外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南 & 北京

~旧タイトル:日本語教師LIFE~

広島でアルバイト

2011年07月27日 | 日記
7月27日(水) 晴れ(広島)

帰国してからというもの、地元の市内で仕事を探しておりまして、先週漸く市内どころか
町内で仕事が見つかりました。
なかなか短期の仕事は無く、諦めかけていたのでこれ幸いと先週の木曜日から出勤しています。

仕事の内容は工場内で作業服を着てライン作業というもの。
今まで経験がないものです。
大型の機械を扱うのでヘルメット、長袖、安全靴など完全防備します。

今日で漸く1週間が経ったのですが、とにかく暑い。
維坊の天候で暑さには慣れたものの、完全防備した状態で動き回るものですから
汗が止まらない。
この作業着は派遣会社から貸与されているものですが、毎晩のように洗濯をする羽目に
なるのでもう一着注文しました。追加分は自腹なのですけどね。。。

仕事そのものはまだ覚えることが多いのですが、覚えてしまえば単純作業になります。
ひたすら体力勝負といったところですね。

先にこの仕事に従事されている方から言わせれば、この仕事でこの待遇はいいよ、と。
確かに場所などを考えるといい待遇なのですが、しかし営業やコールセンターなど
とにかく人と話すことを仕事としてきた私にはやはりしっくり来ないものがあります。
特に一昨年の9月から一緒にいる学生達を思い浮かべると、ごく一部ではありますが
彼女らの成長振りが微笑ましくなりますね。
【今の日本語教師の仕事は素晴らしい】
長く出来るものではないという考えもありますし、この9月には新入生がおりませんので
今後の展開は今までとは変わってくる可能性もあるのですが、それでも改めてこの仕事の
素晴らしさを理屈ではなく心から思い出しました。
日本で過ごす時間、食べる和食、どれも素晴らしい。
しかし一方で早く学生達に会いたいという気持ちも湧いて来ています。

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買えなかった外付けHDD

2011年07月09日 | 日記
7月9日(土) 広島:晴れ

派遣会社に登録すべく朝から広島市内へ。
関東にいた頃は派遣の登録と言えば、池袋や新宿、銀座や渋谷といった大きな
街にあるのは当たり前でその都度電車で移動していましたが、こちらに帰ってきますと
広島市への移動は一種の出張のような旅のような気分になります。
時間はさほど変わらないと思うのですが、電車の利便性がそう感じさせる原因だろうと
思っています。

今日は2社で登録、そのうち一つはスカウトメールと言って求人サイトに公開した
私の情報を採用側(会社)が見て仕事を案内すると言うものです。
もちろん、名前などの細かい情報はないのだそうですが。。
あくまでも登録の為の面接で、「基本的に車輌での通勤は禁止」とあったのでほぼ
私が仕事の案件をもらうことはないですね。
車が無ければ動けない世界です。

今日はその後、広島に本部を持つ電気量販店に行ってきました。
先日地元紙の折り込み広告に入っていたチラシの商品を確認する為です。

「外付けHDD」
あまりにも増えすぎた私のDL コレクション、もともと現在使用中のノートはHDDが
小さいですし、どちらかというとネットブックに近い製品の為、映像を保存していると
すぐにHDDが一杯になってしまう。そこで以前500Gの外付けHDDを購入したのですが
それさえもだんだん容量が怪しくなってきました。
今日の目当ては某メーカーの2TBの外付けHDD、6千円台で購入できる上に
とても軽い。今日限りの特価だったのですぐにでも欲しかったのですが、一つ問題が。。
ACアダプタの電圧が日本国内仕様で100vまで。
もちろん現在使用しているコンバーターに接続すればいいだけの話なのですが
実は6月に友人にそのコンバータを貸し、日本から持ってきた無線LANルータを
そのまま直にコンセントに挿したら一瞬火花が見えてその後二度と電源が入らなく
なった怖い経験があるのです。
ネットを接続するためのルータだったから良かったものの、もし同じ間違いをHDDで
やってしまったら、取り返しのつかないことになってしまいます。
コンバータを使えば問題ないのだから、と思いつつも、もし何かの間違いが起きたら
その値段では釣り合わなくなる、ということで購入を諦めました。
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帰国&ハプニング

