けんきゅうきろく(と、あともうひとつ)

レアル・マドリー、リーガエスパニョーラ関係の、なんとなく気になるニュース。

新しい血

2010-07-31 17:50:19 | football
公式発表:サミ・ケディラ獲得

詳細情報は日本語公式。に加えて、El Paisから以下のとおり。
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ブランドのマークの入った服は買えなかった。高い車もなかった。どこかへ遠征した時に、チームメイトたちと一緒にハンバーガーも食べられなかった。「でも僕は幸せに育った。」 サミ・ケディラはそう言う。レアル・マドリーの今シーズン3番目の加入選手となったサミ・ケディラのために、シュトゥットガルトには1500万ユーロが支払われた。1987年にBad Constantに、チュニジア人の父、ドイツ人の母の間に生まれた。父親のLazharは、ドイツにやって来た時には、職業上の訓練も受けたことがなく、ドイツ語もわからなかった。彼はドリスと恋に落ち、結婚した。「学校には行かず、ドイツ語はストリートで学んだ。何もわからないままヨーロッパへやって来て僕の父となったこと、それには大きな価値がある。」とケディラは言う。Lazharは、金属の会社で働き続けながらも、TV Oeffingerという小さなクラブで、6歳でプレイを始めたケディラの最初の監督となった。
ケディラの契約は5シーズン。彼は「モウリーニョが捜し求めていた選手。完璧なセントロカンピスタで、中央でも、また右に開いてもプレイできる。きちんと配置できるようなクラッシクなメディオセントロではなく、むしろスペースに開き、上がっていくようなタイプだ。」 と、ミゲル・パルデサは定義する。ポリヴァレントな選手で、攻撃に参加し、ゴールも上げる(98試合で14ゴール)。8歳で加入シュトゥットガルトの下部組織に加入し、そこで育った。2006年には、19歳でトップチームにデビュー。フェルナンド・メイラやパヴェル・パルドにかわいがられて成長した。2006年には、彼らにこう言われている。「お前は、すごいキャリアを積んでいくあらゆる条件を備えているよ。」
同じことを、ドイツ代表監督でもあるレーヴも悟っていた。彼は、ケディラを2009年に代表デビューさせている。彼は、既にU-21欧州選手権でキャプテンマークを巻いて勝利を収めていた。「驚くべきポテンシャルを持っている。」とレーヴ。彼らが言うのは、「ケディラは頭がよく、落ち着いた生活を送っている」ということだ。商業の職業訓練コースを始め、シュトゥットガルト郊外の小さな町、Winterbachにガールフレンドと住んでいる。バラックの負傷が、ワールドカップ南アフリカ大会での先発への道を開いた。レーヴのドイツの、新顔の1人だ。若く、大胆、ミックス。
「試合のコントロールを取るのは楽しいし、僕は、ディフェンスと攻撃の間を噛み合わさせる存在なんだ。」と彼は言う。ファウルは少なく(ワールドカップ期間中で5回のみ)、パス成功率も高い(ワールドカップでは、200あまりのパスのうち80%を成功させた)。「マドリーのような難しいチーム、難しい街に移籍してきて、いろいろなことがどうなるか見ていこう」と、スポーツマネジメントのほうからは言われている。ジョゼ・モウリーニョは、月曜日に彼がロサンジェルスにやって来るのを待っている。中盤ではオーバーブッキングが起こる。ケディラも含めて、チームには6人の中盤がいることになる。ラス、シャビ・アロンソ、ママドゥ・ディアラ、ガゴ、そしてグラネロ。ディアラは次の1年で契約が終わるため、クラブにオファーがあれば、最初にクラブを出る可能性がある。
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50,000/day
ASによると、シャルケ04の「7 Raul」ユニフォームは、1日で5万枚売れたそうです。ちょっと大げさな気もするけど。そんなにユニフォームが売れる選手だなんて、某会長さんのお好みなんじゃないですかね。
ちなみにマドリー公式では、ラウルのカミセタグティのカミセタも絶賛販売中です。記念のため、想い出のために買っておきたいファン向けなのかもしれませんが、阿漕なことよのー、と思ってしまいました。


バンディエラから、元バンディエラへ
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トッティは、彼を讃えることを望んだ。「彼はバロンドールに値する。」

ローマのカピタンであるトッティは、ラウルへの賞賛を隠さない。2年前、2008年1月31日のイタリア紙でのインタビューで、トッティはこう言っている。
「フットボールの世界には、バンディエラ(旗頭=クラブを象徴しリードする選手)、クラブのエンブレムを表す選手がもうほとんどいない。でもラウルは、俺と同じく、まさしくそれだ。育ったクラブでキャリアのすべてを全うできる可能性があるんだ。」
そうした理由があり、マドリディスタの元カピタンが「ラ・カーサ・ブランカ」を離れシャルケへ移籍したことは、トッティの口を開かせ、彼はラウルについての特別な想い出を疑わなかった。トッティは、自身のウェブサイトに、次のように書き記している。
「スペインのフットボールにおいて、最も強く、象徴する存在であり、成功した選手の1人であるということに加えて、彼はマドリーの魂……ベルナベウのバンディエラだった。俺はいつも彼を賞賛してきたし、いつもこう言っていた。ラウルは偉大だ、バロンドールに値する、と。前線の攻撃にあっては、あらゆる機能を完遂できるストライカーであり、テクニックとスピードを備え、何よりもゴールの感覚が血に流れている。マドリーを離れた今、俺は彼に賛辞を送りたい。チームに、その街に、ユニフォームに、これほど貢献する選手というのは、現代のフットボールではごくわずかしかいないんだ。俺は、彼が意味してきたものを完璧に理解し、そして彼を讃えたい。
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チーム・ラウルの紹介
先日の「チーム・ラウル」。これは、ラウル本人のセレクトではなくて、MARCAの記者が選んだんでしょうね。ラウルだと「11人に絞れないよ」とか言ってそうな気がする。
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フェルナンド・イエロ
マラガ出身のイエロは、レアル・マドリーでのラウルにとって、常に優しいゴッドファーザーであった。ラウルは、レアル・マドリーでもスペイン代表でも、イエロから学んだイメージで、そのキャプテンシーを示してきた。イエロは、レアル・マドリーにおけるあらゆる記録を塗り替えていくであろうという意味をこめて、ラウルを「エル・フェラーリ」と呼んだ。

フェルナンド・モリエンテス
フットボールの世界における大親友の1人。ラウルの経歴に記される3つのチャンピオンズリーグファイナルで、2人は前線でコンビを組んだ。フェイエノールトとのUEFAスーパー杯前のモリエンテスの移籍話で、ラウルは、彼のソウルメイトへのクラブの扱いに、ひどく憤慨していた。

ペップ・グアルディオラ
バルセロナの監督は、ハビエル・クレメンテ指揮下のスペイン代表で初めて出会って以来、ラウルとは素晴らしい関係を続けてきた。どちらも互いに敬意と称賛を持ち、それはバルサとマドリーというライバル関係を常に超越するものだった。2人とも、スポーツ界の紳士と言える。

ルイス・フィーゴ
物議を醸すレアル・マドリーへの移籍の後、フィーゴはラウルが最高の手助けをしてくれることに気がついた。最初の試合から、明快な共通理解が、2人の間に存在した。プロフェッショナルとしての価値を共有し、どの試合でも最大の献身を尽くした。

ミチェル・サルガド
ガリシアのラテラルは、ロッカールームと、信頼と、そして馬を愛好する情熱とを、ラウルと共有していた。ミチェルはいつでも、ラウルが批判されるときはカピタンの味方に付き、ラウルはいつでも、彼の献身に感謝していた。

ロベルト・カルロス
このブラジル人は、ラウルとは11年間に渡ってロッカールームを共にし、レアル・マドリーのタイトルコレクションを一緒に手にしてきた。ロベルト・カルロスは、常にリーダーであるとみなされ、ピッチの中でのその勇気を称賛されていた。

フェルナンド・レドンド
レドンドは、ラウルのレアル・マドリーでの初期の頃の、最も重要なサポートの1人であった。オールド・トラフォードでのタコナッソが、2人を永遠に結びつけた。

ルート・ファン・ニステルローイ
オランダ人の加入は、ピッチの中でも外でも同じように、両者の良い関係をもたらすものとなった。ラウルのキャリアすべてを通じて、最も親しく交流できたストライカーの1人だろう。

サンチアゴ・カニサレス
スペイン代表で、ラウルとは親密な関係を築いていた。ラウルの称賛者であることを明言し、友人の得点本能に悩まされた。パリで行われたチャンピオンズリーグのファイナルで、ラウルはカニサレス相手にゴールを決めた。長い一対一の後に決めた、最も重要なゴールのうちの1つだ。

グティ
カンテラでは一緒にはならなかったが、トップチームでは15年間共に過ごした。どちらもこの上なく純粋なマドリディスモを体現し、そして一度ならず、共にカピタンとして責任を取らなければならなかった(問題に立ち向かわなければならなかった)。彼らは、わずか1日の違いで、手を取り合うように去ることとなった。消すことのできない記憶を残して。

メツェルダー
このドイツ人DFは、シャルケ04でのラウルのガイドとなることだろう。彼らの友情関係は、ラウルが新しいチームに慣れるのを助け、ゲルゼンキルヒェンでの冒険をしやすくするはずだ。

ホルヘ・バルダーノ
ラ・ロマレダで彼をプレイさせ、彼の人生におけるチャンスを与えた監督。感謝の証に、ラウルは長男に「ホルヘ」と名付けている。
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違うんだな

2010-07-30 21:10:58 | football
ケディラ獲得
マドリー公式はまだですが、シュトゥットガルト公式では「合意しました」という記事が出ていました。一応、移籍の詳細は明らかにされていませんが、移籍金は、1000万~1200万ユーロと見積もられているようです。


7
昨夜というか、L.A.時間だと昼間なんだと思いますが、金曜のマドリーのプレスカンファレンス担当はクリスチアーノ・ロナウド。で、もうご存知のとおり、「7番は俺がもらう、ラウルも喜んでくれるよ」とかいう、あさってな方向の発言が飛んでまして、少々物議を醸しております。
クリスチアーノを擁護してやるなら、プレスカンファレンスの場面で自分から「7番はいただく」とか言ったわけではなく、

Q:ラウルが移籍しましたが、背番号9を7に変えるのでしょうか?
C:ラウルの7番を付けたい。それに、ラウルもそれを誇らしく思ってくれると思う。僕たちは、同じ考え肩を持つ選手だから。できるなら、9番を7番に変えたいよ。

