外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南 & 北京

~旧タイトル:日本語教師LIFE~

到着とHSKの知らせ

2013年01月05日 | 日記
1月5日(土) 晴れ

今日も朝から穏やかな天気でした。
昨夜から日本の携帯電話の電源を入れておりましたら、夜中3時ころだったでしょうか、一度
電波が入ってきたような音がしました。アプリのGPSで位置確認したら対馬近辺でしたね。
その後6時頃には通常の電話状態でした。

港には8時半に着岸し、あとは下船を待つだけだったのですが、港湾事務所の受け入れが
整わないと下船することはできず、結局は9時半。待つ間に携帯電話から出発日に連絡を
くれた友人に到着の連絡を入れました。中国時間では8時過ぎ。土曜日のこんな時間に電話
するなんて失礼ではありますが、真面目な学生はちゃんと起きてましたね。大したものです。

税関は無事終了し、大きく重い荷物を転がして下関駅へ。
この港から新幹線の新下関駅までが大変なのですね。
以前は下関駅にはエレベーターはおろかエスカレータさえもなかったので、ここの階段を
荷物を持って上がるのはそれこそ心臓破りのようなものでした。
しかし、久々に来てみましたら、エレベーターが出来ていましたね。驚きました。

広島へ帰るには新下関から【ひかり】に乗る予定だったのですが、携帯の乗換検索をしても
全て【こだま】。時刻表を見たら、午後に一本【さくら】があるだけで、あとは全てこだま。
どうやら私が飛行機を使っているあいだに新下関はこだま専用駅になってしまったようで。
ひかりやのぞみに比べて乗客は少ないですから、座れないことはまず無いのですが、1時間に
1本という少なさはかなり不便ですね。

家へ到着してから、早速QQで到着をお知らせ。
たくさんの学生や友人から労いの言葉をいただき、改めて中国生活の幸せをかみしめました。
そして先月一緒にHSKを受験した日本人留学生から合格の連絡が。
維坊学院の留学生課事務所に合格者の証書がまとめて届いたようです。
私は間違いなく合格だと思っていましたが、改めて結果を聞くとやはり嬉しいですね。

日本で最高級の6級を受験するか・・・。
聴力は確実に落ちますし、継続して勉強できる環境がないので難しいかもしれないですね。


このブログは1月8日に掲載しました。
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海上

2013年01月04日 | 日記
1月4日(金) 曇りのち晴れ@韓国沖海上

雨は降りそうにないけれども少々重めの雲が広がった朝、風の影響か船が若干揺れていました。

11年の秋の渡航の際に知った裏技?で一人ながら個室を借り、なかなか快適な船旅です。
ベッドスペースとは別にある約3畳くらいの居間?に誰に気にすることも無く荷物を広げ
パソコンを置き、自由気ままに過ごせる時間。これでネットがあれば最高ですが、そんな
贅沢は言っていられませんね。しかし、将来衛星による公衆無線なんてのが一般的になれば
可能かもしれません。

お昼を過ぎた頃に雲が消え去り、綺麗な青空が広がりました。
船内にある航路図を見ると、夕方あたりに韓国南にある群島と済州島の間を通ることが分かり
ました。ただ、その位置がだいたい18時頃とあったので見られるかどうかは微妙な時間帯。

17時頃になると陽がだんだん傾き始め、17時半頃に日没、水平線上に雲がかかっていた為
テレビのシーンにあるような完全な水平線の日没とはなりませんでしたが、それでも綺麗な
夕暮れを見ることができました。
太陽光用のグラスがなかったせいか、太陽光の線が入ってしまったのが残念ですが・・・。
もしいつになるか分からない次回に機会があれば、その時への課題ですね。

日没が始まる頃に進行方向右側にうっすらと島が見えました。
大きさと時間帯から見て、たぶんこれが済州島。
日没後は肉眼で確認できる程度の光が見えていました。

青島港を出発して約22時間。あと約13時間ほどの航路ですが、平穏な海上のおかげで
とても快適な船旅、時間の長さが欠点と思えていた船旅ですが、もう一晩あってもいいね
なんて思えてきてしまいました。
なにせ、前回の11年秋は青島に台風が向かっている中、それを追いかけるように航行して
いましたから、青島に上陸する2日目はあまりの揺れに座ることさえままならず、ほぼ
ベッドの上で横になって過ごしたのです。
それも今となっては懐かしい思い出ですね。

