シノワレコード

女性Vo60sサイケガレージ的Indiepopバンド"シノワ/shinowa"のGtヒラタによる色々レビュー&世間の話題

ジルとムタ

2005年10月19日 | ブラジル
ここのブログはいつもお世話になってます。
だいぶ楽しめます。
大概のファイルは落とせます。

ここ


リンクをたどれば、ムタンチスも見れますが、数本はもう消滅?
フレンチのやつとかDVDも欲しいですね。

自称、ヒタ・リーファンです。
なんとなくフレンチポップに通じる感じもいいです。

※ここのページ、ブラウザによってはうまく表示できない?
 うちのマックではサファリはOKですが、IEでは崩壊します。

Svenska!  ~ 鱒

2005年10月17日 | スウェーデン
本日はスベンスカよりです。
お遊戯会みたいなとこでやってます。

音も見た目も、このころはまんまビートルズに影響受けてるんですね。
一瞬同じバンドに見えるので、イベントスタッフは混乱したことでしょう。

スベンスカのバンドは、中期以降に彼らの本領が発揮されるような気がします。
鱒も棘もそう思います。

スベンスカ在中のイトコが益子のCDを探して送ってくれました。
店員さんは「こんなん買うの?」みたいな顔をしていたそうです。

スピード重視の旅 スラッシュ~ 初期パン ~ GBH

2005年10月16日 | パンク・ニューウェイヴ
本日も蔵出し映像をお見舞いします。

 高校一年生までは日本のロックが好きだった。特にそのシーズンの夏~秋にかけてはストリートビーツばかり聴いていた。「星降る夜に」とか。
 そして秋になり、偶然中古屋で「こたつ内紛争」のシングルCDを見つけた、ニューエストモデルを大変好きになり、そしてはまってしまった。
 タイムリーにも現在は廃刊となっている『バンドやろうぜ』中に、メスカリンドライブとニューエストモデルがおすすめのアルバムをあげる記事があった。それまで洋楽には興味はなかったのだが、それなら聴いてみようかなという気になり、高校の三学期の期末テストが終わったら、洋楽にチャレンジすることを決意したのだった。

 丁度そのころ、なんとなく激しく速い音楽が聴いてみたいと思っていた。
 さて、期末テストも終わり、いきつけのDISKBOXに行き、店員のお兄さんSさんに「洋楽で速いのが聴いてみたいのです」と。
 すると「こんな感じかな?」と、出してくれたのは、ジャーマンスラッシュメタルの「DESTRUCTION(デストラクション)」だった。
 聴かせてくれて、「確かに曲も高速だし、意外といいかもしれない」気分になり、中古で安かったのでそれを購入した。
 で、うちに帰って冷静に聴いてみたら全然つまらなかった。
 「やられた! ヽ(;´Д`)ノ」
 
 同じ日、実はピストルズも買っていたのだった。中学から日本のビートパンクが好きで、インタビューにもピストルズのことが頻出していた。だから、洋楽を聴き始めるならピストルズがいいなと思っていた。
 そう。自分はピストルズと過激なやつの二枚買おうとしていたのだった。あいにくピストルズはDISKBOXにはなかったのだ。
 「過激な言動」、「女王安全ピンジャケ」など、そういう先入観ばかりがあったので、ピストルズはめちゃくちゃノイズっぽい、変態音楽なのだろうと勝手に想像していたし、それを期待していたのだ。

 デストラクションがつまらなかった後、ピストルズを聴いた。
 すると、「ザッザッザッザッ・ジャジャジャーン・ジャジャジャーン」とめちゃくちゃポップに始まったので、その瞬間、またも
 「しまった! ヽ(;´Д`)ノ」 

