シノワレコード

女性Vo60sサイケガレージ的Indiepopバンド"シノワ/shinowa"のGtヒラタによる色々レビュー&世間の話題

つっぱり

2010年03月29日 | 日本80's
娘は最近多めの頻度で
「つっぱって」
とよく知られた節付きで口ずさむ。

娘はもうiPodやアイフォンを彼女なりに操作できるようになっている。
ちょっと前に一緒に電車に乗ってるときに退屈してたから、iPodを貸してやった。
たぶん偶然だと思うが、娘を見るとなんとアラジンの映像を見てた。
すぐに飽きるだろうと思ってたら、かなりの長時間繰り返し見ている。
高原兄には娘を惹き付ける「何か」があったんだろう。
「つっぱって」
はそれ以降の口グセになってしまった。まずい。


先日祖父母や娘も含めてカラオケに行った。
もちろん祖父母は娘がうたうのを期待しているわけだが、なぜかこの日は一向に娘のテンションが上がらない。
そこで同席してた自分の弟に、例の「つっぱって」を歌わせた。

初めは特に反応がなかったが、サビの
「♪ 完全無欠のロクンローラー」
あたりから、娘も例の「つっぱって」だと気が付いたようで、それ以降は「つっぱって」のフレーズ度にハイテンションでコーラス。
すっかりそれ以降、娘もマイクを離さなくなった。

自分の弟は少し試してみたくなったようで、弟は今度は銀蠅を歌った。
「つっぱりハイスクールロクンロール」は娘は初めて聴いたハズなのだが、「つっぱって」的な曲だと理解したようで、なんとビックリ。知らないハズのツイスト的な踊りをし始めた。
ツイストはツッパリロクンロールビートに本能的に反応したダンスであるといえよう・・・としか言いようがない。。。



今日で長女ニコも4歳になった。

年齢も重ねていくと4年間と言っても、中学生くらいの時の1年間ぐらいの時間感に相当する感じだ。
しかし、長女にとってはオギャアと生まれてからツッパリのニュアンスがわかるようになってしまったくらいの時間だ。
うむ。

マルコシアス・バンプ から学んだ世代

2010年03月22日 | 日本80's
先週金曜、山口防府印度洋のライブに行く。
出演は、最近山口界隈で非常に勢力的な男女デュオの LILY、ハイブリッドな電脳インプロソロギターの井上経康さん、ここではもはや語るべきこともない世界のドラびでお こと一楽さん、そして元マルコシアス・バンプのベースの佐藤研二さんのソロ。

LILYさんは見る頻度も多いのだが、回を重ねるごとに明らかに出音が良くなっている。
楽器って人間が演奏するものだから、機材のクオリティとかじゃなく、技術とか経験とかそういうものが出音を良くさせることを実感させられます。

井上さんは、どうやって音が出ているのかよくわからない部分もあって、同じエフェクト多用型ギタリストとしては心ときめくのだが、インプロっぽくありつつも非常に楽曲やフレーズが練られていて、むしろ今回はその楽曲やリフの方に耳が行ってしまった。盗むべき点が本当に多いです。

自分にとっては厨房時代からの師であるドラびでおさんは、もはや山口で見ることができる方が少なくなってしまった。
繰り返すが、もはや自分が言えるべきことは何も無いと思うのですが、やはり地元での演奏を聴けることは本当に嬉しいことだと思う。相変わらず常に新しいことを取り入れられる攻めの姿勢には、見倣うことしかない。


まだギターもまだ弾いてなかった中学生のころ、毎週楽しみに見てたイカ天でとりわけ強烈だったのがマルコシアス・バンプで、自分らの世代の音楽好きなら誰もが知ってるバンド。
イカ天での最初で最後の天王山だった「たま」のグランドイカ天キングのかかった週に出てきたバンドで、自分も生放送で見てた。
当時はグラムロックとかも知らなかったので、見た目だけだとグロリアのジギーとあまり変わらないと思ったけど、その演奏がとにかく楽器もしてない中学生にも凄いことがすぐに解った。
そしてやっぱり特に目を奪われたのがそのベースで、ブンブンと唸るピンクのベースが鮮烈すぎた。

