前回の記事から、あっと言う間に10日以上が過ぎてしまい、気付けば母が旅立ってから もうすぐ1ヶ月…です。
なんだか時の感覚も上手く掴めず、ふと、長い夢を見てるのかな?なんて思う毎日ですが、今日は母が亡くなる前の9日間に得た恵みについて書いてみます。
先月の11日、母は自宅の隣の公民館で中高年向けの健康体操に参加していました。
このサークルは20年以上も続けていた母…
仲間の方も長年の付き合いで、年に一回は旅行に行くなどごく親しいお仲間でした。
そこで柔軟を始めて間もなく、「ちょっとしんどいし横になるわ。」と言って休んだ母。
そのうちイビキをかきだしたのを不審に思った元看護士のKさんが救急車をよんで下さり、すぐに運びこまれた病院で [脳梗塞] と診断されました。
健康な状態の母が最後に居た場所は、自分が一番好きだった仲間がまわりに居るにぎやかな場所でした。
そして、母を救急車に乗せてすぐに私の自宅に連絡下さったKさんですが、あいにく外出中やったので妹に連絡して下さいました。
このKさんのお孫さんが偶然にも妹の長男と同級生だったので連絡先を知っておられたのです。
こうして母の病状はまず、妹に知らされました。
妹から連絡を受けてすぐ病院にかけつけた私たち家族…
まだ少し意識があった母の傍に妹を連れて行って
「おかあちゃん、○○が来てくれたよ。」と言った時の母の表情…巧く動かない顔の筋肉を精一杯使って、なんともいえない嬉しそうな顔をしました。
心ならずも疎遠になってしまった妹のことをいつも気にしていた母でしたから…
この時の母の笑顔は多分、一生忘れない…そんな気がします。
ICUを出て一般の個室に移ってからは、妹の子供たちや、ウチの長男や娘、遠方の母の兄妹など、母の肉親が次々訪れ、母のそばで過ごしました。
ずっと元気な母やったので皆で
「リハビリ始めたら、またメチャメチャ頑張るんやろーなー。」
「これを乗り越えたら100歳まで生きはったりして…?」
などと明るい話題で過ごしたものです。
この時母は目を閉じていて眠っているように見えましたが、私たちの会話は聞こえていた、と信じています。
そして、主治医の先生から最悪の事態を知らされた、19日の午後…。
私と妹はすぐに病院に駆けつけ、ずっと母の傍で過ごしました。
看護師さんにお願いして簡易ベッドを借り、狭い病室に3人で…。
「こんな風に3人で寝るのって何年ぶりやろなぁ…」と妹と話しながら、そしていろんな懐かしい出来事や、妹の悲しい後悔など、ふたりで一晩、話し続けました。
もちろん、眠っている母も交えて…
そして翌朝、ダニエルや孫たちが来て暫くしてから危篤状態になり、実家に大切なものを取りに行っていた私が 母の傍に戻るのを待っていたように、ひっそりと息をひきとりました。
本当に、精一杯働き続けて、そろそろ休むわ…と言って眠ったような母…
「あんたらにオムツの世話だけはさせたくないわ。」と何度も言っていた母…
何も苦しまず、静かに、穏やかな顔で逝った母です。
最近、母の遺品を整理していたらここ10年分くらいの沢山の写真が出てきました。
多くは前出の体操サークルのメンバーとの一泊旅行の写真、そして幼馴染みの友人の方たちとの旅行の写真、母の趣味のメインだった詩吟の発表会の写真、孫たちに囲まれたものやウチの家族と過ごした時の写真…など。
どの写真をみても、屈託のない笑顔の明るい母が居て、仕事もいっぱいしたけど、楽しい時間もいっぱいやったんやなぁ…と温かい気持ちになりました。
重度の脳梗塞だった母のような場合、自宅で倒れてそのまま…という例も少なくないと聞きました。
そんな病の中で、妹をはじめ、母を愛する多くの人に会うことができました。
母の最期にいくつかの大きな恵みを下さった神様に感謝です
母が大好きだったこの曲、お正月のカラオケでも張り切って歌っていました。
最近は毎日のように聴いているシャロンです
川の流れのように
なんだか時の感覚も上手く掴めず、ふと、長い夢を見てるのかな?なんて思う毎日ですが、今日は母が亡くなる前の9日間に得た恵みについて書いてみます。
先月の11日、母は自宅の隣の公民館で中高年向けの健康体操に参加していました。
このサークルは20年以上も続けていた母…
仲間の方も長年の付き合いで、年に一回は旅行に行くなどごく親しいお仲間でした。
そこで柔軟を始めて間もなく、「ちょっとしんどいし横になるわ。」と言って休んだ母。
