シノワレコード

女性Vo60sサイケガレージ的Indiepopバンド"シノワ/shinowa"のGtヒラタによる色々レビュー&世間の話題

サッポロ一番 男の汁なし麺 焼きラーメン

2009年11月30日 | その他
今日はニキチン2歳になりましたねー。おめでとうございます!


さて、今日は昼飯に「サッポロ一番 男の汁なし麺 焼きラーメン」を食う。
友人方にはよく知られているが、無二の焼きそば好きです。カップの焼きそばはめぼしいの見たら大体試食してる。

今日のはかなり美味くて、ここ5年くらいでは間違いなく最高賞受賞レベル。
今までの生涯のカップ焼きそば(系)ベスト3は

1、初代ラ王焼きそばで熱帯ソースとかいう粉末ソースのやつ。カップは四角の時代。賛否両論あった。

映像のモノは粉末ソースの次のやつで、この改訂で食うのを辞めたと記憶してる。
2、初代スパ王のペペロンチーノ。当時これでみんなペペロンチーノの存在を知った伝説的商品。
3、大盛りUFOの揚げ玉が入ってた時代のやつ。レギュラーよりも大盛りの方が圧倒的に味のバランスが良かった。

だったが、今回の焼ラーメンは、このベスト3を脅かすくらい・・・というか、もはや3人だったチームプリキュアにキュアパッションが仲間入りするようなテンション。
上記のはどれも90年代半ばの焼きそばばっかだ。日清生麺タイプ黎明期の勢いだったんだろうか??

ちなみに上記ランキングはあくまでもカップなので、日清の袋の焼きそばが最高峰なのは周知の事実でしょう。

なんつうか、今回のやつ、麺とソースの感じと具がどれも見事で、さらにそれぞれのバランスもいい。特に具のチャーシューの塩加減と食感がバツグンです。
これにはハマる人も多いのではないでしょうか。。自分も早くリピータしたいです。


さて、最近は音楽以外のことばっかなので、12月は硬派にレビューブログで攻めたいと思います。

プリキュアの映画をみる。

2009年11月29日 | アニメ・マンガ
11月半ばより妻と長女がインフル感染。7ヶ月の二女にうつすなと隔離部屋に軟禁状態。
このあたりはかなり流行ってて小学校が学校閉鎖だったりしている。すごい猛威です。

今日は二女が少し発熱をしたので、自分と長女の二人で、プリキュアの映画を見に行ってきた。
なお、娘は初映画館である。

行く前に腹も減ったので、ジョリーパスタに行く。
そういえばインフルで家族が厳戒態勢の時、突然スパゲティを山盛り食べたい衝動があった。
なので今日は大盛りを頼んだら、結構な量があってさらに娘が残した分も食べたから夢が叶った。
ちなみに娘と外出する時一番困るのがトイレ。これだけはいつも自分が男で良かったなと思うところだ。

ショッピングモール内の映画館に行く。
知り合いと思って挨拶した人が他人だったので、そのショックをちょっとだけ引きずった。

今日のプリキュアは「おもちゃの国は秘密がいっぱい」というやつ。
http://www.precure-movie.com/

今回は親子券を買っていて、妻が行くはずだったのが二女の熱で自分が行くことになった。
家族連れで父親もチラホラはいるものの、なんとも父親と娘のツーショットは自分たちだけだった。

さて、プリキュアをちゃんとみるのは初めてだ。
女子の好きそうなエッセンスがふんだんに詰まってる感じで、自分も昔みてた初期80's の女子向け番組を踏襲しながらも、さらに発展させてる感じがすごいなと思った。
お茶目なおっさんキャラの「かおるちゃん」にすごく80'sの雰囲気が漂ってて、このあたりは親年代のノスタルジーをくすぐる上手い仕掛けもあるし、シフォンにもスパンク的なものを彷彿とさせるし。
ゴレンジャー以降の戦隊モノ風に、プリキュアはチームながらもまず敵とは個人戦で戦い、ゴレンジャーでいうキレンジャーの坊みたいな個人アイテムもあり、最後はゴレンジャーでいうゴレンジャーハリケーンみたいなチームプレイで敵を倒すみたいな、安心できる感じだった。
そういえば、娘が持ってるプリキュアのおもちゃがあって、ああこれはこういう時に使うのかなど、いろいろ勉強しながらみさせていただいてる感じ(笑)

ちなみにチームプリキュアはキュアピーチがあーちゃんで、キュアベリーがのっちで、キュアパインはかしゆか的なキャラの振り分け。娘の好きなキュアパッションは中島美嘉みたいな感じか?

