地方で考える ●oyajiの侃々諤々

北信濃の豊かな自然と歴史に抱かれて過ごす日々・・・

ちょっと斜に構えてみれば
???と思うことも多いですね~

「おばあちゃん、なんで長野はお年寄りが一緒にいるの?」

2022-05-31 | この「まち」のこと

5月31日(火)                         25/15℃

 

 

善光寺御開帳2022・・・

ようやく、今期初の参拝に出かけてきました

長女ファミリーの車に同乗です

 

 

前回は2015年で、「7年に一度」ですから本来ならば2021年 

それが、新型コロナで1年延びて今年の開催となっているわけです

いつもより参拝者は大幅減・・・

昨日は相当の混雑ぶりでした

そこで、長蛇の回向柱はパス・・・

またの機会にしました

 

 

山門2階を参拝し、「おびんずるさま」をなで、「御印文」を頂戴し、お守りを買ってもらい、東京の孫たちはそれなりに御開帳を味わえたと思います

 

 

孫の▢▢君 「おばあちゃん、なんで長野はお年寄りが一緒にいるの?」

 

なるほど~~

鋭い観察力と感想です

 

 

東京の光景とは違うでしょうね

御開帳は、おじいちゃん、おばあちゃんが一緒の家族連れが多いのです

まさにそこが善光寺の御開帳 

娘や息子らしい人が押す、高齢者の車いす姿も多く見かけました

「遠くとも一度は参れ善光寺」・・・

親子の思いは、わかる気がします

 

 

 

 

 

 

月イチの、歴史グループの役員会がありました

当面のことを取り決めて、なんだかんだで2時間コース 

長すぎます

古稀過ぎのjiiji より先輩が多いメンバーですが、皆さん、好奇心も知識欲も旺盛です

顔を合わせることで、お互いが、元気をもらいます

 

 

「会報」も発行できました

長短はあっても、13名が一文を寄せて参加しています

専門性は少々欠けていても、大勢で創りあげる「同好会誌」――がjiiji なりの編集方針です

次号は12月1日の予定ですが、原稿依頼はもう始めています

10人以上を目指します

 

 

歴史の楽しみ方・・・

「読み歴」

「聴き歴」

「歩き歴」

「食べ歴」・・・・・といろいろありますが、「書き歴」もいいものです

「記録なければ歴史なし」

ささやかな「会報」ではありますが、“普通の人” が織りなす庶民の歴史 

 

 

jiiji が昨日の場で強調させていただいたのは、次を担うメンバーの参画 

企画や運営を体験できる場と機会を、意識的に作っていく必要があると思っています

そこは、どんな組織も同様!!

なにごともバトンリレーです

 

 

 

 

 

 

 

 

今日で、「皐月」は終り・・・

明日からは「水無月」が始まります

この辺りは、田植えのピーク 

 

「えいっこ」 (相互の労力提供)

「こびり」 (小昼?=おやつ)

「ひいろんぼ」 (蛭)

「ねーとり」 (苗取り)

「たあかき」 (田の土をかきまぜる)

「骨伸ばし」  (一休みのこと・・・)

そんな言葉がありました

子や孫には通じません 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

受け入れていただいた地元の皆さんに感謝、です

2022-05-30 | Weblog

5月30日(月)                     32/13℃

 

 

 

ディスクトップの写真を変えてみました

石造物3体・・・

先日、山間集落への散歩で出会いました

 

右の石仏は?

(仏像は詳しくはありませんが・・・)

4本の腕が顕わですから、青面金剛像(しょうめんこんごう)でしょうね

ネットであたると

――身四手、左辺の上手は三叉を把る。下手は棒を把る。右辺の上手は掌に一輪を拈し、下手は羂索を把る。 (後略)

 

真ん中は道祖神でしょうか・・・

(それとも、庚申塔・・・)

左は馬頭観音像

道脇に多く見られます

次回は、もっと観察です

 

それにしても、あの集落には石造物がいっぱい・・・

歴史の深さを感じます

 

 

 

 

 

これは、どうなんでしょう?

対いじめの効果はありそうですが、子どもの無邪気な関係は失われるようにも思えます

何しろjiiji たちは「呼び捨て」や「あだ名」も あ・た・り・ま・え・だ の中で育ってきましたから・・・

通常的には「〇〇ちゃん」でした

 

《「あだ名」「呼び捨て」は禁止、小学校で「さん付け」指導が広がる》   (5月28日読売新聞オンライン)

「・・・クラスメートを「あだ名」で呼んだり「呼び捨て」にしたりせずに、「さん付け」するように指導する小学校が増えている。身体的特徴を揶揄(やゆ)するようなあだ名は、いじめにつながるケースがあるからだ」

 

 

中学のT君はもっぱら「べっつあん」でした

なぜか?

思うにそれは、「おいべっさん」からでしょうね 

顔の風貌が、恵比寿さまに似ていたと思います

もう病で旅立ちましたが、笑顔の絶えない、ひょうきんだったT君を思い出します

 

jiiji ?

もっぱらは〇〇ちゃんー-でしたが、仲間内では「チャカ」 

その意味も、理由もわかりません

いつもちゃかちゃかしていたから?

それとも、チャカー-と光るものがあった 

後者でありたいですね

 

 

 

 

昨日は一日、孫たちとおつきあい 

市の博物館は、小4の〇〇ちゃんの「プラネタリウム」希望です

その場所は、川中島の古戦場・・・

最大の激戦「八幡原の戦い」があったところです

 

 

(有名な、軍師山本勘助の「キツツキ戦法」です)

 

信玄・謙信の一騎打ちのブロンズ像を見たのは、久しぶり 

5度も戦われた「川中島合戦」です

稀にみる戦国ドラマが展開されたわけですが、その壮大さに比べて、アピールに物足りなさを感じてしまいます

 

 

 

 

ところで、この「川中島合戦」・・・

武田信玄と上杉謙信の戦国両雄の戦いですが、jiiji は謙信派 

 

 

 

信濃に甲斐の武田信玄が侵攻(進出=侵略)してきて、追われた北信濃の武士団が越後の上杉謙信に支援を請い、義をもってそれに応えた謙信ー-という構図です

(まぁ、越後の防衛でもありましたが・・・)

この戦いとわが故郷の地の関わり・・・

戦史にはまったく現れてきませんが、犀川と千曲川が合流する河東は主戦場に連続しています

 どんなことがあったか?

目下の関心です

 

 

 

 

 

午後は、広域連合の温水プール・・・

2歳の〇〇ちゃんも初の水着で、水遊びにご機嫌でした

この一帯・・・

ごみ焼却炉は4代目となりますが、よく整備されています

受け入れていただいた地元の皆さんに感謝、です

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

jiiji baabaもリモート中継で、その様子を見ています

2022-05-29 | Weblog

5月29日(日)                         31/12°c

 

 

 

 

見事な保護色・・・

ツツジの葉です

よ~~~く見ないとわかりません

アマガエル(雨蛙)・・・

蛙に、一番いい時期を迎えています

 

 

 

 

2ファミリーがやってきました

ちびっこ5人ともなれば、まるで保育園状態 

久々の東京組は姉、弟とも一回り大きくなりビックリです

午前中は小学校の運動会・・・

jiiji baabaもリモート中継で、その様子を見ています

顔は特定できませんが雰囲気は共有できました

終えて、夕方にはわが家に到着・・・

東京も近くなりました

 

 

 

 

わが家のおもてなし・・・

メインはいつものBBQですが、それ用のスペースは最近、拡張しています

借景も上々 

・・・と言っても、ちびっこたちに借景はわかりません

 

 

 

 

 

東京の▢▢君は、初めてbaaba のベットで寝ました

泊りの集団行動を体験しているので、親を離れることができるのでしょう

いい経験です

jiiji は典型的な “ばあやん子” でした

体が弱かった嫡子は、祖母に育てられたのです

父母と寝た記憶はありません

 

 

 

 

そこは同感です

「学ぶ」ことの目標や理想があいまいなままに、卒業するためだけの「学び」をしてきたように思います

 

《「突出した人材」を生み出す教育とは 大前研一氏は「幕末に学ぶべき」と指摘》   (5月28日NEWSポストセブン)

「・・・これらはすべて目標や理想とするものが「見える化」できています。何を目指すかが明確であれば、そこに向かって努力を重ねることができる」

 

「・・・21世紀に求められているのも、こうした「突出した個人」を生み出していくような教育です。繰り返しになりますが、それは学習指導要領や一条校(学校教育法第一条で規定)のような旧態依然とした教育制度とは対極にあるものです」

 

まぁ

教育のことはよくわかりませんが、人生振り返って、己の「学び」の無意味さを感じています

とりわけ高校の3年間・・・

工業系でしたが、その選択からして間違いでした 

 

 

(少年老い易く学成り難し、って言われましたなぁ・・・)

 

 

「好きこそ物の上手なれ」

――人は好きなものに対しては熱心に努力するので、上達が早いということ

何が「好き」か?

そのためには小さい頃からいろいろ見せて、体験させて、味合わせてやることが必要でしょうね

何が「好き」なのか見つからないままに、月日が過ぎてしまいます

 

 

 

 

今日は最高気温が31℃の予報です

総勢11人・・・

どんな一日になりますか?!

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この、ほぼ10年・・・

2022-05-28 | Weblog

5月28日(土)                       24/14℃

 

 

「飢えて死ぬ子の前で文学は有効か?」

ちょっと表現を変えて

ウクライナ戦争ではー-

プーチンや、金正恩にはー-

文学は有効か・・・

 

あの二人の台頭で、世界の時計は大きく逆行 

侵略戦争が現実のものとなっています

いずれ戦火は収まります

プーチンの狂気も終わります

(楽観的ですが・・・)

そして

ウクライナ侵略戦争を、世界上の “最後” にしようとする動きが始まってくるとjiiji は思います

その一翼を担うべきは、ヒロシマ・ナガサキの体験を持つこの「国」・・・

希望を持ちたいものです

 

 

 

 

 

 

 

女房殿 「ここ10年が、一番の幸せだね・・・」

jiiji    「そうだね・・・」

 

大枠で異存はありません

この、ほぼ10年・・・

jiiji baaaba が現役リタイアして第二ステージに移り、3人の子どもは結婚し、それぞれが「孫」をプレゼントしてくれました

向田邦子さん風に言えば、内外合わせてですが、『六人の孫』というわけです

 

 

今日は、東京から長女ファミリーがやってきます

久しぶり!!

小学生の孫二人が、どれだけ成長したかが楽しみです

何をご馳走しようか?

