シノワレコード

女性Vo60sサイケガレージ的Indiepopバンド"シノワ/shinowa"のGtヒラタによる色々レビュー&世間の話題

和ちゃん0歳の誕生日!

2006年03月29日 | 米60's
本日3月29日(水)9時4分、長女が誕生しました。

総計32時間の陣痛という、かなりの難産であった。
卑弥呼に神が降りてきたような、この世のものと思えない苦しみの様相。そして二日目の徹夜で意識も朦朧。
まさに苦しんでいるか、気を失っているか(本当はフッと寝てしまっている)のどちらかという極限状態。
もちろん自分もこの二日間ほとんど寝ていない。本日の明け方には記憶が飛んでいる時間がある。

妻は出産終了後、力尽きてそのまま救急車で病院に搬送・・・というストーリーを描いていた。
しかし、なんと出産後の妻はかなりのハイテンションでご飯もモリモリ。
出産後はどうもこういうテンションが続くらしい。しかし、今晩はさぞかし爆睡だろう。

あの陣痛の苦しみは、本当に自分が生まれて受けてきた苦しみをすべて足しても余りある感じだった。
あの苦しみに耐えられば、おそらく今後は何も苦しくないだろうなというくらいのものだ。

もう妻には本当に頭が上がりません。
またすごく親切な病院で、先生の暖かさ、助産師さんの仕事には感謝しきれません。


なお、昨日のミクシー日記にて、28日昼からの出産の状況をリアルタイムで更新した。
28日には生まれるだろうと少し安易に考えていたのだが、予想像をはるかに超える壮絶な現場だった。

マイミクには妻のお姉さんがいるし、遠方で妻の様子を気遣ってくれている方が沢山おられました。
信じられないくらい多くの励ましのコメントを沢山の方からいただいたし、個別にメールもいただいた。
これには本当に泣かせていただきました。

このログを大事に保管し、いつか娘に、書き込みをしてくれた人一人一人「この人はこういう人だ」と説明を加えながら読んでやりたいと思っています。
本当に最高に素敵な経験をさせて私たちはさせていただいた。また娘は早速幸せ者です。
書き込みをしてくださった皆さん、本当に感激しております。


さて、長女の名前は平和の「和」と書いて「ニコ」と読む。英語なら「NICO」だ。
将来ブログが読めるようになった娘のために、ここで名前の典拠を記しておきたい。

・「和」という字は、古代日本では「にこ」と読む。「やわらかな」という意味だ。
・「にこやか」は本来は「和やか」と表記する。「ニコニコ」は和和であり、やわらかな表情という意味だ。
・いつもにこにこしている人でありますように。
・『万葉集』二十巻 大伴家持の歌 「秋風に なびく川傍の 和草(にこぐさ)の にこよかにしも 思ほゆるかも」
・『仏説阿弥陀経』は「歓喜信受 作礼而去」と「ニコ」で終わる。
・「平田 和」から田を取れば「平和」。
・人生の原点の一つであるベルベッツ、モットモ・フェイバリット女性シンガーのニコ。
・シノワを結成するにあたり、一番初めのセッションで最初にやった曲はベルベッツの「I'll Be Your mirror」である。

年初め1月1日のブログでニコを扱った。実は早くから女子であることは判明していたし、名前も決めていた。
また昨日付けのブログでもニコを扱った。昨日生まれる可能性もあったためだ。


今日は娘の0歳の誕生日だ。
娘の名前の典拠2つを初めての誕生プレゼントとして買っておいた。

1 『ベルベッツのベスト』
  収録曲は微妙だが、初期陣痛の合間に近くに買いに走ったためこれしか無かった。
  ジャケにニコが写ってるのでまあ良しとしている。
2 岩波文庫『万葉集』上・下巻

両方ともに手書きの領収書を作ってもらって、宛名に娘の名を書いてもらった。


和ちゃんはさっそく妻に顔がクリソツだ。

なずなちゃんよろしく!