そのうちイビキをかきだしたのを不審に思った元看護士のKさんが救急車をよんで下さり、すぐに運びこまれた病院で [脳梗塞] と診断されました。
健康な状態の母が最後に居た場所は、自分が一番好きだった仲間がまわりに居るにぎやかな場所でした。
そして、母を救急車に乗せてすぐに私の自宅に連絡下さったKさんですが、あいにく外出中やったので妹に連絡して下さいました。
このKさんのお孫さんが偶然にも妹の長男と同級生だったので連絡先を知っておられたのです。
こうして母の病状はまず、妹に知らされました。
妹から連絡を受けてすぐ病院にかけつけた私たち家族…
まだ少し意識があった母の傍に妹を連れて行って
「おかあちゃん、○○が来てくれたよ。」と言った時の母の表情…巧く動かない顔の筋肉を精一杯使って、なんともいえない嬉しそうな顔をしました。
心ならずも疎遠になってしまった妹のことをいつも気にしていた母でしたから…
この時の母の笑顔は多分、一生忘れない…そんな気がします。
ICUを出て一般の個室に移ってからは、妹の子供たちや、ウチの長男や娘、遠方の母の兄妹など、母の肉親が次々訪れ、母のそばで過ごしました。
ずっと元気な母やったので皆で
「リハビリ始めたら、またメチャメチャ頑張るんやろーなー。」
「これを乗り越えたら100歳まで生きはったりして…?」
などと明るい話題で過ごしたものです。
この時母は目を閉じていて眠っているように見えましたが、私たちの会話は聞こえていた、と信じています。
そして、主治医の先生から最悪の事態を知らされた、19日の午後…。
私と妹はすぐに病院に駆けつけ、ずっと母の傍で過ごしました。
看護師さんにお願いして簡易ベッドを借り、狭い病室に3人で…。
「こんな風に3人で寝るのって何年ぶりやろなぁ…」と妹と話しながら、そしていろんな懐かしい出来事や、妹の悲しい後悔など、ふたりで一晩、話し続けました。
もちろん、眠っている母も交えて…
そして翌朝、ダニエルや孫たちが来て暫くしてから危篤状態になり、実家に大切なものを取りに行っていた私が 母の傍に戻るのを待っていたように、ひっそりと息をひきとりました。
本当に、精一杯働き続けて、そろそろ休むわ…と言って眠ったような母…
「あんたらにオムツの世話だけはさせたくないわ。」と何度も言っていた母…
何も苦しまず、静かに、穏やかな顔で逝った母です。
最近、母の遺品を整理していたらここ10年分くらいの沢山の写真が出てきました。
多くは前出の体操サークルのメンバーとの一泊旅行の写真、そして幼馴染みの友人の方たちとの旅行の写真、母の趣味のメインだった詩吟の発表会の写真、孫たちに囲まれたものやウチの家族と過ごした時の写真…など。
どの写真をみても、屈託のない笑顔の明るい母が居て、仕事もいっぱいしたけど、楽しい時間もいっぱいやったんやなぁ…と温かい気持ちになりました。
重度の脳梗塞だった母のような場合、自宅で倒れてそのまま…という例も少なくないと聞きました。
そんな病の中で、妹をはじめ、母を愛する多くの人に会うことができました。
母の最期にいくつかの大きな恵みを下さった神様に感謝です
母が大好きだったこの曲、お正月のカラオケでも張り切って歌っていました。
最近は毎日のように聴いているシャロンです
川の流れのように
出来ないと思っていただけにうれしい限りです。ご夫婦のblogに訪問させていただいたお陰で、大きな収穫となりました。うれしい。
今回は、僕から説明させていただきますね
えっと、自然大好さんが載せているリンク先は、YouTube のサイトではなくて、自然大好さんがしようとしているように、YouTube を貼り付けた別のサイトなのです。なので、「共有」はありません。
YouTube に行くには、その動画の右下に「YouTube」のロゴがありますが、そこが、YouTube のリンク先となっています。
そこからは、シャロンが説明したように、「共有」→「goo」とクリックすれば、OKです
これからも、よろしくお願いします
いだだきましてありがとうございます。
ところが、私の開けているyou Tubeの画像がことなるのか「共有」の表示がありません。
どこか、方法を間違っているのですがわかりません。たとえば、私のtop 固定画面の一番下にspeedの waku me up の動画のadressを
のせていて、クリイックすればyou tubeの画面にいくのですが「共有」もgooも見当たりません。面倒おかけしますが、間違いを教えてください。(^^)”