と、一応、聞かれたから答えたわけです。でもなあ……不合格。
ラウルがお別れの挨拶をして、まだ3日程しかたっていないんです。「まだそういう話をする時ではない」くらいで濁すべきだっただろうな。勝手を言わせていただくなら。
もっとも、このクリスチアーノのコメントを報じたMARCAやASの読者コメンタリオをざっと見ましたが、クリスチアーノが「7」を背負うかもしれないことに賛成しない人、今回の発言に批判的なファンはけっこういる感じ。CR9はマドリーでまだ何も獲得していないだろう、「7」は、スペイン人、カンテラーノに受け渡されるべき、という意見がちらほらと。
クリスチアーノも、ユナイテッドで付けていたエースナンバーで思い入れもあるんだと思いますが、マドリーの「7」はエースナンバー以上の意味がある。少なくとも、現地のマドリディスタにとっては。

「ほんの少し」

2010-07-30 00:23:40 | football


プレゼンテーションにて
遅れましたし、あちこちにもう出ているものだと思いますが、載せておきます。el mundoの記事から。
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16年をレアル・マドリーで過ごした後、ラウル・ゴンサレス・ブランコは、異なるユニフォームを着てポーズをとっていた。シャルケ04のオフィシャルプレゼンテーションが、水曜日、ヴェルティンス・アレーナで行われた。ラウルは、自身のキャリアでの次のステップを踏み出していくという「夢」を示し、新しいファンたちからの愛情を受けていた。

ラウルは、ずっと微笑み、このイベントの間中嬉しそうにしていた。チームのユニフォームを身につけた子供たちが作る花道を通って、ラウルは新しいスタジアムに初めて足を踏み入れた。その後、新しいユニフォームをお披露目し、ゲルゼンキルヒェンがあるルール地方の鉱山労働者から石炭を贈られた。ラウルには、監督であるマガトが、ずっと付き添っていた。

「僕にとって、今日は本当に特別な日です。16年間同じクラブにいた、そこを離れてきたのですから。ですが、新しいチャレンジを始めるんだという希望も持っています。」 白のクラブのカピタンであったラウルは、そう話した。
ラウルを獲得するというフェリックス・マガトの野望は、このドイツのクラブへの移籍を決めるひとつの要素となった。「シャルケは僕に信頼を寄せてくれました。特に監督は、このことが実現するように、最初から大きな興味を注いでくれました。他のオファーも受け取っていましたし、レアル・マドリーに残るかどうかと言うことも考えていました。たくさん考えて、一番力を注いでくれたこのクラブに決めるのに、数ヶ月かかりました。」

大志は変わらない。ラウルは、「とにかく一生懸命やるために」、「ファンに楽しんでもらうために」、「自分自身と家族が素晴らしい経験を楽しむことができるために」、ゲルゼンキルヒェンに来たのだと話した。「これは重要なチャレンジですし、ファンの皆さんには、何よりもチームを、僕を楽しんでほしいと願っています。僕たちの目標を達成するために。」
そしてラウルは、この「競争力のあるクラブ」にあって、ブンデスリーガとチャンピオンズリーグのために戦っていくことを信じ、「できる限りの自分のベストを尽くす」が、個人のゴールのことは標榜しなかった。「僕にとって興味があるのは、自分のゴールよりも、チームがタイトルを取ることです。」 そう強調した。
未来に目を向けて、ラウルはレアル・マドリーと対戦する可能性を排除しない。「そうできないという条項はないですから。」 そうは言いながらも、「そうなったら本当に特別なことになるだろう」と言う。「いくつかの状況がなければ。チャンピオンズ・リーグのずっと上の方で、それが実現してくれたらなと思っています。」

33歳のラウルは、シャルケと2シーズンの契約を結んだ。年俸は300万ユーロ弱だという。
水曜日、ラウルはメディカルチェックを通過し、彼の新しいユニフォームと共にプレゼンテーションに臨んだ。クラブショップでは既に、ラウルの名前と7番がプリントされたユニフォームを買うことができる。これまでこの番号をつけていたHao Junminは、新しいシーズンにラウルが7番をつけることを認めてくれた。
ラウルがシャルケ04に加入するのに、最も力を注いだフェリックス・マガトは、このストーリーがハッピーエンドになった喜びを示している。「シャルケにとって素晴らしいニュースだ。類稀なフットボーラーであり、ワールドクラスのストライカーを獲得できた。ブンデスリーガにおける我々のチームの戦いに、刺激を与えてくれることだろう。」
マガト監督は、ラウルを加えた自身のチームの、フットボールの飛躍を強調し、ラウルのクオリティが「我々の向上を助けてくれるだろう」としている。「彼の加入は、このチームの強化と、将来の構築のために、きわめて重要なものとなるだろう。」

ラウルは、デュッセルドルフの豪奢なホテルで妻のマメン・サンスと娘のマリアと共にいて、Bild紙によれば、火曜日には既に新しい家と子供たちの学校を探していたということだ。ラウルは、子供たち(ホルヘ10歳、ウーゴ7歳、エクトルとマテオの双子が4歳)も含めた家族全員のための環境を整えているということだろう。
また同Bild紙によれば、ラウルは土曜日には、ハンブルクと対戦するFCシャルケ04のチームに加わるだろうとされている。またシャルケは、7番ラウルのユニフォームを、5万枚売ることを狙っているとのことだ。
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でも、素直にシャルケの公式で英語記事読んだほうが早かった気がします。
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Q:こんにちは、ラウル。シャルケへようこそ。たくさんのファンが、あなたの公式のお披露目を見ようとヴェルティンス・アレナにやって来ました。シャルケの選手として、初めてスタジアムに足を踏み入れるのは、どんな感じでしたか?
R:圧倒的なものでした。僕は、このアレナに、特に僕を見るために来てくれたすべてのサポーターたちに感謝したいと思います。今日は、僕にとって特別な日です。マドリーでの時間は終わり、シャルケでの新しい時が始まったところです。シャルケ04とフェリックス・マガトに、僕に示してくれた信頼に対して感謝したいと思いますし、その信頼に応えたいと思っています。僕の目標ははっきりしています。このクラブとファンタスティックなファンの皆さんと一緒に、この先の2年間で、大きな成功を祝いたいということです。

Q:これまでの数週間、または数ヶ月の間に、世界のいくつかのクラブがあなたと結びついていました。シャルケ加入を決断させたものは何だったのでしょうか?
R:第一に、この数ヶ月の間に、このクラブが示してくれた大きな興味です。僕は、最初から、シャルケが僕の獲得にとても一生懸命になってくれていることを感じていました。それが印象的でした。他にもオファーを受けていましたが、最終的にこの決断を取ることは容易いものでした。今は、家族と共に新しい国を知っていくことが楽しみです。ドイツの最初の印象、特にシャルケの人たちについては、とてもポジティブな感触を受けています。

Q:レアル・マドリーの新監督ジョゼ・モウリーニョは、最後まであなたをとどまらせようと、非常に懸命に説得したといわれていますが…。
R:そのとおりです。僕たちはもう1度話し合いの機会を持ちましたが、でもその時には既に、シャルケで次のチャレンジを求めるんだということを決めていました。マドリーでは、僕はファンタスティックな時間を過ごしました。それは決して忘れないものですし、いつでも愛情と共に振り返ることでしょう。でも今は、何か新しいものに向かう準備ができています。

Q:シャルケは、ドイツでも最も大きなチームの1つです。新しいクラブについて、どれくらいご存知ですか?
R:多くのことを。もうクラブの歴史について学んでいるので。それに新しいチームメイトたちからも情報を集めています。そしてチームメイトたちと一緒に、成功を納めたいと思っています。クリストフ・メツェルダーとは顔なじみです。マドリーで一緒にやっていました。彼は僕に、シャルケについて良いことをいろいろ教えてくれました。ファンタスティックなファンの前で、最初の試合をするのを、楽しみに待っています。

Q:ロイヤル・ブルーを身につけた、あなたの個人目標は何でしょうか?
R:それは僕の優先事項ではありません。全体としてのチームの成功が一番です。僕は、リーグ戦の頂点にチャレンジした意思、DFBカップの長い道のりを勝ち上がっていくこと、そして少なくともチャンピオンズリーグのグループフェイズを通過すること。こうした目標すべてを、僕のチームメイトたちと一緒に実現するために、僕はたくさんのゴールを決めたいと思っています。

Q:ヨーロッパのコンペティションのゴールランキングで、あなたはフィリッポ・インザーギと共に、68ゴールでトップです。すぐにでも、この記録を自分のものにしたいと思うでしょうか?
R:もちろん、素晴らしいことだと思います。チャンピオンズリーグでゴールを挙げることを狙っています。でも先ほども言ったように、チームがうまくいくことこそが重要です。僕はチームプレイヤーですから。

Q:もう1つお願いします。ドイツ語を話しますか?
R:Ein wenig(ほんの少し)。言葉は、チームメイトやファンの皆さんとコミュニケートできるようになるために、できるだけ早く学びたいと思います。簡単なことではありませんが、うまくやりたいと思います。僕は、ここを家のように感じたいので。そうするためには、言葉を理解する必要があります。
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ラウル、(ほんのちょっとだけ)ドイツ語しゃべれたのか……。


メツェがスペイン語できるので、とりあえず大丈夫。


トレーニングの様子も少し入ってる映像



アジアマーケット
LFP(Liga de Futbol Profesional)は、アジア市場(この場合、東~東南アジアの辺りを指すと思われる)への本格的な進出を検討しており、2つの計画を発表。アジアでは既に、マンチェスターUtdやリバプールなど、プレミアリーグのクラブが絶大な人気を誇っている、そこへの参入を狙う。代表チームがワールドカップで優勝した今が、まさに時宜を得ているのだ、という感じのようです。

○時間変更
アジアでの試合視聴の便宜のため、まずは今シーズンの試合のうち、だいたい17試合の開始時間を早める試みをするようです。
でも、そんなことしても日本には何の効果もないですね。WOWOWの放送したい時間枠内に入ってなければ、放送はナシ、っていうだけだろうから。でも、もう日本はターゲットになってなさそうな気もする。

○ミニトーナメントの創設
Copa Internacional LFPなるミニトーナメントを、プレシーズンの期間に開催。スペインの3チームと、東南アジア(sureste de Asiaって東南アジアでいいんですよね?)の1チームとで争うというもの。これは、やるとしたら来年からだそうです。


メヒア、フランスへ
唐突ですが、09/10シーズンでセグンダB降格が決まったムルシアのメヒアは、クラブと協議の結果契約を終了し、フランスのアルル-アヴィニョンへ加入するようです。アルル-アヴィニョンは、今シーズンからリーグ・アンに昇格するチーム。でもまだ公式には出てなかった。メヒア、もう28歳かー。


混乱ですね
スペイン語、ドイツ語、英語、フランス語、にほん語。日本とスペインの時差に加えて、アメリカ遠征のおかげで、さらにL.A.との時差も計算しないと。シャルケの練習スケジュールはまだよくわからないし、グティの情報はもっとわからない……。
慣れていかないと、少しずつ。

いつかその時まで

2010-07-29 06:44:54 | football
「マドリーと対戦できたらいいね」

ラウルのシャルケ04加入が正式に決まり、水曜日、ヴェルティンス・アレナにてプレゼンテーションが行われました。「7番」って、これ誰かつけてたの(すいません、選手知らなくて)、もらえたんですね。マドリーのユニでないなら何番でもいいかと思ってたんですが。ありがとうございます