2006年03月27日 | 米60's
今日はいいことが続く日だった。

【一つ目】
夕方、とあるスーパー内の本屋に立ち寄った。
本屋から出るとき、おそらく買い物袋に当たったのだろう、面陳で積んであった株式関係の本が20冊くらい崩れ、床にバラバラになった。
すると、10メートル向こうで立ち読みをしていた、私服の純朴な女子高生(と思う)がサッと飛んできてくれて手伝ってくれた。
ちょっと照れくさく「ありがとうございます」というと、「いえ。このくらい全然ですよ!」と微笑み返しをしてくれた。
こんなに素敵な子は久々だ。
こんな子に我が子も育って欲しいなと思った。

【二つ目】
夕飯が済み、母が買い物に出た。帰ってくるとめずらしく「お土産がある」という。
「はい、これ」と差し出したのは、
ナント!ポールアニキが表紙の『TITLE』という雑誌だ!
最近、各地のブログでジャムやアニキの話題が盛り上がっているので、本当にタイムリーすぎ!
「ロックで旅するイギリス」というタイトルを見て、息子が好きそうだと思ったようだ。
なんと本秀康のレコスケ君まで掲載されている。本来なら立ち読みで済ませる本だが、買ってくれるのなら滅茶苦茶嬉しい。

ちなみに母は今年還暦だが、スピッツのファンクラブに入っており、近年のほとんどのライブに行っている。
それもZepp福岡などのオールスタンディングにも行く。


さて、いよいよ妻の出産が近づいてきた。
先だって嬉しいことに、先日の22日の夜11時、友人HT君に長女なずなちゃんが誕生したとのことだ!

いろんな意味を込めて、なずなちゃんにこの映像を贈りたい。
サンデーモーニング
この日のために、この映像をスタンバイさせていたんですよ。おめでとう!

※先日のブログで「消滅?」と記しましたが、今日検索したら見事に引っかかった。
今日【三つ目】のいいことだった。

脱アンチインディーポップの決定打。

2006年03月26日 | indiepop80's
80年代インディーポップの名バンドshop assistantsの名曲「I Don't Wanna Be Friends With You」のクリップ。
滅茶苦茶フェイヴァリットな曲だ。
このクリップはC86あたりのバンドを集めたビデオ(ちなみにソニックユースも入ってます)『GIMME SHELTER』で見たことがある。
YOUTUBEにはこのビデオ中のバンドの映像が多くアップされています。

なお、先日ベルベッツのSunday Morningのクリップをリンクしようと思ったら、なぜか検索に引っかからなくなってた。
同じモノが3種くらいアップされてたのがすべて消えていたので、YOUTUBEにもついに規制が入ってきたのかもしれない!?


さて、自分はこのへんのいわゆるアノラックに関しては完全に後追いだ。
ちゃんと聴き始めたのはシノワを始めてくらいからだから、まだまだ10年そこらである。
このジャンルにはもはやかなりコアなファンが沢山おられるのはご承知の通り。

今回の映像の「I Don't Wanna Be Friends With You」は86年発ということで、自分が中学のころだ。
がんばっていればリアルタイムだったのになーと悔しく思う。

高校時代フリッパーズが流行ったころ、丁度自分は初期パンク好きで、ああいう音楽をすごく軟弱だと思った。
それはずっと引きずっていたように思う。フリッパーズの良さがわかるようになったのもこのへんを聴き始めてからだ。

バンドのスタイルというかあり方としては、80年代から90年代初頭にかけてのイギリスのバンドあたりにもっともシンパシーを感じる。
いい意味で非常にリスナー的な音楽であるように思う。
そういう音楽への愛情がこのあたりのイギリスのインディーバンドからは本当に伝わってくる。

しかし、なかなかここらについては悪い意味での渋谷系のイメージがあって、なかなか日本ではまだまだ評価も局地的なものだ(そもそも本国でもどうかわからないが)。
ギタポ・ネオアコファンはどちらかというと軟弱でスタイル先行なそんな偏見さえまだあるように思う。
どうしても一般的にはボーダーとか、クッキーとか、マーブルとか、そういうスマートなテクニカルタームがつきまとう。
特にそれが一人歩きして特有化した、90年代以降の世代の一部の状況に対してはそうだろう。
もともと自分もゴリゴリのオールドロックファンだったので、この感覚はよくわかる。

