自分が小さいころから本当にお世話になっている、80歳を過ぎられた声楽家の先生がおられる。
以前はうちの近所の大学の教授だった方だ。
そもそもは自分の弟の同級生のお父さんだったのだが、いつの間にか家族ぐるみのお付き合いとなって今に至ってきた。
昨年の晩秋、うちの親経由で最近のご自身の作品だというカセットテープをいただいた。
もともとはオペラや聖歌などの妥協ないクラシックがご専門なのだが、今回いただいたテープはご自身で作詞作曲された童謡集。
先生の息子さんの幼少から結婚までをモチーフとしたコンセプトアルバムだった。
ちなみにテープはマスターからダビングを繰り返したような音質で、ラベルに鉛筆の走り書きでタイトルが書いてあるというようなもの。
実はテープをいただいてから、しばらく何やかんやで放置してしまっていた。
ところが、そのうちに「そのテープをCDにしてお渡しします」という流れになってしまっていた。
以前、シノワの初期カセットを、安価なオーディオインターフェイス付属のマスタリング機能を使ってCD化したこともあったので、
http://www.cdbaby.com/cd/shinowa2
まあそんなんでいいんかな・・・と、当初は非常に軽く考えていた。
安易な善意のもとに「今度ダビングしときますね」とか「今度オムニバスのテープ作りますね」とか言ったものの、ちょっとめんどくさくなったり、かなりエネルギーを使ってしまったり・・と、そんな経験が音楽好きなら誰しもあるんじゃないかと思う。自分もずっとそういう人間で、そういうことがよくあって、結局渡せなかったり(苦笑)してきた。
今回もちょっとだけ、そんな感じになりかけていた。
で、昨年末に親に「あのテープの件はどうなったんや」とか言われて「ああ、そういえばあれしとかないといけなかったな」とか、そんな消極的な感じで、とりあえずテープをパソコンに落とすため、数年前に無金利20回ローンキャンペーンで購入して、先日完済した愛用のコルグMR-1
http://www.korg.co.jp/Product/DRS/MR-1/
に落として、wavファイル化してみた。
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先生は最近では耳も遠くなられたとのことで、先生の奥さんに言わせると「耳が遠くなってからうたの音程がとれなくなった」とのこと。やはりピッチは残念ながら不安定な箇所が多い。
かつ、そのテープは先生がピアノを弾きながら歌う小さなラジカセで一発録りされたもので、いろんなフロアノイズやら、曲が終わってすぐにガッと席を立たれた音や、またはバチッとラジカセを停止される音やらが満載だった。
おそらく、テープは編集されたようなものではなく、オール一発取りで、それも一気に一日のうちに録音されたものと思われるシロモノだった。
先生はいわゆる全盛期のころには、何枚ものアルバムをアナログやCDなどなどでリリースされておられる。
そのころのうたは、僕らみたいなポップミュージックを愛する者とはかけ離れた、崇高なクラシカルば世界が繰り広げられている。
今回のテープは、いわゆる全盛期は過ぎた、ピッチもよれた、ピアノにもミスがあったりしたものだった。
だけど、自分にとってはその全盛期の音源よりも、その出音に表現される以上の世界観があって、そして何よりも円熟期特有の何とも言えない暖かさに満ちあふれているように感じられた。
また、クラシックみたいに重くない、言い意味で崇高ではない親しみある曲群だった。
せっかくの機会だから、マスタリング的なことをちゃんとして、キレイに編集して喜んでいただけたらいいなと思うようになった。
2008年の春に、曲作りのためと思って思い切って購入した Logic があって、
http://www.apple.com/jp/logicstudio/
昨年の夏に少しシノワのデモを作った。
それ以降はかなり忙しかったこともあって、あまり本気でやってなくて操作も結構忘れてたから、今回のテープのCD化はまたLogic の操作も思い出すいい機会かなと思った。
とりあえず Logic のマニュアルや、入門書
http://www.bnn.co.jp/books/title_index/dtm/master_of_logic_8.html
http://www.sotechsha.co.jp/pc/html/636.htm
や、ちょっとした応用テクニック本
http://www.rittor-music.co.jp/hp/books/DTM_data/07317309.html
などを忙しい合間に読むことにして、なんとかマスタリングしてお渡ししようと思ったのが、つまり昨年の暮れのことだった。
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さて、一応Logicのオペレーションの基本的なところを復習して、wavファイルをLogic にコピーしてみた。この素材をなんとか一聴してよろこんでいただけるような音質にしたいと思って、
①音圧を上げる
②ノイズの除去
にまず取り組んでみた。
そもそも、音圧をあげれば当然ノイズも増える。
音圧あげには定番プラグインのPSP社のVIntageWamerを使い、ノイズ除去にはLogic 付属のノイズゲートを使ってみた。
そして、Logic 付属のリバーブプラグイン Space Desiner なんかをかけてみて、一応初心者ながら精一杯のトラックを作ってみた。
数テイクを作って、数種のラジカセで試聴して、客観的にうちの親なんかにも聴いてもらって、低音が落ち着いて聴きやすいバージョンを一つ選んだ。
で、そのバージョンをお宅に持って行って先生と奥さんに聴いていただいた。
するとすごく喜んで下さって「すごくよそ行きの音になったし、ピッチの狂いもリバーブで緩和されてる」とのことだった。
こっちも嬉しかったので、「ならばちゃんとジャケットなんかも作りましょうよ」という話になって、一同で盛り上がった。
ジャケットはサンワサプライの二つ折りのジャケットと、ボトムケースを使用。
シノワのCDのジャケもこれで作っていたので、多少のノウハウはあったのだ。
というわけで、後の曲も続いてマスタリングして持って行きますということになった。