ゲルゼンキルヒェンは旧炭鉱の町らしく、石炭の塊をプレゼントされる



真っ黒になってしまった手が気になるラウルさん


この日から、トレーニングもスタート。7月31日にヴェルティンス・アレナで、リーガ・トータル!カップというカップ戦があるそうで(GAORAで録画放送あり)、ここがファンへのお披露目の場になるようです。試合に出るかどうかはわかりませんが。相手がハンブルガーSVだそうで、いきなりルートとの邂逅ですね。
最初のインタビューも出ているのですが、時間がないので後回し。上に書いた「マドリーと対戦できたらいいね」というのは、さすが強いな、ラウルは。




数日戻りまして
26日付のAS
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ラウルはバルデベバスで、チームメイトたちに泣いて別れを告げた

ラウルは、バルデベバスのシウダ・デポルティーバを、26日の朝のトレーニングが始まる前に訪れ、クラブのスタッフたちや今日その日までチームメイトであった選手たちに、泣きながら別れを告げた。サンチアゴ・ベルナベウでの公式のセレモニーの前に、ラウルは、バルデベバスに行き、ジョゼ・モウリーニョの率いられたトップチームのトレーニングが始まる前の数分間を、チームメイトたちに別れを言うチャンスとすることを望んだのだ。
涙にくれながら、ラウルはチームメイトたちに別れを告げ、また彼がレアル・マドリーに16年間いる間にサポートしてくれたスタッフたちすべてにも感謝を伝えた。
ラウルは、トップチームの選手すべてにさようならを言えたわけではなかった。多くの選手が、まだワールドカップ後のバカンス中だからだ。感情を見せていたラウルに別れを言うことができたのは、ペペ、ガライ、マルセロ、ママドゥ・ディアラ、グラネロ、ベンゼマ、ラス、ガゴ、ドレンテ、デュデク、アダンだった。またカンテラの選手たち、それからペドロ・レオンもいた。
チームメイトたちと共に数分間をロッカールームで過ごした後、ラウルはバルデベバスを離れ、公式のセレモニーのためにホルヘ・バルダーノとフロレンティーノ・ペレスが待ち受けているサンチアゴ・ベルナベウへ、涙のまま向かっていった。
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El Paisの記事。多少端折ったところもあります。
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たとえばフランコ・バレージが、彼の人生すべてを捧げたクラブに、プレスルームで別れを告げるなど、想像することすら難しいだろう。バレージは、20年間をミランで過ごし、そのうち15年間はキャプテンマークを巻き、531試合に出場し、1997年の10月にクラブを去った。その日、サン・シーロは満員で、ロッキーのテーマが流れ、仲間たちやライバルたちが集まっていた。その場には、イエロやレドンド、ブトラゲーニョ、ミチェルも参加していた。最後にバレージが、ロッカールームからトンネルを通って登場した。
24年間をこの家で過ごしたグティは、ピッチに足を踏み入れることすらなく、日曜の昼に、ホルヘ・バルダーノに伴われただけでプレスルームで別れを告げることになった。ラウルは、チャマルティンで16年を過ごし、フロレンティーノ・ペレスの言葉を借りれば、「無限の貢献、ハードワークと献身」の象徴であるのに、昨日は役員が顔を揃える中、空っぽの青い座席が並ぶのを背景に、ごく一角に集まった300人のファンからの拍手を受け、心を打つスピーチで別れを告げた。ペドロ・レオンのプレゼンテーションに集まったファンの数と同じだけだ。
昨年、クラブがクリスチアーノ・ロナウドやカカ、ベンゼマを迎えた時のようなセッティングは何もなかった。その時は、ピッチにステージをしつらえ、家族やプレスや役員が、選手が歩いたりユニフォームを着たり、最初の言葉を口にするのを見守っていた。クリスチアーノのプレゼンテーションには、アナウンスによれば、8万人。ラウルのお別れには、スタジアムの近所の見物人、300人。

エル・カピタン、1994年10月28日に、ラ・ロマレダで17歳でデビューして以来、すべてが非常に早く動く中で生きることに慣れていた。スピーチの場では、少し動揺していたようだった。ラウルは、原稿を用意してあることに理解を求め、神経質にマイクを何度も何度も触り、声は震えていて、そして少ない言葉で、ラウルとはどういうものだったのかをまとめた。
「僕はいつも、ベストを尽くそうと努力してきた。僕の頭には、降伏するという言葉は決して存在しない。なぜなら、そういうものとしてレアル・マドリーを理解しているからだ。」
ラウルは33歳、ずっとレアル・マドリーで自身のキャリアを終えることを夢見てきた。しかし彼は、12ヶ月契約を残して、去ることを決めた。
「ここで引退することに、近づいたり離れたりしていた。このことを考え、クラブと自分にとってベストのものが、こういうやり方を取ることだった。モウリーニョが、僕が残るのを求めてくれていたことはわかっている。彼は、ここで僕とやっていくという希望を伝えてくれた。それで僕はためらいができた。そうだよ。でも、今でなければ二度とはないんだ。」
同じことをグティも言っている。彼の取った決断は、半分は彼のもの、半分はクラブのものだったと。

---それは、この決断をするのにプレッシャーをかけたのがクラブだというように聞こえます。
---まったくそんなことはない。クラブは、すべての時間を、僕がこのことについて考えるために与えてくれえた。長いプロセスだった。昨シーズンはプレイする時間が減り、僕は妻と話し合って、その時が来たんだと理解した。プレイするかしないかということではない。もし僕が今シーズン残って、たくさんプレイするとしたら、身体が別のものを要求するだろうと、僕は確信しているから。

ラウルは、10月28日の午後、家に帰った時の興奮を想い出していた。
「両親に、サラゴサに行くことになったと言ったんだ。父は、僕がカスティージャで行くんだと思って、「どうしてサラゴサに、なんでだ?」と聞いてきた。父は、ものが食べられなくなったよ。両親が幸福を感じてるのが嬉しかった。」
そう語るカピタンは、今もフットボール選手であるという気持ちを感じ続けていたいから、出ていくのだという。彼が言うのは、その立ち居地を確かめる前に早く動いていってしまうものがあり、ある距離を置いて過ごしたいのだと言う。
「17歳の時から、すごいスピードで物事が動く中を過ごしてきた。今は、すべてのものが時間をかけて進んでいくようにしたい。」

この別れは、望んだとおりのものだったのかという質問が飛んだ。
「いつでもたくさんの夢を見ている。僕の場合それは素晴らしいお別れをすることだった。愛情を感じられるから。僕は、白いユニフォームを身につけてプレイして、それでお別れを言いたかった。そうなんだ。でも(いつか)そうする時もあるかもしれないと思ってる。」

最後の時まで、カピタン。
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白のまま引退する、という夢が、もちろんラウルにはあった。それがかなわないことになったのなら、やっぱり26日には、もっとラウルに相応しいセレモニーの仕方があっただろうと思う。パルコに偉い人揃えて、会長様がじきじきにご挨拶くださって、取って付けたようにファンがいても、まったくラウルに相応しいものだと思えなかったのが、口惜しいというか、それが切なかった。
あと何年かして、ペレスがいなくなって、ラウルが本当にプロフェッショナル止めるって時が来たら、ラウル・マドリーで選手揃えて、ベルナベウでにぎやかに引退試合できたらいいなと思います。

MARCAに、ラウルチームという、ラウル的ベスト11人+監督が載ってます。GKカニサレス、ディフェンスは左からロベルト・カルロス、イエロ、メツェルダー、サルガド、中盤底にグアルディオラ、レドンド、左にグティ、右にフィーゴ、トップがモリエンテスとファン・ニステルローイで、監督はバルダーノ。これいいですね。いつかこう揃えて試合やってほしいです。もっとも欠点が1個だけあって、ラウル用ベストイレブンなので、ラウルが入っていないという…外されるのはモリエンテスか、ルートか…。




グティもトレーニングを開始したようです
リンク先の記事(公式)に、ニハトと話してる写真があるんですが、ニハト…少々ふくよか(婉曲表現)になった気が……。



L.A.
放置しまくりですが、マドリーの皆さんは、水曜にアメリカ合宿に出発しました。というかもう着いてるか。ロサンジェルスのビバリー・ヒルズ・ホテルに滞在し、UCLAのトレーニング施設を使って、トレーニングを行う予定のようです。
月曜日には、予定より2日前倒しでペペが合流、火曜には、これも1日前倒しでクリスチアーノ・ロナウドが合流。カンテラからも、5人の選手(ナチョ・フェルナンデス、マルコス・テバル、アレックス・フェルナンデス、ファンフラン、アルバロ・モラタ)が帯同しています。U-19欧州選手権でファイナルまで進んでいるカナレスと、ブラジル、オランダ、スペインの代表選手たちは、そのうち合流するはず。
練習試合は、8月4日にサンフランシスコでクラブ・アメリカ、7日にロサンジェルスでL.A.ギャラクシー、13日にアリアンツでバイヤン(バイエルン・ミュンヘン)戦、17日にベルギーのリエージュでスタンダール・リエージュ戦。少なくともスペイン代表は、9日にメキシコで代表の試合があるはずなんですが…プレシーズントレーニング開始して1週間ってところで、代表に引っ張っていかれるなんて…。


左から、モラタ、テバル、アレックス・フェルナンデス、ナチョ、ファンフラン


また画像だらけだ……。

初めて外へ踏み出して

2010-07-28 04:54:40 | football
グティ、お披露目




デルボスケからグティへのメッセージ
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グティについて話すというと、いつも最初に思うのは、彼の両親のこと、グティのために大きな献身を尽くしてきた2人のことだ。どちらも働いていて、それでもトレホンから以前のシウダ・デポルティーバまでトレーニングに来る彼に付き添わない日はなかった。毎日1人ずつ、彼らはグティの傍にいた。彼が初めてマドリーにやって来た日のことを覚えているよ。コーチ陣の1人がやって来て、私に言った。「ビセンテ、金髪の子が見えるか...あの子がどんなふうにボールを扱うか見てみるんだ。」 そう、そのとおり、彼は私がほとんど見たこともないようなボール扱いをしていた。彼は、ボールの前でも後ろでも、本当に効果的にプレイする選手だ。もし彼が誰かに批判されてきたなら、もし誰かが彼にもっと続けろと求めてきたなら、そしてもし彼がスタメンとして十分にプレイしてこれなかったなら、それはマドリーが彼のポジションに、常にスターを捜し求めてきたからだ。とても競争の激しいポジションで、彼が十分にプレイできなかったのは、そういう理由があるんだ。彼がどう成長してきたかとか、その見た目とか、性格のせいではない。そうしたことは、彼をまったく害しはしなかった。私はいつも、彼とは個人的に良い関係を築いてきた。彼は少年の頃にここへやって来て、マドリーで長い時間を過ごしてきた。彼はいつでも、誰に対してもとても愛情深くて、思慮深く、ロッカールームでもとても愛されている子だった。ファンは彼に愛情を示していたし、もし何か問題があったとすれば、それはファンが、彼がもっとできるはずだと信じていたからだ。
私はいつでも、彼に良い助言をしようとしていた。ある日、私は彼にこう言った。「なあ、お前は好いやつだ。なのに、なんでもうちょっと髪を切らないんだ?」 彼の返事を覚えているよ。「じゃあ、あなたがその口ひげを剃ったらね。」 確かにね、私は彼が正しいと思ったよ。それで言ったんだ。「わかった、そのとおりだ。好きなようにしていいよ。」って。
マドリーでの542試合というのは、素晴らしい軌跡だ。1人の選手からすぐ次の選手がやってくるクラブに、彼がどれほどの空間を残すのかはわからない。私は彼に、幸運とフットボールを楽しんでくれることを、願っているよ。
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マルコス・アロンソ、ボルトンへ移籍
レアル・マドリー・カスティージャの左ラテラル、マルコス・アロンソ(19歳)が、ボルトンに移籍することが決まりました。契約は3年間、うち最初の2年間には、マドリーに買い戻しの選択権がついているようです。
相変わらず、カンテラーノの移籍の記事はぜんぜん載せないマドリー公式。

