外教生活 in 中国山東省濰坊-淄博-泰安-済南 & 北京

~旧タイトル:日本語教師LIFE~

中国からの招聘状

2013年05月31日 | 日記
5月31日(金)

昨日待ちに待った中国からの証書が届きました。
待ったとはいえ、先方の大学の外事主任に会って契約の意思を伝えたのが5月2日でしたから
予想以上に早かったのですけどね。

就労ビザ申請に必要な健康診断は既に済ませているので、あとは必要書類とパスポートを
中国大使館に提出するだけです。
これが東京なら個人でもできなくはないのですが、地方都市にいると提出日と受取日両方に
行くことは不可能ですから代理店に頼むことにしました。
無事にパスポートとビザが戻ってくることを祈っています。

この9月から赴任する大学は濰坊から新幹線で40分ほどの距離にある淄博(しはく)市
英語表記だとZibo(ズーボと読みます)にある山東理工大学という4年制大学です。
大学名は理系なのですが、2つの学校が合併してできた大学だそうで、いわゆる総合大学。

この名前を聞いた当初は淄博という工業都市としては有名なのですが、観光としてはあまり
名前が出てこない地名にあるのでごく普通の学校だと思ったのですが、GW中に濰坊で会った
学生に話したら皆驚いていたので、よくよく聞いてみたら1類大学といって省にあるトップ
レベルの大学なのだそうです。ただ、外国語学部を含む文系は2類なので中級になりますが
それでも濰坊学院よりは上なのだとか。

その話を聞いて驚いたのが私です。
職業学院(日本でいう短期大学)からいきなり1類・・・。
どちらかというと心配の方が大きかったのですが、模擬授業で伝えた学生との交流を大事に
したいという意見に日本語科主任と外事主任が賛同してくださったので、私はその路線を
貫こうと思っています。
もちろん、4年制大学だと学生数も以前の学校の数倍になりますので、前の学校の最後の
卒業生の時と同様の付き合い方ができるかどうかは分かりませんが、一人でも多くの学生と
交流したいと思っています。

あと、我々日本人教師の宿舎は英語教師と同じ建物なのですが、なんと英語教師だけで
15人もいるそうなので、再度英語を鍛えるにもいいチャンスなんですね。

とにもかくにも9月の新学期が楽しみでなりません。
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バースデーメッセージ

2013年05月26日 | 日記
5月26日(日)

本日40台ゾロ目の誕生日を迎えました。
かつての同僚から中国行きの話を持ちかけられたのが不惑の誕生日を迎えた頃。
不惑でありながら新しい事にチャレンジするってどうなのよ?と考えつつも心の奥底では
面白いチャンス、行きたいという気持ちが強かったですね。
今風の流行言葉で言えば、「いつ行くの?」「今でしょ!」(笑)

あの先生が所属する予備校で私も1年間学んだことがあります。もちろんかれこれ20年以上も
前のことですから、あの先生と接点はありませんが、賛否両論あるあのフレーズ、私は好きです。
当のご本人はそれを授業中に言ったことさえ覚えていなかったそうですが
たぶん私も授業中に同じようなことを学生たちに何度も言っているはずです。
『今日から始めましょう』
私の場合は(授業の復習を兼ねて)CDの音声を毎日1時間聴きなさいというものでしたが
それを実践した学生はほぼN2(日本語能力試験2級)に合格しています。

余談はさておき、

あれから4年、この歳になれば時間の経過は更に速いと感じておりますが、本当に速い。
この9月からの新しい生活は果たして何年になるのか、自分自身決めることができずにいる
のですが、あとで振り返れば濰坊時代と含めて2桁になっているかもしれないですね。

QQのおかげで誕生日は事前にQQ仲間に知らされるため、先週の日曜日あたりから少しずつ
バースデーカードが送られてきており、昨夜から今朝にかけてがピークでした。
iphoneにQQのアプリを入れているため、バースデーカード、メッセージを着信するたびに
アラームが鳴り、昨夜からは着信ごとに目覚めたのですが、受信するたびにメッセージを見て
幸福感に浸りました。

今朝はPCからメッセージをくれた学生たちにそれぞれ感謝の言葉を返信。
昨夜までで30通超、今朝で20通ほど。

来年の誕生日は何事もなければ再び中国で迎えるはず。
砂糖の塊じゃないかと思えたあのバースデーケーキのクリームも今では懐かしい品です。
あれはどう考えても食べ物ではない。顔に塗るものです。(笑)
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回顧録Vol.3 二日目午後

2013年05月18日 | 日記
宿泊できないホテル

新郎新婦が用意してくれた車はホテルから市内へと向かって走っていきました。
ホテルを出るときに、運転をしてくれた男性(新郎側の友人)が
「さて、駅はどう行くんだっけ?」なんてつぶやいていたのが心配だったのですが、無理もない。
新郎新婦とも育った街は別の地方ですから、友人もまた別の街の出身である可能性が高いのです。

