きぼう屋

生きているから生きている

キリストへの解放

2008年05月21日 | 教会のこと
昨日昼に
教会のKさんが召されました
92歳
老衰でした

わたしは福岡にいたのですが
召される時が近づいているということを心に留めつつも
その報を電話で聞いたとき
しばし呆然とするしかありませんでした

福岡の会議を途中で抜けてしまうのは申し訳なかったのですが
情熱あふれた仲間たちが
深くさらに深く議論してくれるのはわかっているので
そこは安心して

さらに
Kさんとキリストが共にいるという安心を与えてくれ
と祈りつつ

京都に帰りました

新幹線をはじめすべての交通機関が
待ち時間なしという偶然を頂き最短で帰って来れました

それから5分くらいたって
Kさんのご遺体が教会に到着

顔を合わせることが出来たとき
安心している自分を発見しました

主よ
永遠に伴いたまえ


当教会はKさんがいなければ今頃つぶれていただろうと思います
おおげさではなくて
そうだっただろうと思います

それくらい
教会の交わりのために全人生をかけてくださいました

それも交わりに!!

当教会は
交わりがない時期がとても長く続いてきた歴史を持っています

お付き合いはあっても
交わりはありませんでした

教会の残されているあらゆる資料を見ても
お付き合いがあったことがわかるものは発見できても
交わりを問い求める資料に出会ったことはありません

残されているメッセージも
「ありのままの存在でいい」
というメッセージはあっても
「隣人性」
「共に」
「罪とその赦し」
というメッセージは発見できませんでした

コミュニケーションがしっかりとられた資料もなく
だから
コミュニティーが成立したという資料も発見できず

罪は
隣人との出会いにより認識されますから
それがないなら
罪とその赦しも語られないのだなあ
と考えているところでもあります

そんな中で

Kさんはしつこいくらいに
教会メンバーの交流
という言葉を発していました

役員会である執事が
「かつて交わりが深く活気があった」
という発言があった翌日

「ほんの一部の人で全部準備して
 なんとか交流しようとしたけど
 たいしたもんではなかった」

と訂正するあたり

Kさんは
深い意味での交わりを求めていたことがわかります
またその交わりをつくるために尽力されました

しかし

共に情熱をもって動く人がいないとき
人は疲れ
人格的な全体として疲れ

思いもよらぬ言動が起こったりします

Kさんもそういうことがありました

しかし
それはKさんの問題ではなく

いわば
人格的全体の問題として不健康であった
教会の交わり、教会の体
の問題でしかないだろうと
考えています


Kさんはわたしの赴任当時よく言いました

最低80人の教会
教会員が交流する教会
暴力のない教会(つまりあったわけなのだと思います)

そして前提としてこういうことも
より何度も言っていました

教会員が礼拝と祈祷会を大切にするように
献金を大切にするように

役員会で
礼拝出席と献金について厳しく言うよう
わたしに何度も言ってくれまして
わたしも何度も言いました

でも
Kさんはそのときに
自分がそういうことを課題にしているというそぶりは
まったく見せませんでした

それはKさんの
愛に基づくしたたかさ!
だったのだろうと
今はわかります

それをKさんが言うと
教会がもたなくなるとわかっていたのだろうと思います

だから
私がそいうことを課題としたとき
相当に教会はゆれましたし・・・


もし
ということを言っていいなら
ふたつほど考えてしまいます

わたしが赴任したときは
Kさんはすでに82歳でした



もし60歳くらいのKさんと一緒に教会形成ができたら
すごいことになっていたかも
と思います

あと

今の京都教会を
ぜひ味わってもらいたかった
と思います


告別式のメッセージは

解放!!

一本でいきます!!


祈りつつ