先日、少年野球の応援に行ってきた。
近所に年に一度くらいキャッチボールをしている馴染みの野球少年がいる。
「今度試合を見に行くよ!」といってるうちに彼ももう6年生になってしまった。
そんな中、彼所属のチームが主催する開催地もめっちゃ近所の大会があるということで、わざわざパンフレットをご家族で持ってこられたのだ。
この時期は毎年忙しいのだが、今回は時間が空いたので、チャリで5分の会場の河川敷公園に!
実は彼のチームは、自分が小学生の時に所属していた地域の少年野球チームなのだ。
河川公園に到着するとすでに大会が行われており、一面で熱戦が繰り広げられている。
・・・ところが、あれ?試合時間のはずなのに、我がチームが見あたらない???
なんと、昨年ユニフォームを一新したらしい。わがチームのチームカラーは、ずっと南海ホークスのような「緑」だったのが、昨年紺に変わってしまったらしい。それも、やや現行ドラゴンズに似てるようなユニホーム。
予想外のイメチェンにショック・・・。
以前、日ハムがオレンジから地味なユニホームに変わったような、そのくらいの感じだ。
さて、ユニホームが変わったといえど、パンフ記載の会場のブロック番号の照合によりわがチームを発見。
嬉しいことに試合はすでに我がチームがリードしている!
そして、ベンチを見ると、噂通り80歳超(正確な年齢は不詳だが、90歳以下)の名物コーチの元気なお姿を発見!!
このコーチ、自分が小3でチームに入った当時すでに65歳くらいの、厳しい鬼コーチで地域では大変有名な方だ。
25年前当時と全くお変わりないことにかなりビビるとともに、猛烈に感激した。
自分は入団時、本当に弱っちくて、よくコーチより「おまえは女みたいやのう」と毎回ゲキを飛ばされていた。
当時はボールの投げ方もなよなよしてたらしく、コーチから練習中に呼ばれ、「お前は投げ方がなってない。運動場の端っこに立って、向こう端にめがけてボールを遠投しろ。そして走ってボールを取りに行け。それを一日中繰り返せ」と指示された。
猛烈につらい練習だったが、この練習のおかげで肩は強くなり、後に盗塁阻止だけはバツグン(あとはバッティングも含めてダメダメ)のキャッチャーになったのだ。
このKコーチ、年齢やそのお立場からすると、この少年野球チームの「終身名誉監督」でもおかしくないのだが、未だに「コーチ」という身分を自ら選んでおられるという熱血漢である。
当時は本当に恐くて、チームメイト内では「コーチは一度死んだことがあって、それから蘇ったんだってー。そのまま死んでれば良かったのになー」なんて、本気で言ってたヤツがいたくらいだ。
本当に20年ぶりにお会いして「おお!弟は今元気にしとるか?お父さんはまだ仕事がんばってるか?」と。
もう、めちゃめちゃ感激。年齢とは全く比例しない、時間が止まったような物言いだ。
★
さて、試合の方は、わがチームが圧勝!!
だけど、自分らがやってころとはだいぶ少年野球も変わったなーと感じる。
相手チームに野球狂の詩みたいなロングヘアーの女の子がいたり、やや小太り気味な選手が多かったり(アメリカ食のせいか?)、グローブの色が青や黒や赤などカラフルだったり。
でも一番変わったなーと感じたのは、試合中に水が飲めることだ。
自分らの時は、練習中に水を飲むことは許されない時代だったので、ましてや試合中に水を飲むとかあり得なかったものだ。
監督さんが、スリーアウトになって残塁で戻ってきたランナーに「水でも飲むか?」と声をかけているなんて・・・・、
昔なら「はよ守備につけ!」と怒鳴られていたシチュエーションだっただろう。
当時はとにかく監督は恐いもので、みんな脅えながら野球をしていたものだ。
★
大人になってあらためて少年野球を見てみると
・結構守備がたどたどしい
・引っかけたようなボテボテのサードゴロが異様に多い。
・ファミスタみたいに、ちょっと守備のミスがあれば、ランナーが走りまくる
など、客観的にみればテレビで見るような野球にない、少年野球に独特な点があることがわかった。
当時チームに入り立ての小三のころは、あまりの打球のスピードについていけなかったことが嘘みたいだ。
ちなみに、今日最も盛り上がったシーンは、我がチームで6-4-3のダブルプレーが成立したことだ。
超拍手喝采。少年野球でダブルプレーはほとんど奇蹟に近い。
★
試合の途中でさらにびっくりしたのは、我がチームのコーチに小学生の時の同級生がいる!
だいたい、少年野球のコーチは父兄がなることが多いので、ああ、彼にはこのくらいの子がいるんだなあ・・・と。
小2か小3の時ドッジボールをしてて、踏ん張ってボールを捕球した際、ビリッとズボンのオケツの部分が裂けたことがあったそんな彼も、今や我がチームのコーチ。人生とはわからないものだ。
そして、もう一つのサプライズ人事は、これまた小・中の同級生で、中学より○○○ーになった○君が父兄で応援に来ていたことだ。
彼とは小1・2年は同じクラスで仲良くて、彼の誕生会にも呼ばれたこともあった。しかし、中学からは○○○ーになり、中学でも同じクラスになったのだが、その時はもうお互い話すようなことはなかった。その○君の子と思われる選手は中心選手として活躍していた。
彼はさわやかに他の父兄と談笑していたり、試合が終わるとサッとトンボでマウンドの地ならしをしたりしていた。
彼とは今日も特に言葉を交わすことはなかったが、彼も自分に気づいてはいただろう。
大人になったということを心から実感した一日になった。
近所に年に一度くらいキャッチボールをしている馴染みの野球少年がいる。
「今度試合を見に行くよ!」といってるうちに彼ももう6年生になってしまった。
そんな中、彼所属のチームが主催する開催地もめっちゃ近所の大会があるということで、わざわざパンフレットをご家族で持ってこられたのだ。
この時期は毎年忙しいのだが、今回は時間が空いたので、チャリで5分の会場の河川敷公園に!