天気予報は 

庭でBBQでしょうか・・・

baaba はそのつもりで昨日から準備しているようです

この「国」に、あのような戦火をもたらしたくない――と思いながら 

 

 

 

 

 

 

山間の集落を歩く楽しみは、見事な石垣と出会えることです

家を建てるにも

田畑を作るにも

石垣が不可欠です

 

 

その地に住み続けた、暮らしの歴史が見えてきます

そして

蓄積された石積みの技術・・・

人力しかない時代の大変な労力・・・

先人たちの、偉大さを感じずにはいられません

 

 

 

☟ これは「ござめ石」?

 

 

道脇に積まれていました

この辺りの産なんでしょうか?

我が家の庭でも、踏み石として使われています

父が、前住地から運んだ石です

曽祖父、高祖父、いやそれ以前?

誰が道楽したんでしょう 

 

 

石は、半永久・・・

そこからは春夏秋冬もエネルギーも感じることはありませんが、その泰然とした静けさ・・・

草木の輝きを演出する控えめさ・・・

jiiji は大好きです

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「かしゃもち」

2022-05-27 | この「地区」のこと

5月27日(金)                       24/15℃

 

 

午前中は予報どうりの雨・・・

近くの交差点では、知人のHさんが雨の中で小学生の通学サポートです

80歳近いおばあちゃんになりましたが、毎朝欠かしません

孫が通学していた時に始めたとお聞きましたが、もう10年以上のボランティア・・・

長短はあっても、何人かの皆さんが無償の行為を続けています

感謝です

 

 

それにしても、集団登校の児童たち・・・

上級生が先頭で引率しますが、後続は、うつむいて従う集団のように見えてきます

与えられる「安心」「安全」を信じ切っている 

ちょっと気になる光景です

注意力」や、瞬時への「対応性」も必要だと思います

 

 

 

 

 

「皐月」も、残すところあと5日・・・

この辺りは田植えの真っ盛りを迎えようとしています

今はみんな機械ですから、始まったかと思えば、僅かな期間で終り 

始まりも、早くなっています

 

 

一家総出の田植え風景はなし!

農道で “おこびれ“ を食べることもなくなりました

 

 

 

来月1日からは、「水無月」です

田植え期は一番水が必要な時期・・・

今はポンプで揚水していますが、その昔は、水の確保は深刻でしたね

 

 

6日は二十四節気の、「芒種」・・・

わが家の田植えは、確か、6月早々でした

帰農」じゃなくて「棄農」した jiiji・・・

先祖代々の苦労を、感謝を込めて偲びます

 

 

 

 

5日は、月遅れの、「端午の節句」です

・・・となれば柏餅 

子どものころは、方言で「かしゃもち」「かしゃっぱ」でした

どの家も自家製で、「かしゃっぱ」取りは子どもの役目・・・

「かしゃもち」作りは「ばやん」や「かあちゃん」の役目・・

「じやん」「とうちゃん」は一切手を出しませんでした

昭和の時代風景です

 

(新しい葉が出るまで枯葉を落とさない柏は、子孫を絶やさないという意味で縁起モノ。屋敷に植えられているのを見かけます)

 

孫たちの、健やかな成長を願います

 

 

 

 

歯を抜くーとか、太るーとか、痩せるーとか、その人になりきろうとする俳優さんの努力は珍しくありませんが、とはいえ女優が髪を剃る  

なみなみならぬ “役者魂” を感じます

 

《寺島しのぶ、“瀬戸内寂聴役”でリアル剃髪…女優生命かけた衝撃の尼僧姿》   (5月26日スポーツ報知)

「・・・しばらく普段の生活はウィッグ使用となるが「これは経験しないと絶対に分からない感覚でした。無事に剃髪シーンを終え、気持ちはリボーン(生まれ変わり)。いま不思議なパワーがみなぎっています」と話していた」

 

しばらく普段の生活はウィッグ使用・・・

義母も、治療の時はウィッグを使いました

 

それとは事情が異なりますが、年齢とともに失われる男性の髪・・・

もっと気楽にウィッグを楽しめるようになればいいですね

(自分も含めて・・・)

今日は〇◇風に

今度は長く△⊡みたいに・・・

ネクタイや靴を選ぶように、男性も、ヘアスタイルを変えられたらいいと思います

ジャン ジャン!!

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

『七人の孫』

2022-05-26 | Weblog

5月26日(木)                        26/15℃

 

 

(初夏らしい光景を見せています)

 

 

七人の孫』ってTVドラマありましたね

森繁久彌さんが、味のあるお爺ちゃん役で・・・

中身はまったく覚えていませんが孫役のいしだあゆみさんや、松山英太郎さんや、勝呂誉さんなどの顔が浮かんできます

それにあの主題歌・・・

 

  ♪ どんなに時代が 移ろうと

    どんなに世界が 変わろうと

    人の心は変わらない 

    ・・・・

 

ネットであたると、放送は1964年(昭和39)から66年(昭和41)にかけて(間に中断)・・・

後編は、ちょうど松代群発地震の頃にあたります

ドラマを楽しむ状況ではなかった!