ちなみに今回のストーリーは、こどもが飽きてしまったおもちゃがこどもに復讐をするという、こどもの教育的指導の役目もあった。チームプリキュアのリーダー格のキュアピーチこと桃園ラブが持っていた「うさちゃん」というぬいぐるみもその敵に一味していたということで、桃園もショックを受けるという話しだ。
しかし、うさちゃんを処分しようとしたのは実は本人ではなく、母親の意向だったという同伴の親への辛辣なメッセージも込められている。
結構いい話だったのでどんな映画でも見るとほとんど泣く自分としては不覚にも泣いてしまった。
ちょうど自分が泣いてるとき、うしろの席のいた家族連れの女の子が母親に向かって
「ママー、お父さん寝てるよ」
と言ったので、さらに羞恥心が増してしまった。

映画が終わると娘の手がポップコーンのバターでベトベトだった。
その手で映画中に必死で入場者のおまけのハート型のライト「ミラクルハートライト」をピカピカさせていた。

実は映画の前説でプリキュアがピンチの時にそのライトを転倒させるお約束があった。
娘は当初は他の誰よりも積極的に点灯させていたが、映画中にそのライトを使うことが明かに示唆される肝心なところで点灯させていなかった。。

ちなみにプリキュアサンバイザーは入場前から終始装着しっぱなし。


さて、帰りは娘が車中で寝てしまった。
娘と車に乗るとき、現在がほぼパフュームが流れているが、寝てたので今日は久々にうしろゆびさされ組を聴いた。
名曲∞は、EBTGの「Love Is Here Where I Live」を彷彿とさせるなあと相変わらずしみじみと思った。


明後日14日は山口市徳證寺でプラノワ(ジャグリング目黒陽介&アコーディオン小春)のライブ

2009年11月12日 | サントラ・イージーリスニング
明後日の11月14日(土)に、昨年はクリテツさんのテルミンライブが行われた山口市の徳證寺というお寺で、シノワとちょっと名前のにている「プラノワ」という、東京のジャグリングとアコーディオンのユニットのライブがあります。

「プラノワ」はジャグラーの目黒陽介さんとアコーディオンの小春さんから成るユニットで、アコーディオン生演奏のジャグリングは世界でも稀だということ。

お二人は若くありながらもそれぞれピンでも有名。
目黒さんは舞台やソロなどでも活躍中のアート系のジャグラーで、いわゆる大道芸でありながらも芸術性の高いジャグリングで知られています。
また、アコーディオンの小春さんはソロやマイノリティーオーケストラというバンドでも活躍中。
さらに、なんと先日行われたローランド主催のインターナショナルVアコーディオンコンテストの日本予選で、なんと最優秀賞を受賞した実力派。山口でのライブの翌週11月21日に、日本代表としてイタリアのローマで行われる世界大会に出場することになったらしい。
ルックスもキュートな真のハイパーアコーディオンアイドルです。

以下にコンテストの詳細が記されています。
http://www.roland.co.jp/VA/Festival/index.html
http://shop.plaza.rakuten.co.jp/reckb/diary/detail/200910180000/
http://shop.plaza.rakuten.co.jp/reckb/diary/detail/200910200001/

