7月17日(月) 33/22℃
三連休の最終日・・・
今日は誰か見えるかな
紫陽花は、長いこと目を楽しませてくれます
「父の名は▢雄 息子の名は◇司 二人あわせて▢◇堂~」が、長いことあの店のキャッチコピーでした
仏壇店にふさわしい、家族のほのぼの感・・・
息子に寄せる父の思いが伝わります
幾年月、人は「わが家」の継承を願ってきました
(ちなみに、わが家の仏壇はこの店から買い求めています)
《織田信長はなぜ早い段階で家督を子の信忠に譲ったのか? ごく当たり前の理由/渡邊大門》 (7月15日YAHOO!JAPANニュース)
「・・・信長が早い段階で家督を譲ったのは、第一に自分が生きているうちに、速やかに権力を移譲しようと考えたからに違いない。これは、信長のケースだけでなく、ほかの大名にも見られることである」
そこは、徳川家康も同じ・・・
自分の ”目が黒いうち” に早々と征夷大将軍を息子秀忠に譲り、それが徳川氏世襲のものであることを内外に宣言してしまいます
豊臣秀頼の芽が潰されました
父から子へのバトンタッチ・・・
うまくいかない場合もあります
武田信虎から晴信(信玄)・・・
背景はともかく、「家内クーデター」でした
斎藤道三・・・
「そなたの父の名を申せ!」
高政(義龍)
「わが父は、土岐頼芸様」
あの一騎討ち場面は、モックンの名演技
大河ドラマ『麒麟がくる』・・・
本能寺の、信長以上の見せ場でしたね
戦国の世とはいえ、親子が戦いあうのは悲劇です
さぞかし名工
どこだったかわかりませんが、確か、北信濃・・・
も
”遊び心” も、センスも満点です
丸い川石をそのまま用いた石垣は、やさしい感じです
☟ 民家の低いそれにはよく見かけます
☟ こちらは躑躅が崎館の武田神社・・・
素朴です
☟ こちらは伊勢神宮の、内宮で撮りました
☟ 珍しく、城にも使われていました
いずれも、そのままの石を用いています
野面積みでしょうか?!
石垣を築いた城・・・
それは、織田信長の小牧山城が始まり?!
信長の ”種々の発想” は、戦のスタイルを変えました
それだけでも偉大ですね
猛暑ーの予報ですから、午前の早いうちに一仕事
レットロビンとヒイラギの、生垣の整枝にあたりました
水分をとり、とり2時間程・・・
午後は、エアコンの部屋で休息です
jiiji も baaba も、もうすぐに誕生日
また1つ増えますが、楽しい毎日を送っています
感謝しかありません
十二支は丑・・・
☟ み~~んなお気に入りの「丑/牛」です
(昔、昔のわが家の乳牛と役牛)
(高山村の山田牧場で・・・)
(麻績の聖博物館の牛頭観音)
(福満寺の丑神、招住羅大将)
(榮村北野神社の石塔台座に・・・・)
(孫の初宮参り、湯島天満宮で・・・)
(義父と訪れた松本の、牛伏寺で・・・)