2013.1.4 海上


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出発

2013年01月03日 | 日記
1月3日(木) 快晴

旅立ちを祝福してくれるかのような見事な晴天でした。
雪は当分溶けそうになく朝の運動はもう諦めておりましたが、朝食はいつも通りの時間。
芳がまたもや私の食事を既に買っておりました。
昨夜の夕食でお調子者の劉揚が朝も一緒に食べると言っておりましたが、予想通り来ません
でしたね。

元旦休みになってまたもや使えなくなったシャワー、仕方なく元日は例のごとく下の部屋のを
使ったのですが、今度は下の部屋のも使えなくなってしまい昨夜はシャワーを浴びることが
できず、頭にはタオルを巻いて寝たのですが、今朝せめて頭だけは軽く洗いたいと思い水道の
水を沸かそうとしましたら、水が出ない。またもやどこかで水道管が壊れて修理中なのでは
ないかというのが主任の話。なんともコメディのような話ですが、最後まで楽しませてくれる
学校です。
幸い飲料水が多量に残っていたので、それを沸かして頭を流しました。

午前中後半に張先生の授業があったので、余っていたカレーのルウをお土産に持ちつつ、学生
達に最後の別れの挨拶。まるで1年生の時を彷彿させるような元気な挨拶に少し涙ぐみました。

出発が12時の為11時に昼食。ここは雪と芳と共に昨年週2回一緒に食べた野菜麺をあの頃
を思い出しながら食べたのですが、悲しみを抑えていたせいか麺なのに喉を通らず、三人とも
あまり食べないまま食事を終えました。芳は既に涙をこらえきれず、食後に私の部屋で車を
待っている間中ずっと涙を流しておりました。
その時間に流した涙が少しは枯れてくれたのか、車に乗った後は一つ飴をくれてお礼を言うと
笑顔が戻ったので『やっと笑ってくれたね』と話すと後はずっと笑顔でした。

今日のドライバーはこの3年で何度もお世話になったとても無口ながらプロ級の運転手。
スピードをあまり出していないように見えるものの、いつも到着時間を見て驚くのです。
ただ、今日は高速に合流するまでの道がまだ溶けない氷に覆われており長時間が予想され
更に運転手の「俺も道がわからない」という言葉で不安が増大。
こちらに来て初めて船を使った際はカーナビがある車だったのですが、高速道路が途中で
工事のため寸断され運転手がお手上げ状態のところ、同乗してくれた友達の彼女が青島に
いたころがあり、彼女のナビでなんとか到着できたのですが、今日は誰も分かる人間がいない。
私のiphoneで電波が弱いながらグーグルマップを拾うものの、地図があっても分かりずらい
場所なので、この運転手さえもお手上げ状態。
時間に遅れそうなので船会社に電話するも電話に出ない。
チケットを手配してくれるこの会社に直接関連のある代理店の女性に電話したら少しの遅れ
なら大丈夫とのこと。しかし、何分遅れるのか分からない。
そこで運転手から提案が。
誰か一人がタクシーを拾って、そのタクシーに我々を先導させるというもの。
なかなかの妙案です。
早速雪がタクシーを拾って誘導させました。
道を見ているとやはり地図だけでは到底分からない複雑な道です。

桟橋ターミナルに到着してすぐに代理店の女性にお金を払いチケットを入手。
乗船開始の約10分前でした。
道に迷い始めてからは時間との勝負で芳もずっと携帯電話で時間を気にしておりましたので
感傷に浸る余裕は無かったのですが、乗船開始となった時に再び涙が。
芳を抱き寄せ、雪も抱き寄せて別れを告げました。
私ももう涙をこらえずに歩き始めたのですが、雪はやはり強い女の子。
「先生、行ってらっしゃい」の言葉になんとか笑顔を作り
『行ってきます。元気でね』と返事をしてゲートの中に入っていきました。