途中で運転手の彼が私に質問してきました。
中国の結婚式と日本の結婚式は何か違いがあるかと。
ほぼ決まり文句になった言葉を返しました。
『完全不一様』(全く別物だよ)
そうだろうね、と笑っていました。

急に彼がタバコを差し出してきました。
中国ではよくあることですが、そういえば車の中では初めてです。
助手席に芳が座っていたので、遠慮しようかと思ったのですが、濰坊のバスターミナルから
式場まで全く吸う機会が無かったので、ありがたく頂きました。もちろん窓は全開にして。

車でタバコを吸うのも久しぶり。
東京で営業の仕事をしていた頃に車で外回りをしていた時は、車に備え付けの灰皿では足りない
ほどのヘビースモーカーでした。渋滞にはまる度に本数が増えていました。
しかし、車を営業に使うことがなくなり、単なる街乗りとして購入した中古車の前オーナーが
非喫煙者だったことをきっかけに自らの車も禁煙車として、今に至っています。
久しぶりに車の中で吸うタバコはとても美味しく感じられました。

ネットで予約していたホテルは済南駅の目の前。
車を降りて彼と握手してお礼を述べて、ホテルに入ったのはいいのですが、フロントで名前を告げ
パスポートを差し出した瞬間、女性スタッフの顔が曇り、久々のビンゴ!?に気づきました。
外国人客を受け入れられない宿泊施設の一つだったのです。
昨年の秋に北京にいるたけしに長城を案内してもらい、その後宿泊しようとしたホテルがここと
同じ外国人客を受け入れられないホテルで仕方なく彼の学校近くの古いホテルに通常の倍以上と
思われる料金で滞在したのですが、まさか山東省の省都である済南の中心の駅の目の前なら
その可能性は低いと思っておりました。

ま、あくまでも個人の考え方ですのでそれはそれで割り切って近くのホテルを探しました。
中国もGW。済南駅前は人通りが多い。
すぐ近くに別のエコノミーホテルがあり、そこに入って空室の確認をしましたら、あるには
あるのですが、一番安い部屋でも予約していたホテルより30元以上高い。
他も同じ状況であることを予想して、その部屋をお願いしたら、部屋が地下にあるから窓がない
上にシャワーからお湯が出ないなどと言い出す。
窓がないのは我慢できるとして、シャワーが浴びられないのは困るので、一つ上のランクに。
50元上乗せして選んだ部屋は4階だったのですが、窓はあるものの、外がやけに暗い。
よ~く見てみると窓の外を広告の看板が覆っており、箱の中にいるような状態。
地下の部屋と何の違いがあるのか、、おまけに夜に気づいたことですが、お湯が出ない。
やられた~と苦笑するしかないですね。

発券に30分

チェックインした後、念のためにと駅のチケット売り場へ。
濰坊に到着したあとネットで予約しておいた新幹線のチケットを受け取る為に長蛇の列に並ぶのです。

中国人なら自動券売機に身分証をかざせば受け取れるのですが、パスポートではそれができない。
済南駅は元々あったチケット売り場が改装中のようで外に簡易窓口が並んでいました。
休暇中とあってどの窓口も長蛇の列。その一つに並ぶのですが、なかなか前に進まない。
濰坊駅なら10分少々で窓口に辿り着ける長さがなんと30分も。
ネット環境かと思ったのですが、既に暑くなり始めていた気候の中、空調などなさそうな部屋
でしたので、スタッフの処理能力が下がっているのではないかと思えましたね。

当日の列車で濰坊に戻ろうとしていた芳が列に一緒に並んだのですが、購入できるチケットが
なくなっており、姉が済南にいるというのでそこに泊り翌日に濰坊へ戻ることにしたので
同じ新幹線にしようとしたのですが、既に満席。なんとも休暇中のチケット購入は大変です。
結局私が午前中の彼女は昼の新幹線になりました。

駅で姉を待つという彼女とその場で別れ、再びホテルへ。
午後に会う約束をしていた学生3人を待つことに。
部屋に戻って財布の中に現金が少ないことに気づき、ATMを探しにまた外へ。
勝手が分からない済南駅前。5分ほど歩いて銀行を見つけ、帰りに少しばかり買い物をして
ホテルに帰ってきたら入口に学生が待っていました。
開口一番「先生!電話が繋がらない」
どうやら私がATMを探しに出たのと入れ違いにホテルへ到着したようで、何度か電話をかけて
くれたそうなのですが、私の携帯には着信履歴さえ無かったのですね。なんとも不思議な・・。

