Rainy or Shiny 横濱ラジオ亭日乗

モダンジャズ、ボーカルを流しています。営業日水木金土祝の13時〜19時
横浜市中区麦田町1-5

川越ぶらり

2012-04-01 18:28:52 | 旅行
この四月からダブルワークを始めることになってしまった。これを機に土日も仕事で埋ってしまうこともあるから、どこか散歩でもしておきたい気分になって急遽、埼玉にある「小江戸」川越まで友人と連れ立って散歩をきめこむことにした。

生憎、金曜日から吹き荒れている春の南西風は土曜日には勢いを増して関東の平野部まで到達すると猛烈な砂塵を巻き上げている。所沢から川越へ通じる県道から見える雑木林は畑で巻き上がった黄色い砂塵で遠くの景色が遮られてしまうほどで、満開を迎えたばかりの道端に咲く辛夷の梢が傾ぐ様子が哀れだ。

川越の町へ着く頃はどんよりとした曇り空で今にも雨が降り始めそうな気配になっている。
川越といえば10月の秋祭りが賑やかで有名だが、春の祭りもあるらしい。ちょうど散歩を始めたメインストリートの「蔵の街」付近では春祭りのイベントに遭遇する。火縄銃を抱えた旧川越藩士の装束を纏った現代の武将達が実際に火縄銃の砲撃演技を見せている。
一斉に発射する銃撃音はズドン!と腹に響いて沿道に集まった観衆を沸かしている。
川越の中心ともいうべき「蔵の街」付近には昔ながらの酒屋、乾物、刃物屋、和菓子屋、木工細工屋の類が並んでいる。それぞれ工夫を利かせた店舗イメージを演出していて現代生活と折り合いをつけようと努力している様子が伺えて楽しい。

連れ立った友人は一角に並ぶ骨董屋で昭和初期くらいの染付草花模様の手塩皿と枇杷色をした円錐形の萩焼の一輪挿しを買う。どちらも数百円と安いが、品格を感じさせるよい買い物だと思った。少し外れにある芋菓子の老舗「芋十」ではアレンジ芋菓子の隙間に様々な骨董品が調度されていてこのなかには、益子あたりのとても存在感がある古いすり鉢があって目を引くがどうも非売品の様子で気になっている。
街をしばらく見学しているうちに風も雨も強まってきて、雨宿りを強いられることになってしまった。見学の前に腹ごしらえした川越名物と称している「太麺焼きそば」の店が外れだったから、休憩のコーヒー店は外すわけにはいけない。行きがけの沿道にあった一軒家風のカフェが気になっていた。名前を「mono moon cafe」という。このお店は
当りだった。カフェの灯り、テーブル、椅子、焙煎コーヒー、器具、どれも拘っているだけに俄か仕立てのレトロ風情のお店とは一味違ったその居心地に満足する。


益子的

2011-08-22 13:25:51 | 旅行
いちばん手前の唐辛子が顔をだしている茶色のお猪口が愛知県の常滑焼。猪飼真吾作の真焼という常滑独自スタイルになる細かい窯変の塵模様のような即興的肌合いに見所がある。背後の大ぶりな湯呑茶碗の3点は、購入した時が数年ごとにずれた自分で「益子的」と評しているお気に入りのふだん使いだ。

左のグレーに化粧掛けした茶碗は山口陶器店で昔買ったもの。絵柄がなく素地に潜んでいる無骨な土の粗さ、腰の張った高台への稜線は益子の風土が育てた気脈を感じる。このようなさりげない力量を醸す陶器が1000円台で売っていないことと、探し出すことが至難になってしまったのも益子の退廃と退嬰があるのかもしれない。真ん中は灰釉の肌にざっくりとした鉄絵をラフに流し掛けた湯呑、これは「つかもと」の一般販売品で見つけたなかなかの逸品だと思う。

右も数年前に「つかもと」で見つけた黄瀬戸風に薄く化粧した粗い地肌へ一筆で鉄絵を刷きおろしした模様が気にいったもの。こちらは外貌の風流に反してでこぼこの地肌が、異物感を与えて使用感はよくない。どちらも煎茶用に使っている。柿釉という茶色を彩色した伝統益子作品も最近の一般品で風流や格調に富んだ無名の良品に出会うことは、稀になってしまった。

酷暑の益子旅で生活に彩りを添えるスタンダードな陶器類に5割の視線を注ぐ!後の5割は青空に行き交うオニヤンマ、揚羽蝶、睡蓮鉢を泳ぐメダカ、これらの小さな生物の祝祭と町を覆う溢れかえる緑を吸い込めば、益子行きの目的はそれなりに達成されてしまうことに気がついた。

益子の夏 

2011-08-19 17:32:22 | 旅行
ここ2年半ほど訪問していなかった間に益子も茨城沖や東北大震災による数回の地震被害にあったと噂を耳にしていた。その被害は想像できないけど散乱した陶器類の片付けに苦労している人々の苦慮が想像できた。クルマを走らせて内陸の益子へ至る茂木や那珂市の町並みは何事もなかったように、延々と続く広大な田圃にだいぶ育った稲穂をそよがせていていつもと変わることのない夏景色である。しかし目を家々の屋根に転じてみれば、そこかしこに崩れ落ちた屋根瓦の修復風景が半年近くたった今でも見えていて、益子町へ入っても事情は同じようだ。

