シノワレコード

女性Vo60sサイケガレージ的Indiepopバンド"シノワ/shinowa"のGtヒラタによる色々レビュー&世間の話題

2009年シノレコ再発アワード ~ ハニー と クッキー の 蜜月関係

2009年12月31日 | 米60's
なんとも言えない2009年がようやく終わろうとしてます。
今年は4月に次女のサリが生まれたのにすべての運気が費やされたような一年だった。
とにかく体調がフィジカルにもメンタルにも悪い一年だった。
だけどそういう中でしらずのうちに導かれてたこともあったが、ああ今年はガマンの年だったな。。

シノワは1月、2月と一楽まどかさんをメンバーに迎えてのライブが出来たことは本当に良かった。
カバーアルバムを作る予定だったのだが、結果そのアルバムを作る技術とノウハウの習得に一年かかってしまって、
まだトラックもわずかしかできてない。これは来年ですね。
一応ライブの話もあったり、新たな展開に向けて準備も進んでるので来年から序序に順調に活動できると思います。


さて、毎年恒例のシノレコ再発アワードもついに5年目を迎えた。

今年は年頭にまず飯島真理にハマってしまった。
アルバム『ROSE』はいつ聴いても集中できる唸らされる一枚で、猛烈なクオリティの高さが溢れんばかりの名盤。
リバーブの感じとか音の質感とかが唯一無二で聴くほどに凄いなと思う。


その次はなぜか10数年振りにフランス・ギャルに傾倒して持ってなかった曲をいろいろ補完作戦。
なかでも " Le Premier Chagrin D'amour " がかなりヘビロテだった。


その次はレア・グルーヴのガイド本も出たのをきっかけにそのあたりを聴き漁った。
なかでも名盤の Mighty Ryeders と Rhythm Makers はかなり効いた。



最近はあまりサイケものは買わなくなったが、今年の当たりは Deep Feeling 。
ああやっぱこういうのはいいなあと痛感する。
http://www.amazon.co.jp/Pretty-Colours-Deep-Feeling/dp/B001MVX8XM/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1262268907&sr=8-1

とにかく単純に購入という意味では大半がソウルだったりする。
とくにノーザンっぽいコンピはやはり見つけたら無意識に気がついたらポチってしまいます。
そういや今年はフリーソウルの15周年記念盤も出たし。

同じく見つけたら無意識にポチるのは 60's のガールポップ。
今年の再発ではないけど、買い逃してた『Boy Trouble - Garpax Girls』は最高。
http://www.amazon.co.jp/Boy-Trouble-Garpax-Various-Artists/dp/B00024GXVO/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1262269000&sr=1-1
『The Laurie Records Story • Volume 3 - Girls & Girl Groups』が素晴らしいです。
http://www.amazon.co.jp/Laurie-Records-Story-Vol-Groups/dp/B0029F50KO/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1262269054&sr=1-1-fkmr1

またRev-olaからは今年も " Tee And Cara " という地味ながらも知ってる人にはかなりナイスな盤が出た。
これは自分は15年前くらいにアナログをジャケ買いして、人に聴かせるたびに気に入ってくれてた隠れ名盤だったのだが
ようやく再発された。あまりに嬉しかったのでこれは敬意を込めて予約して買った。


あとはローゼスの20年アニーバーサリー盤。
実は10年のアニバーサリー盤も買ったのだが、つい最近のことやと思ってた。
20年も経ってたたことに気づいてなかったことにショック。
自分は輸入盤の超デラックスのやつを買ったのだが、USBに全部入りだったのが時代というものです。
http://www.amazon.co.jp/Stone-Roses/dp/B0027CSKQU/ref=sr_1_3?ie=UTF8&s=music&qid=1262270373&sr=8-3

ソウルものでは Family Underground が自信を持ってオススメです。
http://www.amazon.co.jp/Once-Lifetime-ファミリー・アンダーグラウンド/dp/B0026JKP1M/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=music&qid=1262269231&sr=8-1
なんでこれが今まで陽の眼を見なかったのかが不思議でしょうがない感じ。
フィフス・アベニューバンドをAORや80'sソウルぽくしたようなサウンドが本気でたまりません(75年の作品ですが)。
今までこれを知ってた人はまさに秘蔵の名盤だったと思われます。