ボルトン公式から
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「どのようにして、若い頃には一生懸命に働き、そしてトップに到達し良い選手になるか、という良いお手本が、僕の家族にある。
祖父はヨーロピアンカップを5回獲得し、家中にメダルが置いてあった。父もヨーロピアンカップのファイナルまで行った。2人の歴史を学ぶことは、僕にとって素晴らしい経験でもある。(祖父マルキートスはマドリーのレジェンド、父親はマドリー下部組織からアトレチコ、バルサでプレイ)。
父は、ボルトンでとても喜んでいる。このクラブに良い感触を感じている。それが、僕が契約を決めた理由だ。
ボルトンについては、スペインでもたくさんのことを聞いてきた。なぜなら、スペイン人選手たちが、以前にもここでプレイしたから。それで、非常に素晴らしいクラブであること、ファンが待ち望んでいるのがマンチェスター・ユナイテッドとの試合だということを知っているんだ。
レアル・マドリーでは、トップチームに上がるのが本当に難しい。だから、トップに到達するベストの方法は、他のチームへ行くことだった。僕は、プレミア・リーグは世界でも最高のリーグだと考えているし、ボルトンは本当に良い選択だというフィーリングがあった。だから僕はここへ来た。
監督が言ってくれたことがとても嬉しい。彼は、僕がここでとても快適でいられるだろうと言ってくれたんだ。だから、プレイするのが待ち遠しいよ。
今日(火曜日)、フィジコと一緒にトレーニングをして、チームに合流できる準備はほとんどできていると言ってくれた。今週末までにはそうできたらと願っている。
フレンドリーマッチで出場時間が得られたらと思っている。8月14日のフラム戦でプレイする準備ができるようにね。」
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さよなら、El Gran Capitan, Raul

2010-07-26 21:39:46 | football

最初にパルコにて式典。フロレンティーノ・ペレスが、ラウルがチームを離れること、ラウルの功績などを紹介。そしてラウルの挨拶。ラウル、原稿を用意してあった。時々笑顔を見せるんだけど、やっぱり非常は固いし目が潤んでる。話し終わった後は、パルコに集まっていたレジェンドたちと記念撮影(もちろん、ディ・ステファノは出席できなかった)。おじいちゃんたちと挨拶を交わした後は、ピッチに降りて、スタジアムの一角に集まったファンに挨拶。目頭押さえてたりするのに、ずっとカメラが追いかけ、ファンの方はカポーテとかラウルの本とかユニフォームを投げ込んで…サイン求めるような場じゃないだろうにな……。

露骨にグティとは違うお別れの仕方をしなければならなかったラウル。涙にじませながら笑顔作らなきゃいけない、最後まで義務を果たさなければいけなかったラウルでした。


今日もアルベロア
昨日の「GUTI ALE!!」に続いて、今日もカピタンのお別れに反応していたアルベロア
「今日、レアル・マドリーで16年を過ごして、ラウルがお別れを言うんだ。ラウルがラ・ロマレダでデビューしたとき、僕は11歳だった。」
「毎週毎週、彼のプレイを見て成長してきたよ。今日ラウルは、いくつもの記録、何百ものゴール、何千もの消えることのないイメージを僕たちに残していなくなるんだ。」
「でも何よりも、ラウルは僕たちに、彼の勇気と、彼の献身と、彼の強い意思と、そして、フットボールへの彼の愛、彼が残すものとしては最高のものを残してくれるんだ。グラシアス、カピタン。」


画像で追うラウルのキャリア
MARCA
MARCA Reportaje(特集ページ)
MARCAの表紙で追うラウル
El Pais
el mundo

後でゆっくり見たい。


ラウルのコメント
まずはMARCAから。とにかく長かったので、パルコでの挨拶なのか、プレスルームでの応答なのかまだ区別がよくわかりません。
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今日は、僕にとって、僕のキャリアすべてを通じて、とても辛くて、厳しい日だ。僕はフットボールを愛しているし、レアル・マドリーの選手になるということは、僕が想像しうる中で最大の夢だ。僕は選手であると感じるし、そうできる間、僕の身体が許す間は、選手だと感じ続けていたい。
ここで過ごした年月の間、僕はいつでもこのクラブのために最高のものを求めてきた。なぜなら、僕はいつでも、子供の頃からここで学んできたこのクラブの価値に、忠実でありたかったからだ。今、僕はこれまでにないほど、僕のどのプレイも、どのドリブルも、どのダッシュも、どのマークを外す動きも、どのシュートも、ピッチで見せたどんなプレイでも、常に僕自身のベストを尽くそうとしていたものだということを皆にわかって欲しいと思っている。
このクラブに、ここにいた間僕をサポートしてくれたすべての人たちに、僕の傍にいてくれた人たちに、感謝をしたい。そうしたことを決して忘れないだろう。

今日、新しいステージが始まる。僕は、レアル・マドリーにいてとても幸せだった。必要な時は、いつでもこのクラブをサポートしたいと思っている。
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とりあえず、パルコの分はこれくらい。


こちらはプレスカンファレンスの分を、ASから。
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Q:なぜクラブを出るのでしょうか?
R:その時が来たからだよ。終わりにしなければならないと感じたんだ。何年にも渡って、世界で一番のクラブのユニフォームを着て、僕に本当によくしてくれたチームメイトたち、監督たち、スタッフたちと知り合った。僕は33歳になった。若い人たちが素晴らしい力を持ってやって来ているし、これが海外を経験する最後のチャンスだ。じっくりと決めたこと、家族と決めたことだ。この点でクラブは僕を助けてくれて、待ってくれた。僕はプレイし続けたいと望んでいるんだ。スペインの外の経験をして、他のフットボール、他の文化をを知りたい。僕はここを離れるけれど、でもさようならではない。すぐのことだよ。僕はこのクラブの人間だと感じているし、どこへ行こうとも、ファンとしてマドリーを応援していくつもりだ。

Q:ベルナベウに、ビジターとして帰ってくるとしたら、どう感じるでしょうか?
R:チャンピオンズで対戦したらありえる可能性だね。時が過ぎればそういう状況もあるだろう。でも、別のユニフォームでベルナベウに戻ってくるのは、本当に辛いことだと思う。

Q:マドリーでのあなたの場所は誰が埋めるのでしょうか?
R:多くの選手たちがやってくることだろう。僕たちには、カンテラの選手たちがいる。イケルは2017年まで安泰で、彼か他の人たちが埋めるだろうし、マドリーのカンテラは機能している。僕たちが、もっとカンテラから選手が出てきて欲しいと思っているのは確かなことだ。今はサイクルの時だけれど、確実にカンテラの選手たちはやって来るよ。

Q:グティと一緒にお別れをしたかったでしょうか?
R:僕たちは一緒に成長して、1年先に僕が上がった。お互いに違う歴史がある。グティには、彼に値するお別れの時があり、それが昨日だ。彼を見ていて、僕は感動してしまった。僕たちはたくさんのことを分かち合ってきたんだ。彼はベルナベウを立ち上がらせることができるようになった。彼は天才で、重要な人物だったんだ。寂しくなるよ。

Q:将来、マドリーの監督としてのあなた、という可能性をどう見ますか?
R:この最後の1年、皆は僕を選手以外の多くのもの、僕がそう見て欲しいと思うものではないように、僕を見ていた。新しい挑戦に立ち向かう時間が、この先にはあるだろう。でも今は、僕はフットボールがしたい。このクラブにいることで、経験が積み上げられる。でも他のものとして、監督・コーチをすること、スポーツマネージメントをすることもある。時間がたてばそういう時も訪れるだろう。僕はいつでも、マドリーが望むことに、僕が助けられることのためにいるだろう。

Q:あなたの次の行き先はシャルケだと見られていますが、あなたの興味は…。
R:興味は、シャルケから僕に向けられているものだよ。既に話し合いがあって、それが深まっているということだけは言えるだろう。明日から始まって、わかっていくことになるだろう。なぜなら、他のチームとも話し合いがあるからだ。多い数じゃないけど、シャルケは僕に最も興味を持ってくれているチームの一つだ。明日から始まってわかっていくことだけれど、でも僕の将来はプレミアリーグとドイツの間にある。それ以外の可能性は放棄したよ。

Q:あなたにとって一番特別な想い出は?
R:たくさんあって、1つに、というのは難しいよ。でも、一番最高だったのは、10月28日の金曜日、家に帰って母に、トップチームと一緒にサラゴサに行くことになった、と伝えた時だと思う。父は、物が食べられなくなっていた。両親や家族、友人たちを見ている幸せというのは、本当に素晴らしい想い出だし、僕に一番に残っている想い出もそうなんだ。

Q:モウリーニョと会話を交わして、迷いは起きませんでしたか?
R:はっきりしていたよ。彼は優れた監督で、素晴らしい成功を納めているから。僕はいつでも彼を好んでいたし、彼と一緒にやっているチームメイトたちも、彼について素晴らしい話をしてくれた。でも、そう簡単なことではなかった。簡単なのは残ることで、彼と一緒にトレーニングしていくことも、トレーニングを受けることも夢だった。でも状況が過ぎていき、僕はすべてのことを包括的に見なければならなくなり、このことは、モウリーニョが僕を好んでくれるかどうかとは、独立の問題になった。決断は数ヶ月延びて、家族でよく考えて、こう決断したんだ。
(ラウルの残留はモウリーニョ次第ではなく…結局、出て行かざるを得ない状況があったということなんだろうか)

