7月 3日(月) 31/20℃
種類も知らない(知ろうと思わない)のですが、庭には何種類かの花が咲いています
この時期は紫陽花ですね
毎年、刈り込むだけ・・・
「なまけもの」には合っています
祈りの道、善光寺西街道の「青柳宿」切り通し付近に鎮座されている石仏の如意輪観音・・・
ー輪王座に坐し、右手は「思惟」の相、左手は光明山を按ずる相、則ち典型的な六臂像から左右第一手のみを残したような姿。 (ウィキペディアより)
一体
何を思われているのでしょうか?!
旅人の話しに、聞き耳をたてられているのかもしれません
「田舎の3年 京の3日」・・・
観音様でも、京への憧れはおありだったことでしょう
若い頃はjiiji もありました
とにかく
「知らない世界」のことは、全てが新鮮
そこが旅の魅力ですね
今月12日から、近くの T村の I 館で始まる昭和のミニ写真展・・・
ボチボチ準備を始めています
限られたスペースなので、展示写真はT村での集団学童疎開を優先します
A4版は写真スタンドも使おうと思い、百均ショップで買い求めてきました
額も含めて、4セットで800円(税別)・・・
軽くて重宝です
今回の展示では、地元 T村はじめ3つの郷土史グループが「協力」というカタチで名前を連ねます
千曲川東岸の、かつては同じ郡下・・・
現在は2つの市、1つの町、1つの村に分かれていますから、ちょっと面白い機会にはなりますね
幼な友だちが、何十年ぶりかに顔を合わせる感じです
新たな、何かが始まることを期待します
「中興開山法印智光」と刻まれた墓石の側面に、その功績を伝える碑文が刻まれています
判読し難い文字もあります
ご住職の了解をえて、数名でその読み下しに挑むことになりました
古刹蓮台寺を中興し、焼失した8体の阿弥陀如来を再造された智光法印の功績を学び、この郷に広く伝えたいからです
須坂藩家老、丸山辰政が記した『三峯紀聞』の中に、蓮台寺と智光が登場してきます
「大(泰)澄禪師作佛並星之井」より抜粋 《現代語訳》
ー宝永年間(1707年頃)智光律師が住職の時、焼けた八体の尊像を補修し現在は九品仏が全部備わっている。
ー寛保二年壬戌(みずのえいぬー1742)冬十月三日、智光法印は本堂で永の別れを告げ、身体を洗いきよめ、きよらかな衣に着がえ、本堂の外がわの戸締りを厳重に釘付けにし「念仏の音響が絶えて聞えなくなったら死期であると知ってくれよ」といって跡継ぎの尊海にさえ堂内に入ることを許さず往生したという。世にも珍しく尊いことではないか。
その墓石には、後継者の「尊海」の名前があります
判読が楽しみです