2011年07月07日 | 日記
7月7日(木) 雨

昨日帰国いたしました。久しぶりに実家で記す日記です。
今日は暦上では七夕ですね。日本では七夕の季節、だいたい梅雨空ですが
中国で考えれば旧暦でなので今年は8月6日なのですね。
この考え方の方がしっくり来るのですが、、、。考えても仕方ないですね。

昨日は私の帰国時には珍しくたけしを含む2年生が見送りにきてくれました。
一昨日の夕方にたけしともう1人の男子学生がが同乗することが決まったのですが、
夜に周からメッセージが入り、同乗したい、と。さすがに3人は返事しかねたのですが
運転手の先生に頼んで3人とも同乗させてもらいました。


搭乗する飛行機は中国東方航空、一応日本航空とのコードシェアですが、JALの
色が全く無い、もしJALで航空券を購入していたらショックどころか天国から地獄へ
突き落とされる気分になるでしょうね。
チェックインの受付は東京行きのANAだと2時間前なのですが、こちらの航空会社は
1時間半前。少々早めに空港に到着したので、カウンターの近くで待っておりましたら
日本人の団体の方がいらっしゃいました。
維坊と友好都市を25年も続けている九州のある市の方々でした。
そんなに早くから維坊と友好を結んでいる街があることに驚きました。
この方々が直ぐ後に私の救世主になってくださいました。

私の航空券はあるサイトから購入したもので、そこには複数の旅行代理店が価格を
提示しているのですが、そこでの最安値がこの航空会社のサイトだったのです。
そして購入内容の中に少々気になる文字が「重量制限20K」
中国からのフライトでは一度も重量制限にかかったことがなかったので安心していたのが
ひっかかってしまったのです。「9kオーバー」
スーツケースにキャリーケース。キャリーケースの中にある書籍を取り出したのですが、
4キロしか減らず、しかも客席への持込は5キロまでだからこれ以上は無理だ、と。
なにか、捨てていくか、学生に持って帰ってもらうしかない、と諦めかけたとき
後ろに並んでいた前述の日本人の方々が
「俺達のグループと一緒だ、それならいいだろ?」とスタッフに掛け合ってくださいました。
「OK」
約10名の団体の方と私の搭乗手続きを一緒に行い、荷物を団体の一部として
扱ってくれたのです。
個人客と団体客(もしくは旅行代理店経由?)だと荷物の重量扱いが違うのかどうか
詳細は定かではありませんが、とにかく助かりました。

車を運転してくださった先生が、他に用事があるから1時間以内には空港を
離れなければいけない、とのことで私も早めに出国手続きをすることにしました。
学生達としばしのお別れ。普段は握手をすることはないのですが、私から手を伸ばして
一人一人と握手しました。2ヵ月後には再び会うことは分かっていても、心にぐっと
来るものがありました。
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帰国前夜

2011年07月05日 | 日記
7月5日(火) 晴れ

穏やかな朝、私が明日帰国することが伝わったのか、最近休みがちだった学生が
朝のグラウンドに現れました。尤がモーガンと最後に撮影した写真を皆に配り
それに一人一人がそれぞれサインして回るというおまけ付。
モーガンのサインが無かったのは残念でしたが、この2学期は朝の太極拳に限っては
一番盛り上がった4ヶ月だったと思われます。

今日は朝から学生と過ごしていました。
動画をDLしたり、お土産を持って来てくれたり、一緒に食事をしたり、と。
中にはとてつもなく大きなプレゼントを持って来てくれて、
「先生、これを日本の家で飾ってください」
ガラス製の龍の置物。とても綺麗なのですが、荷物に入るかどうか。。。
『飛行機で帰りますから、危険かもしれないですね』
『冬は船で帰る予定ですから、その時でもいいですか?』
少々不満顔でしたが、日本の航空会社でも心配なのにまして中国の航空会社です
どんな状態で荷物を運ばれているか分かりません。空けてみたら粉々になっていた、
では話になりませんからね。

