2014/2015 COPA del REY DIECISEISAVOS-Ida
Cornella 1-4 Real Madrid C.F.
アンチェが宣言した通りの11人でスタート。決して良い試合ではなかったと思いますが、飛び道具で点を取った前半、立て直した後半に追加点、カスティージャ招集組も使い…と、ある意味効率的な試合でした。
試合開始からコルネージャはしっかりプレスかけてきて、気を抜いたらボールを奪われてしまう…という、シリアスな展開。テストだったのか、左ラテラルがカルバハル、右ラテラルがアルベロアで前半を戦ったり、イスコとハメスが一定時間、左右入れ替わったり……慣れない面々というのもあったのかもしれません。これはゴールに手こずりそうだなあ…なんて思ってたんですが。前半10分過ぎにハメスのCKから高く飛んだバランのヘディング、ゴール! 文句なしに美しいゴールでした。
これだけで余裕をもった展開…となれば良かったんですが、約10分後、ディフェンスの寄せが甘くなったところをうまくもっていかれて、失点……。試合のコントロールは握っていても、思うようにはいかない時間が続いていた印象でした。なにしろ、ベンゼマとチチャリートがほぼ行方不明で、ボールタッチが極端に少ない。途中でベンゼマは、中盤まで下がってボール触ったりしてましたね。でも、そんなところでも、飛び道具が再び炸裂。今度は反対側、イスコのCKから再びバランがゴール。
ハーフタイムで修正したのか、後半からはチチャもベンゼマも試合に組み込まれたようで、前線のゴールに近い位置でチャンスができてきました。間もなくチチャリートのゴール。ハメスに代わって出場し、左の中盤に入ったマルセロが最後のゴールを決めて、1-4。その後、ラウル・デ・トマスがトップチーム公式戦デビューを飾り、メドランも出場し……こういう状況での国王杯としては、十分な結果になりました。
この試合、ベンゼマが試合開始からカピタンに……この先発11人の中では、トップチーム在籍期間が一番長いということです。その割に、特に前半は存在感が出せなかったのは、ちょっと残念でしたが。
相変わらず好調を維持しているのはイスコ。ボール扱いのテクニック、動きに、しばしばスタンドから「イースコ、イースコ」のコールがかかっていました。
ハメス、たくさんしゃべる
29日、ハメス・ロドリゲスがCadena SERのEl Largueroに出演し、数々の質問に答えました。かなーり長いのですが、難しいことを話してはいないので比較的読みやすい(とかいって、誤訳があったらすみません)。とりあえず半量程度を載せていきます。
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Q:少年が、マドリーでプレイする男になりました。
A:僕はいつでもここに来たいと思っていた、強く夢に見ていたよ。3、4歳の時から、ここにいることを夢見ていたし、長い間ここにいたいと思っている。この夢を続けるために、死ぬまで戦いたい。自分には才能があったと思う。でもフットボールでは、幸運であることも必要なんだ。
Q:夢をかなえるためには何をするものでしょうか?
A:第一に、はっきりした目標を持たないといけない。それからそれを追っていく。目標があれば、そこへ向かうのはより簡単になる。
Q:子供の頃は辛い経験でしたか?
A:父が僕たちを置いていったのは3歳の時だった。でもいつでも母のことを思っている。戦う母、模範になる人だ。いつも僕と一緒にいて、僕のために戦ってくれた。今日この場所にいられるようにね。
Q:お父さんがいないと気づいたのはいつですか?
A:本当のことを言うと、義理の父のファンカル(Juan Carlos Restrepo)ができたのは幸運なことだった。彼はいつも僕と一緒にいてくれて、最初に僕にフットボールの才能があると見ぬいてくれた人、5歳の僕を初めてサッカースクールに連れて行ってくれた人だ。いつも僕をサポートしてくれた。
Q:コンピューターの勉強をしていたのですか?
A:そうだよ。その勉強をスタートしたんだけど、やめなければいけなくなった。今はまたやりたいね。
Q:どのようにしてフットボール選手として、スタートしたのでしょうか?
A:僕はいつもフットボールをしていたし、義理の父が、僕が他の人とは違うタッチをすると見抜いてくれた。5歳から、スクールに通ったよ。
Q:フットボールのせいで、勉強の時間が無くなった?
A:そうだね。いつもパスはしていたけど、良い成績じゃなかった。両親は僕を助けてくれていたけど、少なくともパスはするように、と言っていたね。僕が言っていたのは、僕はフットボールでベストにならなければいけなかった、ということ。そういう条件はあったんだ。
Q:子供の頃のアイドルはバルデラマでしたか?
A:そう、彼はコロンビアにおける僕のお手本だ。国では誰にとってもアイドルだったよ。
Q:子供時代、コロンビアにいた時、もうマドリーという存在を知っていましたか?
A:もちろん、レアル・マドリーの試合を見ていたよ。たくさんのスターがいた。
Q:あなたは14歳で、プロフェッショナルとしてデビューしました。あなたよりはるかに年上の選手たちとプレイするのは怖くなかったですか?
