄りください。