外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南 & 北京

~旧タイトル:日本語教師LIFE~

3回もある誕生日?

2012年04月30日 | 日記
4月30日(月) 曇りのち晴れ

3連休の2日目は朝は曇ったものの昼から少し日が差す穏やかな空になりました。
外出にはとても良さそうな天気なのですが、運動会の後遺症が少々残っており部屋でゆっくり
しておりました。

明日は5月1日。
中国式に農暦(以下旧暦)で誕生日を祝うなら、明日は私の誕生日になります。
今まで旧暦で誕生日を祝うことの意味がよく分からなかったのですが、要は生まれた日が
旧暦ではいつなのか、というだけの話なのですね。
旧暦を計算できるサイトがいくつかあるのですが、少しご紹介いたします。
旧暦計算
旧暦カレンダー 日本版
旧暦カレンダー 中国版
私の誕生日は西暦で5月の下旬なのですが、このサイトで計算すると当時の旧暦4月11日に
あたることが分かりました。つまり中国では明日が旧暦の4月11日にあたり私の誕生日。
さらに中国の旧暦では今年は4月が2回訪れるのです。
カレンダーに詳しい方なら察しがつくと思われるのですが、今年は閏年。
西暦ですと2月に29日が1日追加されるだけですが、旧暦では月そのものが追加されます。
中国の旧暦カレンダーでは5月21日が【閏四月】として2度目の四月が始まります。
その為私は5月末日に二度目の旧暦誕生日を迎えることになります。

四月が二度というのはこれも中国特有のカレンダーのようで日本で使用される旧暦カレンダー
では閏年に繰り返されるのは三月のようです。これも不思議な巡り合わせですね。

中国では誕生日を祝うのは旧暦ですが、身分証など公的な書類には西暦の日付を記載しており
少々混同してしまうことも。よくあるのがQQに記載してある誕生日の日に祝福の言葉を
送ると相手がポカンとしているというもの。
誕生日を西暦で設定している学生はいいのですが、旧暦で記載していたりするとこちらは
西暦だと思って祝福しているが旧暦の日付はまだ訪れていないということなのです。
例えば
旧暦1月1日、つまり春節が誕生日だったとします。
本人は旧暦の誕生日をQQに記載したものの、私は西暦だと思ってしまい元旦にお祝いの言葉
を述べたのですが、例年の春節はだいたい2月上旬。本人にはまるで誕生日の気分など無い
といった状況です。

つい数ヶ月ほど前に周が「今日は特別な日なのでラーメンを食べたい」というので
『ひょっとして誕生日』と尋ねたらそうでした。こちらでは誕生日には【長寿麺】といって
ラーメンを食べる習慣があるのです。
その数日前にQQで西暦の日の誕生日のお祝いを贈ったような気がしたのですね・・・。

日本では現在旧暦は使いません。誕生日は公暦(以下西暦)で祝います、と宣言しています
ので一昨年も昨年も例年通りの日にお祝いの言葉を頂いていますが、3度の誕生日を経験
できる環境にいますので発表してみたいと思っています。
子供の遊びみたいですが、理論的には正しいので悪ふざけにはならないと思いますね。。
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あまり嬉しくない観光

2012年04月29日 | 日記
4月29日(日) 雨のち曇り

運動会が終わり黄金週(GW)の本格スタート、学校の中はとても静かです。

昨日方先生から濰坊市内にある観光名所(?)に誘われました。
正直なところ二人で出かける気にはなれなかったのですが、学生が一緒だと言うのでOK
しましたら昨夜になって学生が皆帰省中かアルバイトなので同期入社の女性教師を連れて
くると。
それで今朝校門で待ち合わせしましたら、その女性教師が急な用事で来れなくなったと。
どうやったら昨夜OKで翌朝NGなのか、話そのものが嘘っぽく聞こえてしまいました。
どうにもご主人は仕事で毎日忙しい。お子さんは7ヶ月になるもご主人の母親が付きっ切りで
面倒を見ており方先生は家に居辛いようです。
嫁姑問題か・・・。可哀相だとは思いますが、その現実逃避のために使われてもね・・。

行った場所はバスで30分ほど南に行った所。【坊茨小鎮】という名前。
戦時中にドイツ軍及び日本軍が居所を構えたところだそうです。
1ヶ月前の清明節の休み中に雪を初め2年生の数名が訪れ、私も勧められてはいたのですね。
雪が案内してくれるということだったので学生数名と行こうかと考えていたのですが、まさか
方先生に誘われるとは・・・。同僚とはいえ独身男性と二人で出かけるのはどうなんでしょ?

現地は私の心を映すかのような霧雨が降っていました。

市内からは離れており少々寂れた町。霧雨がその状況をさらに色濃く映していました。
ただ、その観光地だけはちょっと違った雰囲気でしたね。


1989年とありましたから既に120年以上も経つわけですが、当時であればかなり豪華だった
だろうと思われる建物が並んでおりました。メインの建物は美術館として使用されており
どちらかというと現代美術の絵や彫刻が飾られていましたね。

あとは外国の酒が飲めるバーがありました。
さすがに輸入物で高いので手は出ませんでしたが。

1時間ほど眺めて外に食事へ。
地元の特産という「餅」(単なる小麦粉生地ですが・・)を10個も買うので余程好きなのだ
と思っていましたら、食堂で2人で1つずつ食べて後は土産にと手渡されました。

食堂でも2人なのに4つの料理を注文し持ち帰りを勧められました。

さすがに丁重にお断りしましたが、料理を1つと餅は半分持たされました。
この豪快さがなかなかお痩せにならない原因なのでは、と考えさせられましたね。

帰りはちょっと買い物をしたいからとバスの中から先生を見送り、ジャスコへ。
解放感のあとは急激な睡魔に襲われました。。。
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2年前の再現、200m

2012年04月28日 | 日記
4月28日(土) 晴れ

昨日の100メートル走の影響で腰のちょっと下あたり、尾骶骨とでも言うのでしょうか
腰と股関節の間のあたりですね、そこに痛みがあり朝の運動はお休みにしました。
腰痛と同じように椅子に座ったり立ったりが難しい状況です。
200メートル不参加を伝えて正解だったと思いながら、朝食も軽く済ませ2日目開始時間
まで休んでおりました。

今日は方先生が200mに参加されることを聞いており、その応援にとグラウンドへ。
同じく応援に駆けつけた学生達も。

学生は誰一人出場しないのに教師が頑張っているのですよね・・・。
強制参加させられる1年生という存在が今年はいないのがその原因ですが。。

選手の集合時間が近づき、学生を二手に分けました。
私と芳はスタート地点へ。他の学生はゴール地点へ。それぞれで写真を撮るためですが、
スタート地点から少し前方で待機していた私に方先生が近づいてきたのです。

「先生、3人走れます!」
なんのことやら・・。人数が足りないとしても私は男性ですから女性の組に入る訳には・・
「先生、3人で走れますから優勝できますよ!」
そこでやっと事態が理解できました。開始間近の男性教職員200mの出場者がいなくなり
1人だけなのだとか。昨日プログラムを見たときは私を含めて7人近くいたのが、あくまでも
名前を入れただけなのでしょうね。100mと200mではきつさが違う。
「先生、商品を貰えますから走りましょう」と強引な誘い。
参加人数に関係なく上位三位までは商品が貰えるのです。

びっこを引いている上に、左膝の痛みも出てきて走れる状態ではなかったのですが、これが
本能とでも言うのでしょうか、意に反してジャケットとカメラを傍にいた芳に預けました。

スタートラインに並んだのは合計三人。どうやら格好がつかないので審判員が一人強引に
並ばされたようです。かわいそうに・・・。

スタートして横のレーンにいた若い職員があっという間に私の横を駆け抜けて行きました。
速い速い、あっという間に見えなくなりました。
私はというと、やはり尾骶骨が痛いのでまともには走れません。
ゆっくりと痛まないように走る方法を模索しながらコーナーを曲がりました。
コーナーを曲がりきって半分のところで既にあの速い走者はゴール。速い速い。
少し痛みが和らいだというか感じなくなったのでちょっとだけペースを上げ『加油』と声を
かけてくれる観客の学生たちに右手を上げて応えました。外国人パフォーマンスですね。

私を含め三人いたはずなのですが、もう一人の気配を感じなかったので、ひょっとして
2人だけになったかと心配したのですが、ゴールして振り返りましたらこれまた漸く直線
を向いたところでした。可哀相に私よりも状態が悪いようで走ることができない方でした。
無理してそんな人を走らせなくてもね・・・。

ゴールでは方先生のゴールを待っていた学生がいて鳩が豆鉄砲を喰らったばかりに驚いて
「先生が何故走ってきたの?」と。
飛び入り参加させられた、と説明する間もなく芳が「方先生達の番です」と呼びに来たので
またスタート地点へ。

スタートした後、私はフィールド内を横切って直線で再度シャッターを切りました。

女性教職員の200mは出場者が4人。方先生は残念ながら4位。賞品はないのですが
何が賞品になるのかは想像がついていたので私の賞品を譲りました。

2年前と同じものだったので毎年変わらないのでしょう。私がバスマットに使っている
長方形のタオルのようなもの。こちらでは枕カバーに使っているようです。

もうこのグラウンドで競争に出ることはないと思った翌日にまた参加することになるとは。
方先生は少しダイエットをして来年は違う競技に参加すると張り切っていました。
来年それが現実になるのかどうか、私達の力では如何ともできない残念なニュースが先日
舞い込んできたのです。
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100メートル

2012年04月27日 | 日記
4月27日(金) 晴れ

運動会には最高の天気となりました。最高気温が28度と予報されていたのですが、さほど
暑くならなかったですね。

さて、私が出場する種目ですが、誰がプログラムを持っているか分からず、数人の先生に
電話でメールで確認しました。いつもながらに思うのが、開催予定くらいどこかに貼って
おけと。

雪と芳が観戦に来ており、その近くに張先生が走り幅跳びの審判員として働いていたので
プログラムを拝見できました。

おかげで時間を確認できたものの、これがなければ両日のどちらに行われるのかさえ
分からないというアホらしさ。
とりあえず私の100mは今日午前中、200mは明日の午前中であることが分かりました。
100mの集合時間は10時半。一度部屋に戻ったのですが、9時過ぎに杜先生から
開始時間と集合時間のお知らせがありました。杜先生は奥さんの実家に向かう途中で連絡を
してくれたものです。ありがたいのですが、時既に遅しでしたね。

時間が近づき、執行部の勧めでシューズを履き替えました。
私は普通のランニングシューズを履いていたのですが、学校側でかなり軽量なスパイク付の
シューズを用意していたのですね。トラックには良さそうなのでそれを履いて臨んだのですが
後で少し後悔しました。

参加人数は1組と2組ありそれぞれ4名ほどだったのですが、実際は1組に纏められて実施。
顔ぶれを見て顔見知りは一人もいなかったのですが、どう見ても30代半ば以上がいない。
『差をつけられるかも・・』

スタートした後、途中まではついて行ったのですが、あともうひと伸び欲しいところで全く
足が動かなかったですね。年齢には勝てないか?
私の履いているシューズはエアクッションがついているタイプで弾力性があるのですが、
借りたシューズはかなり軽量化されているのでカンフーシューズに金具がついているような
感覚なのです。足に筋肉がついていない者にはあまりいいシューズとはいえなかったですね。

一緒に走ったメンバーがそのまま明日の200mに出場するため、勝ち目はないと明日の
不参加をお世話してくださった先生に伝えました。

思えば2年前200mに飛び入り参加して杜先生に勝ってしまい、杜先生が運動会に出場
しなくなった原因を作った私ですが、あの頃はここ濰坊に来て食事に慣れず少し痩せた後。
今やあの頃に比べると確実に5kg以上重い。走る云々の前に体が重いですね。
もうこのグラウンドで挑戦することはないと思いますが、せめて体を中国に来る前の体重に
戻したいものです。
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運動会前夜

2012年04月26日 | 日記
4月26日(木) 晴れ

昨日の雨の影響か少し涼しい朝でした。
運動会の練習が終わったのか、学生数が疎らで非常に静かな・・と思いきや、毎年この時期に
企業研修が行われており、今年の会社はなんだか纏まりがよく列を成してジョギングして
いますね。しかも軍事訓練の号令をかけながら。

昨日久しぶりに杜先生が部屋にいらっしゃいまして運動会の私の参加プログラムが変更に
なった旨を伝えてくださいました。
当初は4×100mリレーの予定だったのが、100m走と200m走になったそうです。
元々そっちが希望だったのでいい変更でした。

リレーというのは嫌いではないのですが、知らない人といきなり組むのは怖いですからね。
昨年までのリレーを見ていて不思議に思っていたこと、これはこの団体だけの特徴かも
しれないのですが、バトンを渡された手に持ったまま走り続けるのですね。

私たちが習ったリレーのバトンの受け渡しは左手から右手へ。
バトンを受けた走者は右手から左手に持ち替え、次の走者の右手へ渡す。
こうすれば併走しながらバトンが渡せる上に他チームも同じならぶつかる心配が少ない。

これが普通だと思っていたので、右手でバトンを受けた走者がそのまま右手に持ち続けたまま
走っていくのを不思議に思っていたのですね。渡せないことはないのですが、体勢が厳しく
ないか・・。

これを杜先生に話しましたら、やはり違和感を感じたようですが、あまり運動をされない方
なのでそれ以上深く尋ねることは出来ませんでした。

私の参加種目が変更になったことは学生にも伝わったようで、帰省しない学生は応援に来ると
申し出てくれました。
私が参加する100mと200mは40歳未満の教職員向けの種目ですので、間違っても
1位になることはないと思っていますが、ビリになったとしても頑張って走る姿は見せたい
と思っています。
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連休開始

2012年04月25日 | 日記
4月25日(水) 雨のち晴れ

昨夜から音を立てて降っていた雨は今朝になっても降り続き朝の運動は久しぶりに中止。
研修派遣の会社の授業に行く日ですが、先週から時間割が変更になり30分ほど遅くなった為
ちょうどいい、と二度寝しました。

出かける頃には雨は上がり、湿気があってちょうど良い気候となりました。
明後日から最高気温が30度近くまで上がる予報、今がちょうど最高の時季かもしれません。

昨日は雨を心配してバス通学に切り替えたのですが、今日の天気と街並みを見ていると
自転車を動かしたくなりましたね。風も少なくて最高のツーリング日和ですね。

金土は運動会ですからおそらく校内にいるのですが、実質明日から1日まで休みなので、
天候を見て何の目的も無い単なる走りのツーリングに出ようかと考えています。
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運動会間近

2012年04月24日 | 日記
4月24日(火) 曇り時々雨

先週から始めた濰坊学院への自転車通学ですが、今日は朝から曇っており雨の予報があった為
バスにしました。
濰坊学院は今週木曜日から土曜日までの3日間が運動会、それから来週火曜日までメーデーの
休みに入るため私の授業は暫くお休みになります。

私の学校は金土が運動会で私も1種目参加予定ですが、まだプログラムが分からない状態。
たぶん、例年通り当日の朝にプログラムが配布されるのでしょう。
仕方がないので金曜日の日本語学校の授業をお休みにしてもらいました。

濰坊学院のクラスメートの中では韓国人教師が4種目に参加するという話でした。
しかも驚いたことに濰坊学院では決勝に残った8選手に賞金が出るのだとか。
1位が500元近く、8位の50元まで段階的に賞金があるのだそうで。参加のモチベーションが
上がりますね。もちろん、大きな学校ですから参加人数も多いのでしょうが、その韓国人教師
は昨年数百元手に入れたそうです。
うちの学校といえば、上位3位までに簡単な商品が出る程度。教職員に至っては参加人数も
少ないので決勝なんてものがないのですけどね。

小さい学校ながら一昨年夏は庭の整備、昨年は新校舎の建築とお金が有り余っているよう
なので賞金に回して少しでも運動へ目を向けさせてもいいと思うのですけどね。
そうすれば教職員の奥さんが目の色を変えて旦那を鍛えると思うのですが・・・。

こちらではどんな綺麗な厳粛な格言を謳ったところで、金がなければ誰も動きませんからね。
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風筝節