多分来年以降はこのお二人、山口では見れなさそう(笑)。

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2009年11月14日(土)、山口市黒川の徳證寺にて、ジャグリングの目黒陽介さんと、アコーディオンの小春さんによるユニット「プラノワ」の公演が行われる。
ジャグリングとは、複数のボールや道具を空中に投げるなどの曲芸で、目黒さんはボールやディアボロ(こま)、オリジナル道具を用いたジャグリングを演じる。プラノワは、アコーディオンの生演奏のもとにジャグリングを行う、世界でも数少ないスタイルのユニット。
プラノワのお二人は、東京都公認のストリートパフォーマーである「へブンアーティスト」として、都内をはじめ日本各地での公演のほか、海外の大道芸フェスティバルにも数度出演。また、舞台への出演など幅広い活動を行っている。来年には都内でプラノワ単独の舞台公演も予定されている。
目黒さんと小春さんはそれぞれソロの活動も展開しており、小春さんはJAA国際アコーディオンコンクールでその才能が認められた実力派。当日はそれぞれのソロステージも行われる、盛りだくさんの内容。
当日会場では、フェアトレード&ナチュラル雑貨の出張販売もある。

プラノワサイト http://pranoi.jpn.org/pn/
目黒陽介ブログ http://yaplog.jp/juggler_meguro/
小春  サイト http://koharu-acc.com/acc/

「徳證寺スズムシ講 VOL.5! プラノワのお寺で大道芸!~ ジャグリング & アコーディオン ライブ!」
■日時/2009年 11月14日(土) 開場13:30/開演14:00~
■会場/山口市黒川138(フジグランそば)浄土真宗本願寺派 徳證寺
■料金/一般300円・学生無料(ドリンク付き)
■問合/徳證寺 スズムシ講実行委員会
   TEL 083-924-3492 FAX 083-924-3506
      tokushouji138@me.com
      http://www.tokushouji.com
■P/フジグラン山口の駐車場も利用可

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★ プラノワ【pranoi】公式プロフィール

目黒陽介と小春によるジャグリングとアコーディオンのユニット。
それぞれソロで活動をしていたが、大道芸フェスティバルでの共演をきっかけにコンビを結成。世界でも数少ない生演奏でのジャグリングパフォーマンス。
アコーディオンの調べに乗せて球や駒が宙を舞うとある男女の物語。

・演目
 ボールジャグリング、バウンシングボール、ディアボロ、その他オリジナル道具など

・2008年12月 バンコクの大道芸フェスティバルに招待される。
・2009年 6月 フランス・ナンテールの大道芸フェスティバルに出演。
・2010年 3月 プラノワ単独舞台公演予定

★ 目黒陽介 公式プロフィール

1985年3月15日生まれ。うお座のA型。

サラリーマンの父と何をしてたかわからない母との間に次男として生まれる。
小学校一年から2年間、海外で生活していたが、日本人とばっかり遊んでいたため、英語が全く話せないまま帰国。帰国後はキャッチボールと素振りの日々。プロ野球選手になれると思ってたが日本の学校に馴染めず、引きこもるようになり挫折。
毎日同じビデオを繰り返し見ていた。合計4年間の引きこもり生活。
人生に絶望していた中学2年生の時、テレビでジャグリング特番をやっているのを見てボールは前に投げるより上に投げるほうが楽しいと思い、ジャグリングを始める。3年後、同じ番組に出演(競技のルール説明で。しかもカットされてた)学校へも行かずに朝から晩までジャグリング。17歳になり将来について考えていたころ、ヘブンアーティストを知る。一回落ちて、二回目で受かる。
2007年 アコーディオンの小春と出会い秋の三茶de大道芸の舞台の企画でコンビを組むことに。
大道芸でもやるようになる。ソロやジャグリングチーム「ながめくらしつ」などでも活動中。

★ 小春 公式プロフィール

1988年11月21日
一休さんの命日に難産の末
アコーディオンを持って誕生。

7歳の時サーカスのアコーディオン弾きと目が合い
アコーディオンで生きていくことを決意。サンタさんにアコーディオンを頼んだことから
アコーディオン弾きの生活が始まる。

