外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南&北京=>故郷へ

北京五輪の翌年(2009年)からの外教(外国籍教師)生活と地元での留学生との触れ合いを綴っています。

あまり嬉しくない観光

2012年04月29日 | 日記
4月29日(日) 雨のち曇り

運動会が終わり黄金週(GW)の本格スタート、学校の中はとても静かです。

昨日方先生から濰坊市内にある観光名所(?)に誘われました。
正直なところ二人で出かける気にはなれなかったのですが、学生が一緒だと言うのでOK
しましたら昨夜になって学生が皆帰省中かアルバイトなので同期入社の女性教師を連れて
くると。
それで今朝校門で待ち合わせしましたら、その女性教師が急な用事で来れなくなったと。
どうやったら昨夜OKで翌朝NGなのか、話そのものが嘘っぽく聞こえてしまいました。
どうにもご主人は仕事で毎日忙しい。お子さんは7ヶ月になるもご主人の母親が付きっ切りで
面倒を見ており方先生は家に居辛いようです。
嫁姑問題か・・・。可哀相だとは思いますが、その現実逃避のために使われてもね・・。

行った場所はバスで30分ほど南に行った所。【坊茨小鎮】という名前。
戦時中にドイツ軍及び日本軍が居所を構えたところだそうです。
1ヶ月前の清明節の休み中に雪を初め2年生の数名が訪れ、私も勧められてはいたのですね。
雪が案内してくれるということだったので学生数名と行こうかと考えていたのですが、まさか
方先生に誘われるとは・・・。同僚とはいえ独身男性と二人で出かけるのはどうなんでしょ?

現地は私の心を映すかのような霧雨が降っていました。

市内からは離れており少々寂れた町。霧雨がその状況をさらに色濃く映していました。
ただ、その観光地だけはちょっと違った雰囲気でしたね。


1989年とありましたから既に120年以上も経つわけですが、当時であればかなり豪華だった
だろうと思われる建物が並んでおりました。メインの建物は美術館として使用されており
どちらかというと現代美術の絵や彫刻が飾られていましたね。

あとは外国の酒が飲めるバーがありました。
さすがに輸入物で高いので手は出ませんでしたが。

1時間ほど眺めて外に食事へ。
地元の特産という「餅」(単なる小麦粉生地ですが・・)を10個も買うので余程好きなのだ
と思っていましたら、食堂で2人で1つずつ食べて後は土産にと手渡されました。

食堂でも2人なのに4つの料理を注文し持ち帰りを勧められました。

さすがに丁重にお断りしましたが、料理を1つと餅は半分持たされました。
この豪快さがなかなかお痩せにならない原因なのでは、と考えさせられましたね。

帰りはちょっと買い物をしたいからとバスの中から先生を見送り、ジャスコへ。
解放感のあとは急激な睡魔に襲われました。。。

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