また、アニメ『アタックNO.1』のサントラも嬉しかった。
アタックNo.1の世界観や映像観が幼少時代から凄く好きだった。
90年代に出てた巨人の星とのカップリングのサントラCDを持ってはいたが、まさに今年のこれは永久保存盤。
長年待ったらいいこともあるんだなと思った。
http://www.amazon.co.jp/「アタックNo-1」オリジナル・サウンドトラック-TVサントラ/dp/B002PL1U88/ref=sr_1_4?ie=UTF8&s=music&qid=1262269381&sr=8-4

スモールフェイシズ関連では、後期スモールフェイシズが関わってる Johnny Hallyday のアルバムがようやく聴けた。
http://www.amazon.co.jp/Johnny-Hallyday/dp/B0029LJA04/ref=sr_1_12?ie=UTF8&s=music&qid=1262269540&sr=8-12
詳細は後述したいが、SFの新しいDVDが出て、視たことない映像が結構あってこれも長年待ったらいいことあるなという感じだ。


さて、なかなか自分としてもリスナー的にはなかなか充実してた一年だったが・・・
再発アワードの輝く一位は断トツで The Cookies の Chaines / The Dimension Links 1962-1964 に決定せざるを得ません。
http://www.amazon.co.jp/Chains-Dimension-Links-1962-1964-Cookies/dp/B001PMRKGY/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1262269604&sr=1-1-fkmr0

高校時代、近くのレンタル屋で借りた 60's ガールポップ の日本編集のオムニバスCDがあった。
タイトルは『'60s のガール・ガール・ガール』というやつ。88年の編集盤。
それは ダスティ・スプリングフィールド とか、レスリー・ゴアとかそういうガールポップ基本モノが中心だったが、その中に
ハニービーズの " One Wonderful Night " という曲が入ってた。


この一曲が名曲群のなかでも数ランク上の耀きを放っていて、16歳の少年のドツボに入ってしまって、それ以来自分がオムニバスなんかを作る時にはかならず入れるまさに自分スタンダードな一曲だった。
20歳ころまではずっとレンタルをダビングしたテープをまさに擦り切れるほど聴いていた。
と同時にどうしてもこのCDが欲しかったのだが、なかなか手に入らなかった。

で、いつだったか大阪の日本橋の中古屋で見つけて驚喜した。
それで高校生当時はライナーのコピーをとってなかったので、どういう由来の曲かもわからなかったが、このライナーでキャロル・キングの作だと分かった。ていうか、かなりキャロル・キング色の濃い曲なんだけど(笑)
この曲は確かキャロル・キングマスターピースみたいなオムニバスにも収録されたと思う。

ちなみに、バイトしてたコンビニの有線のオールディーズチャンネルで "One Wonderful Night"が流れたことがあっていたく感動したことがあった。

実はこの88年の解説時点では、この "One Wonderful Night" を歌った Honey Bees のことはよく分からなかったみたいだ。
ライナーを抜き出してみると

「ハニー・ビーズはキャロル・キングとゲリー・ゴフィンの名コンビが手掛けたポップ・グループ。確か黒人の女の子3~4人から成るグループで、シフォンズやロネッツ、ディキシー・カップス等の後釜を狙ったが人気を呼ぶまでには至らなかった」

と記されており、オブスキュアなグループ的な扱いだったのだ。

だけど、なんと!このハニー・ビーズは、実はクッキーズに 別のメインボーカルを加えた変名グループだったとのこと。
で今回のクッキーズ関連の音源集にコンパイルされたわけだ。
これはまさに青天の霹靂。本当にほんとうにHontouniびっくりした。
なので、以下のようなYoutube 映像も作られてます。

なーんだ、みんなこの曲好きやん!って感じですよね。

これだけで再発リスナーには大満足の一年だったわけですが
実際のとこは秋以降はほとんど Perfume しか聴いてませんでした。チャンチャン。

2009年の出来事 #2

2009年12月30日 | その他
今年は何かと体調不良に悩まされた一年だった。

娘が幼稚園に行き始めたのもあって、娘がいろんな病気をもらってくる。
ほぼ断続的にカゼをひいていたといっても過言ではないくらいの感じで、秋には長女と妻が新型インフルにも感染した。
今もカゼをひいてるし。


さて、八月の終わりのことだ。朝起きたら右下腹部に鈍痛があった。

自分は小学校六年生の時盲腸の手術をした。その時になんらかの原因で盲腸の傷口の治りが悪く一ヶ月開いたままだったのだ。
その際、腹部内に筋肉部を縫う糸が本来ならば自然と溶けていくはずなのが、自分の場合は特異体質で溶けなかったらしい。
なので、当時、傷口からピンセットを突っ込んでガシガシやって糸を取り出すという、まるで拷問のような処置を行った。