万が一に備え、夜は、家族そろって鉄骨物置きハウスで寝ていました

ゴーー- ガタ ガタ ガタ・・・」

あの地鳴りの音は、今でも記憶に残ります

 

 

そこはさておいて、この番組に時代性を感じるのは《3世代10人》もの大家族 

7人もの孫 

あれから半世紀以上・・・

《3世代・10人》の大家族なんて、今では「文化財」級です 

 

 

(孫NO6の〇〇ちゃん・・・)

 

「7」・・・

ラッキーセブンです

「七福神」 (恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁財天)

「竹林の七賢」

「七人の侍」

「七人の小人」

「賤ケ岳の七本槍」 (加藤清正、福島正則、加藤嘉明、平野長奏、脇坂安治、糟屋武則、片桐且元)

「七夕まつり」

「春の七草」

“スリーセブン”

「㐂寿」 (70歳)

「人生七十古来稀なり」 (古希)

「ウルトラセブン」

・・・・ets

 

 

jiiji も「七」は一番好きな数字ですが、タイプとしては「2」でしょうか 

 

 

 

☟ この人、87歳・・・

「あきらめが早い」「執着しない」ところは、似ています

楽しく生きるー-にあやかりたいですね

 

《87歳・団地ひとり暮らしの女性が教える、毎日を楽しく生きるヒント》   (5月15日YAHOOJAPANニュース/女子SPA!)

「・・・しかし87歳の大先輩が言うには「人生どうにかなるもの」。後悔したくないから、やろうと思ったことは「すぐやる課」。「私はあきらめが早いのです」「執着しません」の言葉どおり、美智子さんは今日も颯爽と朝5時に起床し、6時に団地の広場でラジオ体操をし、ウォーキングをしています」

 

 

 

 

静岡から今年も「新茶」が届きました

父のいとこにあたる、卒寿近いOさんからです

もう遠くなりましたので心遣いも結構なのですが、Oさんにとっては “母の実家” ということで、格別の思いがあるのでしょう

ご両親(故j)は、北信濃から静岡に生活の地を得ました

 

 

その静岡は、田舎の農家のわが家にとっては「現代社会」との窓口!!

まず、子供のころの旧い写真・・・

静岡の面々が撮ったものです

 

(静岡が撮った前住地のわが家)

 

マイカーで、家族揃ってやってくるスタイルも

ビデオカメラも

自動車電話を見たのも・・・

「新風」はいつも静岡や、東京の親戚から吹いてきました

 

久方ぶりにOさんと電話で話しました

共同自費出版した『昭和の記録』を送ることにします

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

両手に杖をついて散歩されていた「翁」・・・

2022-05-25 | Weblog

5月25日(水)                              27/14℃

 

 

何事にも盛りがあれば、衰えもある 

そこは淡々と受け入れるしかありません

つつじの、終わった花を摘み取ります

 

 

 

 

 

この3月、80歳で旅立たれた歴史グループのM先輩・・・

時の流れは速いもので、四十九日を過ぎました

初七日から七七日・・・

父、母の時の体験からすれば、七七日ともなれば悲しみも随分と薄らいできます

残された者たちの、「日常」が始まるのです 

今日は何人かでM先輩を偲びます

 

 

 

 

「人間は考える葦である」

――人間は自然の中では矮小な生き物にすぎないが、考えることによって宇宙を超える

 

そんな優れた人間が、いつまでたっても乗り超えられないもの・・・

いくつかありますが、その代表は「戦争」でしょう 

 

ー-戦争の合間に平和があるー-

昨今のロシアは、そんな言葉を想起させます

世界はパワーポリテックスが強まり、「軍縮」の声は消えました

愚かなことです

 

 

 

 

 

 

昨日の散歩は、この辺りでは一番の山手地区・・・

仙仁川沿いの山斜面に広がる集落です

屋敷や田畑の石垣には、長い歴史を感じられます

水田は田植えの時期でした

 

 

 

 

いつもの風景でしたが、いい出会いもありました

両手に杖をついて散歩されていた「翁」・・・

「その川に魚はいますか?」から始まって、鉱毒水のこと、大笹街道のこと、宇原川土石流災害のこと、神社の合祀のこと、武士団「大峡氏」のことなどいろいろその地のことをお聞ききしました

お名前はTさん・・・

二人の子供は村を離れていて、水田は他の人に頼んでいるそうです

空き家が何軒か目につきます

縮図です

 

(行政が運行する「市民バス」・・・)

 

同じ地方暮らしですが、「縮小」は先行している山間地区・・・

ホッとさせられる原風景です

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あの「栄ちゃん」もやってきた松代群発地震――

2022-05-24 | この「地区」のこと

5月24日(火)                       26/10℃

 

 

昨日(23日)のYAHOO!JAPANニュースで、二人の大女優にお会いできました

 

《岸惠子「いまを一生懸命生きるだけ」90歳で迎えるトークショーで伝えたいこと》 (5月23日フジテレビュー!!)

 

《「小池栄子さんの政子、素敵です」 “先輩” 岩下志麻が語る「鎌倉殿の13人」〈週刊朝日〉》 (5月23日AERAdot.)

 

 

岸恵子さん、89歳 

岩下志麻さん、81歳 

年齢を感じさせない美貌若さです

 

 

岸さんが、この地でロケがおこなわれた松竹/木下恵介監督の『風花』に主演したのは昭和34年(1959)のこと・・・

翌年公開の木下監督『笛吹川』では、甲斐の貧しい農民一家の娘役で、岩下さんがこの地に見えています

まだ18歳?

そんな頃です

 

(笛吹川に見立てた千曲川の「関崎橋」・・・)

 

新型コロナで2年も延期となっている、歴史グループの昭和の『企画展』・・・

この地にまつわる「集団学童疎開」と「木下ロケ」の二題を予定しています

今年こそ実現させたいものです

 

 

 

 

昭和といえば、続刊が決まった共同自費出版『昭和の記録 私の思い出』・・・

再び参加することにしました

何を?