A:そうだね、僕は子供でたくさんのプロフェッショナルたちと一緒にプレイした。もちろん怖かったよ。コロンビアでは、選手たちがすぐにデビューする傾向がある、しばしば15歳とか16歳で……こことは違うね。彼がやっていたのは、ボールにタッチして走ること、インテリジェンスと才能があった。他の選手たちと接触するプレイはだめだった。プレイしては怪我して、プレイしては怪我して。
Q:そして16歳でアルゼンチン、バンフィエルドに加入した。
A:そう、初めてのテストで6ヶ月間、1人で行った。あの時はひどかった。子供なのに、大人の男のことをしようとしてた。泣いてしまったよ。新しい国で1人きりで、本当に若かったから。でもそれから、素晴らしい選手と対戦した。リケルメ、アリマール、アルメイダ、ガジャルド…すごい経験だった、すべてが情熱だった。
Q:コロンビアに戻ってきたときは、もう有名になっていたのですか?
A:僕がコロンビアで知られるようになったのは、ポルトと契約した時だよ。
Q:ポルトに移籍した際に、奥様と出会ったんですね。
A:そうなんだ、友達の紹介で16歳の彼女に会って、19歳で結婚した。
Q:孤独が怖い?
A:1人でいるのは嫌いだよ。いつでも友人や知人たちと一緒にいるのが好きだ。
Q:ポルトはすごいチームでした。
A:そう、すごいチームだった。ファルカオ、グアリン、ルチョ・ゴンサレス…僕たちはたくさんタイトルを獲ったよ。僕自身楽しめていた。ポルトのファンはとても要求が高い。勝者のメンタリティを持ったチームであり、それが勝利を獲るために使われていた。
Q:モナコ時代には、チャンピオンズのマドリーの試合を観戦に行きましたね。
A:僕はマドリーファンだよ。ジダン、ベッカム、ロベルト・カルロスがいたころから…ビッグスターたちだ。それから11年たつけれど、いつもマドリーのファンで来た。オフの日にミュンヘンに行って、バイエルンとの試合を見たんだ。ミュンヘンでは、クリスチアーノ・ロナウドと写真を撮ることもできたよ。代理人が一緒だから、数年前から彼のことは知っているんだ。
Q:彼と一緒にプレイできると考えましたか?
A:そうだね、彼らがバスに乗ったのを見ていたのを思い出すよ。「クリスチアーノ、クリスチアーノ、ラモス、ラモス…」そういう声が聞こえた。それで自分自身に言ったんだ。いつかあそこにいたい、あのバスに。そして今を見てよ。僕はいつもそのために戦ってきた。
Q:そしてワールドカップがありました。既にトップレベルにあると感じましたか?
A:チームにとってもそして個人のレベルでも、思っていたよりも良いワールドカップだった。ワールドカップのような大会でゴールを決めるのも、夢だったからね。ブラジルに敗れた時の落胆は本当に大きかった。
Q:レアル・マドリーからのオファーを初めて知ったのはいつですか?
A:ワールドカップの前から話をしていたんだ。僕はフランスを離れたかったし、良いワールドカップを過ごせればそうできるとわかっていた。メンデス(あの代理人)は僕に、落ち着いていなければいけないと言ってくれた。うまくやれる大きなモチベーションがあったよ。ビッグクラブに行けるんだから。初めてフロレンティーノ・ペレスと話をしたのは、契約の時だった。
Q:ベルナベウを知っていましたか?
A:以前試合観戦をしたことがあるんだ。マドリーvsエルチェ戦だった。マドリーに来たのはファルカオと一緒で、ポルトでのオフの日を利用したんだ。
Q:チームメイトたちの中ではシャイですか?
A:シャイじゃないよ、距離関係に敬意を払っているんだ。こんなチームメイトたち、ビッグスターたちと一緒にプレイできて名誉だよ。
Q:最初は、あなたは交代要員か、あるいはプレイしないかでしたが…どう過ごしていましたか?
A:落ち着いていたよ、慣れていかなければいけないとわかっていたから。でもトレーニングが僕のレベルを上げてくれたし、まだ向上していけるとわかっている。僕はゴレアドールではない。クリアなゴールを決めるのはすきだけど、でもスコアラーではないんだ。僕はクリスチアーノ・ロナウドのような、シーズンに60ゴールも決める選手ではないんだよ。
Q:レアル・ソシエダに敗れ、奇妙な空気になっていました…。
A:あれはおかしな試合だった。コントロールしていたのに、何があったか説明がつかない。あの雰囲気は奇妙なものだったし、大変なものだった。そう、普通は……ここには常に勝ちたいという気持ちがあるけど、でも僕は落ち着いていた。ただ毎日トレーニングしてより良くなっていきたいと思っていた。
Q:アンチェロッティの言う犠牲精神ですね…彼は何と言いましたか?
A:アンチェロッティは本当に物静かな監督だけれど、でも僕たちは一体にならねばならない、と言っていた。アンチェロッティは偉大なチームで経験を積んできた監督だ。ここで僕がもっと走っているのは確かだけれど、でも僕は幸せだ。理想のクラブにいるんだから。
Q:いちばん好きなポジションは?
A:どこであれ、監督の言う場所で。僕は常にどこでもいける。エリアに近いメディアプンタでやるのが一番好きだ。中央から前なら、どのポジションもやったことがある。
Q:アトレチコに敗れた後、チームは変化しました…
A:僕たちには、勝利の精神を持った選手たちがいる。常に勝利を望んでいるし、常に戦うことを望んでいる。そう、あそこから、新たなレアル・マドリーになったんだ。
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