 だが、ピストルズのアルバム全編を聴いてみて、結構気に入ったので、それからいろいろパンクを聴いてみることにした。

 ちょうど他の雑誌でもパンク特集があったので、それを見て、まずはロンドン三大パンクを聴かねば!と考えた。なのでダムドのファーストと、そしてクラッシュの『ロンドンコーリング』を買ってみた。ダムドはいいと思ったが、クラッシュは「なんだこのユルさは?」っという感じで聴けなかった。
 当時はCDもたまにしか買えないし、そういうのを聴いてる人間もまわりにいなかったし、「ロンドンコーリング」はぼったくられたとさえ思った。だって、その本には「『ロンドンコーリング』は『サンディニスタ』よりもスピード感がある」なんて書いてあったわけですから。今考えればその通りなんだけど、純朴な高校生は単語を鵜呑みにしますよ。

 三大パンクも買ったので、次はジャムを買ってみた。『SNAP!』(ベスト)だったので、「IN THE CITY」しかいいと思えなかったのだ。
 「なーんだ、パンクってもっと過激な音楽だと思っていたが、全体的には結構ゆるい感じだ。」
 なぜかその次にストラングラーズは買わなかった。買ってたらそれは決定的だったな。
 
 そのころには宝島社『ロック名盤ガイド』を入手していたので、ガイドブックを見直すと、GBHというのが、速くてよさそうだった。
 それを買って聴いてみた。すると、結構、求めていたものに近かったのだ。
 しかし、すっかりそれで達成感があって、自分の速い音楽への追求は終わってしまった。
 
 それからは、しばらく聴いていなかった、ジャムと『ロンドンコーリング』がよい音楽に聴こえるようになった。長いような短いような道のりだったなー。ヤレヤレ。

 母に車に乗せてもらったとき、GBHをかけたことがあった。自分には弟がいる。弟はどちらかというと活発なタイプで、自分はボーッとしているタイプである。
 そのころ弟はサザンが好きだった(真夏の果実とか)。GBHをかけた時、母は「人間は性格と反対の音楽を好むのね」と言った。これに関しては、ただそれだけの話だ。

※ ジャケ写はデストラクション。悪夢だ。

(お詫び)デストラクションファンの方、すみませんでした。お詫び申し上げます。

HALL & OATES『NO GOODBAY』

2005年10月14日 | 米70's
 高3の冬にイトコが結婚し、その二次会に行くことになった。そこに同席されてた方に、結婚したイトコの妹の会社の同僚の、音楽好きで当時30後半の独身女性がおられた。
 二次会終了後、イトコ(妹のほう)と、またそこに同席されてたモッズの男性と、その女性と自分との四人で、珈琲の青山に行った。そこではいろんなことを教えてもらい、モッズの方には「ジュニアウォーカー&オールスターズの『ショットガン』が最高だから、必ず聴くように」と言われて、その後必死で探した記憶がある。
 その時、そのモッズの方が店員さんに「フォークルセイダースの人ですか?」と話しかけられていた。今考えてみても全然時代ちゃうんやけどなー。
 これが田舎ロック少年のサブカル界デビューの瞬間だった。

 その同僚の女性の方は、「一番最高な音楽はホール&オーツよ!」としきりにいっていた。その女性はスモールフェイシズも好きで、その時自分もすでにファイバリットだったので、なんとなく意気投合するところがあった。その女性はボーッとしてまったりとした、ちょっと変わった人だった。

 次の日、その女性が自分にいろいろと教えてくれようとしたのか、イトコ(妹の方)を通じてヒマだということで、自分を誘ってくださったのだ。
 せっかく「ホール&オーツ」をすすめてくださったので、待ち合わせの前に、福岡の赤坂にあった旧田口商店に行き、ホール&オーツの初期、アトランティック時代のベスト「NO GOODBAY」を安価で購入した。
 で、その女性と待ち合わせ、カフェデュモンドにつれて行ってもらい、いろんな話を聞かせていただいた。最終的には家にも呼ばれて、晩飯まで食わせてもらって、アンディーウォーホールの画集を見せてもらったり、そのホール&オーツのビデオを見せていただいたりした。

 気がついたら長居をしてしまっていた。その時イトコから電話があり、早く帰ってくるように怒られた。今思えば、ほとんど初対面の高校生男子と30後半女性が、その女性の家で過ごすシチュエーションも男女が逆なら援助交際に疑われそうだ。