戦後派ですから、辛い、悲しい、戦争の思い出はありません

そこで

あの「栄ちゃん」もやってきた松代群発地震――が浮かびました

時の佐藤栄作首相は、ここの小学校グランドで児童たちを激励!!

瀬戸山建設大臣も、成田社会党書記長も、参院の委員会の面々も続々と・・・

NHKも、アーム付の中継車を持ち込んで実況中継したことを覚えています

それこそ、歴史に残る一大事件でした

 

 

より「自分史」となる、中国石家荘市への友好訪問のことにしました

20人の訪問団の、一人として参加しました

昭和57年(1982)のことです

国交を回復して、日中共同声明が発表されて、友好ムードに沸いたあの頃が懐かしく思い出されます

(どうして今みたいになってしまったんでしょう?!)

 

 

担当の19編(19人)の原稿はまとまり、すでに編集のKさんに提出しています

お聞きすれば、初刊より参加者が増えて140人近くになるそうです

「年末までには出したいのですが・・・」

Kさんは大変なご苦労です、出版が待たれます

 

 

 

 

好きな番組の一つがNHKの『ファミリーヒストリー』・・・

毎回、その取材努力に驚かされます

父とその父母(祖父母)ー

母とその父母(祖父母)ー

そこからさらに、8人の曽祖父母ー

16人の高祖父母ー---

 

 

 

☟ この番組はまだ(録画)観ていません

さっそく・・・

 

《<高島礼子>近所で評判だった母 少女時代の写真に驚き 「ファミリーヒストリー」で個性の強い先祖次々》

   (5月23日MANTANWEB)

「・・・「先祖はもちろん、両親のこともほとんど知らない」という高島さんだが、両親はともに茨城の出身で、取材の結果、道楽者や勝負師、親分肌など個性の強い先祖たちの存在が次々に明らかになる」

 

 

 

わが家・・・

“絵になる”  祖先はいないでしょう

とにかく

母方は、祖父母も含めてまったく知りません

父方も、高祖父母以前のことはほとんどわかりません

 

(この写真も祖母=右後、の他は誰かわかりません)

 

それでも僅か残っている書付類などで、少しは解明できました

子や孫たちに伝えていきたいと思っています

 

(この道中記録は曽祖父か?高祖父か?)

 

☟ 今では、jiiji しかわからない貴重な写真です

前住地のわが家・・・

ここで先祖は住んでいました

 

 

「本籍地は、変更するなよ!」

息子に言っています

現住所は替わっていっても、本籍地はルーツの証・・・

残していってほしいものです

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ただただ、源氏ーという「血統」と父の「敵討ち」のための戦・・・

2022-05-23 | Weblog

5月23日(月)                      22/13℃

 

 

 

源義経が平泉に散りました

一番泣かせる場面ですが、『鎌倉殿の13人』では、そこが違います

ただただ、源氏ーという「血統」と父の「敵討ち」のための戦・・・

jiiji があの時代の当事者なら、とっとっと逃げて、山に籠ります 

第20回「帰ってきた義経」の視聴率は、  %・・・

義経も消え、これから  のは避けられませんね

 

 

 

 

 

〇〇君の8歳の誕生祝は、近くの焼肉店 

jiiji は歯ごたえのあるホルモンが好きです

安作りにできています 

 

写 

 

帰りは駅まで歩きました

☟ いいフォローです

 

写 

 

あれは?!

☟ 歩道脇の、何やら光る物体です

 

写 

 

野外彫刻でした

あまり話題にはなりませんが、この「まち」にはたくさんの野外彫刻があります

「芸術のまち」 

・・・が、正直、あまりインパクトはありません

☟ 駅です

 

写 

 

『善光寺御開帳』にあわせて、大提灯が歓迎しています

仏都らしい雰囲気です

 

写 

 

駅から、19:40のバス・・・

この路線・・・

電鉄「屋代線」の廃止の時に、地元要望で新たに実現したものです

関わった一人として、これからも存続させるためには「乗らなくては・・・」の思いが強いのですが、現実、こんな場合にしか乗ることはありません

 

写 

 

 

 

ところで、この「まち」の、至るところに設置されている「長野市野外彫刻賞」の作品・・・

昭和48年(1973)から平成26年(2014)まで続けられて、その数、なんと149 

見かけた作品は ☟ 市のHPによれはNO149(つまり、最後!)の作品で、タイトルは「時・空・音」でした

 

長野市野外彫刻賞 受賞作品 写真一覧 - 長野市ホームページ (city.nagano.nagano.jp)

 

一か所に集めたら “相当の見ごたえ” でしょう 

誰が発想したものか?

この地区にも、確か3か所ありました

 

 

 

 

思い切って、PCを買い換えました

購入も、セットも、市内に住む二女夫婦のサポート 

「取扱説明書」の類いやIT機器は、もう大の苦手になりました

 

昔見たキャッチフレーズに、「遠くの親戚より近くの質屋」がありました

今では、お金のことならATMがカバー・・・

人手が必要なことや、「相談」したいことなどはやっぱり近くのファミリーが頼りです

 

義父がまだ元気だった頃・・・

誤って車を山道の斜面に落としたことがありましたが、携帯を受けて、真っ先駆けつけたのはjiiji baaba   

距離はかなりあるのですが、すぐ対応できる身軽さ(ヒマ・・・)と、高速道の利便さが決め手でした

 

イザという場合、です

「110」「119」、そしてすぐ駆けつけてくれるファミリー・・・

頼りになります

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10年前の、今日!?