その後も数年おきにこの傷口あたりが痛くなっていた。
そのたびに病院に行ったが「傷口がいたくなることはありえん」とか、「太りすぎで脂肪が傷口を圧迫してると思われます」とかの診断結果だった。

その太りすぎ説を唱えた病院は先生が超高齢で、診察の際は看護婦さんがインターホンで二階にいる先生を呼び出すという病院だったなー。
さらにそのエコー検査装置がなんか魚群探知機みたいで、危うくば被爆しそうなシロモノだった。


話を戻そう。今回の痛みはちょっと尋常ではなく、かかりつけ医に行った。
「これは重症だろうから総合病院で精密検査してください」とのことで、すぐに総合病院にいって、エコーやCT検査をする。

どうも先述の盲腸の古傷の裏っ側になぞの空洞?があって・・・?
そのなかにたぶん膿がたまってて、それが炎症をおよぼしているのだろうと。

・・・というわけで、おなかに管をさして空洞から膿を排出する処置をしましょうということになった。さらに少し入院が必要だとのこと。

「先生それは今日やるんですか」

と聞くと

「まあ簡単な処置なのですぐやりましょう」とのこと。

いったん家に帰って入院の用意をして再度病院に。


そして処置開始となった。
まず腹部に局所麻酔。これが痛い。なんか鋭いカミソリでシュッとやられた感じの痛さだ。

その後腹部に管をさす。しかし、なんかうまくささらないらしい。

どうもその空洞は袋になってて、それがすごくカタイらしいのだ。先生がグッと押し込むたびに激痛が来る。
ずっと叫びまくり。こんな痛い経験もめったにない。ドラえも~んという気持ちだった。


その後さっそく入院生活が始まる。管がささってる傷口が痛い。
今年度に入ってからというもの、本当に激務でほとんど休みらしい休みはなかったから、裏をかえせばゆっくり自分の時間がとれることになった。気を入れ替えてたまった仕事などに集中できた。

二日経っても管から膿が排出されないらしい。
もともと段階的に治療しましょうとのことだったので、再検査を行うことに。
管から造影剤を注入することになったが、これがまた痛い検査。またヒーヒーいうハメになった。

結果、膿はどうもカタマリになっているとのことで、手術をすることが決定。
袋を全摘すると逆に合併症がありうるので、袋のなかにたまっているものをかきだす手術をすることに。

今までの痛い経験から、明日はさらにどんな痛いことが待っているのだろうともう頭がいっぱいになる。
手術の前夜、病床ではiPhone で「手術」「痛い」「麻酔」などのキーワードを並べ、痛みについて調べまくる。


【以下、手術当日のリアル日記】

今日は手術の予定ということで、昨日夜からなんとなくすべき仕事もしなかった。
手術の恐怖が常にあったのだが、以外にも昨日は絶食と言われてたのが朝ご飯があったり、シャワーに入れたりと予想外に嬉しいことがあったので、おお、何か調子が上向きで手術も上手くいく(痛くない)のではないかと予想された。また、朝にマチャアキの西遊記を放送してて、そのアナログ感やサイケ感が今見るとすごく新鮮だった。

シャワーはややゆっくり目に入ったので、次の方がかなりお待ちだったようで迷惑をかけた。担当の看護師さんが知り合いの娘さんだったりということもあって、それも非常に心強く感じられた。朝はゆったりとソウルのコンピを聴いて非常にリラックスできたが、刻々と迫り来る時間の怖さもあった。

さて、昼間になり点滴も始まり手術準備が始まって徐々にテンションが高まってくると、音楽も自分スタンダードオムニバスを聴くことにした。Colourfield の thinking of you を聴いたところで手術室に行くこととなった。

手術室はやはりものものしい雰囲気でやはり非常に怖くなる。意外にも手術服に着替えることはなかった。クラシックも流れていたり、傷が見えないように膜で覆われたりと、すごく患者に不安と恐怖心を取ることが第一に考えられているなと感じた。壁の黒板には、自分の施術である「腫瘤掻爬術」と書いてあった。まさに難読である。