 実はこの時、始めてリアルに体験した、都会のサブカルな女性に大変惹かれてしまった。この日を境に、田舎の高校生は確実にはじけてしまった。実はそんな重要な一日だったし、この体験が後の自分を完全に規定してしまったのだった。
 今、何をしていらっしゃるのだろうか?もう50才になられるよなー。
 お会いして心からお礼と感謝の念を述べたい。まさにターニングポイントの出会いだった。

 さて、話はホール&オーツに戻ります。

 その日のカフェデュモンドで「ホール&オーツのこれを買ったんですけど・・・」と見せると、「その時代のホール&オーツはまだ本領を発揮していないわよ!」と言われた。
 「しまった! 。゜(゜´Д`゜)゜。ウァァァン」
 「このアルバムではShe's Goneしか聴ける曲がないわねー」と。
 
 実はこのころのホール&オーツはめちゃくちゃ最高である。70年代初頭の、さわやかでちょっとフォーキーなアメリカロック、例えば、アメリカ、フィフスアベニューバンドや、ちょっと違うがアルゾ&ユーディーンみたいなのと全く同じ感覚である。
 このアルバムは繰り返すがほんまに最高である。テープにダビングしてかなり聞き込んだ。ベストトラックは「When The Morning Comes」。再度繰り返すが、最高です。

 アトランティックからの3枚目のアルバムのプロデューサーはトッド・ラングレンである。このベストにもそこからのトラックが入っている。レピッシュの『からくりハウス』や高野寛のプロデュースをしてたので名前は知っていた。これをきっかけにトッドを聴くようになり、自分のビッグ3フェイバリットアーチストとなることに。

 もちろん、80年代のホール&オーツも好きです。プライベートアイズはやっぱ名曲だわ。


 中学の文化祭で生徒会主催のフリーマーケットがあった。その時にセルカセットテープを買った。セルカセットが10円!ということで内容を見ずに買った。その時「なんかラベルに英語が書いてあるなー」とは思ったが、そのままずっとほったらかしていた。
 
 なんと、それは後にわかったのだが、ホール&オーツの『H2O』だったのだ。これぞ運命です。

HICKORY WIND

2005年10月13日 | 米サイケ・ガレージ
 『レコードコレクターズ』2002年7月号は画期的なサイケ特集号だった。サイケの世界はすでに海外ではおなじみの『ACID FUZZ FLOWERS』というデータブックがあるが(最近改訂版が出ました)、日本ではあまりつっこんだレコードレビューがない。しかし、登場されたコレクターの方はすごいですねー。金持ちだなー。
 これを機会に本格的なガイドブック発売か?!と期待していたが、いまのところそんな動きはまったくなさそう。うーん。ちゃんとそういう本が出ればもっと再発も進むのになー。
 ここでは知らなかった盤も結構紹介されていて、このヒッコリーウインドもそうだった。

 数年前に、大阪アンダーグラウンド界の大御所マゾンナさんが店長である、アルケミーミュージックストアで再発CD(紙ジャケ)を見つけた。特徴あるジャケなので、よく覚えていた。

 このCDを聴いてみればすぐに分かるが、初心者でもわかりやすい、サイケな曲は一曲しかない(ちなみに二曲目である)。あとはかなり素朴でストレートなフォークロックをまじめにやっているという感じである。
 バーズの『ロデオの恋人』のなかにヒッコリーウィンドという曲があるので、おそらくそこからバンド名をとったのだろう。なお、「ヒッコリーウィンド」には同名バンドがある。聴いたことはないが、やっぱりカントリー的な感じの音楽みたいだ。つまり、「ヒッコリーウインド」とは、カントリーロックの代名詞であることになる。
 また、7曲目はディランの「ライク ア ローリンストーン」によく似てる。

 このアルバムは4ヶ月に一回は聴きたくなる。なんともラジカセ録音のような音が気持ちいいし、地味だが曲がとてもいい。今的にいえば、ガレージフォークロックだ。ボーナス・レアトラックにある、いわゆる「デモ」って、質感も含めて結構よかったりする。そういうよさなのかもしれない。