そのベースの佐藤研二さんのライブを今の歳になって、それも地元で見ることになるとは、夢にも思わなかったな。
さすがに当時の格好はしておられなかったが、ベースを弾く姿はあの時テレビで見たやつそのものでちょっと感激した。

実はものすごくキャッチーなタイプの人でニコニコしながら、またキャッチーなMCも織り交ぜながらバキバキにベースを引き倒していた。
で、途中10分くらいジャック・ブルースと対談をした時の話のMCがあった。
あまりにも面白かったので、覚えている範囲で書いておきたい。


当時、冗談でジャック・ブルースに会いたいとか言ったら、本当に対談がセッティングされたそうだ。
そのイギリスに行く当日になったら、「オレは会って一体どうすればいいんだ」と、行きたくなくなったらしい。
そもそも偉大すぎるロックスターだし、写真のときしか笑わねえとかそんな怖そうな人だと思っていたと。
成田でお土産の樽酒を買っていって、憧れのジャック・ブルースに会うためにいろいろと段取りを想定したんだとか。

現地で待ち合わせの場所に行くと、ジャック・ブルースのジャガーが到着。
ジャガーからは2人の子どもが飛び出して来て、2人の女性が出てきて、それからジャック・ブルースが降りてきたんだと。
あろうことか、伝説のスーパーバンド・クリームのジャック・ブルースが、子ども・妻・ジャックのお母さんという家族全員で参上。めちゃアットホームな感じでやって来たんだそうだ(笑)。
さらにこっちがお土産を渡す前にクリームのレコードをくれたりして、段取りが崩壊。。
それからジャックが4時間くらい目を見て話してくれて、佐藤さんには次のスケジュールがありジャックではなくこっちから「帰ります」と言ったくらいで、そして別れ際には自分たちが見えなくなるまでジャックが手を振ってくれていた・・・


いやいや猛烈にせつない話じゃないですか。自分も涙が出そうになった(笑)。


さて、ライブが終わって佐藤さんに話しかけてみた。
こっちも一応失礼のないように
「昔のこととか聞いていいんでしょうか?」
と聞くと、逆にすごく喜んでくださって、当時のイカ天のことなんかを詳しく話してくれた。
「キミ、よく覚えてるねえ」とかほめられたくらいだ(笑)。

それで、ちょっと衝撃だったのはあのピンクのSGベースのことで、実はイカ天出演前にご自身のベースを折ってしまわれたかなんかで、急遽友人の水色のSGを借りたんだそう。だけど、それがバケツの色みたいだったので、上からピンクの紙を貼ったんだそうだ。


自分もイカ天のマルコシアス・バンプからロックを学んだことも多かったので
「思いの丈を話せてよかったです」とか言って「昔のことばっかり言ってすみません」とか言うと
「そりゃ、10才の時に会ったお兄さんにもう一度会ってみたいと思って、そう言われていやな気はしないでしょ?」
とか言われて、本当に久々に感激的ないい時間を過ごした気分になった。

昔はミュージシャンといえば何か崇高なイメージで、自分もそういう風になりたいなとか思ったが、今回のジャック・ブルースの話しかり、佐藤研二さんの件しかり、自分も歳をとったのか、最近ではこういうミュージシャンの在り方に共感を覚えるようになった。
そういえば、ポール・ウェラーも息子さんがビジュアル系で悩んでいるんだとか(笑)


さっき当時の映像を探して見てみたら、三宅裕司、相原勇とのカラみや審査員のコメントまで、ああやっぱりほとんど覚えてた。




今改めて見るほうが衝撃を受けますね。

アディダス の マリンブルー ウインドブレーカー

2010年01月17日 | 日本80's
今日は連日の寒さに比べたら若干緩んだ感じでもあったので、ムスメらを公園に連れて行った。

もちろん誰もが着込んで公園に来てるわけだけど、ある人の上着をみて、
そういえば、80年代に誰もが着てた大洋ホエールズカラーのアディダスのウインドブレーカーって
最近どうなってんだろう?と思い、ハイテクにも砂場で遊ぶムスメの横で、すぐに iPhone で調べてみた。
そもそも「ウインドブレーカー」って死語?

