シノワレコード

女性Vo60sサイケガレージ的Indiepopバンド"シノワ/shinowa"のGtヒラタによる色々レビュー&世間の話題

2009年の出来事 #2

2009年12月30日 | その他
今年は何かと体調不良に悩まされた一年だった。

娘が幼稚園に行き始めたのもあって、娘がいろんな病気をもらってくる。
ほぼ断続的にカゼをひいていたといっても過言ではないくらいの感じで、秋には長女と妻が新型インフルにも感染した。
今もカゼをひいてるし。


さて、八月の終わりのことだ。朝起きたら右下腹部に鈍痛があった。

自分は小学校六年生の時盲腸の手術をした。その時になんらかの原因で盲腸の傷口の治りが悪く一ヶ月開いたままだったのだ。
その際、腹部内に筋肉部を縫う糸が本来ならば自然と溶けていくはずなのが、自分の場合は特異体質で溶けなかったらしい。
なので、当時、傷口からピンセットを突っ込んでガシガシやって糸を取り出すという、まるで拷問のような処置を行った。

その後も数年おきにこの傷口あたりが痛くなっていた。
そのたびに病院に行ったが「傷口がいたくなることはありえん」とか、「太りすぎで脂肪が傷口を圧迫してると思われます」とかの診断結果だった。

その太りすぎ説を唱えた病院は先生が超高齢で、診察の際は看護婦さんがインターホンで二階にいる先生を呼び出すという病院だったなー。
さらにそのエコー検査装置がなんか魚群探知機みたいで、危うくば被爆しそうなシロモノだった。


話を戻そう。今回の痛みはちょっと尋常ではなく、かかりつけ医に行った。
「これは重症だろうから総合病院で精密検査してください」とのことで、すぐに総合病院にいって、エコーやCT検査をする。

どうも先述の盲腸の古傷の裏っ側になぞの空洞?があって・・・?
そのなかにたぶん膿がたまってて、それが炎症をおよぼしているのだろうと。

・・・というわけで、おなかに管をさして空洞から膿を排出する処置をしましょうということになった。さらに少し入院が必要だとのこと。

「先生それは今日やるんですか」

と聞くと

「まあ簡単な処置なのですぐやりましょう」とのこと。

いったん家に帰って入院の用意をして再度病院に。


そして処置開始となった。
まず腹部に局所麻酔。これが痛い。なんか鋭いカミソリでシュッとやられた感じの痛さだ。

その後腹部に管をさす。しかし、なんかうまくささらないらしい。

どうもその空洞は袋になってて、それがすごくカタイらしいのだ。先生がグッと押し込むたびに激痛が来る。
ずっと叫びまくり。こんな痛い経験もめったにない。ドラえも~んという気持ちだった。


その後さっそく入院生活が始まる。管がささってる傷口が痛い。
今年度に入ってからというもの、本当に激務でほとんど休みらしい休みはなかったから、裏をかえせばゆっくり自分の時間がとれることになった。気を入れ替えてたまった仕事などに集中できた。

二日経っても管から膿が排出されないらしい。
もともと段階的に治療しましょうとのことだったので、再検査を行うことに。
管から造影剤を注入することになったが、これがまた痛い検査。またヒーヒーいうハメになった。

結果、膿はどうもカタマリになっているとのことで、手術をすることが決定。
袋を全摘すると逆に合併症がありうるので、袋のなかにたまっているものをかきだす手術をすることに。

今までの痛い経験から、明日はさらにどんな痛いことが待っているのだろうともう頭がいっぱいになる。
手術の前夜、病床ではiPhone で「手術」「痛い」「麻酔」などのキーワードを並べ、痛みについて調べまくる。


【以下、手術当日のリアル日記】

今日は手術の予定ということで、昨日夜からなんとなくすべき仕事もしなかった。
手術の恐怖が常にあったのだが、以外にも昨日は絶食と言われてたのが朝ご飯があったり、シャワーに入れたりと予想外に嬉しいことがあったので、おお、何か調子が上向きで手術も上手くいく(痛くない)のではないかと予想された。また、朝にマチャアキの西遊記を放送してて、そのアナログ感やサイケ感が今見るとすごく新鮮だった。

シャワーはややゆっくり目に入ったので、次の方がかなりお待ちだったようで迷惑をかけた。担当の看護師さんが知り合いの娘さんだったりということもあって、それも非常に心強く感じられた。朝はゆったりとソウルのコンピを聴いて非常にリラックスできたが、刻々と迫り来る時間の怖さもあった。

さて、昼間になり点滴も始まり手術準備が始まって徐々にテンションが高まってくると、音楽も自分スタンダードオムニバスを聴くことにした。Colourfield の thinking of you を聴いたところで手術室に行くこととなった。

手術室はやはりものものしい雰囲気でやはり非常に怖くなる。意外にも手術服に着替えることはなかった。クラシックも流れていたり、傷が見えないように膜で覆われたりと、すごく患者に不安と恐怖心を取ることが第一に考えられているなと感じた。壁の黒板には、自分の施術である「腫瘤掻爬術」と書いてあった。まさに難読である。

先生が痛み止めの注射をしますということで注射をされた。痛かったがかなりこれは想定内の痛み。直前に皮膚をつねったりして痛みの練習をしていったのが効いたか。。。

その後、手術となり、電気メス(左足の内ももに湿布みたいなのをはった)が腹部入ったと思われるが、それは痛くない。

そして、手術室のアシスタントの方が「頭がボーッとする薬を入れます」と言う。
ああこれで少し意識をぼんやりさせて楽にしてくれるのかな? ちょっとしたトリップ状態になるのかなと思った。
そしたらほんとうに意識がボンヤリとしてきた。これは初めての体験だったので、なんとなく心地良く嬉しい感じさえした。

しかし施術に入ったその直後からやはり痛みが増す。

「先生痛いです」

というと

「さらにボンヤリ度を増しましょう」

ということでさらに頭がボンヤリしてきた。

それでも痛かったが、しばらくすると全く意識がなくなった。
なんとなく記憶があるのが、ベッドを移された感覚、ベッドから運ばれた感覚、何人かに囲まれているような感覚だ。

目をさますと何となく質問に応えたり、時間を聞いたり、ここはどこかを聞いたりとまだ錯乱してる感じ。きつい寝ぼけの状態だった。
それからトイレに行きたくなったがその時もまだ錯乱状態が続いていて、便器の前でボーッとしてて、その時の感覚というのが「11番の箱の中から小便が出る」という不思議な感覚だった。

そのうち、気分が悪くなって倒れそうになったのでトイレをあきらめたら、そばで待機してくださってた看護師さんが「顔が真っ青ですよ」といわれ、ああ、やっぱりまずかったかと。

それからまた寝て夕食が来た。夕食は天ぷらで嬉しかったので天丼風にして食べた。それからまた眠くなった。
そのまま朝まで少し寝て、痛みで目が覚めて又寝るのを繰り返し、ようやく朝六時になった。


結果、手術はボンヤリ施術もあってあまり痛くなかったので良かった。
計10日間の入院となり、その後も家で10日程度療養した。

ちなみにもう全快してますが、健康って大事だなあと痛感させられる一年となりました。

*画像は実際の場ではなくイメージ画像です。


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