 この時代の、たとえば自主製作でプレス数が少なかったものは、レアサイケのカテゴリーでとらえられることがしばしばである。
 60年代半ば~後半では、サイケの波を受けないバンドの方がきわめて稀であり、特に66年以降のアメリカのB級バンドは、そうすればほとんどがサイケバンドと一括りにされてしまう。低予算で音がチープだったり、ファズを使っていたりするバンドは、まさにそうなってしまう。

 このヒッコリーウインドは、自分らがサイケをしているという自覚は、当たり前だが当然なかっただろう。もちろん、当時はそんなバンドばかりだったに違いない。
 そういう意味では「サイケ」のカテゴリーって完全に後付けだったりする。

 このアルバムには、後身バンドであるB.F.TRICKEの音源がボーナストラックで収録されている。ここでは「アメリカ人の アメリカ人による アメリカ人のためのロック」が聴ける。
 一聴の瞬間はダサく感じるかもしれないが、ちょっとカントリー入った、オヤジ臭ただよう乾いた歪みのギターは、そのうちに心地よささえ感じてくる。結構いける!

 こんな本領を見てしまうと、ヒッコリーウィンドは「レアサイケ!」といわれて心外だろうなー。


 ちなみに、再発元は韓国のbeatballrecords。ここの再発は日本のポップサイケファンとつるんでいるかのようなラインナップだ。
 なんと、BMXバンディッツの韓国ライブも実現させたみたい(ついでに日本にも来て欲しかったな)。
 他には韓国のGSみたいなのとか、レアサイケとか、リンダ・パーハックスのLPの再発までしている。しかもポスター付き!とてもディテールが細かく嬉しい。ディスクユニオンの特典なみの配慮である。

 さらに、日本ソフトロックの雄、「ボビーズロッキンチェア」の音源までリリースしている(!)。ここのブレインの森本くんとは自分と同じ大学で、一時一緒のサークルに在籍していたこともある。彼は妻と同郷でもある。
 シノワも負けてられないぜ!

VELVET UNDERGROUND『3枚目』

2005年10月12日 | 米60's
 高校時代、始めて聴いたベルベッツのアルバムが3枚目である。

 そのころの自分は、宝島社から出ていた「ロック名盤カタログ」という本がすべての知恵蔵であり、それのみをネタに「次は何を聴けばよいのだろうか?」と、ロックを体系的に聴こうと努力していた。今思えばレコードを買うたびにそれがすべて名盤だったのだから、すごい黄金の時期だ。

 残念ながらその本は友人に借りパクされてしまったが、その本には「ベルベッツはパンクのルーツ!」と、パンクの源流に位置づけられていた。そういう予備知識のみに購入を決意した。
 さて、行きつけのDISKBOXに行ってみるとベルベッツはこの3枚目しかななかった。当時はアナログしか買わないことを誓っていたので、ファーストもCDならあったかもしれない。

 パンクの元祖ということにゃあ、そりゃあ激しい音楽を想像していたのだが、まったくのフォークロックみたいな感じでかなり拍子抜けした。だがもちろん、60年代に深く入りはじめてたとこだったので、とても気に入ってしまった。ただし、夕方から暗くなるその時候に聴いたので、最初に聴いた「マーダーミステリー」はとても不気味な感じがした。

 今聴くとよくわかるが、このアルバムのギターはとにかくいろんな種類のクリーントーンを曲によって使い分けている。デジタル化できない、感性・感覚によって作り込まれたクリーントーンには唸らざるを得ない。クリーントーンを操ることが、ギターの究極の音作りだと思っているので、これは大変参考になるし、到底現段階では超えられない。すごい。


