きぼう屋

生きているから生きている

自分を愛するように

2008年10月05日 | 教会のこと
今週の教会週報巻頭言です。


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「自分を愛するように」

大阪のビデオ店火災で、15名が亡くなりました。
このビデオ店は、安く寝泊りができるということで、
実質的には、宿泊所だったようです。

昨今、ネットカフェ難民という言葉が生まれましたが、
ビデオ店で寝泊りする難民、
つまりホームレス、ないしその予備軍も確実にいます。

今回の死者の中に、
ホームレス、あるいはホームレス予備軍と呼ばれる方々が必ずいたことは、
支援活動経験からわかります。

30年前には、
貧困地域の家屋と街は
火事が起こったら、消防車が入ることができず、大惨事になる
という問題を、
京都でも大きなテーマとしていたようですが、

今でも、貧困に苦しむ者は、
あのアメリカのハリケーン「カトリーナ」が、
貧困地域の人々を飲み込んだことからも分かるように、
災害に遭う可能性が極端に高いのです。

まずは、その事実を噛み締めつつ、
主イエスがそういう場所にこそ、
先立って行かれていることを、
聖書から素直に頂きたく願います。

さて、もうひとつ分かち合いたいことは、
今回の火災は、放火によるもの、
それも、自分を殺すための放火によるものであった
ということです。

ある男性が、自らのかかえる困窮で自暴自棄となり、
火をつけたものの、自分は怖くなり逃げて、
身代わりに15名が亡くなった
と言うこともできる火災でした。

わたしはここに、
現在の地球全体を覆う人間の本性を見ます。

それは、
本当は自分を殺したいくらい、
自分自身の困窮が深いけれども、
そこで自分の代わりに、
まさに身代わりに
他者を殺すという本性です。

記憶に新しい秋葉原の事件もそうですし、
家族内などの身近なところで起こる暴力的行為(言動や感情も含む)もそうなのだと思います。

戦争もそうかもしれません。
破綻が見えている国が、
自暴自棄になって、他国を破綻させるというところで、
「身代わり」を求めているのかも知れません。

人間はその本性として
無意識にも「身代わり」を求めるのではないでしょうか。

さて、ここでキリスト教会の交わりは、
あの有名な主イエスの言葉を分かち合わねばなりません。
それは「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」という
決定的に大切な言葉です。

私たちは、
自分を嫌うときは、その代わり他者を嫌い、
自分を殺したいときは、代わりに他者を殺してしまいます。

また自分を演技する人は、他者との関係も演技(せいぜいお付き合い)となることでしょう。

しかし、自分を愛することがゆるされるならば、
実は、自分を愛するということにはならず、
自分を愛する代わりに、他者を愛するのだろうと思います。
しかも
それは具体的な行動になると思います。

つまり、
自分を愛するということは、
他者を愛するという行動としてしか見えないわけです。

だから、主イエスの言う「自分を愛する」は、
自己愛(ナルシズム)とは正反対なわけです

そして、私たちが自分を愛することがゆるされるのは、
ただただ、
私たちの身代わりとして、
あらゆる罪と困窮を引き受けた主イエスが、
逆に、
主イエスの身代わりとして
私たちが愛することができる!ようにしてくれた!
という
奇跡の事件があるゆえです。

主イエスにより、自分を愛することをゆるされ、
ゆえに
もはや必然的に他者を愛する者と、
これからも共にされたく、願い祈ります。