来てくれたのは2組。
1組は周と、周と同じ学年で一緒に太極拳をしていた英語科の女の子。
もう1組は周の1学年先輩にあたり、栃木で1年研修を経験した学生とその同僚の女の子。
同僚の女の子は大学で日本語を専攻したそうなのですが会話は不得手。
とりあえずホテルの部屋に入り、それぞれ自己紹介をさせました。
前日のチャットでどこを観たいのかと質問され、済南の大学を見学したいと伝えており
山東省でトップの大学と称されている山東大学か同等クラスの山東師範大学を候補にしまして
日本語能力試験の受験会場に使われているという山東師範大学にしました。

駅前からバスに乗って約30分。
教え子の二人は既にこの学校で受験しておりまして、濰坊にある会場に比べてどうかと
尋ねましたら、音響が若干いいとのことでした。

連休中にもかかわらず、構内はたくさんの学生が歩いていました。
敷地は南北に広く、東西は以前在籍していた学校とあまり変わらないと思える狭さ。
敷地の大きさとしては濰坊学院と同じくらいで自転車があれば敷地内は十分に移動できると
思えたのですが、こんな大きさでも校内バスがあったのですね。

正門から北へ10分少々歩いて、行き止まり。その付近に学生寮が並んでいました。
とても綺麗な近代的な建物の寮があるかと思えば、道を挟んでその反対に築何年なのか推測さえ
できない古い寮がある。

一号と書かれた古い寮の目の前に最新のものと思われる十号の寮。
以前の学校の例をあてはめるなら新入生は古い寮、学年が上がるほど最新の寮に住むことに
なるのでしょうが、否応なしに最も古い寮に入る学生は憂鬱でしょうね。。。

つづく。。
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回顧録Vol.2 二日目

2013年05月12日 | 日記
3時間半のバス

濰坊で生活していた3年間は病気でもしない限り朝5時半起床を続けていましたので
5時の起床など大したことなかったのですが、日本で生活を始めて6時過ぎの
サイクルに変わりましたので、この朝6時出発というバスの時刻は結構なプレッシャーでした。
しかも宿泊したホテルが経済房という最も安いプランの部屋で廊下に囲まれた窓の無い一室。
それでも起きる自信はあったものの、携帯電話のアラームを二重にセットしました。

結果はそのアラームの30分前に起床しました。。

ホテルを5時半にチェックアウトしバスターミナルへ。既に明るい。
ちょっと思いついたことがあり、チケット販売窓口へ。
昨夜私と学生2人分の計3枚のチケットを購入してはおいたのですが、もう一枚荷物用の
チケットを購入しました。
以前別の場所から青島行きの長距離バスを利用した際、所々で停まっては乗客を降ろしたり
新たに乗せたりしていたことがあり、同様のことを行うバスだと車体下の部分に預けた
荷物が持っていかれる可能性も否定出来ないので、安全の為に購入したのですね。

乗ったバスは済南直行で途中SA以外には停まらなかったので、その心配は杞憂に終わり
ましたが、それでも傍に置いてあることの安心感はチケット代以上のものがありました。
運転手からは怪訝な顔で見られましたけどね(笑)

バスは6時出発のはずが、座席が埋まってから出発するという種類の便で待つこと30分、
漸く出発しました。
3時間で到着しても残り30分で式場に到着できるのかな・・・。

途中反対車線が渋滞になっているので、大変だなと眺めておりましたら、こちらの車線まで
渋滞。自然渋滞か事故でも起きたか、まるで分からない。
時計の針は我々の事情に関係なく先に進む。

結婚式開始どころか、式そのものにも間に合うのかさえ分からない。
最悪、式が終わった後でも本人と会って話ができればいいか、と二人に話しました。

暫くして渋滞の原因が事故であることが判明したのですが、どうやら4台くらいの玉突きの
様子でした。我先にと走行車線ではない部分に無理やり出てくる輩も多いので、事故が起きても
全く不思議ではないですね。

済南のバスターミナルに到着したのが10時頃。30分遅く出発した挙句に3時間半かかって
漸く到着。ここからタクシーで式場に向かいました。

結婚式

タクシーは市内のバイパスを走り、目的地へ。
ここだよ、と案内されたのがホテルとは思えないような少々古びた建物でした。
建物の前に結婚式特有の飾りが二つあり、少々小さめの方が教え子の結婚式の案内。
入口付近を見ると、どことなくのんびりムード。しかも数人が暇そうに喋っている。
開始している割には、受付の人数が多いと思いながら、スタッフの案内に着いて会場へ。