Q:これまでいっしょにやってきたチームメイトたちの中で、心に残るのは?
R:マドリーの外でなら、グアルディオラ。代表で一緒にやったし、ピッチの中で既に彼は監督だったんだから。僕の代表での初ゴールにつながるパスをくれたのも彼だ。マドリーでなら、たくさんいるよ。誰ともうまくやってきたし、選ぶのは難しい。長いリストになるよ。でも1人というなら、たぶんレドンドだ。同室になることがあって、僕のパートナーとよりも彼と同室で寝る方がほとんど多かったくらいだから。でも、皆がそうだよ。
(さらっと訳しましたが、微妙な言い回し使うなラウル……)。

Q:どのような存在として思い出してほしいですか?
R:時間がたてば、僕がどう思い出してもらえるかわかるだろう。僕は、すべてを尽くしてきたことがわかっているから、心を穏やかにしてに出て行ける。人間として、僕はシンプルで教養あるように努めてきた。それは相反するものもでもあった。でも時間が、それぞれをあるべき場所に置いていく。

Q:あなたへの批判について、何を言いますか?
R:批判は僕を成長させ、向上させ、そして今の僕のキャリアがある。ぼくは、すべてのものに敬意を払おうと努めてきた。僕は誰とも問題を起こしたこともなかった。それを誇らしく、満足に感じて、出て行くよ。

(とりあえず、了)
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送る言葉

2010-07-26 18:59:24 | football
公式より、各選手からグティへの送る言葉。公式日本語にもなってますけど、自分で読みたかったので。

イケル・カシージャス
「レアル・マドリーのカンテラ出身選手たちのお手本が行ってしまう。彼のことをとても寂しく思うことだろう。すばらしい人なんだから。」 「偉大な選手、素晴らしい人物、素晴らしいカピタンが行ってしまう。グティが行ってしまっても、でも彼はいつでも、レアル・マドリーのエスクードの一部であり続けるだろう。選手としての彼は、僕がこれまで見てきた中でも最高の才能を持った選手の1人だ。1人の人間としても、僕は彼を10歳の時から知っているけど、彼は素晴らしい心を持った人だ。彼を素晴らしい友人だと思っている。彼が見せてきた素晴らしいプレイ、そのパス、ビッグゲームの数々は、目に焼きついて離れないだろう。いつでも彼はレアル・マドリーの歴史の一部であり続けるだろうし、僕はずっと彼がいないことを寂しく思うことだろう。」

クリスチアーノ・ロナウド
「僕が若い頃、グティのような選手の傍でプレイできることを夢見ていた。僕は彼を見て、感動的なプレイをすると思った。そして彼の傍でプレイすると、彼の左足のスパイクは特別なものだということがわかった。そういう夢がかなったのは嬉しいことだ。」 「彼の傍でプレイしたことは名誉なことだった。これから、彼がとても幸せなスタートを切ってくれるように願っているよ。」

シャビ・アロンソ
「天才だ。グティは、僕がこれまで一緒にプレイしたことがなかったような、とても違いのある選手だ。彼はなによりも素晴らしいゲームビジョンを持っている。それから技術的なクオリティも十二分にある。この10年間で、ラストパスを出す才能は一番だった。彼と一緒に過ごしたこの1年間で、僕はそれを目の当たりにすることができた。1人の人間として、心が寛く、違いがあり、特別で、そして彼を知れば愛情を感じずにはいられないような人だ。」

カカ
「素晴らしい人、素晴らしい選手だ。この1年間で彼と共に過ごして、たくさんのことを彼から学んだ。彼はいつも、たくさんのとても素晴らしいものを伝えてくれた。」 「ここに来る前から、彼のクオリティは知っていた。でも彼の傍でプレイしてみて、フットボーラーとしての彼が、どのくらい感動的かわかる。彼の左のスパイクがすることは信じられないくらいすごい。あのパス...ピッチの中でも外でも、とても高潔な人だ。彼と一緒にプレイすることを、僕はとても楽しんだ。いつでも彼は、僕たちの、すべてのマドリディスモのハートの中にあることだろう。」

ペペ
「素晴らしい人物で、本当に優れた選手だ。彼には強烈な個性があって。彼から僕の心に残されるのは、何をおいても「仲間のために死ぬまで戦う」ということだ。」 「彼の左足は信じられないくらいすごい。彼は、僕がこれまで見てきて、チームメイトになれた中でも最高のクラスの選手。世界にも、あんなことができる選手はいない。彼と一緒にプレイできたのは名誉だった。いつでも、僕たちの成功は彼の成功だ。」

ベンゼマ
「(リアソールでのグティのタコナッソを想い出して)とても印象的で、彼独特のもの。あのパスは決して忘れないよ。」 「僕がこのクラブに加入した時から、彼は僕によく注意を払って、いつもたくさん話しかけてくれた。ピッチでの彼は本当にフェノメノ、僕が見てきた中でも最高の選手だ。いくつもの印象的なパス、そして本当に素晴らしいプレイをする。彼の今後の幸運を祈っている。僕にとってグティはフェノメノなんだから。」

ドレンテ
「グティは、俺のこれまでの人生で見てきた中で、最高に輝いている選手だ。背中に目が着いてるよ。彼の傍でプレイしてきたこの年月で、僕は彼からたくさんのことを学んだ。俺は彼のスタイルが好きだ。ピッチの中のも、外のものも。彼は優れた選手であり、優れた人物なんだから。彼がいなくなったらとても寂しくなるだろうな。そして俺は、いつでも彼を俺の友人だと思っているよ。」

マルセロ
「ピッチの中でもいつも守ってもらっていた。僕がここへやって来て以来、すごく心を配ってもらった。優れた選手であり、優れた人物、印象的で特別で、誰をも引き付ける選手だ。彼がやって見せた、たくさんのパスもプレイも忘れられないよ。偉大な人物、そして友人がいなくなるんだ。」

グラネロ
「どんな時もその痕跡を残していくような人、結果にとらわれすぎることもなく、そのアイデンティティを追求するような人だ。彼がピッチ上で見せる驚くような仕事は、この哲学の賜物でもあるということは忘れることはできない。それは、僕たちが、そういう性格だと捉えるなら、それは言われているほど悪いものではない(ここ非常に怪しい)。誰も疑問を差し挟めないのは、彼には計り知れない優しさ、心からのものがあったということだ。」 「1シーズンを一緒に過ごして、彼には深い感謝を感じ続けているよ。」

セルヒオ・ラモス
「疑いなく、フットボール界において、そしてレアル・マドリー史上、最高の選手のうちの1人だ。僕は、彼がいなくなってすごく寂しく感じるだろう。チームメイトとして、ということ以上に、素晴らしい友人がいなくなるんだ。彼の内面は本当に素晴らしい人物、多くの人は気づかないような心を持っている。僕がレアル・マドリーにやって来て以来、いつも彼を身近に感じて来た。良い仲間であるし、ピッチの中での彼のクオリティについては十二分に語られている。彼は、マドリディスモに、偉大な選手として記憶を残していく。僕たちは、彼がいなくて、とても寂しく感じることだろう。」

アルベロア
「僕はレアル・マドリーのカンテラーノだから、グティは僕たちにとって偉大なお手本のひとつとして存在してきたんだ。誰にとっても、手本であり続ける人で、僕たち選手はこのクラブの価値を彼から学んできた。世界中の誰もが、グティのクオリティについて話をする。それはいつでもピッチの中で見られるもの、彼は、同じチームに所属してきて最高の選手の1人だから。でも、知られていないのは、彼がどのようにして今あるようになったか、ということ。これこそがまさに、僕たちが彼がいなくなって寂しくなるだろうと思うことだ。彼は素晴らしい人で、目標なんだよ。」

ラウル・アルビオル
「選手としても人としても、彼はフェノメノだよ。あれほどのクオリティがある選手は、世界でも3人ほどしかいない。そしてチームメイトとしても、彼はいつも細かいことに気を遣って、とても親しみやすくて優しい人だ。これほどの人物だから、僕はベルナベウに彼の像を作ろうと思うくらいだ。」

今日の予定

2010-07-26 06:39:00 | football
本日13時(7月26日、日本時間20時)より、サンチアゴ・ベルナベウのロイヤルボックス(El Palco de Honor)にて、レアル・マドリーのカピタンであるラウル・ゴンサレス・ブランコの送別の式典が、フロレンティーノ・ペレス会長出席の下行われます。その後、ラウルとホルヘ・バルダーノは、ベルナベウのプレスルームにて会見を行います。
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公式、ラウルが自分で言う前に、お別れですって言ってる。フロレンティーノ・ペレスが一緒だなんて、目障りな。

さよなら、グティ

2010-07-25 20:11:54 | football

最後は笑顔で終われたようで、それは良かった。



公式より、会見に先立って流されたトリビュートビデオ。会見場には、グティが獲得した15個のタイトル(トロフィー)が置いてあったそうです。
TVEの放送。


グティはプレスカンファレンスで、レアル・マドリーを離れることを認めました。20時10分頃から始まって20時45分頃まで、受けられるだけプレスからの質問に回答。あとで各紙がどこまで載せてくれるかわかりませんが(どうせ公式はマズイ質問は載せない)、とりあえずMARCAの記事から。
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ホセ・マリア・グティエレス“グティ”は、既に知られている秘密を認めた。レアル・マドリーの「14」は、ベルナベウのプレスルームで、彼のすべてのキャリアを過ごしてきたクラブを離れることを宣言した。グティは15年前、マドリーのトップチームに、当時監督であったホルヘ・バルダーノの手によって、デビューした。

「ただレアル・マドリーに感謝したいだけだ。素晴らしいことも、厳しいこともあるステージを過ごしてきた。俺はレアル・マドリーで成長した。このクラブで、人生のうち24年間を過ごしてきた。そのうちトップチームでは15年間だ。俺はプレイし続ける。でも俺のハートは、レアル・マドリーにあり続ける。」

「俺をサポートしてくれたすべての人に感謝したい。いつも傍にいてくれた家族や友人たち。そして俺にすべてを与えてくれる子供たち。」
またベルナベウのファンに対しても「俺たちにはたくさんのファンがいて、彼らと共に、俺は本当に素晴らしい時間を過ごしてきた。マドリディスモは俺を愛してくれているし、俺も彼らを愛している。」

「さっきも言ったように、俺にとっては素晴らしいステージだった。フットボールを離れる時がきたら、このクラブに戻ってきたい。ただそう願うだけだ。俺は9歳でこのクラブに入り、33歳で出て行くことになるが、レアル・マドリーからのあらゆる価値のあるもの(勇気)を得てきた。この決断は、簡単なものではなかった。」

これがレアル・マドリーの一時代の終わりであるかと聞かれ、
「時代の終わりだとは思わない。レアル・マドリーには非常に優れた選手たちがいる。ただ俺がクラブに求めたいことは、カンテラの選手たちを起用し続けてくれ、ということだけだ。このクラブは常に、カンテラとビッグプレイヤーたちの混合、というキャラクターがあった。これからもそうあってほしいと願っている。」