先生が痛み止めの注射をしますということで注射をされた。痛かったがかなりこれは想定内の痛み。直前に皮膚をつねったりして痛みの練習をしていったのが効いたか。。。

その後、手術となり、電気メス(左足の内ももに湿布みたいなのをはった)が腹部入ったと思われるが、それは痛くない。

そして、手術室のアシスタントの方が「頭がボーッとする薬を入れます」と言う。
ああこれで少し意識をぼんやりさせて楽にしてくれるのかな? ちょっとしたトリップ状態になるのかなと思った。
そしたらほんとうに意識がボンヤリとしてきた。これは初めての体験だったので、なんとなく心地良く嬉しい感じさえした。

しかし施術に入ったその直後からやはり痛みが増す。

「先生痛いです」

というと

「さらにボンヤリ度を増しましょう」

ということでさらに頭がボンヤリしてきた。

それでも痛かったが、しばらくすると全く意識がなくなった。
なんとなく記憶があるのが、ベッドを移された感覚、ベッドから運ばれた感覚、何人かに囲まれているような感覚だ。

目をさますと何となく質問に応えたり、時間を聞いたり、ここはどこかを聞いたりとまだ錯乱してる感じ。きつい寝ぼけの状態だった。
それからトイレに行きたくなったがその時もまだ錯乱状態が続いていて、便器の前でボーッとしてて、その時の感覚というのが「11番の箱の中から小便が出る」という不思議な感覚だった。

そのうち、気分が悪くなって倒れそうになったのでトイレをあきらめたら、そばで待機してくださってた看護師さんが「顔が真っ青ですよ」といわれ、ああ、やっぱりまずかったかと。

それからまた寝て夕食が来た。夕食は天ぷらで嬉しかったので天丼風にして食べた。それからまた眠くなった。
そのまま朝まで少し寝て、痛みで目が覚めて又寝るのを繰り返し、ようやく朝六時になった。


結果、手術はボンヤリ施術もあってあまり痛くなかったので良かった。
計10日間の入院となり、その後も家で10日程度療養した。

ちなみにもう全快してますが、健康って大事だなあと痛感させられる一年となりました。

*画像は実際の場ではなくイメージ画像です。

2009年の出来事 #1

2009年12月29日 | 楽器・機材・DTM
自分が小さいころから本当にお世話になっている、80歳を過ぎられた声楽家の先生がおられる。
以前はうちの近所の大学の教授だった方だ。
そもそもは自分の弟の同級生のお父さんだったのだが、いつの間にか家族ぐるみのお付き合いとなって今に至ってきた。

昨年の晩秋、うちの親経由で最近のご自身の作品だというカセットテープをいただいた。

もともとはオペラや聖歌などの妥協ないクラシックがご専門なのだが、今回いただいたテープはご自身で作詞作曲された童謡集。
先生の息子さんの幼少から結婚までをモチーフとしたコンセプトアルバムだった。
ちなみにテープはマスターからダビングを繰り返したような音質で、ラベルに鉛筆の走り書きでタイトルが書いてあるというようなもの。
実はテープをいただいてから、しばらく何やかんやで放置してしまっていた。

ところが、そのうちに「そのテープをCDにしてお渡しします」という流れになってしまっていた。

以前、シノワの初期カセットを、安価なオーディオインターフェイス付属のマスタリング機能を使ってCD化したこともあったので、
http://www.cdbaby.com/cd/shinowa2
まあそんなんでいいんかな・・・と、当初は非常に軽く考えていた。

安易な善意のもとに「今度ダビングしときますね」とか「今度オムニバスのテープ作りますね」とか言ったものの、ちょっとめんどくさくなったり、かなりエネルギーを使ってしまったり・・と、そんな経験が音楽好きなら誰しもあるんじゃないかと思う。自分もずっとそういう人間で、そういうことがよくあって、結局渡せなかったり(苦笑)してきた。
今回もちょっとだけ、そんな感じになりかけていた。

で、昨年末に親に「あのテープの件はどうなったんや」とか言われて「ああ、そういえばあれしとかないといけなかったな」とか、そんな消極的な感じで、とりあえずテープをパソコンに落とすため、数年前に無金利20回ローンキャンペーンで購入して、先日完済した愛用のコルグMR-1
http://www.korg.co.jp/Product/DRS/MR-1/
に落として、wavファイル化してみた。