MINORITY ORCHESTRAという
ヘンテコジプシーバンドも結成。ジャグラー目黒陽介と
プラノワ というユニットでも大道芸や色々なイベントなどで活動している。
・2002年
第3回JAA国際アコーディオンコンクール 中学生の部 第3位、
・2005年
第4回JAA国際アコーディオンコンクール

パフォーマンスコンクール グランプリ&観客賞
(MINORITY ORCHESTRAとして)


2006年
第6回ヘブンアーティスト 音楽部門合格


2007年 冬
三茶de大道芸をきっかけに
ジャグラー目黒陽介とプラノワを結成。


2008年6月
MINORITY ORCHESTRA初の海外進出。
ロンドンの街を浴衣で練り歩く。


10月末~11月
新国立劇場 中劇場での舞台「山の巨人たち」に出演
舞台上で麻実れいさんなどの歌の伴奏をした。


主な活動: ヘブンアーティストin上野、ヘブンアーティストin秋葉原、ひたち国際大道芸
大道芸フェスティバルin遠刈田、日本テレビ イベント出演
日本シャンソン館にて野外ライブ、都営大江戸線新宿西口駅構内での路上演奏
カフェでの演奏、ロシア民謡の伴奏etc...



おんがくなかよしコース と 男子

2009年11月11日 | パンク・ニューウェイヴ
今日から娘がヤマハの音楽教室に通うことになった。
http://www.yamaha-ongaku.com/kids/course/index3.html
当然ながら普通の3歳児よりは圧倒的にリスナー経験は豊富にあるといえど、一応、音楽人生の門出の日となった。

「おんがくなかよしコース」の授業中は、親も一緒に授業を受ける。
妻はカゼ気味で初回は自分が付き添うことになった。もちろん男性は我一人。
なお、なかよしコースの生徒は娘をふくめて5人で、偶然にも娘と同じもも組のしーちゃんが。

授業の内容は、まず5人が部屋のすみにあるヤマハロゴのバスドラをよいしょよいしょと力を合わせて運ぶ。
横に寝かせて中央に配置して、先生がその上にクラッシュシンバルをかざす。
それからバスドラ用スティックが皆に配布され、音楽に合わせてドンドンドンと打つ。
さらに曲のエンディングにチーンとシンバルを打つ、というものだ。

その後は各々にタンバリンやトライアングルなどが立候補順に割り当てられ、曲に合わせて一応セオリー通りにチーンとやる。
さらに紙芝居があり、親子のふれあいの時間があるなど、練りに練られた見事な授業内容であった。


で、すごい楽しかったんだけど、なんつうか、男子の自分からしたらとても女子っぽい空間というか、そんな感じもした。
まあ、女の子ばかりのクラスだったからかもしれないけど。

自分は今でさえ音楽に携わっているが、昔はやっぱ男子が音楽教室とかなんとなく恥ずかしい気持ちになった。
自分は軟弱だったので鍛えんといかんとかいう理由で柔道をやらされたが、さすがにイヤだったのですぐに辞めた。
今みたいな Only One みたいな発想も乏しかったし、オスは雄であることがのぞまれた時代だ。
うちの母は一応音楽系の出なので、今思えば親が強引にでもピアノとか習わしてでもくれてたら良かったのにと思いながらも、当時は到底そんな余裕もなかったらしいし。

そういや、先日久々に福岡でレコ屋めぐりをしたが、どの店でも自分も含め来客は30代以上男子ってな感じ。
そして、悶々とした自分世代には非常にジワジワくる、2ちゃんねるのDTM板のスレ
http://pc11.2ch.net/test/read.cgi/dtm/1231240414/
なんかも男子的な世界観に溢れている。

そういうわけですごく男子的なキッズ系ヤマハ音楽教室はどんなんかなーって想像してみた。
ヒーローものの主題歌をみんなで暴れながら歌うとか、そんなんだろうか。


で、今日は娘の門出の記念に教室に行く前に、DISKBOXで注文してたプリファブの新譜を購入した。
今日の授業に大喜びだった娘にも聴かせようと思う。



Nov4

2009年11月04日 | 日本90's~
本年はいろいろと苦難続きの日々。
今年になってからは、自律神経がストレスにめっぽう弱くなってきてる。めまいや頭がフーッッとなることがしばしば。焦点が定まらなくなったり。
一応この症状をここに記録しておくとして、何かの時にこれが「ああ前兆だったのですね」とかにならないようにはしないといけません。。。