イギリスで、こちらも日本ではオシャレな文脈で語られることも少なくないwould be goodsのギグを見たとき、客層はさえないオッサンのような人が多かった。
良くも悪くも、日本のこういうスタイルに彼らは完全に組み込まれてしまったんだろう。
しかし、日本のこれが否定されるべきスタイルでないということも実は当たり前のことだ。

好き嫌いはもちろんあると思うが、これはかなり自戒の念を込めてなるべく感覚的な偏見を持たないようにしたいものだ。
いいと思える音楽はすべて聴きたいという目標を今後も持ち続けていきたい。

ミュージックマガジン誌などでお馴染みの評論家、宮子和眞さんには本当に音楽言論界で頑張って欲しいものだ。

なお、この「I Don't Wanna Be Friends With You」を含むアルバム『Will Anything Happen』はメジャーからのリリースで、メイヨ・トンプソンのプロデュースである。
この情報のもとならアンチインディー派も大丈夫では!?

※その他のショップ アシスタンツ情報
ここ
ここ

免許の春

2006年03月25日 | 米60's
本日はすっかり春の陽気だ。
スギ花粉もだいぶユルくなってきた。

春はやはりウォークマンを持って公園に行きたくなる。
春になったらいつも聴くのがヴェルヴェッツの「I Heard Her Call My Name」である。
これを聴くと新年度への士気が高まるというものだ。


さて、春と言えば自動車教習所を思い出す。

18歳での車の免許取得の時(湯田自動車学校)は、第二段階から三段階になかなかあがれなかったものだ。
友人が二階から教習コースを見て「S字やクランクでえらいヘタなヤツがいるなー!」と大笑いしていたらしいが、それは自分だったのだとか。
初めての路上教習では、となりの女性教官が恐怖で震えていたことが忘れられない。

さらには卒業検定で信号無視してしまい、めちゃくちゃにボロカスに怒鳴られた。人間のクズ!って感じだった。

人よりは5万円くらい余分にかかってしまった・・・トホホ。



さて、今度は21歳の時、vespa100に乗るための今では幻の小型二輪免取得でのこと(デルタ自動車教習所)である。

別に中免でも良かったのだが、小型なら1万円くらい安かったのでどうせベスパにしか乗らないからと、小型にしたわけだ。
しかし、またも第二段階くらいで次に進めなくって、さらに数度足踏みしてその時点で中免と同じ料金になった。

小型免許はモトクロスみたいな貧弱なバイクに乗る。中型は結構いかついやつだ(ちなみに講習は一緒に行われる)。
20歳以上と見えるのは自分だけで、あとはほとんどヤンキーっぽい子が16歳やらで免許を取りにきている。
「ドケよ!」とか言われていたので、かなりなめられていたようだ。
小型バイクに乗る自分を見て爆笑していたし。

そして、なんとか卒業検定を迎えた。
この時50人くらいが検定を受け、小型は自分一人。
順番的にも小型免許は受験番号1番となるので、なんと検定のトップとなった。

ところが、開始10秒後の最初の急ブレーキのテストでバランスを崩し「大転倒」という悪夢に。

教官にあとから話を聞いたのだが、「後続の受験者が動揺していました」とのことだった。
さらに、自分の転倒にこの教官自身もが動揺していたのが忘れられない(あまり例はないそうだ)。

この日、虚しく補習を受けて帰ることとなったが、この帰りの「I Heard Her Call My Name」だけは士気も高まらなかったことを鮮明に覚えている。

1979

2006年03月24日 | アニメ・マンガ
自分たちの世代が小さい頃遊んだ、ドラえもんの超合金が昨年リニューアルして復刻された。
何度も買おうと思ったが、いつも直前で躊躇してしまっていた。

しかし、最近になって本当の復刻がリリース!
もはや我慢する必要も理由もない。用事のついでにトイザらスでゲットして来た。

まんだらけのショーケースでは当時のブツが数万円で売られていたことがあって、「金持ちだったら買うのになー」と眺めていたくらいだったので、いくら復刻とは言えども開封してブツを手に取った時は感激した。この超合金のズッシリ感がたまりません。
それにしても、こんなに夢のあるおもちゃはないだろう。