すると、ああ出てきた。これこれって感じ。
http://www.itempost.jp/detail/1/takatonton/920

エリのとこにフードをクルクル巻いて、チャックで収納するんですよね。
小学生の時、主に中学生が着ていたこのウインドブレーカーを着たことがあって、すごく背伸びした気分だったなー。

うちの中学校の冬場のチャリ通の人はほとんどこれを着てた気がする。もちろんヘルメットをかぶって。

ちなみにヘルメットのあごひもを外してチャリに乗ると、イキった奴ということになり、
その姿を怖い先輩に見られると殴られたりするかもしれないから、みんなちょっとオドオドしながら、そうしてた。

今思えば、大変危険な使用法であるといえよう。


で、このウインドブレーカーの記憶とシンクロするのがこの曲だ。


夏のガジェット通信 その1

2009年08月26日 | 日本80's
あまりにも日々やることが多過ぎ。
何から手をつけたらいいのもわからなくなる、そんなパニック状態が公私ともにこの春からずっと続いていて、それも8月に入り相当重症化して完全に参ってしまった。
現状を何とか打破しようと自分なりに考え、とりあえず行き着いたのは、きちんとしたスケジュール管理を行い、すべきことを整理して分析することだった。よく考えると一つのことなのにそれを三つのことと思っていたこともあったし。
とかく予定を組む~実行する、そして自分をその俎上に載せるという行程が昔から大の苦手。
さらにメモや手帳の携帯も大の苦手。
結果、唯一使いこなせるデジタルツールの Mac と同期できる携帯端末しかないという展開となり、先日出たiPhoneの3GSを契約した。
先月出会った人が絶賛していて、電話でなくPC携帯端末として考えた方がいいとのアドバイスももらっていたのだ。

で、ちょっとした割引キャンペーンもしてたから、思い立って娘と一緒にソフトバンクのリアル店舗に行ってみた。
だけど、ちょっと説明がわかりにくかった。
その足でビックカメラに行ってみたら、本当に分かりやすい説明かつ、非常にユーザー目線からのアドバイスをいただき、迷わずこの販売員さんから買おうと決めた。

というわけで使い始めて約3週間だけど、もはや世渡り必需品になって、自分の身辺はすべてこれで一括管理できるようになった。その内実はまたの機会に。


iPhoneで初めてモバイル的にネットをしたのは、山口市に最近オープンしたなか卯だった。
かきあげ丼を注文待ちしてるときに「酒井法子に逮捕状」というニュース速報だった。
冗談みたいな話だけど、自分は酒井法子とは遠縁になるらしいというのを、親戚のおじさんから聞いていた。
「もうおじさんは自慢できないなあ・・・と」いうのが、初iPhone モバイル時にまず思ったことだった。

ちなみに、オープン当初のヤマグチなか卯は、券売機の使い方の分からない方がほとんどで店内が相当混乱してた。


そういえばのりP語が吹き出しになった、何か脱力キャラ的満載のピンクのシールを中学の時持ってたなあ。

大人の音楽

2009年05月03日 | 日本80's
昨日はうちにいなくて、メディアに触れ得ない環境にいた。
今日の昼間になんとなくテレビを付けてたら清志郎の訃報に接して本当に仰天した。
小学校低学年のころ " い・け・な・いルージュマジック " をベストテンで見た。その時ながらにかなり大人の音楽なんだろうという気がしていて、でも恥ずかしいが実はいいなぁと親にはいえなかったが、心のうちに秘めていた。母は批判的だったと覚えている。


ちょうどそんな時、親戚宅に行って、ちょうどRC・宝島世代のイトコが、そのルージュマジックの清志郎が、以前から好きだとかいう話になった。
自分は小学低学年で、イトコはすでに中学くらい(?)だから、その時からすでにずっと清志郎やRCは大人の音楽って感じで、自分には手の届かない背伸びした音楽という・・・今もまだそんな感じから抜けだせていない。

だけど、たしか中学だったか、タイマーズが流行って、デイドリームビリーバーが自分もいいなと思ってCDを買った。
同じ人は多いと思うけど、これでモンキーズの存在を知った。


恥ずかしながら(本当は恥ずかしくないけど)、ロックとは反骨的で、反社会的で、政治的で、カウンターカルチャーとかのくくり、通念とともにある音楽だろうといまだに固く信じてる古いタイプのロック愛好者だ。清志郎の持ってる要素がすべてそれに帰結するわけではないけど、そんな日本のロックスターにはやっぱり憧れていました。
とかく誰もが喪失感に溢れている。