さて、毎月読む音楽雑誌は4誌。
そのうちレコードコレクターズはまあ楽しく読めるのだが、ミュージックマガジンは読むと大体しんどい思いになる(じゃあ読まなければ?なんて揚げ足とりは控えていただくとして)。
ミュージックマガジンはややアカデミック革新ベースの最新のポピュラー音楽の紹介と批評誌。
その評論や方法などにはいろいろと賛否もあるかもしれないけど、総じておおまかな音楽世論的なものは一覧できるように思う。

今年は2009年なのでいわゆる00年代が終わる。
この10年の音楽の流れのなかで、まあ散発的にいろいろなことはあったと思うが、過去のように劇的に10年ごとに括りができるような風にはならなかった。みんなそう思ってる。そもそも10年ごとに区切りを入れてきた経緯自体もそろそろ検証されないといけないのかも。

ただし気がついたら大変なことになってたことは少なからずあった。
まず日本でも歌謡曲へのブラックのエッセンスが定着したことだ。
自分の経験上では宇多田ヒカル以降のことだと思うが、ここまでになるとは思わなかった。

そして、コンピュータベースの制作に関して、PC自体のハード、それにともなうソフトについては驚異的な進化を遂げた。
10年前、MOディスクがこんなに早く追いやられるとは誰も思わなかっただろう的なスピード感だ。
で、ネットのブロードバンド化は音楽のデータ観と相まってリスナーの根本的な部分までを揺るがす現状になってしまった。10年前はこんなことになるとは夢にも思わなかった。
今や自宅でマスタリングまでできるし、そうやって作られたものが Perfume みたくに武道館にさえ流れることもある。

さて、ミュージックマガジンをみて不安な気持ちになるミュージシャンは自分に限らず多いことと思う。
他人にとらわれず自分のしたいことをやればいいと、そう言ってしまえば話はそれまでだけど、しかしそう思いこみながらもどこかで誰もがやや不安な気持ちと同居しながら音楽をしているものだろう。
そもそも音楽は進化するものという戦後ミュージシャンの発想と感覚、この枠組みから脱却することはなかなか難しい。

たぶん古代文明が滅びたように文明・文化は進化もし、後退もする。
そもそもなにを持って進化・後退というのかさえよくわからないし、文化に進化・後退という概念を持ち出すことがおかしいのかもしれない。つまり音楽は進化するという発想そのものがインチキだったことになるし、そもそも「進化」することが「良い」というわけでもない。特に「進化」というのはまさに近代資本主義下の思考であることはすでに周知の事実である。

2000年ころにポストロックの時代が来たと言われたことがあったし、そういう音楽をみんな好んで受け入れた。
しかし、それから十年たってようやく本来の意味での「ポストロック」の時代がやって来た。
ポストロックとは狙い・志向・ジャンルだったでのではなく、あくまでも現在のようなテクノロジーと音楽、いわば身と心のバランスが、その急激な変化についていけない、そんな「状況」を指すことばだったのだと、誰もが気付いてきた。

今まで音楽自体の感覚は進化していたのではない。進化していたのは音楽を取り巻く機材だけだったのだとあえてそう吐いてみる。
60年代の音楽が総じて一般的に好意的に感じられるのは、人間と機材のバランスがちょうど良かっただけなのかもしれない。
現在をスタートととして、なんとかこのポスト状況から逃げない。
せめてこれくらいはミュージシャンとしてはもっていたい感覚だろうと思う。

この十年はまったく音楽が世代交代したという感覚はなく、それぞれがマイペースに活動を続けているという安定した状況だったと思う。だからこそ逃げられないと思う。