2012年04月23日 | 日記
4月23日(月) 晴れ

昨日は8時半にはベッドに入り、途中起きたもののいつもの時間まで寝ておりました。
かなり疲れていたようです。

濰坊で最大の祭典、【風筝節】日本語で言う凧揚げのことですが、今年が第29回。
昨年2人の学生と初めて訪れてその一人が雪だったのですが、楽しかった話が伝わったのか
今年はこの学校に回ってきたらしいボランティアに日本語科からも6名ほどが参加、そして
その他5人と聴講生とが私と一緒に会場へと向かいました。

昨年はたけしが通訳スタッフとして運営に参加しておりながら一般のスタッフになり、当日に
は改めて通訳ではないながらも日本代表団のお世話をしているという中国ならではの
いい加減な状態の中、代表団の一人と偽って私と学生をメイン会場側に入れてくれたのですが
今年は警備が厳しく外国人と言えど証明書が無ければ中に入れない状況でした。

仕方が無いので、比較的警備が薄いと思われたメインの反対側に回り、そこで動いていた
うちの学生ボランティアを見つけて中に入りました。何とかなるものです。

ボランティアの学生に連れられて日本代表団のいらっしゃるテントまで行き、ご挨拶。
昨年は東京の方々のみだったのですが、今年は富山からの方々もいらっしゃいました。
とても優しいご年配の方がいらっしゃり学生もかなり慕っておりました。

昨年は代表の方からお借りした法被を着て日本をアピールし次々に写真撮影に応じていたの
ですが、今年はまず代表団の方とうちの学生との撮影の手伝いをし、次々にやってくる
観光客の相手などをしておりました。
しかし、時間が経つにつれ代表団の方も凧揚げにと会場に出られると、昨年同様法被をお借り
することになり、写真撮影に応じました。

『Welcome to Japanese booth』『歓迎来到日本』『ようこそ日本へ』を繰り返し
遠巻きにカメラを向けているレンズに笑顔を向けたり、近づいてくる客と一緒に撮影。
中にはうちの学校のアメリカ人教師や濰坊学院の中国語クラスのクラスメートも来たりして。
私の姿に驚いていましたね。

うちの学生にも法被を着させたらとても喜んでおりました。
一人一人撮影しましたので、後で現像して配る予定です。
データで残る便利な世の中ですが、形になるのは特別に嬉しいものですからね。

昼を過ぎた頃に代表団の方が、余ったらしい支給の弁当を私に用意してくださったのですが
私がつれてきた学生達は食事の用意が無かったので丁重にお断りしました。
これだけの大きな祭典で食べ物屋がないというのも不思議ですが、出店を許してしまうと
会場がゴミだらけになるのは明白ですし、衛生管理が無茶苦茶というか管理という言葉さえ
無いような露店が多いので、仕方の無いことなのでしょうね。

ある学生によるとテントの前に人だかりができていたのは日本だけだったそうです。
というより人だかりができる方が珍しいのかもしれないですね。
本来は代表団の休憩所のような場所です。そこに入場券を手に入れて入ってきた観光客が
各テントを眺めて回っているという光景。
その一角に笑顔で写真撮影に応じている外国人教師がいるという状況。
一緒に撮影したいと依頼してくるのは半数以上が学生でしたね。

人が集まった一方でちょっと困った存在が居つきました。
アクセサリを売っている物売り。ジャスコ付近でもよく見かける輩で、体中に竹で作った
ような楽器を巻きつけていたり、帆船の帆のように竹を組んで飾りをぶら下げていたり。
人がいる場所へ寄ってくる輩。行為そのものは自由ですが、日本のテントの目の前に我が物顔
で居ついている、私から見ればハイエナ。
度々睨んで他へ行かせようとしたのですが、代表団の中に通訳らしい中国人女性がおり、
事もあろうにこの物売りの商品が珍しかったらしく親しげに話しかけたのですね。
あまり好きな言葉ではありませんが、今の日本流に言えばKYそのもの。
写真撮影がひと段落した時に近くにいた聴講生に頼んで追い払ってもらいました。

どのくらいの時間写真撮影に応じていたのか分からないのですが、午後のコンテストが始まり
客足も落ち着いてきたのを見計らって会場を後にしました。

長い時間立っていた為足が疲れお腹も減ったのですが、追い討ちをかけるように市内行きの
バスに乗れない。増便しているようなのですが、それを上回る客足なのですね。
漸くバスに乗って市内に戻り、よく行く餃子店で学生と一緒に遅い昼食を取り、空腹は収めて
学校までのバスを待ったのですが、どれも大混雑で乗車拒否。
タクシーに乗ろうとしたら空車が一台も無い。学校までのバスは諦めて幹線道路沿いに停まる
バスを選ぼうとしたのですが、それも3台ほど乗車拒否されて漸く乗ることができました。