2009年にここに来て以来、学生や知り合った方からいろいろなお土産を頂いている
のですが、日本に持って帰るにはかさ張ってしまうのでずっと部屋に置きっぱなしだった
のです。そろそろ少しでも持ち帰らないと最終的に離れるときには手に持って帰ることは
ほぼ不可能、郵送するにしても数百元取られることは間違いないし、それこそ
荷物が中国を出る前に元の形が無くなる可能性が高い。
衣類が比較的少なくなる夏に持って帰るしかない。日本から持ってきたキャリーケース
に詰め込んで漸く大き目のお土産をいくつか持ち帰れそうなのですが、それでも全部
には程遠い。

ある程度の衣類は全て残して土産だけ持って帰るという日も来るかもしれないですね。
荷物を整理していて思い出したのが、先学期だけいたアメリカ人教師、ライアン。
セダンのトランクには入りきらないほどの荷物があったにも関わらず、キャリーケース
一個分はあると思えるTシャツ、ズボン、ワイシャツ、スーツを残して行きました。
学生から貰ったお土産品、記念品は捨てるわけにはいかなかったのでしょうね。

重量制限が緩い中国とはいえ飛行機ですからできるだけ荷物は軽く少なく。
しかしお土産の品は持って帰らないと・・・。
相反する思いに悩みながらの帰国前夜です。
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アメリカ人ボランティア教師の給料

2011年07月05日 | 日記
7月4日(月) 晴れ

台風一過ほどではありませんが、久々と思えるスッキリとした朝の天気でした。

一昨日だったか、モーガン夫妻がなかなか列車のチケットを買えずにいることを
世話役の学生が少々愚痴ながら話をしていたので聞いてみましたら、北京行きの
普通快速列車のチケットがなかなか手に入らないこと、新幹線では料金が高く
ああだこうだと窓口でもめているうちに後ろに並んでいる客がいらだっている、と。

北京まで新幹線だと240元ほどですから、こちらの消費価値からすれば確かに
安くはないのですが、外教として給料を貰っていれば許容範囲ではないかと
思ったのですね。しかし、そこでその学生の答えた金額は驚きの数字でした。
「彼らは1人600元なの」
冗談だと思ったのですね。彼らが学生に嘘をついているんじゃないかと。
私がその給料で働いていたら毎月確実に赤字です。。。
「彼らはボランティアだから。足りない分はドルを元に交換しているみたいよ」
そこまで具体的に言われると、真実味は湧くのですが・・・。

昨日、晩御飯を買いに行くときにたまたまモーガンを一緒になったので、真偽を
確かめたところ、本当でした。ボランティアということで来ているから、他のアメリカ人より
安いのだそうです。うちの外事主任はそれを見て雇用しているのだそうで。
逆に大学生という観点から見れば、給料は僅かでも赴任の旅費と住居は用意されて
いる状況で海外での生活が体験できるのですから、インターンシップのようなものと
考えれば、美味しい条件なのかもしれません。生活費も切り詰めれば月に2万円
もあれば十分に生活できるわけですから。
先学期のライアンもまだ大学生で、同じような宗教を信仰していたので、同じ待遇
だったのかもしれませんね。

給料が少ないからいつも学生食堂で食べているんだよ、とはモーガンの話ですが
私も同様でして、確かに一番近い食堂が宿舎から徒歩1分もかからない利便性も
あるのですが、少々食べたところで一食5~6元で済むのはありがたいものです。
同じような食事を外ですれば確実に倍近くしますからね。

私がここに来たときにいた若いアメリカ人夫婦は我々よりも高い給料を貰っていた
ようですが、その後の雇用状況を見ると、外国語科の学生数減少と無関係では
なさそうです。来期は日本人と韓国人が1人ずつ。そして2人の若いアメリカ人夫婦。
規模が大きいとは言えない学校の中で外国人教師を雇うことそのものが不思議では
ありますが、それもまた学校の宣伝材料なのでしょう。
そういう中でボランティアの外国人を安く雇うのもコスト削減の知恵なのでしょうね。
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日本語能力検定試験