 昨年の春、自分と妻は、高速道路でニュース速報に流れ新聞にも名前が載ったくらいの大事故に巻き込まれた。約一週間入院した。

 いつも車に乗るときはCDを百均のカゴに大量に積み込む。「もし事故にあったらこのCD、全部パーだなー」などと日頃考えていたが、実際になってしまった。

 なんと、高速道路で脇見により横転してしまった事故車の底部に、我々の車が時速100km超で正面衝突してしまったのだ。もちろんまわりは真っ暗で、車は底面を向けていたため、車という認識ができなかったのだ。気がついたときにはブレーキを踏むヒマもなかった。
 車は猛烈な衝撃とともにエアバッグが飛び出し、車がスピン、ガードレールにぶつかってようやく止まった。車内はめちゃくちゃだ。そして前方エンジン部からは煙がもくもくと立っている。やばいと思って逃げたが、エンジンを切り忘れていた(この時妻を置いて逃げてしまったらしく、今でも言われ続けている)。
 それに気づいてエンジンをとめに行ったのだが、そこで車の車外に一枚のCDが投げ出されていたのを見つけた。それが、このベルベッツの3枚目であった。


 実はこのCDはかけがえのない一枚である。

 妻の大学時代の友人(サークルの後輩)がいた。彼女は、シノワ初期からシノワを気に入ってくれていて、ファンジンにインタビューなんかも載せてくれた。とてもサブカルでかわいい、ステレオラブや、ファンタスティック・プラスティックマシーンや、『STUDIO VOICE』なんかが好きな女の子だった。
 その子がある日タイに旅行に行ったそうだ。帰国後、突然体調が悪くなり、原因不明のまま、そのまま亡くなってしまった。
 
 自分たちはすでに北九州に住んでいたが、たまたま関西に帰省していた時、その子のお母さんが残された彼女の年賀ハガキや手帖などを見て縁ある人に電話をされたようで、妻に連絡があった。

 自分自身がその子と会ったのは、一~二度だったが、本当に深すぎるショックを受けた。不適切な表現かもしれないが、あまりにもそういう人間像と「死」というギャップが大きいものだったからだ。
 
 後日、お母さんよりその子の遺品をもらって欲しいとの要望が妻にあり、妻が選んだきたものがこのベルベッツの三枚目だった。彼女はモーリン・タッカーが歌う「アフターアワーズ」がとても好きだったそうだ。

 我々はあれだけの事故にも関わらず、一週間程度の入院と、妻は約一ヶ月の自宅療養ですんだ。自分たちの代わりに車外に飛び出して、そして自分たちを救ってくれたのだ。

 なおちゃん、ありがとう!

LOVE SOUNDS STYLE

2005年10月11日 | サントラ・イージーリスニング
 小学生の時の土曜日、土曜日は15時30分より野球チームの練習があった。日曜日も野球の練習やら試合があるので、学校が終わって13時ころ帰宅し、練習のため家を出る15時までが、いわゆる昼間に家にいる唯一の時だったりした。
 そういう時になんとなくテレビのチャンネルを回していると、当時から見ても古い、70年代くらいのドラマの再放送があったりする。そんなドラマのバックに流れているような音楽が大変好きだった。今考えるに、ヴァイブやフルートを中心にしたイージーリスニングのようなものだと思う。

 また、店内に流れているイージーリスニングも幼いころより好きだったし、小学校の講堂であった文化鑑賞会みたいなのでマリンバコンサートがあって、そこでやったポール・モーリアなどのイージーリスニング風な曲がたまらなくよかった。だから今でもポール・モーリアは大好きなのだ。

 こういう人間に答えてくれる素晴らしき音源シリーズが、EMI、ビクター、コロンビア、BMG、ソニーの五社の共同で企画して、各社所蔵の音源をそれぞれコンパイルした『ラブ サウンズ スタイル』である。実は、このシリーズの先立ち、以前に東芝より同じタイトルのコンピが編まれている。それが当たったのかどうかはよくわからないが、こういう企画に発展しているみたいだ。ゆえに、いわゆる同じシリーズとして位置づけられているようだ。