先生は最近では耳も遠くなられたとのことで、先生の奥さんに言わせると「耳が遠くなってからうたの音程がとれなくなった」とのこと。やはりピッチは残念ながら不安定な箇所が多い。
かつ、そのテープは先生がピアノを弾きながら歌う小さなラジカセで一発録りされたもので、いろんなフロアノイズやら、曲が終わってすぐにガッと席を立たれた音や、またはバチッとラジカセを停止される音やらが満載だった。
おそらく、テープは編集されたようなものではなく、オール一発取りで、それも一気に一日のうちに録音されたものと思われるシロモノだった。

先生はいわゆる全盛期のころには、何枚ものアルバムをアナログやCDなどなどでリリースされておられる。
そのころのうたは、僕らみたいなポップミュージックを愛する者とはかけ離れた、崇高なクラシカルば世界が繰り広げられている。

今回のテープは、いわゆる全盛期は過ぎた、ピッチもよれた、ピアノにもミスがあったりしたものだった。
だけど、自分にとってはその全盛期の音源よりも、その出音に表現される以上の世界観があって、そして何よりも円熟期特有の何とも言えない暖かさに満ちあふれているように感じられた。
また、クラシックみたいに重くない、言い意味で崇高ではない親しみある曲群だった。

せっかくの機会だから、マスタリング的なことをちゃんとして、キレイに編集して喜んでいただけたらいいなと思うようになった。
2008年の春に、曲作りのためと思って思い切って購入した Logic があって、
http://www.apple.com/jp/logicstudio/
昨年の夏に少しシノワのデモを作った。

それ以降はかなり忙しかったこともあって、あまり本気でやってなくて操作も結構忘れてたから、今回のテープのCD化はまたLogic の操作も思い出すいい機会かなと思った。
とりあえず Logic のマニュアルや、入門書
http://www.bnn.co.jp/books/title_index/dtm/master_of_logic_8.html
http://www.sotechsha.co.jp/pc/html/636.htm
や、ちょっとした応用テクニック本
http://www.rittor-music.co.jp/hp/books/DTM_data/07317309.html
などを忙しい合間に読むことにして、なんとかマスタリングしてお渡ししようと思ったのが、つまり昨年の暮れのことだった。


さて、一応Logicのオペレーションの基本的なところを復習して、wavファイルをLogic にコピーしてみた。この素材をなんとか一聴してよろこんでいただけるような音質にしたいと思って、
①音圧を上げる
②ノイズの除去
にまず取り組んでみた。

そもそも、音圧をあげれば当然ノイズも増える。
音圧あげには定番プラグインのPSP社のVIntageWamerを使い、ノイズ除去にはLogic 付属のノイズゲートを使ってみた。
そして、Logic 付属のリバーブプラグイン Space Desiner なんかをかけてみて、一応初心者ながら精一杯のトラックを作ってみた。
数テイクを作って、数種のラジカセで試聴して、客観的にうちの親なんかにも聴いてもらって、低音が落ち着いて聴きやすいバージョンを一つ選んだ。

で、そのバージョンをお宅に持って行って先生と奥さんに聴いていただいた。
するとすごく喜んで下さって「すごくよそ行きの音になったし、ピッチの狂いもリバーブで緩和されてる」とのことだった。
こっちも嬉しかったので、「ならばちゃんとジャケットなんかも作りましょうよ」という話になって、一同で盛り上がった。

ジャケットはサンワサプライの二つ折りのジャケットと、ボトムケースを使用。
シノワのCDのジャケもこれで作っていたので、多少のノウハウはあったのだ。

というわけで、後の曲も続いてマスタリングして持って行きますということになった。


ところが、初心者ゆえの素人ゆえ、全9曲を作るのはなかなか大変。
しかも、なんか前日はいいと思ったテイクも次の日に聴いていたらなんか不自然だったり、ノイズの除去が甘かったりとどうしていいかわからなくなった。
それに、バウンスすると音もかなり変わってしまうし、サンプルレートやビット数との関連とか。。。
でも、そんなのが数を重ねることに分かってきて、やればやるほど満足できなくなってきた。

ギタリストのエフェクターと同じ感性でしかミキシングのプラグインもさわってなかったし、またもっぱらプリセットを多様していたので、やはりすぐにボロも限界もきてしまった。
だから、ここはきちんとこういうプラグインも使いこなせるようになりたいと思って、DTM関連の本やミキシングやレコーディングや、サウンドレコーディングマガジンのバックナンバーをとにかく読みまくることにした。