2011年07月03日 | 日記
7月3日(日) 雨のち晴れ

朝からそれと分かる雨の音でした。いつもなら5時半に起きますが、今日は少し
遅くまでベッドに入っておりました。なんだか私まで緊張してきたのです。

木曜日の授業で、一緒に受験会場まで行く者は9時半に校門に集合の旨を伝え
私は10分ほど前に到着したのですが、この集まり方も普段の授業の時とさほど
変わりが無いのですね。いつも私よりも早く来ている学生はやはり早いし、私と同じ
タイミングで来る学生は途中で私と合流。そしてほぼ毎回チャイムより遅く来る学生は
ギリギリかやや遅刻。
授業なら少々の遅刻は今は見逃していますが、総勢18人ほどが一緒に行動する
のですから時間は守って欲しいものです。皆緊張して神経質になっていますからね。

乗るバスは校門から出発するものではなく、校門から歩いて5分ほどの幹線道路を
行き来しているもの。ここから試験会場の科技学院の裏門まで30分足らず。
もう少しでバス停に到着するところでバスが来てしまい、目の前で逃してしまいました。
「15分に一本は来ますから大丈夫ですよ」と言ったものの、今日に限って次の便が
遅い。20分経っても来ない。やっと来たと思ったら、結構混んでおり、18人が乗ると
ドアまで一杯でした。
しかし、不運というのは重なるもので、途中のバス停で後ろにつけたバスが同じ路線の
ものでしかもガラガラ。雨のおかげで外気は涼しいのに中は蒸し暑く汗をダラダラ流し
ながら横のガラガラのバスが恨めしかったですね。

受験会場に到着したのが11時前、会場をそれぞれ確認した後学生食堂へ。
試験開始が1時半の為、早めに昼食を取らせて一眠りさせる算段です。



皆11時半には食事を終えて、それぞれ問題集に目を通したり、眠り始めました。

今回の受験者の中に彼氏が応援に付き添って来ている学生がおりまして、2人の
世界を作っていたのですが、現状の中国のカップルを浮き彫りにしているようで
怖かったですね。

この女子学生はさほど目立つタイプではないのですが、以前ある男に言い寄られて
困っているという話をしていたのですね。ただ、あまりにも男性優位の学校ですから
「無下に断らないで試しに付き合ってみたら」と助言した事があるのです。
するといつの頃からか付き合い始めたようで、この状況。
現状、中国では結婚の条件としてどんな小さな規模でもいいから家を買うこと。
そして車を持つことなのだそうで、それがないと新婦側の親が結婚を認めない。
その上結婚後も家事など一切はほぼ男性が行うのだそうです。
たしかにこの学校でも男子学生が彼女をお姫様扱いしている様子が多い。
彼らの親は母親が家事をするのですが、これも世代交代というのでしょうかね。
今は男性が女性に尽くすのが当たり前になっているようです。
冗談で中国人の先生に話したのですが
『縁があれば中国人が結婚相手でもいいと思っていましたが、最近怖くなりました』

12時半を過ぎて学生達がそれぞれの会場に向かい始めたので私は知り合いの
日本人教師のオフィスへとお世話になりました。

試験終了は4時半、1級を受験しているたけしだけが4時45分。
学生達の顔を見た瞬間に手ごたえが無かったことは一目瞭然だったのですが、敢えて
聞く、『どうでしたか?』
ヒヤリングが難しいなど、これまでの学生が言っていた言葉と同様でしたが、一つ今まで
になかった事象が。
ヒヤリングのボリュームが大きすぎる。
小さいのも困りものですが、なんとか音のチェックをして欲しいものです。