中型とはいえスーツケースを引きながら入ってくる客に注目が集まります。
久々に浴びる外国人としての視線。
席は奥の方にある新婦の関係者が座るテーブル。
私が今まで出席した中国式の結婚式は日本のような席次が決まっているような形式は一切なく
どこか空いている席を案内されるのがほとんどです。
着席したあとで、新郎側のお父さんが挨拶に来てくださいました。
「わざわざ遠方から本当にありがとうございます」と。
方言が聞き取れなかったので、学生に通訳を頼んでの会話でしたが・・。

その後、あっちの席がいいですよ、と雛壇により近い、新婦の大学以前の友達が座っている
席に案内されました。
最初に案内されたのはいかつい顔をした男性が二人座っていた席で、白酒を勧められはしないかと
少し心配していたので、ホッとしました。

新しい席に移ったあと、ひな壇の横に設けられたスクリーンに映し出される写真のスライドショー
を眺めていました。今は日本でもこのようなサービスがあるようですが、もし仮に私自身が
披露宴を行うことがあったとして、これは控えて欲しいと思ってしまうものですね。
恥ずかしくて仕方がない。もちろん、結婚相手が中国人になった場合は断れないでしょうね。

結婚式はいつ始まるのだろう、と待っておりましたら、右側にスレンダー美人が座りました。
左に座っていた芳から新婦の姉だと紹介され驚きました。
なにせ、顔から体つきがまるで違うのです。しかし美人であることには変わりない。
かつて叶姉妹が本当の姉妹であると勘違いしていたことがありましたが、今回は逆のパターン
ですね。

そのお姉さんの話によると結婚式の開始は11時18分だと。
10時頃と随分と開きがありますが、まあ到着後も余裕を持てたので結果オーライですね。

開始時間まで暇を持て余している時に新郎新婦が挨拶に来てくれました。
新郎も同じ大学の学生で、確かに見覚えはある。
お父さんと同じような挨拶で握手を求めてきました。なかなか誠実そうな男です。
彼ら二人は高校時代から付き合っていたそうで、交際期間が6年なのだとか。
あまりにも早い結婚に若者にありがちな理由を推測したのですが、そうではなく、彼の方から
早く結婚したいと申し出たのだそうです。
中国では一度仕事を始めるとお互いに時間が合わなくなることもありますから、タイミングは
ちょうど良かったのかもしれません。

式は順調に始まり、順調に進みました。
司会を担当されている男性がやけに声の張りがいい。
ホテルと契約されている方なのかどうか、司会をするくらいですから発声がいいのは当然
なのでしょうが、式の進行中にBGMに合わせて歌を添えたりするのですがこれがまた上手い。
新婦のお色直しの最中に、「私で良ければ歌を歌います」と控えめに断った上で歌ったのが
私が中国の歌で唯一この歌をカラオケで歌えたらどんなに格好いいだろうと思っている
京劇役者の歌。前段を男の声で後半を女性の声で歌うのですが、見事な声なのですね。
私は思わずブラボー!と声を上げました。
ただ、残念ながら、この司会者が歌の最中に我々のテーブルに近寄った際に私がサムズアップを
して彼からも返してもらったのに、その映像がない。
どうやら興奮のあまり、録画ボタンを押し忘れたままフィンダーだけ向けていたようです。
夜にホテルでそのデータがないことを知ったときは、かなりショックでした。

宴もそろそろ終盤というころに新郎新婦の手伝いをしている中国語では幇娘という役割をして
いる、彼女らも教え子ですが、二人から呼ばれてひな壇へ向かいました。
最後の記念撮影です。
普通は家族や親戚縁者、結婚式に携わったスタッフが記念撮影としてこの式の為にスタンバイ
しているカメラマンによって撮影されるのですが、今回は私も貴賓として呼ばれました。
とびきりの笑顔になっているかどうかは分かりませんが、彼らの記念に残る一枚になることは
確実だと思っています。

席に戻った後で、同じ席にいながら怪訝な顔でこちらを見ていた新婦の旧友からも記念撮影を
求められました。初めは中国語が分からない外国人?といったような見方だったのですが
私がお姉さんや新郎と中国語で言葉を交わすうちに安心したようです。
私も学生や知り合い以外から撮影を依頼されるのは久しぶりなので少し驚きはしましたが
快く応じました。最後の一年くらいで会得した?写真用の笑顔で。

日本で生活していれば、ごくごく一般的な市民ですし、元々撮影は好きですが、被写体になる
のは嫌いな人間でしたので、極力そういう機会は避けていたのですが、外教という仕事は
何かのきっかけで学生と一緒に被写体になるケースが多いので、割り切ってポーズを取るなど
努力はしていたのですが、自分の表情を見るたびに、これではいけないと感じていたのです。

顔が笑ってない。

もちろん、怒っているわけでもなく、学生が喜んでくれるのでこちらも嬉しいのですが
顔は無表情のままだったのですね。

以前、同じ学校にいらっしゃった同僚の先生が写真撮影の度に写真用の笑顔をされていて
どうすればあのような笑顔が作れるのか不思議だったのです。
ある時、CAを養成するドラマだったか何かを見てその方法が分かって以来、出来る限り
その笑顔を作れるように工夫してきました。