(将来についていくつも質問が飛んだが、グティはそれを明らかにしなかった)
「まだ決めていない。ベシクタシュからは興味深いオファーをもらっている。でも、まだ決めていないんだ。確かなことはわからないが、どこへ行こうと自分のベストを尽くすだろう。」
「どこでキャリアを終わることになるかはわからない。でも、俺のフットボール選手としてのキャリアを終える時には、レアル・マドリーにいるチャンスを得たい。」

プレスカンファレンスが終了すると、「14番」には、プレスルームからはスタンディング・オベーションが送られ、何か言葉をかけるホルヘ・バルダーノとハグを交わした。
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15年間(MARCAの画像集)

公式が、一気にグティ特集記事を上げてるのを見ると、いったいいつから用意してたんかな…と思ってしまいます。ま、彼らのお仕事なんでしょうけど。




やっぱり泣いてた…会見の冒頭の声、ガラガラだったから。グティの涙って、記憶がないかも。


アルベロア
あんたって人は……(なんか、こういうのの方が泣かされる)。



ASから、もう少し詳しく
さらに長く続いてしまいますが、見た感じ、一番詳しいようだったASの記事。上のMARCAとは少しニュアンスが違う部分もいくつか。
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ホセ・マリア・グティエレス“グティ”は、今日、サンチアゴ・ベルナベウのプレスルームで、ホルヘ・バルダーノに伴われ、レアル・マドリーを離れることを告げた。「14番」は、トップチームで15シーズンを過ごした白のクラブでの長いキャリアに、こうして別れを告げた。「フットボールは続けるだろうが、俺の心はいつでもマドリディスタだ。」

グティは、クラブ、家族、そして何よりもファンへの感謝を述べることを望んでいた。「彼らと共に、本当に素晴らしい時を過ごした。俺は、マドリディスモが俺を愛してくれたことを知って、ここを離れるんだ。」「信じられないくらい素晴らしい時間だった。将来、この家に戻ってこられたらいいと思うよ。」
「クラブに対しても、自分へも大きな愛情があった。このクラブに人生の半分を捧げてきた。9歳でクラブに加入し、33歳で出て行くんだ。このユニフォームが人々に伝えてきたものは本当に重要なものだし、俺たちの誰もが、マドリーでプレイすることがどれくらい重要かを理解している。」
「時間が終わる時がある、ということには気づかなければならない。輝かしい時をここで終えて、若い人たちに道を開いてやらなければいけないんだ。どう言われようと、今日の俺のように、難しい時というのは訪れるものだ。マドリーを離れなければならないという。」
「24年間も過ごしたクラブを出て行くというのは簡単なことではない。クラブにとって、そして自分にとってベストのことを、相互に決めたんだ。マドリーで引退しない悲しさというものは、常にある。」
「フットボールには時期(時代)があり、良い時をキープしていく必要がある。俺たちは、非常に素晴らしい時を過ごしてきたし、前を見ていかなければならない。俺はマドリディスタだと感じていて、その時代が終わるのは今年かもしれないし来年だったのかもしれない。でもそれは今終わるということなんだ。ホルヘ(バルダーノ)とは長い間の付き合いがあって、彼にははっきりと話をすることができた。俺たちは友人同士でもあり、合意に至るまでに、完全にお互いを理解しあってきたから。」
(会見の間、感情的な状態になっていたか質問され)
「そうだね。でも、俺は自分の感情を見せないできた。俺の心の中がどうかというのは、家族がわかっている。どう言われようと、こういう時は訪れるものだし、毅然としていなければいけない。」
「誰もがミスを犯すものだ。プロフェッショナルのレベルでも、個人のレベルでも。後ろを振り返る必要はない。やってしまった悪いことは、消せないものだ。マドリーで多くの年月を過ごした今、自分で批判するのは、公平なものだとは言えないだろう。」
「自分が失敗したであろうことを見ていくつもりはない。俺には変えれらないことだ。俺は、もっとプレイして、もっと決定的な存在になりたかった。それでも俺は、過ごしてきた年月でこれだけの優勝杯を手に入れた。俺たちが勝ち取ってきたものだ。」
(グティは、キャリアの中での特別な一瞬、というのは選べなかったが、その代わりに特別なチームメイトの名を挙げた)
「それは難しい、俺たちは本当に素晴らしい時代をすごしてきたんだ。チームメイト? ラウルとアルバロ(ベニート)だ。彼らは、長い時間を俺と一緒に過ごしてきた。人々(前述の2人を指す?)には、俺がマドリディスタであるということを一緒に感じ続けていて欲しいし、他のクラブへ移籍する重要なチャンスを見逃してきたのも、ここにいて欲しいと彼が望んだからだ。」
(最後の文の指示代名詞は、誰を指してるのかわからない。2人かな…)。

「もし皆が、俺がいなくなって寂しいと思ってくれるなら、それは、俺が良い仕事をしてきたということだろう。俺も、レアル・マドリーを寂しく思いだすだろう。(それでも)俺は、フットボールを続けていきたいし、ほかの事も楽しめたらと思っているんだ。」
(将来について、グティははっきりしたことは述べなかった。それでも、ベシクタシュが行き先として可能性があることは認めた)
「既に言ったように、良いオファーがある。そのオファーを検討し、あらゆることを考える必要がある。気持ちをひきつけられる理由の一つは、ベルント(シュスター)だ。この先に、何が起こるかはわかっていくことだろう。」
「まだベシクタシュを選んではいない。俺はマドリーを出るけれど、この先のことはこれからだ。これ以上は、プレッシャーはないだろう。なぜなら、レアル・マドリーで14シーズン戦うこと以上のプレッシャーなど、そこでは考えられないだろう。そこ(ベシクタシュ?)でのフットボールがどういうものかは知らない。でもここでは、俺たちは試合に勝つだけではなく、タイトルも勝ち取らなければならない。トルコの、そうでなければどこか行く先の、ファンが幸せになるように、うまくできるよう挑戦していくつもりでいる。」
(将来レアル・マドリーと対戦することになったら、と聞かれ)
「ベルナベウのビジター用ロッカールームで着替えて、一緒にプレイしたたくさんの選手たちを見て、それが対戦相手……でも、すべては仮定の話だ。俺にとっても、俺と一緒にロッカールームを分かち合った人たちにとっても、奇妙なものだろう。」
(またグティは、新監督であるモウリーニョとは、まったくコンタクトをとらなかったと明らかにした)
「俺は、ホルヘと話しただけだ。彼(バルダーノ)と俺とで話し合い、最終的にこの決断に行き着いた。俺の将来が宙に浮いていた時に、監督と話すのはばかげていたことだろう。」
「彼とうまくやれたかはわからない。それに、俺はクラブを離れるから、そういうアプローチもしない。彼は優れた監督であり、レアル・マドリーを、そうあるべき地位に押し上げるだろう。一番上、タイトルを獲るということだ。マドリーには、素晴らしい監督と良いプロジェクトがある。」
(グティとラウルの離脱はサイクルの終わりかと聞かれ)
「ラウルがいなくなることは、俺が入ることのできないであろうトピックだ。俺にとってはサイクルは終わりだが、ここから始まるものがある…同時に、とても素晴らしいカンテラから選手たちが上がってくる。俺がレアル・マドリーにいることを誇らしく思うのは、この家の選手たちとビッグプレイヤーたちの融合があったからだ。」
「レアル・マドリーは、カンテラの選手たちを使おうとしなければならない。そういうことが行われていることに、ファンはプライドを感じる。カンテラに従兄弟がいるけれど、彼には長い年月続けて欲しいと思っている。」
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その他
送る言葉

お知らせ

2010-07-25 08:43:11 | football
マドリー公式:グティとバルダーノのプレスカンファレンス
本日13時(7月25日、日本時間20時)より、サンチアゴ・ベルナベウのプレスルームにて、スポーツ・ディレクターのホルヘ・バルダーノに伴われ、ホセ・マリア・グティエレス“グティ”のプレスカンファレンスが行われます。
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オフィシャルの情報はここまでですが、他の報道をまとめると、
「このプレスカンファレンスで、グティはマドリーにアディオスを言う。既にグティとクラブは、残る1年の契約を、給与全額支払い(300万ユーロ)を条件に解消することで合意。そしてユスターのいるトルコのベシクタシュとの間で、今後2シーズン、年俸250万ユーロ(300万ユーロとも)での契約がまとまったようだ。」



ディ・ステファノ安定
金曜日、「軽い心不全・呼吸不全の症状」によってサニタス・ラ・モラレハ病院に再入院したディ・ステファノですが、治療が効果を示しており、安定した状態にあるとのこと。ただしまだ状態を観察する必要があるそうです。

爺ちゃん、入院してる間に、孫が2人いなくなるよ。

週が明けたら

2010-07-24 16:26:10 | football
まだです。
本日のMARCA一面は、月曜(26日、合流日)にラウルがお別れを宣言するだろう、というもの。どんどん包囲されている気がするけれど、どんでん返しがあるなら、ぜひどうぞ。


以下、23日の情報。

気になる健康
マドリーの名誉会長、アルフレド・ディ・ステファノが、軽い心不全・呼吸不全の症状を示したため、これまでの病歴なども考慮した上で、サニタス・ラ・モラレハ病院に再入院したとのこと。つい先日、検査入院が長引いてようやく退院したところでしたが…もういいお年なので、どうぞお大事に。


放置気味のプレシーズン
マドリーは、昨日午前のトレーニングを終えたところで、金曜午後から土日も含めてお休みとなったようです。トレーニングは、レアル・マドリー・カスティージャとの練習試合。トップチームは、これに1-0で勝利。
月曜日は再びドブレセッション。午前のトレーニングは9時30分からスタート、10時45分~11時の時間帯がプレスに公開される予定。夕方のトレーニングは非公開。


デラレがいた
トレーニング後、トップチームの選手たちやモウリーニョ監督は、レアル・マドリー財団の主催するサマーキャンプに参加中の子供たちを訪問し、交流。交流といっても、ハイタッチしまくって、モウリーニョモウリーニョ叫ばれて、一緒に記念写真に納まったくらいのようですが。オフィシャルの動画では、デラレの姿も確認できます。

何を信じますか

2010-07-22 19:38:47 | football
ASはトップで
ラウルは既にシャルケとの契約を済ませた、と、Bild紙が報道したとのこと。

…と、報道しています。



21日付けの「Que!」
ヒネス・カルバハルによると、事態は未決。
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ラウルは、レアル・マドリーにおける彼の将来を、7月26日までには決めないだろう
ラウルは次の月曜日(7月26日)、レアル・マドリーのトレーニングに復帰する。このままマドリーで続けるか、スペインの外でのチャンスを求めていくかは不明のまま。

ラウルの将来は宙に浮いたままだ。レアル・マドリーのカピタンとレアル・マドリーの組織とは、彼の将来についてはまだ決することのないままでいる。「彼はまだ決断していない。次の月曜、7月26日にチームに合流するまで、何も言わないだろう。」と、代理人のヒネス・カルバハルはQue!紙に明らかにした。
ラウルの代理人の言葉は、ラウルが既に、クラブに対して残るという話をしたという噂も、ドイツのシャルケ04、あるいはイングランドのニューカッスルに移るという最近出ていたような噂も、否定するものだ。
明らかなことは、ラウルは月曜日にバルデベバスにやって来て、将来を明らかにするだろうということだ。なぜなら、ヒネス・カルバハルの言葉にあるように、「現在彼はバカンス中で、何も決めていない」からである。もしレアル・マドリーのカピタンが、逆のことを言わないなら、次の水曜日、彼は他の仲間たちと共に、レアル・マドリーのアメリカツアーに旅立つだろう。
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ビルトとカルバハルだったら、カルバハル信じるかな(個人的見解ですが、ビルト≒ゲンダイみたいな感じなので)。
ところでカルバハルのおじさん、モリエンテス、どうなってます?