2022-05-22 | 小さな旅

5月22日(日)                      21/13℃

 

 

 「あんちゃんは、どこんちの息子だい?」

A 「親父は、▢▢の〇〇〇〇です」

 「そうかい、〇ちゃんとの息子かい・・・」

 

もう

父の名を口にする人はいません

旅立って30年です

高齢の人が、僅かに、「知ってるで~」程度でしょう 

どんどん忘れられていきます

 

 

 

 

「忘却」とは忘れ去ることなり・・・

悲しいことも、辛いことも、人は忘れられるからこそ今日の生きる力が湧いてきます

「忘却」は、明日を生きるためには必要なのです

 

《鎌田實氏「忘却力」は生きるうえでプラス 新しい人生への第一歩》(2021年5月11日NEWSポストセブン)

「・・・ぼくは、毎日の出来事を10年日記に書いたり、ブログ「八ヶ岳山麓日記」に綴っている。本の感想を書きこむ読書日記もつけている。先日、10年日記に書き込んでいたら、ちょうど1年前のこの日、Aさんが亡くなったことに気が付いた。」

 

鎌田さん風に言えば、「ブログを書いているから安心して忘れられる」 

それをきっかけにして「思い出」を手繰り寄せることはできます

 

 

10年前の、今日!?

2012年5月22日は、25年ぶりの「金環日食」のことでした

東京で観れるというので、前日にbaaba と上京しています

 

  翌日21日は
  早々に起床して
  ゆりかもめで台場へ

  雲の切れ間から時々太陽が覗き
  デジカメ素人写真を何枚かパチリ

  きれいな金環になった頃は一時寒いほど
  太陽の恵みは偉大です

 

 

 

  新宿で娘と合流して食事
  帰路 は高速バス・・・
  金環日食が導いてくれた小さな旅でした

 

 

記憶は朧げですがね~

わが人生の、ひとときの「記録」です

・・・とは言っても、過去のブログを遡ることはほとんどありません

 

 

あの時食事した長女は、その年の秋に、初孫の〇〇ちゃんを出産しました

今は小学生2人のママ 

息子も家庭をもって、東京暮し・・・

次から次へと、新しいが開いていきます

 

 

 

 

 

切込み過ぎたせいか、クレマチスが枯れてしまいました

あれは気品があります

先日、ガーデン店で見かけたので2種類買ってきました

好きな花です

 

 

 

 

 

〇〇君の、8歳の誕生祝いはjiiji baaba もお相伴・・・

焼き肉店です

いつものとおりの  “イッパイ”  ・・・

日本酒「大信州」の純米です

どこででも純米・・・

同じクラスで、銘柄の違いを感じています

甘味

こく

香り

アルコール度の強さ

・・・の違いは感じるころができますが、どれが「上等」なのかはわかりません

jiiji には、結局、どれも「美味い」のです

 

 

それを倍化してくれるのは、飲む相手、環境、雰囲気・・・

このところは、気の合った者同士や宴会でのイッパイはご無沙汰ですから、次は、孫たちと一緒の時のイッパイ、その次は baaba と二人で静かに飲むイッパイ・・・といったところです

 

 

 

 

義妹からたくさんのフキ(里)が届きました

お裾分けもさせてもらいましたが、わが家でも、さっそく晩酌のツマミでいただきました

季節を感じます

感謝!!

 

 

義父が施設にいた頃は(新型コロナの前)、毎週義妹と3人で訪れて、車椅子を積んではあっちこっちと「ミニ散歩」に出かけていました・・・

今なら、ツツジバラですかね

 

 

義父母が旅立ってからは、姉妹も、なかなか会うこともありません

親がいてこその「実家」であり、兄弟姉妹でしょうね

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

銀行も、貸金庫もない時代です

2022-05-21 | Weblog

5月21日(土)                     19/14℃

 

 

この時期、どこででも見かけるジャーマン・・・

jiiji も集めた頃がありました

珍しいのは1株3,4千円しました

今は放置 

生命力の強い種類だけが、今年も一画を彩どっています

 

 

 

 

 

 

あまりいや、ほとんど話題にものぼらない二十四節気の、「小満」です

読みは(しょうまん)

控えめに、小さく ”みつる” ・・・

まだ「大満」(それはない)ではありません

――麦が穂をつけ、農家では田に苗を植える準備などを始めます。

 

 

わが家では、6月の始めが田植えでした

子どもも貴重な労力 

大人の間にはさまれて、僅かながらも苗を植えました

「瑞穂國」の民として一年最大の行事です

でも

腰が痛くなって辛かった 

”おこびれ” だけが楽しみでしたね

紅白の酒饅頭・・・

「まんじゅや」へ買いにいくのは、jiiji の仕事でした

 

 

 

 

 

そうか!!