 ただし、この先だった東芝によるコンピは「ダバダバ」系の、今風な「これは使える!」的な選曲(ピチカートの小西康陽が選曲するようなやつ)が中心であり、たぶんこれを最初に聴いていたら、後続の五枚は購入していないだろう。
 後続の五枚は、70年代、80年代ころのテレビ番組でそのまま流れていたような、前者「オサレ!雑貨屋」で流れてるような「ダバダバ」ばかりでない、素朴で純粋な、ダンとアンヌが二人で喫茶店でコーヒー飲んでるバックに流れているような、そんなイージーリスニングが聴ける。こんなのを待っていたのです。

 いやいやいやー。これは和みます。トラウマを確かめるかのような音楽群。
 
 今日はひたすらワープロうちの仕事があり、こういう時のBGMには最高である。
 これを機会に再度全編を聞き直してみたが、極端に甲乙つけられる性質の音楽ではないため、どれを購入してもそれなりに楽しめると思います。
 強いていえばEMIのやつかなー?いや、そうとも言い切れないし。どうしても知りたいといわれる方はメールをください。
 アマゾンではビクターのが一番売れてる見たいだ。たぶん11PMのテーマが入ってるからだろう。自分も小さい頃ちょっとだけ隠れて見てました。

 このシリーズは結構宣伝はしていたが、イマイチ盛り上がることなく発売から1年くらいは経ってしまいました。このシリーズのガイドブックである『LOVE SOUNDS STYLE 読本』はアマゾンで予約してまで買っちまいました。初版には限定未収録CD入りということだが、もしかしてまだ初版か?

 たまに買い物中ボーッとしてて、妻に「何で人の話を聞かへんのか」と切れられることがある。実は店内BGMを聴いているのですよ。ご理解下さい。

*ジャケ写はビクターのやつ。

Cardigans『LIFE』

2005年10月10日 | スウェーデン
 最近安く売られているCDで一番悲しくなるのがCardigansの『LIFE』である。当時はあれだけ輝いていたアルバムも今は数百円の始末。ああ無情なり、アームJOE(泉昌之)。

 このアルバムが流行ったのは、今からちょうど10年前ころだったですよね。そのころはインディーポップが全盛期で、特にブーラドリーズなどのクリエイションのバンドは本当にバブリーな時だった。あまり良くないのでも「期待の新人!」と話題になったし、そういう雰囲気にのせられ、いいような気がしてしまった。ムダなLPや7インチ、12インチもいっぱい買ってしまった。そんなのが今中古屋に溢れてます。サーマンとかブルートーンズにはほんまにだまされました。それ以降のUKロック停滞の初期症状が潜在していました。

 カーディガンズは大ブレイクするちょっと前に来日している。その時は京都公演があって、なんとその会場は京都の四条通りにあるミューズホールだったのだ(!)。今考えたらとてもレアだ。
 当時付き合っていた彼女がいて、その子がそのライブを見に行った。とてもよかったらしい。実は、自分がカーディガンズを聴き始めたのはその子の紹介だった。このアルバムはこういう甘酸っぱい一枚であり、このアルバムを聴くと必ず鴨川を思い出す。そう、京都のデートといえば鴨川なのです。

 さて、カーディガンズはこの『ライフ』より、一枚目の方が好きだという人も多い。だけど断然自分はこっち。人にどういわれようとも「カーニバル」は名曲。この『ライフ』も半年に一回は必ず聴きたくなる。聴いたら一気に聴けてしまう。

 こんな名曲が数百円で聴ける2005年は、なんと素晴らしいのでしょう。
 ちなみに、つい数ヶ月前、山口シノワのベーシスト、墓場戯太郎くん(現在は東京に在中)がこのアルバムを聴いて衝撃をうけたそうだ。やっぱり普遍的なのです。

 つうか、今アマゾンで調べたらなんと2001年リリース盤はボーナストラックが5曲も入っている!知らなかったぞ。さっそく数百円でさがそう。
 ひそかにデラックスエディションの発売を夢見てもいます。

今カーディガンズはどうなってるんだろうと思って調べたら、案の定、活動は休止していました。