ザ・ベストテン の CDが出た

2009年04月24日 | 日本80's
ザ・ベストテンのCDが出たみたいです。
編年体+αという内容で、78~79、80~81、82~83、84~85、歌謡曲編、スポットライト編の計六枚。
自分としてはやはり82~83のラインナップが最も思い入れのある感じ。
http://www.amazon.co.jp/ザ・ベストテン-1982-1983-オムニバス/dp/B001TC9A4K/ref=pd_sim_m_1

一般的にいわれるのが、おニャン子旋風が旧来のアイドル黄金期の終焉という見方だが、確かに今回のオムニバスにもおニャン子は収録されておらず、おニャン子ブームの86年以降の盤が出されていない。
85年がひとつの日本の歌謡史の区切りだったということが、またはっきり示された感がある。
まあ、TBS と フジテレビ のしがらみもあるのかもしれませんが。

今回のオムニバスにはオープニングのベストテンのテーマと、ミラーゲートをくぐるときの効果音が収録されている。
これはネタ用必至かもしれません。しかし、すでに人生の「バーバパパ」(なつかしのキャプテン)で使われていたのでもう古いか(笑)
http://diskunion.net/jazz/ct/detail/IND1298

田野近

2009年04月08日 | 日本80's
今日はちょっとした打ち上げがあって(珠さんは残念・・・)、そこでは話に花も咲いた。
そういえば、今日は「はなまつり」と言って、仏教を開いたお釈迦様の誕生日。仏教のクリスマスみたいな日ですし。

そこで、いろんな話が出るなか、最終的に「たのきんでは誰が一番好みか?」ということになって、みんなやっぱマッチだよなー
とかで一致したように思う。
今日はなつかしのビデオを視る機会もあった。

それにしても、上の映像中の出演者、80'sど真ん中ですごい。
というか、このたのきんクイズ、自分の記憶にあったのがびっくりした(笑)。
これをみてたのが7歳のころ。ああもう28年も前のことなのに、こどもの記憶力はすごい。
そりゃ娘の記憶力もいいというものだ。

防予汽船 の CMソング "南瀬戸内海"

2009年03月22日 | 日本80's

オールド山口県人ならほとんどの人が知ってるだろうシティポップスの名曲が、この防予汽船のCMソング。
http://www.boyo.co.jp/
自分も24時間口ずさめます。

「防予汽船」「CM」でググると、この曲が気になってる人が結構いるみたいです。
ちなみにニコ動では高音質verがあります。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6083774

というか、この曲、上記防予汽船オフィシャルサイトでダウンロードできるんですね。
http://www.boyo.co.jp/minami_setonaikai.mp3
きっとそういう人が多かったんだろう。

「歌はダウンロードした部分しかありません。続きは存在しませんので、ご了承のほど宜しくお願い致します」
ってのが生々しいな。きっとこのバージョンしかないんだろうな。
でも、誰が歌ってるんだろう。

ファイル名からは曲名は " 南瀬戸内海 ”のようだ。曲の冒頭そのままだ。

夢工場 フォトジェニック・エンジェル

2009年03月21日 | 日本80's
日本の80年代の結晶が非常に端的に凝縮されたような映像。

90年代もちょっとすぎると、こういう世界観はもっとも廃されるべきものだった。
でもいったいそれがどんな世界観なのか、漠然としたイメージだけは誰もがの共通認識としてあったが、
それを具象化するとこうなりますみたいな。
ベースのチョッパーとかドラムのフレーズとか音とかもしかり。

でも2000年ももう10年近くになると、非常に新鮮に感じるのが不思議。
干支も一回りして、みるべきところをきちんとみれば、カッコイイとさえ真剣に思える。
ネオモッズだったりネオロカだったり約20年サイクルでこうやって音楽はリバイバルするんですね。
フォークも来たし、80's的なテクノも来たし、やっぱ次はネオメタルかな。

ちなみに、スーパーマリオUSAが、最初ファミコンのディスクで「夢工場」だったんです。このフジのキャンペーンの一環で。
相当やりこみました。知ってる人には相当懐かしい話です。