各地にある ”埋蔵金” の話は、その説に、真実味を感じますね

M学芸員の「須田氏」に関わる講演の中に

 

「・・・・注目したのはここで、軍用金を埋めたる場所と書いてある。伝承で須田氏が川中島の戦いで出ていく際に様々なものを埋めていったという伝承が地域に残されていた。」

 

・・・というくだりがあります

確かに 

 

 

銀行も、貸金庫もない時代です

戦で死ぬかもしれない・・・

家は敵勢に焼かれてしまうかもしれない・・・

どこかへ逃げるようになるかもしれない・・・

・・・となれば、出陣にあたっては(いざという時のためには)、軍用金(財産)をどこかに埋めて隠してしまうーーーということは十分考えられますね

いや

自分ならそうします

そして

信頼できる「誰か」にだけそれを明かしておく ( ´∀` )

 

(出陣のイメージ NHK「おんな城主 直虎」より)

(こちらは武田信玄の「風林火山」・・・)

 

 

この地の民話にも『金堀地蔵』がありますが、これは武田の軍用金にまつわる話です

当時、そこを治めていた武将は武田配下の「駒澤氏」でした

「武田信玄の埋蔵金」はともかくとしても、川中島に出陣する「駒澤氏の財産を・・・」というのは十分考えられると、jiiji は思います 

 

(民話が残る「金堀地蔵」・・・)

 

 

 

今日の「予定」・・・

孫NO2の誕生日を前に、jiiji baaba もお相伴で外食です

予定があるのは感謝です

日々のメリハリがでてきます

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大石先生の,『二十四の瞳』みたいに・・・

2022-05-20 | Weblog

5月20日(金)                      26/12℃

 

 

「お久しぶり・・・」

 

玄関に立っていたK先輩を最初は ??

誰かわかりませんでしたね~

風貌はすっかり変わっています (お互いですが・・・)

10数年ぶりです

「声」が、唯一の決め手でした

80超ながら、畑を借りて野菜作りに精を出しているとか・・・

 

 

猫の額の、昨日のjiiji の農作業・・・

トマト5本の苗植えです

たったそれだけ 

怠け者の ”疑似農民” です

 

 

まぁ

孫に見せるための「野菜」ですし、jiiji baaba の ”育てる楽しみ” の範疇です

毎日食べる(・・・ようにしている)サラダのトマトをそれで賄えるわけでもなく、大方はスーパー購入 

一度にたくさん取れても困るのです

野菜など買うこともなかった「昔」とは大違いです

 

 

 

 

 

「大岩須田氏」の館跡に向かう途中に、小学校時代のM先生のお宅があります

電車に乗ってクラス仲間で訪れた、60年も前の朧げな記憶です

大柄な男の先生でしたが、頭はピカピカ  

「戦争で鉄兜ばかりかぶっていたから・・・」

伯母と同級生でしたから、年齢的にはまだ40前後だったはずです

M先生が ”親父” にあたるとすれば、ちょっと年の離れた ”兄貴” にあたるのが4・5・6年のN先生 

教師になってまだ二度目のクラス担任でした

 

 

独身で下宿のN先生の時は、汽車で、先生の実家を訪ねています

そう

大石先生の、『二十四の瞳』みたいに・・・

あの映画は昭和29年(1954)でしたが、jiiji たちの頃も、教育にあたる人たちにはバイブルだったでしょうね

「でもしか先生」が揶揄された一時期もありましたが、『二十四の瞳』で教師を目指した人は多いはずです

 

 

どんな先生に巡り合えるか 

そこは

子どもの人間形成に大きく左右してくると思います

M先生と、N先生によって53人のクラス仲間は成長しました

”親父” と ”兄貴” 先生・・・

こね合わせて丁度、いい塩梅 

すでに旅立たれたお二人に感謝です

 

 

53人中、大学まで進んだのは6、7人だったと思います

まだまだ高嶺の大学でした


jiiji は高校で社会に出ましたが、幸いにも、働きながらにして通信制で学ぶことができました

「学び」や「学歴」というよりは、「東京」や「大学」への憧れがほとんどで、夏季スクーリングが楽しみなまさに「遊学」だったのです  

卒業の目標も、学歴への拘りもありませんでした

☟ この心境、似たところがあります

 

《萩本欽一 80代、妻を亡くし、体は動かず…。『全日本仮装大賞』と『ラジオ深夜便』を手放したのは、新しい挑戦のため》   (5月19日婦人公論.jp)

「・・・――単位を取るのが目的じゃなかったから、卒業にはこだわらなかった。大学には、ホントに行ってよかったと思うよ。学ぶことは面白かったし・・・」

 

 

 

 

 

 

須田満親の続きです

武田に押されて北信濃を逃れた満親は、上杉方として、越中の魚津や松倉の城将をつとめます

そこを訪ねたのは2年前の10月でした

 

 

 魚津城の跡は、小学校―

 

 

 そこからかなり山手に走ってやっとたどり着いたのが、松倉城跡―

 

 

 

「一所懸命」ではなく「多所懸命」・・・

北信濃の武士団は、ダイナミックに戦国を生き延びました

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

この借りは、返す必要がありません!!

2022-05-19 | Weblog

5月19日(木)                      27/9℃

 

 

 

 

あれは? それとも銅板

☟ この寺は、須坂市日滝にある蓮生寺です

 

 

アップでみると瓦ですね

 

 

 

 

 

先日は準備不足で途中断念した「須田氏」巡りですが、蓮生寺は須田氏の居館があったところでした

その背後の山尾根が、大岩城ですね

今回は登り口を探しただけですが、あらためて攻めてみたいと思います

中嶋豊さんのイラストガイドブック『いざ!登る 信濃の山城』が、実戦的に役立ちました

 

 

山城探訪には最高のガイド!!