グティの謎
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月曜日、グティはまだ自身の将来を決めていないと言った。しかしモウリーニョは、彼を戦力に考慮していない。

グティとラウルだけが、ワールドカップを戦っていないにもかかわらず、他の選手と共にトレーニングをスタートしなかった。カピタンは、他の選手よりも10日間、バカンスに入るのが遅れたためだ。そしてグティは、考えるため。もちろん、将来についてだ。昨シーズン、ベルナベウでのクラシコの2日前、グティは、これが最後のクラシコになるだろうと話した。もうこの街に飽きた、変化が必要だと。4月8日のことだった。この頃は、何人かのクラブの責任者たちは、彼の言葉をそれほど真剣に受け取っていなかった。「我々は、グティがどんなかわかっている。気持ちを何千回となく変えるんだよ。」と言っていた。1ヶ月が過ぎ、5月8日、マドリーはカーサでのラストゲームを戦い、グティはファンやウルトラ・スールに別れを告げた。別れを言っているように見えた。しかしグティは、再び気持ちを変えたようだ。
マドリーのスポーツ管理部門は、先の6月で、グティの章は幕を閉じたと考えた。しかしグティにはほとんどオファーがないことが明らかとなっている。唯一あるのは、はっきりしたものではないが、ベルント・シュスターのベシクタシュからのものだ。そして今、出て行く宣言から4ヶ月がたち(そんなにたってないだろう...)、彼はマドリーに残ること、残された契約を全うすることを考えている。来週月曜日、26日は、彼とラウルがトレーニングに復帰する日だ。2人とも、クラブに対し、マドリーで続けるか否かを伝えなければならないはずだ。そしてグティの場合には問題がある。ジョゼ・モウリーニョは、彼を戦力に入れていないと言っていること、そしてホルヘ・バルダーノは昨日、監督は真逆の方向に歩み寄っている、と言ったことだ。AS紙が5月末に行ったインタビューで、この2人のカピタネスについて尋ねた時、モウリーニョは、ベテランは幸せであるべきと述べている。「マルディーニやサネッティ、マテラッツィ、あるいはイエロのように。でもそういられる選手はごくわずかだ。選手というものは、自身と、自信のチームに正直であらねばならない。グティは私にとって、既に考慮の外にある。私は彼の発言を読んだ。私にとっては、それで説明がついている。彼はファンに別れを告げ、ピッチをまわった......」 と彼は言った。しかし昨日バルダーノは、「いかなる時も、監督がグティを戦力に入れないと言ったことはない。」と話した。「モウリーニョは、選手の判断を尊重するというクラブの求めを、受け入れてきている。」

カンテラからトップチームまで、18年間を過ごしてきているグティの判断が、継続することなのであれば、モウリーニョは今シーズンを、対立と共に、始めることになるのかもしれない。
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26日に2人は揃うのか、モウリーニョは意見を変えるのか、バルダーノの意図は……?


後から追加:デラレのプレシーズン
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ルベン・デラレをバルデベバスで見ることは、もはや珍しいことではない。2008年10月30日に、イルンで急性の失神で倒れて以来、出場がかなわなくなっているデラレは、再びシウダ・デポルティーバに、習慣的に姿を現している。先週木曜日、プレシーズンの最初のトレーニング日に姿を現し、チームのメディカルチェックをパスし、さらにはモウリーニョとも言葉を交わした。モウリーニョは望んだとおりにプレシーズンを進めており、デラレの幸運を祈った。
その日以来、デラレは日々、クラブのメディコが準備した非常に軽度のトレーニングを室内で行っている。さらには、他の皆と共にホテル・ミラシエラに行き、昼食を共にしてシエスタを取ることもしている(このプレシーズン、選手たちが一緒に昼食を取って午後のトレーニングに備えるのが、習慣付けられているのです)。こうした判断についての見方は、彼のため、倒れてから1年と8ヶ月が過ぎた今でも、フットボール選手としてある意味を、日々見失わないようにしたいという彼の望みのためである。

クラブは、彼のこのような係わり合いを好ましく見ており、妨げたりはしない。3月11日に、社会保障裁定委員会が、デラレのケースを検討し、永久就業不能ではないと判断を下しているため(参照)、デラレの契約は2012年まで残っている。それでも、クラブのメディコは、彼が通常のレベルでトレーニングすることを許可するゴーサインを出していないままであり、最新のテスト(心臓ホルターテスト)は、彼の復帰を許可する、あるいは拒否するような、決定的なデータを出さないままである。

こうした停滞した状況がある一方で、デラレは次官を無駄にせず、将来の計画を構築し続けている。5月には、スペインの監督ライセンスコースのレベル2Aを修了し、あとはレベル3を残すところまできている。11月26日からその勉強(コース)を開始することになり、3週間後には(修了すれば)、UEFAに所属する53の国で監督をするライセンスを取得できるだろう。ただそれには、さらに6ヶ月間の研修期間が必要となる。既に取得している、RFEFのスポーツ・ディレクターの証明に、この監督ライセンスが加わることになる。
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セルヒオ・ラモス、地元に帰還
ユニセフの活動でセネガルに行ったりしていたため、他の選手たちに比べて少し遅れましたが、セルヒオ・ラモスは生まれ故郷のカマスに帰り、大歓迎を受けたようです。髪型、元に戻りました(映像付きの記事)。




本当にね、疑問に思うんですけど、



ガゴは何を止めたいんです? 敵を止めるとか、そういうの?

23人の南アフリカ

2010-07-21 19:21:01 | football
長いです。

だいぶかかりましたが、El Paisの、スペイン代表選手大会まとめ寸評、読んだので載せておきます。
出場時間が多かった選手は、試合での働き中心に書かれていますが、出場時間が少ない選手たちについては、人柄とかキャンプ地で過ごしてる間のエピソードとか。それはそれで面白いのですが。記事を書いた記者は、おそらく大会中ずっとスペイン代表にくっついていた人だと思いますので、オフのエピソードも含めて、よく選手を観察してのことだろう、と思います。 
大会前の選手紹介はGKからスタートしましたので、今回は逆、前の方の人たちから。(記事本来の並び順とは、大きく異なります)。 
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【DELANTEROS】
ビジャ「ゴールとファイナル」 
5ゴールを挙げ、ビジャはフォルラン、スナイデル、ミュラーとならんで、南アフリカでのトップスコアラーとなった。コンフェデレーションズカップの時とは異なって、常にとてもポジティブ。それがおそらくゴール前での成功に拍車をかけたのだろう。左のエストレーモでも良く、FWとしても良く、トップとして、そして最終的ににはスペインの一団としての戦いを見せた。今大会、ビジャほどシュートを打った選手はいない。ギャンやメッシ(ともに15本)を上回る。話好きでおおらかな性格、当初から彼の新しいクラブ、バルサのグループに溶け込んだ。 
7試合、635分間出場。シュート17本、5ゴール。 

フェルナンド・トーレス「行き詰まり」 
膝の半月板の負傷から不完全な状態で合流、ワールドカップの感覚を手にすることはできなかった。ゴールもなく、トーナメントが進むにつれ、チーム内での役割も失った。最終的に、自身の役割に思い悩み、控え選手たちがピッチ上で行うロンド(ボール回し)に参加するよりむしろ、ベンチでコーチ陣と話し込むようになっていた。目標もなく、ライバルにも勝つことはできず、最終的に筋肉の負傷という最悪の形で大会を終えた。 
7試合、291分間出場。シュート13本。 

ジョレンテ「高さ勝負」 
非常に楽しそうで、ワールドカップのその時々を、記憶に残そうと過ごしていた。ポルトガル戦での彼の途中出場は、相手のセントラルたちを釘付けにした動きからわかるとおり、スペインが垂直方向(縦?高さ?)でも戦えることを示すのに貢献した。彼の長身は、侮ることのできない武器。若手選手たち、ピケなどと友情を築いた。 
1試合、32分間出場。 

ナバス「センタリング砲」
彼が馴染むことを考慮して、チームは常に彼を甘やかしていた。しかしすぐにナバスは、何の不安症の気配もなく、快適に感じていることを示した。これはピッチの上で明らかになった。デル・ボスケのお気に入りで、事態の打開に効果的、右サイドからセンタリングを上げる本物のキャノン砲。ゴールも狙っていたが、ほんの少し巧みさに欠けた。多くのものを見ているが、ごくわずかしか話さない。フットボールと共に、ボールと共にあることを、楽しんでいた。 
3試合、178分間出場。シュート6本、センタリング22本。 

ペドロ「誘導刺激」 
バルセロナでの彼を一躍有名にした役割を、さらに伸ばす。スペクタクルな1年、比べるもののない成長ぶり。神経質さとは無縁、セミファイナルでは、70mに及ぶ動きでゴールするところだった。素朴でおおらかな性格、いくぶんシャイなところも。南アフリカでは、多くの時間をブシと過ごした。 
5試合、176分間出場。シュート6本。 

シルバ「もうひとつの資源」 
どれだけ誘導する役割として、ボールをキープするコマとして働いたとしても、ピッチの上ではほとんど目立てなかった。いつでも問題ごとには関わりたがらないが、物事の解決には前向き、仲間たちには決して悪い顔を見せない。バレンシアの仲間たちとよく過ごしていた。 
2試合、66分間出場。 

マタ「笑顔」 
ほとんどプレイできなかった。しかし、常にチーム内の試合(遊び?)には、人好きのする笑顔で非常に積極的だった。愛想がよく、一緒に過ごしやすい人物。ピケと共に、賭けに勝利。 
1試合、20分間出場。 


【CENTROCAMPISTAS】
イニエスタ「歴史に残る1ゴール」 
相手に対峙し抜き去る能力は、この代表で最も成功につながる動きであった。2ゴールを上げ、特に2つ目のゴールはスペインフットボール史上最も重要なもの。珍しいほどの気の細やかさ、このゴールを彼は、亡くなった友人、エスパニョールのセントラルのダニ・ハルケに捧げた。家族、恋人や姉妹、義理の兄弟と一緒にポチェフストルームを散歩するのを見かけるのは、珍しいことではなかった。MOMに3度選ばれたイニエスタ、彼がこのワールドカップを決めたのだ。 
6試合、557分間出場。被ファウル26回、2ゴール。 