試験終了後はそこに集まっていた学生だけで記念撮影。

一昨年の12月、初めてこの試験に付き添ったときには、当時の1年生をここに並べて
写真撮影することを夢見ていましたが、数が少ないながらも今日それが実現しました。

この冬はもっと増えて欲しいものです。

帰りも同じ路線バスへ。これまたバス停に着いた瞬間にバスが到着。
慌てて運転手に手を振って、乗り込みました。
車内では学生達とたまたま横に乗り合わせた試験会場の隣にある医大生と話して
いたのですが、学校近くのバス停で降りようとしたら、こんなに人数がいるのに誰一人
下車ボタンを押しておらず、バスはそのまま突っ走り一つ先の停留所まで。
仕方なくまた一区間を歩いてきたのですが、道の途中、昨日からの激しい雨の影響で
歩道が決壊しており、ちょっとした洪水状態が。靴を半分浸水させながら歩いて
きました。この道、昨年夏に完成したばかりなのですけどね・・・。

行きも帰りもハプニング。どうせなら試験結果も私の想像を大きく超えるものが返って
来てくれると嬉しいのですけどね。

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試験前夜

2011年07月03日 | 日記
7月2日(土) 曇りのち雨

昨日降るはずだった雨が降らなかったから今日降るかもしれない。
太極拳仲間の言葉が気になって外出の際に傘を持って出ましたら、見事に的中。
昼から大雨になりました。単なる通り雨かと見ておりましたが、降っては止みまた
降っては止みと随分長く続きました。

さて、明日はいよいよ日本語能力試験。今日の嵐が逆に幸いになってくれれば
嬉しいものです。天気予報によれば明日は雨の予報はあるものの、気温が幾分
下がり最高気温は25度。
ここ最近蒸し暑くなっていますが、気温が25度以下に下がってくれれば、集中力も
維持しやすくなるものと思われます。

前回12月には7人の受験で1人の合格者も出なかった2年生の2級受験組。
今までの卒業生に比べ留学や4年制大学への編入そして研修希望者が非常に
少なくモチベーションという面では低いと思えてしまう部分はあるものの、
9月から3年生になってこの合否次第では志望が変わる可能性もあるため
少しでも多くの合格の通知が欲しいものです。

試験開始時間が午前から午後に変わった昨年夏、通常なら昼寝の時間が
試験開始時刻のため、早めに昼食を取らせて休憩させ、試験中特にヒヤリングの
時間帯に睡魔に襲われないように注意を促しました。
その効果とは言い切れませんが、複数名の合格者が出ました。

今年、初めて受験する学生が約10人。おそらく緊張して休憩どころではないと
思うのですが、ほんの5分でも10分でもいいから目を閉じて休憩しなさい、と
口を酸っぱくするつもりです。
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アメリカ式太極拳?

2011年07月01日 | 日記
7月1日(金) 晴れのち雨

寝苦しさを感じた昨夜、寝室の中はまだ25度に保たれているのでエアコンはつけて
いないのですが、学生寮はかなり暑かったらしく、朝の太極拳は皆少々疲れた
表情でした。
今日は珍しくモーガンとリズが2人でグラウンドに現れました。
リズの書類がなかなか終わらないようで北京へと出発できないのだそうです。
モーガン曰く、「今日中に終えて、夜の列車で行くつもりなんだけどね・・・」
リズが珍しく太極拳に姿を見せたのはお別れの意味があったのでしょうね。
朝食後に彼らの地域で子どもが踊っている?らしいアメリカ式太極拳というのを
見せてくれました。太極拳とは名ばかりで幼稚園のお遊戯の踊りのようなものでしたが
最後に強烈な印象を残してくれました。


朝食後に先日撮影したビデオと彼に頼まれた24式に使用される音楽、そして
太極拳仲間の写真のファイルを手渡し、日本から持ってきたお土産品を記念に
プレゼントしました。

夕方あたりから物静かになってきたので、ひょっとしたらリズの書類が完了して漸く
旅立てたのかもしれません。

3か月少々という時間は無論長くはありませんが、頻繁に顔をあわせていたモーガンとの
時間は私の中国生活の中では比較的濃いものであったと後に思い出されることと
想像できます。
いつかまた会いたい男の1人ですね。
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