前回のリニューアル版リリースの際はかなり派手に宣伝していたように思うが、実はこの復刻版に関してはさほど騒がれていない。徐々に品薄の気配もあるので、欲しくなった方は早い方がいいかもしれない。
欲しいけど、まだ知らない人もいるかと思ったら気の毒だ。
ドラえもんファンの30代には念のため伝言してあげてください。山口のトイザらスもあと二つでしたよ。

以下のリンクを総合すれば、大体の商品概要がわかると思われます。
復刻参考1
復刻参考2
復刻参考3
復刻参考4
復刻参考5


なお、こちらのページには1979オリジナル版の解説があります。重引させていただきました。復刻版はこのオリジナルとほとんど変わらない感じだ。

復刻版を手にして、今度はリニューアルの欲しくなってしまった。1979版とどう違うのかを確かめたくてたまらない気持ちだ。
そういや、このリニューアルは店頭ではあんまり売れてなかった気がする。もともとリニューアルのは僕ら世代がターゲットだったらしいので、今回の復刻は誘発弾に違いない。
こんな気持ちのおりに詳しい解説のページを見つけたりして、もはやかなりグラついている。

この超合金が発売された1979年は自分は五歳。はじまったばかりのドラえもんをよく見ていた。
先日、このころ放映のドラえもんを見る機会があったが、アニメの絵が「ど根性ガエル」のようなニュアンスの絵だった。しずかちゃんは、サリーちゃんのよっちゃんみたいで現在のような可憐さが感じられなかった。
そのころはあれが当たり前だったのだが、意識しないうちにかなり変わっていたことにビックリする。そういや、金曜の7時の枠になったころから絵が変わりはじめたような記憶もある。

この1979超合金ドラえもんのパッケージはあのころのドラえもんの顔だ。
幼稚園でいじめられた記憶までもがフラッシュバックする。


ご周知の通り、自分らのリアルタイムのドラえもんは実はリニューアル版で1973年がオリジナルである。いわゆる『旧ドラ』と呼ばれているものだ。
旧ドラを探ったページはここここここなどいろいろあるが、『旧ドラ』を見るのは永遠のドラえもんファンの夢である。

先日ドラえもんの研究誌『ぼくドラえもん』の後継誌『もっとドラえもん』が完結した。
初代からリ・リニューアルされたことをきっかけとしたドラえもん祭りも、公開中の、リ・『のび太の恐竜』と、この1979超合金復刻を持って事態は収束に向かいそうだ。劇場には行っていないが、映画見たら間違いなく号泣するだろうと思う。

automeyer316live音源と山口音楽事情

2006年03月23日 | automeyer情報
先日3月16日のオートメイヤーのライブ音源をannoyさんよりいただきました。
www.myspace.com/automeyerにアップしました。
annoyさん、本当にありがとうございました。バッチリです!
ギターの音がちょっと小さいのですが、だいたいのバンドの雰囲気は伝わるかと思います。どうぞよろしくお願いします。
なお、上のジャケはDB店長おはなさんが作ってくださいました。重ねてありがとうございました!


昨日は山口防府の印度洋にドラびでお・撲殺テロリスト☆わんにゃん#パニックス改・ふらてん・moor・水中、それは苦しい(出演順)のライブに行ってきた。

ドラびでおは、もはや説明無用、日本を代表するドラマーである一楽儀光さんで、なんとドラムをたたくことによって映像を制御するというプロジェクトである。我々が目に触れるところではラフォーレのCMに出演されたり、また世界中のフェスティバル等で演奏されているのですでにご存じだと思う。

一楽さんはDISKBOXのオーナーでもあり、中学以来、自分がDISKBOXでいろんな音楽を教えてもらった恩人だ。
現在の山口の音楽シーンがこれだけのものになっているのは一楽さんのおかげと言っても全く過言ではない。
春には全国ツアーに行かれるそうなので、もしこのブログをご覧の方で、まだドラびでおを見ておられない方がいたら、是非一度見ていただきたいと心から思う。
ちなみに北海道では4公演あるそうです。サイケさん、ご覧になっておられなかったら是非ご覧下さい。
ミクシーの「ドラびでお」コミュで詳細なライブ情報がわかると思います。