旧盆明けのシーズンオフのせいか益子の町並みは閑散とした空気で、観光バスも共販センター内で見かけることはなく生活雑器のような陶器でもゆっくりと物色できる利点が大きい。盆地で暑いと云われる益子だが、背後の低山の溢れる緑は蒸し暑さを鎮めてくれる。日陰に入って時折汗の肌を通過する微風の冷却効果は抜群である。掛け流しの釉薬が垂れる大きな甕や睡蓮鉢の道端に転がる風景は遠路を益子までやってきたという旅情を高めてくれる。「つかもと作家館」を細かく見学すると益子を知らしめた大家の作品も中堅、新進陶芸家の作品が網羅されていて、益子の現況をしることができる。

今回のお目当ては作家館、益子陶芸メッセの各展示館、益子参考館などを軸に、一般陶器販売店を見学することだ。臨時休館の参考館は見学できなかったが、他は益子らしさを満喫できた。かっての大家の凄さをあらためて実感、中堅クラスの低迷、新進のクラフト志向と幼稚志向(カジュアル化)への二極分裂、トータルの印象は益子の相対的低迷である。これは多分、日本の陶器を売っているどこの町でも同じことだと思っている。
一般店に溢れかえる駄もの陶器から益子の片鱗をうかがわせる愛すべきDNAを感じた何品かを買ってみた。鉄絵の縦縞湯呑、糠釉の片口、シンプルな円模様が大胆な小皿、灰釉の土瓶、次回はこれを紹介したい。

鰻釣りの話

2011-07-13 07:20:04 | 旅行
小田原・厚木道路に大磯の出入り口があってここまでが自宅
から30分、そこから箱根の湯本付近まで20分くらいで到着す
る。先週は強羅付近の紫陽花も高地のせいかまだ花がもって
いることを予想して出かけた。大平台付近のヘアピンカーブ
の崖には自生するヤマユリが綻びかけている。紫陽花は登山
電車の線路沿いでこんもりと量感豊かに箱根路の空に溶けこ
んでいる。

帰りに旧東海道の細い道を入った「箱根の湯」という地味め
な日帰り温泉に入ってみた。さらに奥にはメジャーな賑わい
のある「天山」もあるが、あちらは資本主義の先端が見え隠れ
するが、こちらは零落する前の在りあわせをこじんまりと纏め
あげた旧箱根的感覚が馴染みやすい。
温泉を浴びて大広間みたいな休憩室でゴロンとしていた時に
面白い会話が横から流れてきた。地元の常連老人同士の会話
で、どうやら早川や須雲川の鰻採りのことだ。

細めな竹の先に研いだ釘などを差し込んでそこにミミズをつけ
るような基本は昔読んだ川魚釣りの解説で記憶もある。
片方のベテランが実際の見本を持って手振りを交えながら解説
するものだから、ついつい盗み見をしてしまう。
こちらが釘でよいと思っていた針先は布団などを縫う針を使う
らしい。この針が糸で遊動する時に水中の石穴で捕食した鰻が
暴れて仕掛けが何処へ行ったのか分らなくなる。その目印には
光るものがよいらしく、昔の地下足袋などを留めるコハゼがい
いらしい。ミミズなどの餌に替わって小鮎が鰻の餌になるのも
初耳の話だ。そういえば昔、逗子海岸に田越川があってその河
口で投げ釣りをしていたら、小鰻がかかったことがある。
鰻はとてもタフでアルミのバケツに二週間放置しても死なない。
そこで早川へ渓流釣りに出かける折に、湯本よりも下流な風祭
付近で放流してやったことがある。
その鰻もこうした地元の昔遊びを知っている老人の腹にでも、
納まっていることを想像しながら、ごろ寝の一時間があっとい
うまに過ぎてしまった。



囲炉裏の火

2011-02-17 19:27:44 | 旅行
昨日は四人組で静岡と身延の境にある山あいの温泉に遊ぶ。
駿河路を清水から安倍川に沿って遡ること45キロという僻地である。
梅が島温泉という古くからの湯治場では、後発組の「くさぎ里」が目的の宿。
宿の周りは積もった雪がまだ溶けずじまい。
「島」という名前は孤絶した場所の集落地帯を指す言葉に由来する。
ちょうど雪後の宿は閑散として我々だけの貸切状態になる。
過酸化水素の単純泉は塩素循環させないかけ流しのせいか、低めな温度でねっとりとした触感、気ぜわしい性分な自分が珍しくも長風呂してしまった。

期待の食事はなかなかの山家風料理だ。
囲炉裏を囲むにふさわしい素晴らしい山里のお袋風献立を味わうことになった。
「山女の囲炉裏焼き」「イノシシ鍋」「鹿の刺身」「山菜天麩羅」「どんこと八頭芋の網焼き」「木灰自家製こんにゃくの田楽」「のびる」や「タラの芽」などちょっとした副菜がこれまた贅沢!
主人の温泉郷再生へのポジティブな熱弁がやや鬱陶しい長口舌ながら、伝統食の上品をたっぷりと味わう二月の山峡らしい宵を迎えた。

一日目の由比から眺望する富士山は裾野の美しい稜線も絶景!
二日目は雲に覆われその姿を見ることができなかった。