特に曲の質感に関わるコンプやイコライザーについては特に熟読した。

だけど、そうこうやっているうちに「これならもう一度取り直した方が早いんじゃないか」と気付いた。


そこで、先生に「もう一度取り直しませんか」と聴いてみたら、これまた非常に喜んでくださって「やるなら徹底的にいいのを作りましょう」ということになった。
こっちももうあとに退けなくなって、ヒマな時はレコーディングやDTMの本を徹底的に読みあさることにした。

実は、先生は昨年秋ころより舌ガンの闘病中だったのだ。
しかし、抗ガン薬がよく効いているとのことで、非常にお元気な様子だった。
しかし、ご高齢でもあるし、やはり進行はゆるやかといえど重病だし、悔いの無いように今までの恩返しと思って、思い切ってボーカル録音用にやや高価なコンデンサーマイクを買った。

ただし、先生も抗ガン剤治療の時期には気分も良くなかったり、また白内障の手術などもされたので、レコーディングの時期がなかなか決まらず、4月になってようやく試しのレコーディングができるようになった。
そのレコーディングの時の様子が実は以下の日記である。
http://blog.goo.ne.jp/shinowarecords/e/42c85e6de374d436ac3a13e46f249afd

しかし、それ以降は自分が超多忙になり、また第二子の出産もあったりと順調に行かず、4月の後半になってようやくレコーディング本番となった。

とりあえず、ピアノ録りが終わった。
自分なりにまずまずの感じで録れたような気がした。


次は歌録りというときにやや治療が必要とのことで先生が入院された。
その時はしばらくしたら帰って来るよというような先生のテンションでもあったので自分もそのつもりでいた。

やや日々も経過して、その後のある日突然、奥様から神妙な声色で

「声が出なくなった・・・」

との電話がかかってきた。
自分も混乱してとっさに「治るまで待っておきます」と言う。
すると

「もうずっと出ないかもしれない」

とのこと。

やり場のないショックと後悔の念と自責の念に苛まれた。

とりあえずお見舞いに行った。
病牀の先生はお声こそ出なかったが、まだ笑顔で対応してくれた。自分もつらさでどうしようもなかった。
筆談であったが、その場で先生と以前のテープをなんとかマスタリングすることを約束することが精一杯だった。


もう後悔の無いようにと、無我夢中でプラグインを買い足したり、定番のモニターも買ったりした。

そして自分なりにがんばって数ヶ月後の七月八日、現時点ではなんとか納得のいくものが完成した。
同時にやってたジャケットも出来て、ようやくCDが完成した。
そして奥さんに電話。きっと病牀の先生も喜んでくれるだろうと思った。

「できましたので、お見舞いがてら持っていきます」

と奥様にお電話をすると

「先ほど息を引き取りました」と・・・・。

なんと一時間・・間に合わなかった。
ああ取り返しの付かないことをしてしまった。
自分がグズグズしたその結果、こういう事態になってしまった。

急いで先生の病室に行く。奥さんと泣きながら先生の前でそのCDを聴いた。


そしてご葬儀が営まれた。
ご葬儀の焼香の際にこのCDが場内に流れた。もう涙が止まらなくなったので憚らずに泣いた。
多分その場では一番泣いていたと思う。
周りの人もあの人は何故泣いているのかわからなかったことだろう。


実は筆談を行った時、先生より自分に「約束してほしい」ということがあった。
それは、CDが完成したら、CDのジャケットに先生のお名前の下にエンジニアとして自分の名前を、
要は先生のお名前と並列して載せてくれないかということだった。

今まではプレイヤーだった自分が、初めて制作者として作品に名を連ねる第一歩となった。
あまりにも辛いデビュー作となった。


先生からは
「物事はできる時に迅速にやっておかねばならない」ことを確かに学んだ。
そしてたった一時間が人生を左右することがあることも学んだ。
だけど、先生とのこの出来事をきっかけに自分も新しいことに導かれた。

先生には何人かの弟子がおられて、熱心に指導されていたようだ。
通夜や葬儀にももちろん来られていた。
あまり師弟とかそういうのは気にしたことはないが、自分は無言のうちに厳しく指導をうけた最後の弟子だったんだなと気づいた。

今年は多くの音楽家の方々が亡くなった。
歌謡曲の作曲家と歌手の関係もこういう関係にあるようで、作曲家の先生の意を受け継ぎこれからもがんばりたいと言ってた有名歌手のインタビューを先日視た。

自分も先生から学び導かれたことを、これからの音楽人生のコアの部分に持っていたいと思う。