学校へと戻ってきたとき、学生はかなり疲れた表情をしていました。
我々が戻ってきたのは6時頃なのですが、ボランティアの学生は既に帰ってきていて、皆既に
寝ていたようです。

食事中に学生から「先生疲れませんか?」と尋ねられました。
もちろん、かなり疲労感はありましたが、今の2年生とまとまった人数で外出するのは
初めてのことでしたし皆楽しそうでしたので頑張れたのですね。
授業中は度々厳しい言葉を投げかけますが、彼女らの楽しそうな笑顔は何よりの報酬です。
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言うに言えない状況

2012年04月21日 | 日記
4月21日(土) 曇り

昨夜からどうにも気が落ち着かなかった今日の日本語学校での小学生相手の授業。
『なるようにしかならん』と自らを激励しながら学校に向かったのですが、やはり結果は・・

事務室で担当教師から名簿を渡された際に校長先生夫婦のお子さんがいることを告げられた
のですが、そのことを授業中は完全に忘れておりました。

生徒は9名。ほとんど4~6年生なのですが、中に一人だけ1年生が。
1年生から日本語を勉強させるとは熱心な親がいるものだと感心したのですが、いかんせん
まだ1年生、勉強する気など全く無く隣の生徒にちょっかいを出している。

他の生徒はこの学校に通って1年ほどだそうで、ひらがなとカタカナは理解できていまして
オリジナルの教科書、簡単な単語や表現ばかりですが、読むことには問題ない。
授業は上々の滑り出しを見せたのですが、途中からこの1年生が暴走し始めたのですね。
自分だけ遊ぶならいいのですが他を巻き込み始めて、それにつられて他の生徒まで騒がしく
なり収拾がつかなくなりました。途中で担当の先生が叱りに入ってきたのですが、焼けた石に
一瞬冷水を浴びせただけの状態に。

授業の終わり頃には私にこの授業を依頼された校長先生の奥様がいらっしゃいました。

小学生の授業は1時間だけで、次の授業は高校生2人と中学生1人という小さな授業。
少なさもあるのですが、3人ともとても落ち着いており漸くまともな授業が。

授業が終わった後、校長先生と奥様、小学生担当の先生に労われたのですが、その際に
問題児の1年生が校長先生夫妻のお子さんであることが分かったのですね。
何も言えない私がそこにおりました。
担当の先生に対し『あの1年生の子がいなければ、大丈夫だと思いますけどね』なんて喉から
出掛かったのですが、何か見えない力で抑えられていました。

校長先生の話によると、お子さんが通う小学校では1クラスが70人なのだとか。
無茶苦茶ですね。
当然の事ながら教師も全員に眼が届かないので、言うことを聴かない生徒には常に手を上げて
いるのだそうです。校長先生のお子さんも顔に流血したことが2~3度あるそうで。

同様の学校が他にどのくらいあるのか分かりませんが、人口の絶対数が日本の十倍ですから
そういう環境で育った子もかなりの数のはず。恐怖を感じますね。

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体力への挑戦

2012年04月20日 | 日記
4月20日(金) 晴れ

昨夜はペダルの故障を含め疲れが溜まってきたのか10時前早々にベッドに入りました。

来週末に実施される運動会の教職員による4×100mリレーへの参加申込をしたのが先週。
早速夜にダッシュの練習を始めたのですが、一昨日辺りからは夜にそんな力が残って
いなかったですね。

自転車に乗って移動するのが久しぶりなら、この距離を走ることなど今までにほぼ無かった
ことなので体がついて来なくても不思議はありません。

しかし、向かい風をまともに受けながら呼吸も苦しくなっているのに更に前に進もうとする
この本能的な粘りとでもいうのでしょうか、これはなかなか普段の生活の中では味わえない
ものですね。

体力がついてくるまでに時間はかかりそうですが、焦らず前進してみます。
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