自分自身ではそんなに価値があると思っていなくても、撮影を依頼してきた学生によっては
初めて会った日本人であったり、何らかの記念になる一枚であったりするので私の勝手な
判断で粗末な一枚にするわけにはいきません。

久々に数回もフラッシュを浴びたので口角を上げる頬が痙攣するかと思いましたが・・(笑)

式場を後にする時、私のサービスぶりに感激してくれたのか、新婦のお姉さんがわざわざ
私のスーツケースを持って式場を誘導し玄関まで送ってくれました。
当初は外国人を見慣れないのか、作り笑顔で話していたのが、別れ際には心からの笑顔で
「謝謝老師、再見」と見送ってくれました。

その後、新郎新婦が私の為に用意したという車まで案内してくれて、乗車。
窓を開けて『お幸せに!』と叫んでお別れをしたのですが、この意味を彼女が分かったか
どうか今となっては不明です。
幸せという単語はもちろん知っているのですが、「なってください」が省略されているこの
結婚式特有の常套句は教科書にはなかったかもしれないですね。

夜に写真を数枚QQでアップしましたら、あまりにも若い結婚式に驚きの声がある一方
私が出席することを歓迎する声もちらほらありました。

私にとっては初めての教え子の結婚式ですが、これをきっかけに結婚式に招待してくれる
教え子が増えてくれればいいと思っています。もちろん私が中国にいる間にですが・・。
彼女らの綺麗な姿を見ると共に、必ずや同級生や友達が参加するはずですから、ちょっとした
同窓会にもなるのですね。
彼ら彼女らと昔話をする。それが楽しみで仕方がないのです。



2013.04.29 教え子の結婚式
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回顧録Vol.1 初日

2013年05月06日 | 日記
青島到着

下関出発時は快晴だった空が夜にかけて雲が多くなり、翌日は雨模様に。
平穏だった航行もだんだん揺れが大きくなり、2日目はほぼベッドの上でした。

昼食時に知り合った日本人旅行者の方から青島の桟橋近くに路線バスがあることを
知り、下船後はタクシーの予定をバスに変更しました。
タクシーだと値段交渉をした挙句に到着時に更に上乗せされる可能性もあります。

船内放送で3時半下船予定とのアナウンス。
今までアナウンスの時間通りに下船できたことがなく、今回もまたそうなると
思っておりましたら、ちゃんと時間通りに下船できました。

桟橋から南に3分ほど歩いたところに路線バスのバス停があったのですが、隣接する
ビルが工事中で、バス停の看板が壁に阻まれて見えない。
壁の向こうに行こうと回り込もうとしたら、侵入不可。

わずか数十センチの差。これもまた利用者の利便性など考えないこの国ならでは(笑)

路線バスの番号は伺っていたのですが、とりあえず到着したバスの運転手に駅に
行くか?と尋ねたら首を縦に振るのでそのまま乗車。
いくら?と尋ねたら5と言う。濰坊にも路線バスによっては距離によって3元程の
運賃がかかる場合があるのですが、それにしても高い。青島はそうなのかと不思議
ながら乗車して社内を眺めていたら路線図に料金1元と示してある。
なんだ、青島はバスでもぼったくるのか・・・。いくら久々の中国とはいえ
5と1の発音と口の動きを間違えることはない。
ちょっと悔しさはあるものの、4元の授業料ならいいか。。。

バスは市内の渋滞を抜けながら青島駅東口へ到着。
車の動きなど我関せずという歩行者の列に紛れて駅へ。
青島の駅は東と西にチケット売り場と駅構内入口がありまして、東口は常に混雑。
西口はいつも比較的空いているため、西口へと移動。

チケット売り場にある電光掲示板で新幹線の発車時刻を見ていたら、15分後に
1本、その後が50分後。窓口に並ぶ人数を見て15分後はほぼ諦め。
50分後のチケットを購入。座席は一等車。中型のスーツケースを持ち運ぶには
二等車は狭すぎると判断したもの。僅か10元の違いですからね。。

新幹線が発車するホームによって構内入口も東、西、両方と分かれており、私が
購入したチケットは東から入場するもの。再度東口へと移動。
混雑の中東口に入ったら、待合室は既に座る席がないほどに混んでいる。
同じ列車に乗る数百人が待つのだから仕方のないことなのだけど、立ちっぱなしも辛い。

便の番号と到着想定時刻を芳にメールしたら、ちょうど試験が終わったところで
一度マンションに戻ってそれから迎えに行くという返事。
彼女と雪を含む4人が本科大学への編入試験を受験しており、2日間の試験の
全科目が終わったところ。
時間からしてこの便でちょうど良かったのかもしれません。