そしてコメントありがとうございますマウンテンバイクで気ままに旅しておられるのですね、長浜城にも来られてて…
YouTubeの貼り付けは、貼り付けたい動画のすぐ下の「共有」を押して、「goo」を押せばオーケーです。
これからも宜しくお願いします。
初めて訪問しました。きれいな写真を見せてもらっています。滋賀県4位の「自然大好」です。
お願い。YOU tubeのブログへの貼り付けは
どうすればできるのですか教えてください。 E-mail はtosiomtb@yahoo.co.jpです。
母が旅立つ時が決まっていたのだとしたら、本当に多くの恵みを頂いて楽に逝けたことが、せめてもの慰めです。
セレナーデさんもお父様の最期、共に過ごせたことは一生の宝ですね
お父様も、セレナーデさんに中で今も生きておられるのですね。
ブルーさんのコメント、いつも温かい応援と希望に満ちていて、心が前向きになります。
春に向けて、心の中の母といっぱい会話しますね。
どらせなさんへ
いつも気にかけてくれて、そして祈ってくれて感謝です。
少し元気が出る日と、とってもナーバスになる日を行ったり来たり…日々の雑用や仕事で疲れているせいもあるかも…です。
この記事はドーンと落ち込んだ朝に自分を励ますために書きました。
記事を書きながら涙も流したけど、心は温かくなった…母が傍に居てくれるような気がして。…ブログがあって良かったなって思いました。
ゴスペルも彦根のメンバーもありがたい宝物です
いたちさんへ
いつまでも、メソメソしている私なのに、ずっと気にかけて下さってエールを下さるいたちさん、感謝です。
母がいつも共に居ること忘れないで元気出しますね。
チョビさんへ
いつも心配してくれてホントにありがとう…
チョビも目の調子、大変なのに…
こんなふうに母の恵みの記事を書けるようになって少しは落ち着いたのかな…って自分でも思います。まだまだ不安定な時もあるけどね
ゴスペルでチョビと歌える日、私も早く来るといいなって思ってるよ、いつも待っててくれて嬉しい…感謝です
そんな状況で連絡が取れ
お母様の意識のあるうちに会えたのは・・・
シャロンさん・妹さんそして、お母様にとって
幸運だったと思います。
病室で3人の夜・・・お母様はお話が聞こえていたはずです。
私も父の最後の夜、手を握り一晩中話かけていました。
やっと落ち着いて分析できるようになってきたんだね。
母娘3人で過ごす時間も持て、穏やかな最期を迎えられた様子が伝わってきて、
不謹慎かもしれませんがよかったなあと思いました。
素敵なお母様だったことがシャロンの愛情溢れる文章からうかがえます。
うまく言えなくてごめんなさい。
またゴスペルでお会いしましょう。
お友達とのサークルの最中に倒れれたんですか。
結果として亡くなわれてしまった訳で良くはなかったんですが、
お友達が周りにいて救急な対応も受けられ最善を尽くしたと思います。
また、亡くなる寸前まで家族と一緒に居られ、お母様も喜んでいたんじゃないですかね。
シャロンさんもお母様を亡くされてまだ、1ヶ月ですので、
お母様の事忘れる事は難しいでしょうが早く笑顔取り戻して下さい。
待ってますよ。
シャロンにとってお母さまの存在というものがとても大きかった故に、悲しみも深いものなのだなあと思います。
うちの母はシャロンのお母さまとは正反対のタイプということもあり、シャロンに、その気持ちわかるわ、とは言ってあげることができません。
うまくいえないのですが、何だかとても辛いです。
ただ、身近な人が亡くなった場合でも、私たちの心の中にその人は依然として生きていると思っています。その人が存在していてくれて、ありがとうとでもいうか・・。
私たちの中に彼らは今もいて、そうして私たちはこれからも生きていきます。
綺麗な言葉で言えないのがもどかしいですが。
お気を悪くされた言葉があれば申し訳ありません。
ただ、祈っています。シャロンがまたいつか、戻ってくれることを。
言い換えれば、お母様が、シャロンさんと妹さんのこのひと月余りのかかわりあいを喜んで、安心されたということです。
心に秘める想いも沢山あるでしょうけれど、折に触れて、沢山の思い出を共に語って行く方が、いつまでも、一緒に存在することが出来ますよ。
この季節と同じように、春がそこまで来ています。花を見ても、風を感じても語りかけてお過ごしください。