Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

厭世な顔

2011-07-26 11:50:40 | その他
地デジ難民の一人になってしまった。日向へ移住してからTVを見る
生活がなくなってしまった。もともと山の壁に電波がぶつかって写り
が悪い地域でアンテナが長い経路を辿ってきているが、どこかで断線
している。これを治そうと思っているうちに月日が経ってしまった。
数10万人に及ぶ地デジ難民と称されるうちの一人になったようだが、
これまでの数年となにも変わったことはないと実感する切り替えの
翌朝である。世の激変も何処吹く風、歯を磨き、顔を洗い、珈琲をす
すって、便意を催すという日常生活も乱れることはないようだ。

パソコンと新聞があればこと足りると思って寝床でも精読する癖がつ
いた。訃報記事に目がつくのも自分がそのような年齢になったせいか
?ついつい俳優・原田芳雄を偲ぶ若松孝二監督の思い出話などを丹念に読んでしまう。
少し前は立川の柴崎町で投身した音楽評論家の中村とうようさんの
訃報も知る。自分もひとかどの音楽文化青年だった時もあって、彼が
編集長をしていた「ミュージックマガジン」などを、愛読する時代が
あった。世間のカルチャーとの共時性でみると、ジャズ雑誌が一番、
無思想でノンポリっぽく、とうようさんが主宰していたかの雑誌は
諸分野の時代的活性を上手く編集に反映していたようだ。
自分が最初にオフィスを構えたのが、渋谷・桜丘町の一角である。
駅の南口からJTBビルの前を代官山方向に進む急坂がある。
これに喘ぐ寸前あたりに広東料理で名高い「南国酒家」があってこの
裏手に親和ビルがあった。

この古いビルに「ミュージックマガジン社」があることを知ったのは
しばらくしてからだ。新聞などで知る中村とうようさんの顔を拝見し
たのは、ビル内ではなく246のJRガード下にある狭小極まりない
「とんかつ三裕」の店内で二回だけあった。
ホワイトキャッスルという油の缶を山積みする小汚い「三裕」は食味
の不毛地帯渋谷を救ってくれる隠れた名店だった。
とうようさんの人相を二度眺めて刷り込まれた印象が「厭世」である。
美味いロースかつ定食を食べていても、頬が緩むこともない。
目はユダヤ人のような眼光、心の妥協を許さない人物だと思った。
その後、ミュージックマガジン社は神田へ移転、自分も麻布十番等を
変転してから渋谷へ戻ったせいか、「三裕」で顔を会わせることもなくなった。
というより数年後休みがちになった「三裕」は店をたたんでしまった。
新聞の訃報記事を読んで真っ先に浮かんだのが、トンカツ屋においても締まった顔が崩れない中村とうようさんの容貌だった。