青島が始発駅のため、発車時刻の20分前に改札開始。
立って待つ時間がなくなって良かった。。


濰坊到着とドタバタ劇

夕方6時半とあって出口は大勢の出迎え客。
学生達を探すも暫くは見当たらない。ちょっと離れたところから近づいてきました。
懐かしい顔に安堵感が。
一人見覚えのない姿がおり、試験会場で新しい友達でもできたか、と思いきや
雪でした。後ろで結んでいた髪をバッサリと切り、完全にボーイッシュになった上
少し染めておりました。元々性格は男勝りでしたので丁度いい感じです。
試しにと『いつイメチェンしたの?』と尋ねましたらかなり前との返事。
さすがドラマを見て語彙力を増やしている雪、この質問にも軽く答えましたね。

すぐにでもホテルにチェックインして食事に行きたかったのですが、芳ともう一人
翌日の結婚式に行く学生から「明日のチケットを買いましょう」と提案され
窓口に並ぶことに。
濰坊から済南へ向かう新幹線は7時が最も早く、その次が8時、結婚式開始が10時
と聞いていたので、8時では間に合わない可能性があり、朝が少々早くなるものの
7時の列車を購入しようと決めたのですが、、、なんと新幹線どころか快速、普通車
に至るまで午前の列車は全て売り切れ。
時によっては無座という日本の自由席のようなチケットを販売している場合も
あるのですが、それすらも販売終了。

学生が「先生、バスにしましょう」と。
それしか方法が無いのですが、新幹線で1時間半かかる場所、高速を使うとは言え
バスだと3時間かそれ以上・・・。

駅のそばに長距離バスのターミナルがあり、窓口で済南までの時間を尋ねたら3時間。
済南行きのバスの始発は6時。その後午前中は50分毎の発車とのこと。
始発で行くしかない。明朝は5時起きか・・・。
とりあえずチケットを3枚購入しておき、ホテルへチェックイン、そして夕食へ。


いつもの餃子

太極拳仲間の尤の紹介で知り合った商学部の先生の招待を受けて気に入った餃子城と
いう名の餃子専門店。学校からも近いため、何かの行事の後によく食べに行ったお店です。
夕食から参加してくださった方先生と翌日の結婚式に参加しない雪ともう一人の学生が
先に到着して待っていてくれました。

餃子を3皿と料理を3つほど注文しましたら、さすがに女の子達は食が細く、
3分の1くらいが余ってしまい持ち帰りになりました。

方先生が「主人が最近(私が)太ったって言うんですよ」と仰るので
『(まだ夫婦の営みがあるのなら)先生の体を一番よくご存知なのはご主人でしょうね』
と冗談で返しましたら大笑いしていました。
しかしその後に続く話で驚き。なんと出産前の体重にまで増えてしまったのだとか。
私が帰国する前はそこそこ痩せていたような気がしたのに、何故??

たぶん、ストレス太りではないかと。
日本語科閉鎖以来、唯一の日本語の授業であった他学部向けの日本語の授業は
育児休暇から復帰された包先生が担当され、方先生は学校の派遣で民間の旅行代理店に
お勤めなのです。
教職を離れて事務方や他の業務に従事する先生がいらっしゃることは知っていましたが
民間の会社に派遣されたという話は方先生が初めて聞いた例。
私のように民間で非常勤や社外顧問といった先生はたくさんいると思いますが。

方先生は山東省でトップクラスの大学の修士を修了された方。
その割には常に笑いを誘うおっちょこちょいなお茶目な方でもありますが・・・。
修士を修了した後ですぐに今の学校で教鞭をとっており、民間の経験は無し。
そのような方が校内の事務方も経ずにいきなり民間のしかも旅行代理店に勤めると
なれば、そのストレスの大きさやいかに。
学校派遣の特権で週末やGWはお休みだそうですが、日頃のストレスを食事で発散
させても無理のないところ。大変な異動に遭遇したものです。

私が日本語名の名付け親になった方先生の娘さんにも是非会ってくださいね、という
招待を受け、中国到着初日の夜は終わりました。

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何かの異変?笑顔のGHとCA

2013年05月04日 | 日記
5月4日(土) 濃霧

日本と中国の往来の際に、何かしらハプニングが起きることが多いのですが、今日も
また楽しい出来事がありました。

起きたのは4時半。空はそこそこ明るいのですが、眼下には深い霧が覆っていました。
バスの出発は7時なのですが、ホテルにいても落ち着かないので、5時半過ぎには
チェックアウトしてタクシーでバス発着点のホテルへ。