セスク「扇動者(かき回す存在)」 
当初は不満を漏らしていた。重要な存在であると感じられなかったからだ。「彼は反抗者だね。」 デル・ボスケは、愛情をこめてそう言っていた。しかしセスクは、各試合、チャンスに反応し、それを楽しんだ。「こいつは本当にボーっとしてるからさ。」とピケは評する。彼がファイナルで果たした役割、ゴールにつながるラストパスを出したことは、彼が完璧なジョーカーであることを確実にした。 
4試合、126分間出場。シュート4本、アシスト1。 

チャビ「道しるべ」 
ピッチの中でも外でも、チームの心臓。道筋を記す。「クリケットクラブでのミーティング」を引き起こした本人。第2カピタンとして行動し、あらゆることに関わり、常にチームの喜びを解き放っていた。彼の数字はすさまじい。大会で最も長い距離を走り(シュヴァインシュタイガーを400m上回る)、最もパスを成功させた選手となった。 
7試合、636分間出場。合計80.2kmを走り、669本のパス。 

シャビ・アロンソ「パスと引き金」 
チームの連帯を推し進めることを好むが、彼らしいことだが、自身の法規に従って動くところもある。ピッチの中ではチャビの補佐官として、チャビの求めるあらゆるフットボール上の提案を、何であれ理解した。注目に値する大会となった。読書に没頭し、インターネットはつなぎっぱなし、手に入るだけの新聞を読んでいた。シュートに習熟し、たやすくこなすが、アフリカでは的を外していた。 
7試合、593分間出場。シュート13本、544本のパス。 

ブスケツ「指揮棒」 
計り知れない。初戦スイス戦では、人々からの疑いにはまり込んだが、デル・ボスケの信頼を得た。「私が彼のようであればと思うよ。」と監督は言っている。そして「ブシ」は、確実さで応え、ゆるぎない神経を持ってピッチを支配した。21歳にして、ファイナル延長戦では、唯一のメデイォセントロとしてプレイしていた。ピケに言わせると「スペインの未来」。若手たちのリーダーであり、卓球とparchis(すごろくみたいなボードゲーム)の名人。 
7試合、631分間出場。ファウル11回、被ファウル22回。 

ハビ・マルティネス「自信」 
このチームでのもうひとつのサプライズ。陽気で、ポジティブで、面白く、皆の冗談ごとに物怖じせず加わっていく。「カタルフォス(catalfos)」(カシージャスが愛情をこめて名づけたバルサの選手たちの呼び名)の一団、特にペドロやブシ(ブスケツ)と仲良くしていた。 
1試合、17分間出場。 


【DEFENSAS】
セルヒオ・ラモス「活気」 
低から高へ。大会を始めた時は少し急いでいたが、相手に対して集中するようになり、彼のサイドを引き締めた。ファンタスティックなワールドカップを完遂。サイドを上がる動きはディフェンス面としても効果的、またヘディングシュートの場面では磁石のようだった(ボールを引き付ける?)。勤勉さをもってゴールを求めたが、これは唯一彼に欠けた栄誉。常にナバスに注意を向け、チーム内での彼のコミュニケーションに心を配っていた。試合前には、魂を鼓舞する彼の声が響き渡る。「Por toda nuestra gente! :我々の人々すべてのために!」 これが繰り返された。
7試合、647分間出場。シュート数11。 

プジョル「ヘディングを備えたセントラル」 
きわめて素晴らしい大会を戦った。純粋な状態にあるプジョルだ。パラグアイ戦では顔に打撲を受け試合を完了できなかったが、スペクタクルなゴールを決めたセミファイナルのドイツ戦までには回復。空中に飛び上がり、ヘッドで決めた。ポルトガル戦では、背後が守られていないままだと考えたプジョルはピケと言い合い、しかし試合が終わった後、ロッカールームでは既に、2人は永遠の友情を言い交わししっかりハグをしていた。チームの団結を表すキーマン。チーム内の賭けごとの元締め、また選手たちに自身のブランドの時計をプレゼントした。 
7試合、654分間出場。ファウル数6回、1ゴール。 

ピケ「試合の基底」 
罰則の代わりに成功を積み重ねる。23歳にして、2度のチャンピオンズ制覇にワールドカップを加えた。生まれながらのリーダー。プジョルについての彼のジョークはいつものことで、時を選ばない。「本当にとんでもないヤツだよ」とカプデビラは笑いながら言う。何度も相手と激突して、唇4針、まぶた2針の計6針を縫うことになったが、これも勲章だ。パラグアイ戦ではペナルティを与え、ファイナルではボールの供給に十分な能力を発揮できなかったとしても、彼のワールドカップは、常に対峙する相手が押さえられたことで説明できるもの。彼によくあるように、重要な試合でのゴールは決められなかった。 
7試合、660分間出場。ファウル4回、506回のパス。 

カプデビラ「最高に有効なコマ」 
彼の部屋は、マルクス・ブラザーズのキャビンのようだった(例えはよくわかりませんが、皆が集まって賑わっていたという意味だろう)。冗談とおしゃべりがチームをまとめた。彼が先発11人に入ることには疑問が呈されていた。「1分でも、俺はやるよ。」 彼は、大会前にそう言っていた。そして彼は、チームの基本要素の1つとなり、デル・ボスケにとってアンタッチャブルの存在となった。すべての時間に出場し、攻撃でも守備でも十分に仕事を完遂、常に一番の恐怖と隣りあわせだった。アレクシス・サンチェス、シマオ、あるいはロッベンといった選手は、確かに彼に大いに汗をかかせただろう。 
7試合、660分間出場。ファウル数6回、被ファウル数8回。 

アルベロア「補完」 
可能な限り上の空。「ぼーっとしているけど、でもとてもいいヤツだよ」とは、チームメイトたち。どのトレーニングでも、贈り物をもらったかのように楽しみ、わずかの出場でも、ピッチに入る前の彼の笑顔を損なうことはできなかった。マーキングに特徴のあるディフェンス、彼の長所が見落とされたのは、チームが正確に機能していたためだ。 
1試合、13分間出場。 

マルチェナ「司祭の言葉」 
ロッカールームではよく知られているように、「司祭(父親、みたいな意も?)」だ。ピッチやベンチでよくしゃべり、どの試合でも、誰よりも活発で神経質になったファンのように過ごしていた。負け知らずの記録を、史上最多の連続55試合に伸ばした。バレンシアチーム、セビージャチームのリーダー。マルチェナが話をすると、チームはそれを聞く。 
3試合、8分間出場。 

アルビオル「純粋な積極性」 
スイス戦での敗戦に悩み、タイミング悪くトレーニング中に負傷、最終的に出場はかなわなかった。しかし彼のポジティブさと陽気さはチームに浸透していた。それはトロフィーに値する。 
出場時間なし。 


【PORTEROS】
レイナ「完璧な2番手」 
ごく自然にサポートの役割をこなし、いつでも快く助言する。彼の耳打ちは、カシージャスがカルドソのペナルティの軌道を予測するのに十分役立った。トレーニングでは競争心を持って、そしてフィエスタの場面ではそのトークによって盛り上げ役となり、彼のチームメイトたち、特に誰よりも、カシージャスへのサポートをする一番の中心的存在となっていた。ポルトガル戦のビジャのゴール以降、レイナが見せるピッチサイドでの全速力は、チームのゴールへの関わりと情熱とを示すものだった。
出場時間なし。 

バルデス「もう1人の」 
誰も彼に疑いはない。競争心があるために混乱を招く要因といわれ、他の2人のGKとの悪い関係まで推測された。しかし、3人のGKがお互いを理解するのにはわずか1週間で十分。バルデスはその外交的な面を見せるようになり、ゴールの下でのペナルティゲームやジョークの輪に加わっていった。「俺はいつも、一緒になるために来た、って言ってたんだ」今ではそう主張するほどだ。バルサでの責任感に慣れてはいたが、代表ではプレッシャーもなく、解放されていた。ファイナルが終わったばかりの時、彼がカシージャスに走り寄って抱きしめたこと、タイトルを祝っていたことは、彼がこのチームに馴染んだ広がりを説明するものだ。 
出場時間なし。 

カシージャス「決定的な存在」 
大会直前の親善試合サウジアラビア戦でのミスもあり、不安定なスタート。彼の先発についての議論が煽り立てられていた。「イケルはこの代表のGKでありカピタンだ。」と、この頃デル・ボスケは話していた。カシージャスは、スイス戦では恐れを持っていたが、しかし要求に応えるようになっていった。チリ戦ではリスクを抑え込んだ。クリスチアーノ・ロナウドのFKを麻痺させた。パラグアイ戦ではカルドソのペナルティをストップし、勝利につなげた。クロースのシュートを止めてドイツに競り勝ち、そして最後のビッグゲームでは、ロッベンの2度のチャンスを止めた。オランダ戦、イニエスタのゴールが決まった後の涙は、彼の人間性と、彼がプレッシャーに耐えてきたことを表している。ワールドカップ、そして恋人へのキス。 
7試合、660分間出場。17セーブ、2被ゴール。 
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イケルを最後に持ってきたかっただけ。アルベロア評が少々(?)ひどいですが、でもそういう訳になるようなので......。 


おまけ:El Paisその他
今回のW杯、スペインのいろいろなニュースサイトを巡って情報を拾ってましたが、特にEl PaisのW杯特集には、勝手に非常にお世話になりました。読みきれなかった記事やコラム等がいろいろあったのは惜しい限り。 
例えば選手紹介。各選手のいろいろな情報に加えて、スペイン代表OBが短く評価・コメントしているのですが、その組み合わせがちょっと面白かった。詳しく知らないOBも多々いますが、例えばジョレンテについて書いたのはウルサイス、フェルナンド・トーレスにはキコとか、シルバにはフランとか。あとイニエスタを評したのはバレロン、というところがまた何かしっくりきて、勝手に嬉しかった。 

あとは、大会の前半頃にスペイン代表選手の半分強に対して行っていた、サッカーにはほとんど関係ないどーでもいい短いQ&A特集。シュールな選手のイラストがついている「La otra mirada PIM-PAM」というシリーズです。これも面白かったのですが、量が多くてお手上げ。
質問は、たとえば「ファーストキスを覚えてますか?」とか、「エル・ブリ(エル・ブジ)に行ったことありますか?」とか(El Bulli=数年単位で予約が取れない超高級レストラン。アロンソとかチャビは行ったことあるらしい。さすが。)、「オムツを替えたことはありますか?」とか、「子供のころサインをもらったのは誰?」とか、「カバとライオン、どっちが人間にとって危険でしょうか?」とか。最後の質問には、フェルナンド・トーレスが「カバだよ。サファリに行って聞いたからね。カバはすごくスピードがあって、縄張りに踏み込んだ人間には突進してくるんだ。」 と回答。ひとつ賢くなった。