実は彼のチームは、自分が小学生の時に所属していた地域の少年野球チームなのだ。
河川公園に到着するとすでに大会が行われており、一面で熱戦が繰り広げられている。
・・・ところが、あれ?試合時間のはずなのに、我がチームが見あたらない???
なんと、昨年ユニフォームを一新したらしい。わがチームのチームカラーは、ずっと南海ホークスのような「緑」だったのが、昨年紺に変わってしまったらしい。それも、やや現行ドラゴンズに似てるようなユニホーム。
予想外のイメチェンにショック・・・。
以前、日ハムがオレンジから地味なユニホームに変わったような、そのくらいの感じだ。
さて、ユニホームが変わったといえど、パンフ記載の会場のブロック番号の照合によりわがチームを発見。
嬉しいことに試合はすでに我がチームがリードしている!
そして、ベンチを見ると、噂通り80歳超(正確な年齢は不詳だが、90歳以下)の名物コーチの元気なお姿を発見!!
このコーチ、自分が小3でチームに入った当時すでに65歳くらいの、厳しい鬼コーチで地域では大変有名な方だ。
25年前当時と全くお変わりないことにかなりビビるとともに、猛烈に感激した。
自分は入団時、本当に弱っちくて、よくコーチより「おまえは女みたいやのう」と毎回ゲキを飛ばされていた。
当時はボールの投げ方もなよなよしてたらしく、コーチから練習中に呼ばれ、「お前は投げ方がなってない。運動場の端っこに立って、向こう端にめがけてボールを遠投しろ。そして走ってボールを取りに行け。それを一日中繰り返せ」と指示された。
猛烈につらい練習だったが、この練習のおかげで肩は強くなり、後に盗塁阻止だけはバツグン(あとはバッティングも含めてダメダメ)のキャッチャーになったのだ。
このKコーチ、年齢やそのお立場からすると、この少年野球チームの「終身名誉監督」でもおかしくないのだが、未だに「コーチ」という身分を自ら選んでおられるという熱血漢である。
当時は本当に恐くて、チームメイト内では「コーチは一度死んだことがあって、それから蘇ったんだってー。そのまま死んでれば良かったのになー」なんて、本気で言ってたヤツがいたくらいだ。
本当に20年ぶりにお会いして「おお!弟は今元気にしとるか?お父さんはまだ仕事がんばってるか?」と。
もう、めちゃめちゃ感激。年齢とは全く比例しない、時間が止まったような物言いだ。
★
さて、試合の方は、わがチームが圧勝!!
だけど、自分らがやってころとはだいぶ少年野球も変わったなーと感じる。
相手チームに野球狂の詩みたいなロングヘアーの女の子がいたり、やや小太り気味な選手が多かったり(アメリカ食のせいか?)、グローブの色が青や黒や赤などカラフルだったり。
でも一番変わったなーと感じたのは、試合中に水が飲めることだ。
自分らの時は、練習中に水を飲むことは許されない時代だったので、ましてや試合中に水を飲むとかあり得なかったものだ。
監督さんが、スリーアウトになって残塁で戻ってきたランナーに「水でも飲むか?」と声をかけているなんて・・・・、
昔なら「はよ守備につけ!」と怒鳴られていたシチュエーションだっただろう。
当時はとにかく監督は恐いもので、みんな脅えながら野球をしていたものだ。
★
大人になってあらためて少年野球を見てみると
・結構守備がたどたどしい
・引っかけたようなボテボテのサードゴロが異様に多い。
・ファミスタみたいに、ちょっと守備のミスがあれば、ランナーが走りまくる
など、客観的にみればテレビで見るような野球にない、少年野球に独特な点があることがわかった。
当時チームに入り立ての小三のころは、あまりの打球のスピードについていけなかったことが嘘みたいだ。
ちなみに、今日最も盛り上がったシーンは、我がチームで6-4-3のダブルプレーが成立したことだ。
超拍手喝采。少年野球でダブルプレーはほとんど奇蹟に近い。
★
試合の途中でさらにびっくりしたのは、我がチームのコーチに小学生の時の同級生がいる!
だいたい、少年野球のコーチは父兄がなることが多いので、ああ、彼にはこのくらいの子がいるんだなあ・・・と。
小2か小3の時ドッジボールをしてて、踏ん張ってボールを捕球した際、ビリッとズボンのオケツの部分が裂けたことがあったそんな彼も、今や我がチームのコーチ。人生とはわからないものだ。
そして、もう一つのサプライズ人事は、これまた小・中の同級生で、中学より○○○ーになった○君が父兄で応援に来ていたことだ。
彼とは小1・2年は同じクラスで仲良くて、彼の誕生会にも呼ばれたこともあった。しかし、中学からは○○○ーになり、中学でも同じクラスになったのだが、その時はもうお互い話すようなことはなかった。その○君の子と思われる選手は中心選手として活躍していた。
彼はさわやかに他の父兄と談笑していたり、試合が終わるとサッとトンボでマウンドの地ならしをしたりしていた。
彼とは今日も特に言葉を交わすことはなかったが、彼も自分に気づいてはいただろう。
大人になったということを心から実感した一日になった。