ドラびでお bounce.comインタビュー

今回は先日オートメイヤーと対バンだったmoorも出演で、ベーシストが新加入後の第一弾ライブだった。非常に清々しい良いライブである。
moorの新しいシングルを聴かせていただいたのだが、これは出色の快作で、そのクオリティにちょっとビックリ!
まだライブは数回しか見ていないのだが、明らかにどんどん深まってきているようだ。
東京などでもライブをされているので、こちらもお近くの方はどうぞご覧になってください。

そして、「ふらてん」という一楽誉志幸さん(Dr)・小島人(G)さんの二人組ユニットが最高!
山口はインプロの土壌が確かにあり、若きアーチストがせめぎ合っているそんな状況だ。
その中でもこの日の「ふらてん」のライブは格別に唸らされました。
気持ちいい音とフレーズが炸裂してました。冗談抜きで必見です。
これからもっと各地広く活動されることと思うので楽しみですね!


撲殺テロリスト☆わんにゃん#パニックス改は高校生バンドだったが、自分の高校の時と考えると本当に上手い。
うまい棒ありがとうございました。

トリはツアー中の水中、それは苦しいで、銀杏BOYSのレーベルからのリリースがあるそうだ。ベースレスの、アコギとバイオリンとドラムの出音は流石でした。

信長VSマチャアキ

2006年03月22日 | 日本60's
夕食時のスポーツニュースで、フィギュアスケートの織田信長が世界選手権で現在2位!とのニュースをしていたのだが、その姿にちょっとビックリ。
信長、スパイダースルックやんけ。

信長は一向一揆勢をひどい目に合わせたりした残酷極まりないマキャベリストで非常に恨んでいるが、子孫に至ってはあの泣き崩れて以来のファンだ。


さて、スパイダースはGSの中でも聞き応えのあるグループの一つだ。
最近の嬉しいリリースに『ザ・スパイダース ムーヴィートラックス』がある。
スパイダースはもちろんレコード音源も悪くないのだが、映画中の演奏が実はバツグンにかっこいいのだ。
実際、自分もスパイダースの映画中からテープにダビングして聴いていたので、このアルバムのリリースはさすがである。
名曲「なればいい」をシノワヒ幻のガレージバンド「ドロップアウトフラワーズ」でカヴァーした時も映画ヴァージョンを参考にしたものだ。
初回盤はDVD付きで少し高いが、最高の一枚だ(まだアマゾンにはDVD付き在庫あり?)。

ちなみにスパイダースの映画を見てちょっと驚くのは、スパイダース時代はマチャアキがボケで井上順がツッコミだということだ。ご周知の通り今は逆である。いつから変わったのだろうか。

自分らの世代にはマチャアキは歌のトップテン、井上順は夜のヒットスタジオである。この二人がスパイダースだと知った時は小学校時代だったが、この二人がコンビであることに「へえー」と思ったものだ。
また、ギャートルズの主題歌を歌ってるかまやつひろしもがメンバーだと知ったときにはさらにビックリしたし、「太陽にほえろ」の音楽を手がけた大野克夫もがメンバーだった時は加えてビックリした。


「あの時君は若かった」は最高に好きな曲だ。
日本のポップス史上に残る超名曲である。『ムーヴィートラックス』のバージョンもすごくいい。

なお、2005年に出た新しいベスト『ザ・スパイダース・ベストトラックス』では、「あの時君は若かった」のカラオケバージョンが収録されている。このオケのためにこのCDを購入。

オケだけ聴くと、ギターのアレンジがいいことが鮮明になる。最高に歌メロを生かすためのギターソロを曲全体に入れている。これはシノワ的に大変参考になる。音もファズだったりガレージっぽいクランチなトーンだったり。