そのホテルに到着したのが6時。他に客がおらず、暇そうにしている従業員に
近づいたとところ、何やらぶっきらぼうに言葉を発してくるのです。
もう一度言ってくれないかとお願いしたところ
「oh my god」なんて言ってやがる。
その言葉を使うなら本当に英語で応酬してやろうか。

その従業員の話によると濃霧による高速道路閉鎖でバスが動けないからチケットの
発券ができないのだと。
どのタイミングになるかも分からないと。

どうしようか・・。
7時発のバスが使えないとなると駅から青島まで新幹線を使って青島駅からバスか
タクシーで空港に行くしかないのですが、新幹線は早くても8時台。9時半頃に
青島駅に到着したならまだ間に合う可能性はありますが、朝1番の新幹線は
チケットが無い場合が多い。

6時を過ぎた頃に他の客が来ても従業員の態度は相変わらずだったのですが
暫くしてホテルの従業員らしき若い男性が運行状況を確かめにきた時に態度が豹変。
「確認しますので少々待ってください」
「7時のチケットが発券できるかどうか6時半に決定します」だと。
まぁ、お客様はあくまでもサービスを提供してあげている相手なので重視して
いないのはよく分かりますが、それにしてもこの変わりよう・・・。

時間になる前に確認が取れてチケットの発券が始まり一安心したのですが・・
出発したものの40分経っても高速に乗る気配がない。
いつもだと大体30分以内に高速への導線に入るのですが、只管一般道を走って
いるのですね。
もしかしたら濰坊の高速道路が封鎖されていたのかもしれません。

高速道路を使って約1時間50分、一般道だとどれくらいかかるのか分からない。
出発して1時間経った頃になんだか穴ぼこだらけの農道を走ったあとで漸く高速に
乗りました。

途中で近くに座っていた若い男性が運転手に何やら相談して、直行バスには珍しく
SAに停りましたら、車内の半数以上の乗客がトイレに走りました。私もその一人。
2時間は耐えられるよう乗車前にトイレに行き飲み物は避けていたのですが、
いつ空港に到着できるか分からない状況に緊張感が増したようです。

予定より2時間半遅れて到着。
ちょうど私のフライトの搭乗開始手続きが始まる頃でしたのでいいタイミングでした。

国際線のロビーに入ると、閑散としていたのですが、非常に目立つ場所でCAと
パーサーと思える一団が横一列に並んで、指揮官の指揮の下何やらパフォーマンスを
披露している。

どうやら私が乗る飛行機の航空会社、中国東方航空らしきスタッフ。
パフォーマンスはいいのだけど、サービスをしっかりして欲しいもの、と思って
おりましたら、手続きが始まって驚きました。カウンターの女性が笑顔で対応
しているのです。奥の方から出てきた管理職らしき男性が彼女らに向けて「笑顔ね!」
と声をかけている。
日本ならもはや当たり前の顧客サービスも中国ではあくまでも事務的にこなしていた
顧客への接遇。
一体何の変化があったのか不思議ではありましたが、このカウンターの女性もCA級
の美女だったので、その笑顔には見とれてしまいました。
(CAが全て美女だとは思っていませんが)

私がこの航空会社を利用して、定刻通りに離陸したことが一度もなく、アナウンスの
タイミングも遅いことから、【出来れば利用したくない航空会社】不動の一位なの
ですが、今日は搭乗開始こそ予定時刻より少し遅れたもののほぼ定刻通りの離陸
でした。搭乗客が極端に少なかったので、あれで遅れてはそれこそ大問題ですが。

中に入り、空席が目立つ割には私の席は通路側だったので、窓側に移りたいと
申し出て席移動。
離陸後の濃霧に覆われる青島市内を見て驚きました。

この中をバスは走ってきたのですね。

ドリンクと機内食の機内サービスもCAが懸命に笑顔を作りながら応対していました。
パーサーはどことなく仏頂面でしたが、こちらが事あるごとに謝謝と声をかけると
最後にはパーサーからも謝謝と返してきました。

元々スタイルは良く美人も多く、先進国の顧客サービスを真似すれば世界の舞台で
活躍できる人材が多いと思っていました。
私は他の国の航空会社を利用する機会が無いので状況が分からないのですが、
今後中国人CAが活躍する舞台が増えるかもしれないですね。
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最後の夜

2013年05月03日 | 日記
5月3日(金) 雨のち曇り

今日は朝昼午後夕方夜と再会を楽しみそして別れを惜しんできました。

最終日にして漸く今回大変お世話になった外事主任と会食してきまして、昨日の
模擬授業の成果を褒められました。先方の外事主任から話がとても良かったと
高評価を頂いたそうです。

夜にはたまたま今日が仕事休みだったという教え子と会うことができ、彼女が休みの
日にいつも食事を共にしている芳ともう一人の同級生の3人としばしの会話を
楽しんできました。