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ところが、初心者ゆえの素人ゆえ、全9曲を作るのはなかなか大変。
しかも、なんか前日はいいと思ったテイクも次の日に聴いていたらなんか不自然だったり、ノイズの除去が甘かったりとどうしていいかわからなくなった。
それに、バウンスすると音もかなり変わってしまうし、サンプルレートやビット数との関連とか。。。
でも、そんなのが数を重ねることに分かってきて、やればやるほど満足できなくなってきた。
ギタリストのエフェクターと同じ感性でしかミキシングのプラグインもさわってなかったし、またもっぱらプリセットを多様していたので、やはりすぐにボロも限界もきてしまった。
だから、ここはきちんとこういうプラグインも使いこなせるようになりたいと思って、DTM関連の本やミキシングやレコーディングや、サウンドレコーディングマガジンのバックナンバーをとにかく読みまくることにした。
特に曲の質感に関わるコンプやイコライザーについては特に熟読した。
だけど、そうこうやっているうちに「これならもう一度取り直した方が早いんじゃないか」と気付いた。
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そこで、先生に「もう一度取り直しませんか」と聴いてみたら、これまた非常に喜んでくださって「やるなら徹底的にいいのを作りましょう」ということになった。
こっちももうあとに退けなくなって、ヒマな時はレコーディングやDTMの本を徹底的に読みあさることにした。
実は、先生は昨年秋ころより舌ガンの闘病中だったのだ。
しかし、抗ガン薬がよく効いているとのことで、非常にお元気な様子だった。
しかし、ご高齢でもあるし、やはり進行はゆるやかといえど重病だし、悔いの無いように今までの恩返しと思って、思い切ってボーカル録音用にやや高価なコンデンサーマイクを買った。
ただし、先生も抗ガン剤治療の時期には気分も良くなかったり、また白内障の手術などもされたので、レコーディングの時期がなかなか決まらず、4月になってようやく試しのレコーディングができるようになった。
そのレコーディングの時の様子が実は以下の日記である。
http://blog.goo.ne.jp/shinowarecords/e/42c85e6de374d436ac3a13e46f249afd
しかし、それ以降は自分が超多忙になり、また第二子の出産もあったりと順調に行かず、4月の後半になってようやくレコーディング本番となった。
とりあえず、ピアノ録りが終わった。
自分なりにまずまずの感じで録れたような気がした。
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次は歌録りというときにやや治療が必要とのことで先生が入院された。
その時はしばらくしたら帰って来るよというような先生のテンションでもあったので自分もそのつもりでいた。
やや日々も経過して、その後のある日突然、奥様から神妙な声色で
「声が出なくなった・・・」
との電話がかかってきた。
自分も混乱してとっさに「治るまで待っておきます」と言う。
すると
「もうずっと出ないかもしれない」
とのこと。
やり場のないショックと後悔の念と自責の念に苛まれた。
とりあえずお見舞いに行った。
病牀の先生はお声こそ出なかったが、まだ笑顔で対応してくれた。自分もつらさでどうしようもなかった。
筆談であったが、その場で先生と以前のテープをなんとかマスタリングすることを約束することが精一杯だった。
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もう後悔の無いようにと、無我夢中でプラグインを買い足したり、定番のモニターも買ったりした。
そして自分なりにがんばって数ヶ月後の七月八日、現時点ではなんとか納得のいくものが完成した。
同時にやってたジャケットも出来て、ようやくCDが完成した。
そして奥さんに電話。きっと病牀の先生も喜んでくれるだろうと思った。
「できましたので、お見舞いがてら持っていきます」
と奥様にお電話をすると
「先ほど息を引き取りました」と・・・・。
なんと一時間・・間に合わなかった。
ああ取り返しの付かないことをしてしまった。
自分がグズグズしたその結果、こういう事態になってしまった。
急いで先生の病室に行く。奥さんと泣きながら先生の前でそのCDを聴いた。
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そしてご葬儀が営まれた。
ご葬儀の焼香の際にこのCDが場内に流れた。もう涙が止まらなくなったので憚らずに泣いた。
多分その場では一番泣いていたと思う。
周りの人もあの人は何故泣いているのかわからなかったことだろう。
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実は筆談を行った時、先生より自分に「約束してほしい」ということがあった。
それは、CDが完成したら、CDのジャケットに先生のお名前の下にエンジニアとして自分の名前を、
要は先生のお名前と並列して載せてくれないかということだった。
今まではプレイヤーだった自分が、初めて制作者として作品に名を連ねる第一歩となった。
あまりにも辛いデビュー作となった。
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先生からは
「物事はできる時に迅速にやっておかねばならない」ことを確かに学んだ。
そしてたった一時間が人生を左右することがあることも学んだ。
だけど、先生とのこの出来事をきっかけに自分も新しいことに導かれた。
先生には何人かの弟子がおられて、熱心に指導されていたようだ。
通夜や葬儀にももちろん来られていた。
あまり師弟とかそういうのは気にしたことはないが、自分は無言のうちに厳しく指導をうけた最後の弟子だったんだなと気づいた。
今年は多くの音楽家の方々が亡くなった。
歌謡曲の作曲家と歌手の関係もこういう関係にあるようで、作曲家の先生の意を受け継ぎこれからもがんばりたいと言ってた有名歌手のインタビューを先日視た。
自分も先生から学び導かれたことを、これからの音楽人生のコアの部分に持っていたいと思う。