ちなみに先日のhakiraさんご紹介のシューズ愛ランドの還元券を使ったのでタダです。

134217726人のジイチャン・バアチャン

2006年03月21日 | 英60's
今日は3月21日。彼岸の中日だ。
彼岸に合う音楽、それはHolliesしかない。

ホリーズとの出会いは17才。高校時代だ。
軟式テニス部の幽霊部員だった自分は、山口県徳山への遠征に試合には出るわけではないが同行した。おそらく旅費が出るとかそんな理由だったからだと思う。
この試合が終わって徳山駅前の商店街に部員で繰り出し、そこでレコ屋によってホリーズのベストを買った。この時買ったベストはこの選曲だ
このころはモッズに憧れる駆け出しのブリティッシュ少年で、基本ブリティッシュ60年代バンドをガイド本の順番に聴いていたころだ。

ホリーズのそのポップな曲とあの三段ハーモニーにハマってしまった。そのころ一番好きだったのは「I'm Alive」だ。あのイントロのガガガガっていうトレモロの音は、駆け出しのモッズ少年には刺激が強すぎた。もちろんそれがトレモロ(アンプ内蔵のやつ)とはわからなかったので、どうやってこの音を出してるんだろうと思った。

ホリーズを学校の休み時間にウォークマンで聴いていると、野球部のN君が「おまえが聴いている音楽を聴かせてくれ」と言うので、聴かせると「ウワッツ!古い!ダッセーェ!」と真顔で笑いながら叫んだ。特に屈辱などを感じたわけでもなかったが、すごく印象に残っている青春の1コマである。

ホリーズの中でも好きなのが『Hollies Sing Dylan』で、ここのホリーズバージョンの「火の車」が無茶苦茶好きだ(ただしこのアルバムはアメリカに媚を売ったものとかで評判が悪い。ちなみにUKアマゾンに試聴があるがなぜか火の車だけ聴けない<涙>)。しかし、なぜか名盤と言われる『Butterfly』はあまりピンと来なかった。

さて、とあるバーゲンでデジパックの『Hollies Sing the Hollies』を買った。これは持ってなかったのでラッキーだった。
昨年の春の彼岸に、たまたまこのアルバムを聴きながら墓掃除をした。その時のこのアルバムがあまりにも最高だった。それ以降、墓掃除にはホリーズと決まっているのだ。

よく考えてみると、ちょっとビックリ。
HOLLIESとは、ご存じバディー・ホリーから命名されているのだが、ちょっとスペルミスをすれば「holy」であり、これなら「神聖な, 尊い, 神事に関する, 宗教上の」を意味する単語となる。
これは偶然ではない。

先祖の公式というものがある。2の(X-1)乗というものだ。ここのXに世代数を入れると、先祖の数が出てくる。
例えば自分の親は2世代なので、2の(2-1)乗、つまり2の1乗で2となる。ゆえに、自分の生命には2人が関わっていることになる。またじいちゃんばあちゃんの代は3世代だから2の2乗で4だ。つまり、自分が生まれるためには4人の生命が必要になる。
こう計算すると、11世代前のヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒージイチャン・バアチャンの世代には1024人が自分の生命に関わっていることになり、28代前のヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒーヒージイチャン・バアチャンの世代までさかのぼると、通算で134217726人のジイチャン・バアチャンがいることになる。

数字はあくまでも理論上ではあるが、この無数のジイチャン・バアチャンが私にホリーズを聴かし召して下さったのだろう。
「♪生かされて生きる~」

取り戻した!

2006年03月20日 | パンク・ニューウェイヴ
オートメイヤーのライブ以降の突然のジャムマイブームの候、ようやく借りパクされたジャムのDVD『The Complete Jam(ザ・コンプリート・ジャム)』のデジパック盤が、我が懐に戻って参りました。ただし、帰ってきたものは別ルートを経由してます。まあ仕方ない。感無量な気持ちでいっぱいです。これで人生も安泰な気分さえしています。

本日はお帰り記念として、ロック史上最高のビデオクリップと考えられるNews Of The Worldです。未見の方はこの機会に是非にどうぞ!
もちろん帰ってきたDVDにも収録されてます。

さて、先ほど近所のスーパーで先日の主催者で残念ながらその日をもって解散してしまったfluxusのドラマーさんとバッタリ。
シノレコをご覧になってくださっているそうだ。またジャムにも興味がおありだとか。
ジャムのことなら熱く語れますので、これからもどうぞよろしく!