大粒の涙を流している私に向かって、「ここの手荷物制限あってないようなものですよね」と
なんだか馴れ馴れしく話しかけてくる関西人が目の前に。
『ああ、そうですか』と軽い返事をして、後方の芳と雪を目で確認しているのに、
「ここのスタッフ中国語しかわからへんのですよ、以前・・・」と構わず話しかけてくる。
あまりにKYさにこちらの感情が台無しになってしまいました。
悲しみを抑えるには良かったのかもしれませんが・・・。

それにしても・・、初めて維坊を訪れた日といい、離れた今日といい、何かしらハプニングが
ありますね。

2013.1.3 出発


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最後の夜

2013年01月02日 | 日記
1月2日(水) 快晴

昨日尤からどうしても会いたいという強引な誘いを受け夕方食事に出た後、徹夜覚悟で部屋の
片付けに入りました。
一般の生活用品の中で荷物で持って行くほどではないのだけれど捨てるにはもったいない物を
箱詰めにして外教共用の部屋に置いておき、「ご自由にどうぞ」と張り紙をしておきましたら
それを見た韓国語科の先生が校内の不用品回収をしているおじさんに全て持って行かせた
そうで箱ごとなくなっておりました。もっと早く知っていれば、片付けももっと速く進んだ
はずはないかな。。。

深夜2時過ぎにほぼ細かい物の整理は終わり、3時間ほど寝て早朝から片付け。
午前中に芳が掃除を手伝ってくれて、片付いた部屋に清潔感がでてきました。
彼女の話によると学生寮は一日2回の掃除が義務付けられており、床掃除は掃いた後に濡れ
雑巾をかけ、最後の仕上げに乾拭きをするそうで、同様の方法でやってもらったお陰で
床はピカピカになりました。
彼女には日本から持ってきたクイックルワイパーを使わせたのですが、見たことがないそうで
楽しそうに掃除してくれました。

昼食は校内で食べることも検討したのですが、彼女の父親から「必ずご馳走するように」と
強い言葉があったそうで、市内へ。
モールの中にある焼肉バイキングを選んだのですが、これがファミリー向けの値段の割には
肉の質も野菜の質も酷い店で最後の外食に選ぶべきではありませんでした。失敗。。

昼食から帰ってきて3時間睡眠の疲れが来て少しばかり昼寝。
夕食もまた芳に学食の水餃子をご馳走されました。

実家が維坊から遠いということもあり、他の学生が元旦休みで帰省する中ずっと学校にいて
何かと私のことを気にかけてくれた彼女。
明日は雪と2人学校の車に同乗し港まで送ってもらうのですが、別れ際が少々心配。
雪は強い子なので、最後は笑顔で見送ってくれるものと信じているのですが、芳は涙を
こらえて下を向いたままになる可能性が高い。私もかける言葉を選ばなければいけないと
思っています。

3年と少々の最後の夜は、あまりにも片付きすぎて自分の部屋とは思えない落ち着かない
雰囲気の中で終わります。なんだか違和感が・・・。
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元旦の祈り

2013年01月01日 | 日記
2013年元日

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

慌ただしい年末年始を迎えておりながらも、「初日の出」だけは拝んでおきたいと思い
昨夜からホテルに宿泊しています。
現在時刻が6時37分、空の暗さが少し薄らいできました。

学校内の校舎から見ることが出来ればいいのですが、昨年一昨年に続き、今年もまた元旦休み
期間は校舎は立ち入り禁止になっておりました。

宿泊したホテルはあまり高級ではないものの、20階ほどの高さがあり、南方東方に大きな
建物が無いため日の出を見るには絶好のロケーション。そして私が選んだのは東南の角部屋。
あとは太陽が出てくるのを待つばかりです。

この学校に赴任してからというもの、神社や寺院に参拝しても祈願の内容が自己中心のもの
から学生達のものへと変化し、その心理的変化に自分自身が驚いておりました。

今日の祈願はこの秋に向けて久々に自分自身の祈りも込めましょうかね。
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