明日は市内の別のホテルから早朝7時に出発する空港行きの直行バスに乗るため
知人友人に会えるのは今夜が最後。その最後の機会に教え子に見送られたことは
本当に幸せでした。

1週間という長いようで短く、とても充実した時間。
この期間で最も大きな成果は間違いなく山東省での次の仕事をほぼ手中にしたこと。
「機会があれば、また濰坊に来ますね」という曖昧な表現ではなく
「9月にまた会いましょう」とお互いに期待感の高いお別れができました。

1月3日は先の見えない悲しい別れでしたが、5月3日はほんの少しの寂しさは
ありますが、作り笑顔ではなく、本当の笑顔で【再見】を言える別れでした。
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学校見学

2013年05月03日 | 日記
5月2日(木)

60年代から70年代の方々がご覧になっていたと思われる、夏目雅子さん主演の
西遊記、その中で堺正章さんが演じる孫悟空が持っていた妖術の中に分身の術が
ありました。
胸の毛を取ってそれらを吹き飛ばすと毛が対象の人間になるというものでした。

仕事が忙しい時にたまに自分の分身が欲しくなりますが、今もまさにそんな状況。
限られた時間の中で多くの人と会う。
本当は一人一人にじっくり時間を作りたいところですが、決まり文句は
「短い時間でごめんなさいね」

今日は以前学校の外事主任から紹介された濰坊の隣街にある大学を見学に。
紹介とは言え、何が起こっても不思議ではないのがここの日常ですから、あえて
機関名はまだ出しませんが、学生たちに学校の名前を告げると皆驚くレベルの学校です。

さてや、今までとは段違いにいい学校だとしたら学生のレベルも違うのだろうし
私の経歴(中国の短大)で大丈夫だろうかという心配が少しありました。

学校の名前は理工系なのですが、大学そのものは総合大学。
2つの学校が合併してできた大学なのだそうで。
キャンパスが二つあり、そのどちらも敷地が広い。
私が案内されたのは外国語学部と外教の宿舎がある新キャンパス。
車で校内を案内されたあと、ある授業で5分間ほどの模擬授業を依頼されました。
いわば仮面接ですね。

ある日本人教師が担当されている授業の終了を待って行うと言われたのが
その先生の授業が終了の時間になっても終わらず、仕方なく日本語科の主任の先生が
担当されているクラスで行うことに。
いきなり主任級の先生に見られるのは緊張しますが、これが却って幸いでした。

1年生の授業でしたので中国語を織り交ぜながら自己紹介してまず学生が驚き
私の話を理解している学生に通訳させ拍手を送ることで案内してくださった主任と
日本語科主任のお二人も驚かれていました。そして最後に
「私の授業は度々教科書を離れます。教科書よりも皆さんとの対話を重視します」
「私の授業では言い間違えることを恐れないでください。たくさん言い間違える
(たくさん話す)学生ほど進歩が速いですよ」と締めくくりました。

模擬授業を終えたあと、日本語科主任の先生から両手のサムズアップを頂きました。
その先生によると日本人の先生でも教科書を何度も読ませる方がいる、と。
それは中国人の教師でもできること。
日本人教師はなるべく学生との交流を大切にして欲しいと。

外事主任からも学生の反応が良かったと賞賛いただきました。
外教の仕事は授業はもちろんするが、その他の活動、学生と交流するのが最も重要
だという私の考え方をお伝えしましたら、そのとおりだと。

その後、外教の宿舎を見せていただいたのですが、これがとても綺麗。
近くにグラウンドがあり、以前と同じように朝の運動が可能です。

見れば見るほど環境が良く、9月が楽しみになってきました。
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濰坊にて

2013年05月01日 | 日記
5月1日(水) 朝

昨夜はホテルに帰り着いてから、睡魔との闘いでした。
青島に到着してから移動の連続でしたから疲れがたまるのは仕方がないのですが
もう少し体力があれば、と昔が懐かしくなりますね。

一歩外に出ればブログのネタには事欠かない面白き世界、書きたいことはたくさん
あっても、今は時間を空けて友人に会うことが優先です。
この旅行記?を完成させるのは帰国後かもしれませんね。

昨日から濰坊に戻り、帰国するまでの4日間同じホテルに宿泊します。
知名度では濰坊で最上位に入るホテルがGW期間よほど客数が少ないのでしょう
通常の3分の2の料金の為、迷わず予約しました。
仕事で滞在していた頃に「泊まってみたいホテル」の一つだったこのホテルに
仕事を離れて漸く滞在できました。
施設はそこそこ古いのですが、それでもさすがに外国人が多いだけのことはある
とてもリラックスできる部屋です。
このホテルで夜は疲れを取りながら、残りの期間を有意義に過ごしたいと思います。
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