実際登らなくても、山城好きな方にはお薦めできます

 

 

馬陰山蓮生寺・・・

初めて知った寺でした

 

 

近くの、須田満国(満親父)開山の護法山満龍寺・・・

満国の墓がありました

 

 

 

説明板には「須田弾正左衛門尉満国之墓 満国院殿徳巌浄侯大居士 天正十三年(一五八五)三月二十七日示寂 (六八才)」とありました

武田・上杉の戦いでは双方に別れた「須田氏」ですが、武田、織田滅亡後は上杉配下として海津城城代となった満親・・・

そのスタートの地を知ることができました

 

 

 

 

 「借景(しゃっけい)

この借りは、返す必要がありません 

地方住まいの「メリット」でしょう

 

 

隣りは、タマネギ畑です

それにしても、今年のタマネギは超高 

 

 

テーブルに足元には ☟

根性君!!

ほうき草、です

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

☝ あれは瓦か? それとも銅板か?

2022-05-18 | Weblog

5月18日(水)                   24/9℃

 

 

 

☝ あれは瓦か? それとも銅板か?

 

以前、近くの寺で2か所ほど銅板製のシャチホコを観ていました

須坂市下八町の、曹洞宗大廣院のそれはどちら?

 

 

立派なシャチホコの、そこが気になっていました

下から見上げる限りは、精巧で、jiiji は銅板製と判断 

当時、腕の良い銅板職人がいたんだろうなぁーーと想像できました

 

 

 その本堂が建て替えのため、最近取り壊されたのです

昨日・・・

訪ねてみました

置かれていたそれは、瓦製!!

う~~~n

いくつものパーツを銅線や鉄材で組んでいました

ここも瓦職人さんの腕ですね

(住職の許可を得て写真に撮りました)

 

 

 

 

 

 

 

え ☟ この木はメタセコイヤ?

 

 

小学校の、グランド隅にある大木です

70年近く昔、jiiji たちの入学祈念も確かメタセコイヤ 

でも、場所は違いますから別の木ですね

 

 

高野山参拝では、記念にコウヤマキ(高野槙)の苗木を買いました ☝

あれは5、6年前のこと

とりあえず庭に植えたのですがなかなか大きくなりません

 

 

記念と言えば、息子の結婚記念がキンモクセイ・・・

香りがいいですから、通路に植えています

 

 

 

木・・・

木材や木製品にはあまり拘りはありませんが、縄文の時代からの、木との関係は惹かれるものがあります

巨木ともなればその

○ 伐採

○ 引き出し

○ 建柱

・・・などは並みの作業ではありませんね

 

 

三内丸山遺跡の巨大な丸柱の塔も、諏訪大社の御柱祭りも、技術という点からしてjiiji には思いも及ばない世界です

究極は出雲大社・・・

かつてあったとされる、超高の神殿 

それを支えたのが丸柱の3本寄木――だとか?!

木は、まさに御神木です

 

 

庭の木も、大きくなりすぎると手に負えなくなってきます

ましてや老体には・・・

 

 

ハシゴモいらず、ハサミで手入れができる程度が手頃・・・

それでも手を焼く現状です

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

とにかくあの頃は ”台風にも心配ない新しい家” を建てることが、少年ながらの課題でした

2022-05-17 | この「地区」のこと

5月17日(火)                      20/10℃

               

こりゃ、何だぁ?

 

グランドの脇での写真です

あの、応援用?

 

 

 

 

 

 

毎年、お世話になる苗木屋さん・・・

ホームセンターでも購入できますが、拘りで、隣町まで足を運びます

 

 

結構高い 

コスパ?

まぁ

微妙なところですが、収穫の、楽しみの範疇です

「なくなっちゃうから・・・」と気が急いたサツマイモは、やはり苗切れ 

6月になれば入るとのことで、また出直しです

なにしろ、○○ちゃんが喜ぶのは焼き芋 

今年もたくさん植えようと思っています

 

昨日は店の人から「サツマイモは植えて100日程度が一番ウマイ!大きくなりすぎると味は落ちる」「6月になって植えても大丈夫」と教えていただきました 

そうなんだぁ・・・

勉強しました

 

 

キュウリ

ナス

トマト

とりあえず、定番の苗を買いました

5月21日は二四節気の「小満」・・・

――陽気もよくなり、草木なども次第に生い茂ってくる季節。麦が穂をつけ、農家では田に苗を植える準備などを始めます

 

 

すでに女房殿が手掛けた野菜は、順調です

 

(☝ 春菊)

 

(にんにく)

(さやえんどう)

(ジャガイモ)

(タマネギ)

 

 

 

 

 

共同自費出版の『昭和の記録』続刊・・・

W先輩とjiiji 担当の、19編の原稿はそろいました

最高齢は91歳のYさん・・・

若年では63歳のNさんです

Tさんは、昭和34年(1959)の伊勢湾台風(15号)で、自宅が倒壊した出来事でした

そんなことがあったんですね

初めて知りました

 

いや

あの年の、ダブルの台風直撃はよく覚えていますよ

わが家も7号では屋根が剥がれる被害を受け、続く15号では近所の家に避難した記憶が残ります

生業のリンゴは全滅で、子どももリンゴ拾いにあたりました

 

 

63歳のNさんが生まれたのはその年の、昭和34年ですから63年も経つんですね

とにかくあの頃は ”台風にも心配ない新しい家” を建てることが、少年ながらの課題でした

jiiji が子どもたちに『三匹の子豚』の話しをよくしたのも、そんな深層心理があってのことかもしれません

幸い、それぞれ丈夫な家を建てました

父親として一安心しています

 

 

 

ところで、続刊は140人近くの参加があるとか・・・

どんな「昭和」が跳び出てくるか楽しみです

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする